レベッカ(1940)のレビュー・感想・評価
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ヒッチコックのアメリカ時代がここから始動
ヒッチコック監督のフィルモグラフィーの中で、本作ほど重要なターニングポイントとなった作品はない。というのも、これは彼がアメリカからの招聘を受けて初めて撮った記念すべき「アメリカ映画」だから。
序盤はコミカルなロマンス物を予感させ、身分の違う二人が惹かれあって開始30分で「結婚しよう!」と劇的展開を見せるさまに驚かされる。さらにそこから「ダウントン・アビー」ばりのお屋敷生活の中で用意周到に展開していくミステリーとサスペンスは、安心して身を委ねていられるほど重厚で高品質。なるほど、特定の人物に対し募っていく疑心暗鬼や(疑惑の影)、あるいは死んだ者の影響が身辺にずっとはびこってヒロインを得体の知れない運命へと導いていく(めまい)あたり、のちのヒッチコックの傑作に通じるエッセンスもひしひしと感じられる。ちなみに本作はこの年の作品賞オスカーを受賞。こうして彼のアメリカ時代は華々しく始まったのだ。
女性の二面性の怖さと、愛に目覚めた女性の強さ
ヒッチコック監督がハリウッドに引き抜かれて最初に発表し、アカデミー賞の作品賞と撮影賞の2冠に輝いた記念碑的作品。個人的鑑賞経歴は、12歳で淀川長治さんの日曜洋画劇場で初めて観て、16歳の高校2年の時に月曜ロードショーで再見しています。テレビで観た映画の感想を記録し始めたのが、この高校2年生からでした。その年のテレビ鑑賞の洋画108作品から選んだ年間ベストテンでは第9位に挙げていて、とても好感を抱いたことは記憶しています。しかしそのレビューを読み返してみると、抽象的な印象しか書いていない全くの駄文でした。如何に文章能力が無かったかを自覚すると同時に、どう感じたかの雰囲気だけで終わっています。屋敷のマンダレー、主人公貴族のマキシムの言葉の響きに魅了されて、幻想的なシーンの神秘的ムードと家政婦ダンヴァース夫人の異様な怖さ、そしてラストの邸宅が炎に包まれて焼き崩れるクライマックスの迫力に感動したと残しています。
50年隔てて見直した第一の感想は、これはヒッチコック監督のサスペンス映画と言うより、原作者ダフニ・デュ・モーリエが創作したストーリーの面白さが作品の魅力の凡そを占めているという事でした。タイトルの既にこの世に存在しないレベッカが家柄の良さと知性を備えた誰もが認める美貌の女性だったと言え、その姿は具体的には解りません。彼女の専属家政婦として一緒に城のような大邸宅に来たダンヴァース夫人が崇拝するほどに、完璧な貴婦人として君臨してたことだけが、もう一人の主人公の“私”を気後れさせます。上流階級のヴァン・ホッパー夫人の付き人の仕事から、大資産家のイギリス貴族に嫁いだシンデレラガールの幸福感は新婚旅行まででした。前半の見所は、この“私”が慣れない貴族的な優雅で贅沢な生活に引け目を感じながらダンヴァース夫人の無言の威圧に耐えかねる姿を執拗に描いているところです。邸宅内で迷子になるのを始め、ヒッチコック監督の演出もこの点を強調していました。その一つの例が、マキシムと一緒に新婚旅行の8ミリを観るシーンです。この幸せが永遠に続くといい、と言う台詞でフィルムが切れる演出がいい。スクリーンの光の反射を浴びる顔を捉えて、結婚生活に不安を感じる夫婦の会話がなされます。光の点滅と、暗い室内の僅かな光源で見える二人の顔のモノクロ映像の効果的な照明と撮影。レベッカを不幸に事故で亡くしたマキシムも、失った悲しみから立ち上がれないようで、新妻の不安を取り除くこともできない。
