「「どう生きるべきか?」という不滅の問いに、原節子の顔が答える」わが青春に悔なし neonrgさんの映画レビュー(感想・評価)
「どう生きるべきか?」という不滅の問いに、原節子の顔が答える
戦後第一作として制作された本作は、黒澤明が一貫して問い続けたテーマ、「人はいかに生きるべきか?」への一つの答えを提示している。1930年代の日本、思想弾圧の嵐が吹き荒れるなか、主人公・幸枝(原節子)は、時代に翻弄されながらも、自己の生き方を模索し、そして選び取っていく。
前半は、政治的理想や自由主義、ファシズムへの抵抗といった社会思想的テーマが前景化し、どこか観念的で抽象度が高く、感情移入しづらい構成になっている。しかし、中盤以降、夫・野毛(藤田進)が国家によってスパイとされ命を落とし、その家族も連座的に社会から排斥されると、物語は一気に観念から現実へと移行する。
農村に身を置き、家族を支えることを選んだ幸枝の姿に、かつての『一番美しく』の自己犠牲的なヒロイン像が重なるが、ここでは国家のためではなく、「人としての尊厳」を守るために働く姿が描かれている。その変化が本作の核心であり、黒澤が戦後において求めた(GHQの思想統制の影響があるにせよ)新しい生の指針でもある。
特筆すべきは、原節子の鬼気迫る演技だ。苦悩と孤独をそのまま写し取ったかのようなクローズアップの連続は、言葉を超えて観客の内面に訴えかける。黒澤が信じた「顔の力」が、この映画では思想そのものを語る媒体となっている。原節子の顔は、怒り、悲しみ、信念、愛情、そして生の意志をすべて刻みつけており、観る者はその一つ一つに心を打たれる。
また、物語の舞台が都市から農村へと移行する構造は、『七人の侍』へとつながる予兆を感じさせる。田んぼや土に人間の生活の基盤を見出す視線は、やがて黒澤映画が繰り返し描く「大地とともに生きる人間」像へと結実していく。
繰り返し出てくる「省みて悔いのない生活」という言葉が意味するのは、「正しいことをしたから悔いがない」ではなく、どんなに辛く苦しい現実であっても、自らの信念に従い、懸命に生きたことそのものに悔いがない、という生の覚悟なのだろう。
86点