「ロングショットを見逃すな」ロッキー よしたださんの映画レビュー(感想・評価)
ロングショットを見逃すな
子供の頃から何度か観ているが、その記憶の中では直線的で単純なストーリーが印象に残っていた。
久しぶりに鑑賞してみると、なかなか素晴らしい脚本と演出ではないか。当時無名だったスタローンが持ち込んだものを、映画会社が低予算でも撮らせることにしただけのことはある。
主人公ロッキーは粗野で人生に希望を持てない男として描かれる。この一人の男(ゴロツキ)が、出来レースになるはずのボクシングの試合に、本気で立ち向かうまでの変化を語っているのがこの映画である。そして、その変化について説得力が感じられるのかどうかが映画の焦点であろう。
最も象徴的な場面は、ジムのトレーナー、ミッキーがロッキーを訪れ、マネージャーを務めることを申し出るところ。
昔とった杵柄の話を一通りしゃべったミッキーに対して、ロッキーは相手のご都合主義に対して怒りを露わにする。
すごすごと部屋を出るミッキー。この観客も納得の成り行きが突如としてあらぬ方向へと向かい出すのが次のロングショットのシーンからである。
とぼとぼと歩くミッキーを追うロッキー。追いついたロッキーは何か話しかける。だが、遠景ゆえに声は聞こえてこない。観客と被写体の距離に忠実に、二人の声は観客の耳には届かない。
そして、握手をする二人。どうやら二人の間には、試合へ向けての協働関係が生まれたようである。観客は遠くから、そのことを推測することしかできない。
もちろん、この後の展開から、その推測が間違いではなかったことが誰の目にも明らかなのだが、この挑発的なロングショットこそが、この映画の肝である。
なぜロッキーの気持ちに変化が起きたのか。映画は自らの最も重要な部分からあえて観客を遠ざけている。観客それぞれの想像力を信じているからこそできる演出である。
ミッキーの過去の自慢話に苛立ち、悔しさを振り払うために本気でアポロと戦う気になったロッキーは気付いた。ミッキーが訪れたのは、自分をこういう気持ちにさせるためだったのだと。果たしてこれ以上のマネージャーがどこにいるであろうか。
そしてこれは、ミッキーにとっても夢を叶えるチャンスであり、これを逃すまいとする必死の思いにも共感したのだろう。であればこそ、エイドリアンの兄が自分をダシにして懸命に金を稼ぐことにも寛大になれるのだ。
ロッキーだけでなく、彼の周囲の人々の心にも変化が起きて、それぞれの欲しいものへ向かって強い気持ちで進んでいく。
「ロッキー4 炎の友情」の中に、「人間は変わることができる」というセリフがあるが、このことはシリーズ一作目からの大きなテーマなのだ。