ところがマンダレー邸の近くで難破船が座礁してヨットが見つかってから一気に展開するレベッカの死の原因が分かる結末は、前半に抱いたレベッカの正体を覆し暴くが如く衝撃的、且つ犯罪事件を見逃してハッピーエンディングの予想困難なものでした。これはデュ・モーリエの見事な話術とトリックも使った種明かしの面白さです。人間誰しも少なからず表の顔と裏の顔をもつことで、公私のバランスを保ち社会の一員として生きれるものですが、それを冒頭のヴァン・ホッパー夫人で描いている巧さ。“私”を下僕のように扱う彼女は、マキシムの前では礼儀を弁えた夫人としてマナー通りに振る舞います。裏の顔は支配下に置いた人間にしか見せない。これは上流階級の人間に多いとする作者の皮肉も感じます。レベッカがそのホッパー夫人どころではない、放蕩のための偽装結婚の末愛人を作り夫マキシムを蔑ろにしていた悪女だった。離婚を避けたかったマキシムはレベッカの支配下に甘んじていたことになります。ここで漸く、“私”が愛するマキシムの為に奮い立ち、彼に常に寄り添い、女性として強くなるところがこのヒロインとしての役割でした。母性本能含め愛情の深さからくる女性の本当の強さ、それはどんな男性にとっても魅力的です。
一年前に海から上がった死体がレベッカでなく身元不明の女性であったことと、装飾品とヨットから遺体がレベッカであり、船の内部から穴があけられた痕跡で自殺なのか他殺なのかのクライマックスは、映画としては説明的でした。その前のマキシムが“私”にレベッカの最後の状況を告白するシーンと併せ、ヒッチコック監督の特別な演出は見られません。ベイカー医師が当時を思い出し、偽名を使ったレベッカの本当の病気が分かる驚きだけです。ここで創作の面白さが加わるのは、裏切りの妊娠をしたレベッカに侮辱されたマキシムの犯行だろうと脅迫するジャックの存在です。この男が“私”を見つけ窓の外から声を掛けるシーン。ダンヴァース夫人から紹介を受けて、そのまま跨いで室内に入るところに、このジャックという男の本性が垣間見れます。一応礼儀を弁えている素振りはしても、お互いに好きな男女の関係ならばいざ知らず、初対面の女性に振る舞う紳士としては無礼でしょう。
主人公を演じたジョーン・フォンテインは、この時23歳の若さ溢れるも美少女と大人の中間のまだ洗練されていない女優での出演。原作とヒッチコック監督要望のキャスティグではなく、製作者セルズニックが選んだ人選のようです。“私"としては美しすぎますが、常におどおどして怯える仕草を好演しています。マキシムの名優ローレンス・オリビエはイギリス貴族のような風格があり、前半の精神不安定な演技も見事。深読みすれば、不倫相手の子供を妊娠したとレベッカに言われ、怒りのあまりに彼女を殴ったのが原因で亡くなっていたかも知れない。事故か事件なのかのこの曖昧さも、オリビエの演技とヒッチコック監督の演出だから成立しています。また警察管区長のジュリアン大佐が終始マキシムに肩入れしているように感じられて、当時の上流階級に忖度する慣習が警察にあったのではないかと思えてしまいます。ダンヴァース夫人のジュディス・アンダーソンは、50年前に観た時に大変恐ろしく感じたものでしたが、今回はそれほどでもなく、ヒッチコック監督の演出の巧さもあると思いました。長い人生経験で少しは怖い女性の免疫ができたからでしょうか。それでも経歴を見ると舞台でマクベス夫人を演じたとあり、納得の女優さんです。嫌われ役ジャックのジョージ・サンダースも巧い。「イブの総て」の時ほどの演技ではないですが、礼儀知らずの嫌らしさが適度に出ていました。他脇役も全て手堅く、ジュリアン大佐のC・オーブリー・スミスは「哀愁」でもいい演技を見せています。ベイカー医師のレオ・G・キャロルは、「白い恐怖」「北北西に進路を取れ」などでお馴染みのヒッチコック作品常連の役者さん。「サンセット大通り」「陽のあたる場所」「昼下がりの情事」のフランツ・ワックスマンの音楽、サイレント時代から活躍する「群衆」「白い恐怖」のジョージ・バーンズの撮影も素晴らしい。プロローグの焼け落ちたマンダレーに近ずく幻想シーンのゴシック的な映像美は、マンダレー邸の室内シーンでも美しく見事で、セット美術も含めて、この映画の大きな魅力になっています。原作の雰囲気が丁寧に贅沢に再現されたハリウッド映画の良さがあります。またヒッチコック監督にしては、その得意のサスペンス演出が弱いとも言えますが、初めてハリウッドで制作しアメリカで認められた良作であることに異論はないと思います。
