「それでも嫌いになれない宮崎吾朗監督」ゲド戦記 アキ爺さんの映画レビュー(感想・評価)
それでも嫌いになれない宮崎吾朗監督
「一生に一度は、映画館でジブリを」っという宣伝文句にまんまと釣られて観に行ってきた「ゲド戦記」。悪い噂はチラホラ聞いていたのですが、4作品公開で3作品観てしまったら、そりゃぁ最後の1作も観たくなりますよね?
で、率直にいうと面白くはなかったです。なんとも中二病全快のストーリーでした。原作小説が1972年発行なので当時は新しかった内容かも知れませんが今観ると痛いです。いきなり原作の3巻を映画化しているので、長い物語の途中からで世界観もよくわかりません。演出も微妙でずっと盛り上がる所がないので観てて眠気をさそわれます。
声優に俳優を使ってるだけあって、全体的に違和感があるのですが、中でもヒロインのテルーの声が突出して下手い!・・・と思ったのですが、中の人の手嶌葵が福岡県出身だったので、同郷の身としては大目に見とかんといかんかなっと思いました。
正直本作は全然好きになれなかったのですが、観た後で検索していたら宮崎吾朗監督は嫌いになれないんですよね。ネットで調べてて、岡田斗司夫さんというアニメ研究者の方が話してた本作が作られるまでの経緯が面白かったので紹介させて頂きます。
元々宮崎駿監督が作りたがっていて、原作者アーシュラ・K・ル=グウィンに何度もお願いしていたのだか、ずっと断られていた。
↓
後年になって原作者のアーシュラさんが有名になった宮崎駿作品を観て、気が変わってジブリに映画化OKしてくれた。
↓
その頃には宮崎駿は高齢になっていて、もう監督をやる元気がなくなっていて、「俺が監督できないなら誰もできないので断れ」とジブリ側に通達。
↓
ジブリ側のプロデューサー鈴木敏夫はせっかくの機会なので作りたかったが、宮崎駿が作りたかった映画を他の監督にやらせると駿が「そこはこうじゃない、お前はわかってない」等ボロクソにツッコミを入れてくるので、おいそれと他の監督には任せられない。
↓
そこで駿に幼少の頃からボロクソに言われ続けて育ち、駿に抗体がある息子の吾朗に白羽の矢を立てた。
という流れのようです。息子が監督するようになった原因は駿監督にありますね。正直アニメ監督って何処までの仕事をしているのかはわかりませんが、吾朗監督は鈴木プロデューサーから抜擢されて、初めて作った割には頑張ったのではないでしょうか?鈴木プロデューサーも批判されがちですが、ワガママな天才とずっと付き合いつつ、会社を上手い事回すのは大変な事だと思います。
と言うわけで個人的に映画は面白くなくても、ワガママな父親の代わりに頑張った吾朗監督は嫌いになれません。今後も頑張って欲しいものです。ちなみに原作者に吾朗が監督する事を伝えに行った時に、批判する原作者を説得したのは原作者の息子だったらしく、後に鈴木プロデューサーがこう言ってたそうです。
「天才の息子はいいヤツだ」と。