心理劇
非常によく練られた、心理ミステリーの一級品だ。
主人公の「わたし」は、ヨットの事故で先妻レベッカを亡くしたマキシム・ド・ウィンターと結婚する。屋敷の家政婦ダンヴァース夫人は、レベッカへの忠誠心から、「わたし」を病的なまでに、精神的に追い詰める。
レベッカの遺体発見後の展開も秀逸で、レベッカの従兄弟と名乗る男の関わりや、驚くべき真相が判明した後の、救いようの無い結末まで、全く目が離せない。
ヒッチコックの他の作品に比べると、派手さに欠けてるとは思う。しかし、これは、静かに、かつ、激しい心の動揺をもたらす、心理ミステリーの一級品だ。
ホラーや怪奇映画、ゴシック作品が持つ、不穏でおどろおどろしい雰囲気が全編に渡っているが、そうした作品とは全く別物だ。ミステリアスな魅力とスリルに満ちていて、観る者の感情を揺さぶる、極めてドラマティックな傑作サスペンスだ。
「見えない存在に怯える」その演出力は素晴らしい。
大好きな監督のアメリカ第1作目
監督得意の怖がらせは最高潮には達していないが
手をつくし主演女優や観客の心理を揺さぶる。
当時のスタッフは、まだ彼の演出は理解不能で
撮影の方法について行けないスタッフも居たはず。
「恐怖とは何か、考えてごらん」
「隣に座る人が犯罪者だったら…」
「突然罪をなすりつけられたら…」
そこから始まる”怖がらせの流儀”
ラブロマンスものに慣れた製作陣には難しい。
前妻の名前の刺繍に恐怖を覚えさせるにはー
美しいはずのランプの光も恐怖に変わるー
声のトーンもまた恐ろしい世界へ誘うこともある。
恋愛…、新婚…、お金持ち…、幸せ…のはずが、
小さな疑惑、大きな疑惑、実態のない闇が襲う。
ところどころアメリカ的だけど
それでも「ヒッチコックの映画」
と、言い切りたい。
※
佳作ですがヒッチらしさは希薄
イギリスは六月までは寒い♥
今は亡き親父の好きだった映画。
初めて親父に無理矢理見せられた時は、その良さが全く分からなくて、出ている女優さんが綺麗だなって思ったくらい。その他は全く覚えていなかった。内容を覚えていた理由は、映画雑誌で読んだからだと思う。まぁ、名作でしょうから。
さて、親父はなぜこの映画が好きだったんだろう?僕の推測ては女優にあると思う。親父は『シルヴァーナ・マンガーノ』が好みと、ずっと言っていた。『にがい米』が好きな映画だった。この主演女優さんがなんとなく似ていると僕は思う。それが原因だと思う。親父も鬼畜米英と言いながら、敗戦国で教育を受けた労働者。かなりの劣等感があったのだと思う。
サスペンス三段落ちの元祖?良質なサスペンスだと思う。がしかし、ネタバレするわけにはいかない日曜サスペンス。
新作『レベッカ』のリリー・ジェームズがかすむくらい。僕も親父のDNAを立派に受け継いだ訳である。。
古いモノクロ画面は辛いが、どんどん引きつけられる
まずはレベッカとはこういう映画だったのかと大いに感嘆。
これぞ正統派ミステリーという醍醐味を存分に味わうことができた。
正直言えば中盤までは画像の悪さも相俟って散漫という印象だったのが、レベッカという謎の女の核心部へ導く手法にまんまとしてやられ後半は目を離せなくなる。
ヒロインの「うぶな新妻から真の妻」への変化も目を瞠らされる要因であり、いずれにしろヒッチコックの論理構築性と映像・演出による感情操作の妙に見事にはめられたということだね。
ただ一点、前妻レベッカには忠実で新しい妻には冷淡意地悪だった女召使頭がなぜあれほどまでのことをしたのかという部分に関しては納得できていないので、そこは調べてみたい。
130分という長丁場だが映画レガシーの一つとして見た甲斐大ありでした。
エドガー・アラン・ポーの世界を彷彿とさせる世界観に取り込まれる。
フラグが一杯。
目くらましのフラグ。
一転目の事柄につながるフラグ。
ラストにつながるフラグ。
そのフラグも、結末を知らないで鑑賞するときと、知ってから鑑賞するときの意味付けが変わる。
「ほう、職人技だのぉ」と唸りたくなる。
最初はロマンスから始まる。
上流階級が集うゴージャスな世界。そこに紛れ込んだ庶民。
ゴージャスな世界への憧れと皮肉。庶民がいることで共感しやすくなる。
あれよあれよという間の、おとぎ話、ハーレクインロマンスの成就。
そして、重厚かつオドロオドロシイお屋敷。
女フランケンシュタインが牛耳る世界。
めでたしめでたしで終わったおとぎ話の続きが幕を開ける。
眼前に立ちはだかる前妻レベッカ。庶民のコンプレックスを煽り、追いつめられるヒロイン。
昼メロちっくな展開。
前妻VS新妻の構造は決して絵空事ではない。ステップファミリーでは必ず起こること。
ダンヴァース夫人を前妻の子や、姑等に置き換えれば、今全世界でも起こっていること。
だから、痛々しくて見るのが辛かった。
そんな日常的な関係性を、監督はひたすらゴシックモードを始め、あたかも怪奇もののように装飾する。
展開の早すぎるプロポーズ。しかも、ヒロインに身寄りがいないことを確かめた上で。
名家という話なのに、披露宴もせずに一枚の紙で済まそうとする結婚証明。
味方なのかそうでないのか判然としない使用人たちのふるまい、佇まい。
何か罠があるのではないかと勘繰りたくなる。
青髭、美女と野獣…幾多のおとぎ話が頭をかすめ・・・。
ダンヴァース夫人の狂気が際立ち始め・・・。
第3の幕が上がる。
夫の秘密を共有した新妻。
今にもボロを出しそうな夫。
好きだったあどけなさの消えた妻と夫の関係性。
味方になるのか、敵になるのかわからない人々。
ハラハラドキドキ。
そしてふたたびどんでん返し。うやむやにされるもう一つの事実。
そのどんでん返しが引き起こす悲劇で幕を閉じる。
一転、二転、三転…。フラグに振り回される。
よく練られた構成・脚本にも見えるが、振り回され感があまりよくないのでつい評価が下がってしまう。
シーンシーンも切貼のようにも見え、つい評価が下がってしまう。
それでも、レベッカの部屋の調度類等、そこにいないレベッカを、でもあたかもまだ存在する人のように印象付ける圧倒的な映像。
これから始まる物語へ導く冒頭(『市民ケーン』とよく似ている)。
映画から目が離せなくなる。
カタルシスはないのに、記憶に残る映画。
★ ★ ★
ローレンス・オリヴィエ氏が、坂上二郎氏に見えてしまってしょうがなかった。って私だけ?
ジョーン・フォンテインさんも、日本の若手女優でよく似た人いるなあ。特にしなの作り方と思うのだけれど、名前が思い出せない。若いころの沢口靖子さん?
すぐキレる夫が一番怖いかも
よくよく考えるとけっこういい加減な話なのだが、見てる間はハラハラドキドキしながら見てたし、満足感もあったから、良質のサスペンスなんだろう。タイトルとなった物語の中心人物が既に死んでいて、関係者の話からその人物像を推測するしかないというのは、市民ケーンと同じ。
結局レベッカの自殺とのことだが、屋敷が燃えた理由と同様真相はわからない。屋敷が燃えたのもダンバースの仕業とははっきりしてないし。レベッカもガンで自殺する理由があるというだけで、自殺かどうかもわからない。夫もキレやすいからカッとなって殺した可能性もあるし、秘密の多い人物だからレベッカが悪女というのも作り話かもしれない。
冒頭のいい加減と言ったのは、
①ヨットが沈んだらそれが捜索されずにそのままにされることはまずないだろう。なくなったら結構大ごとだよ。
②ヨットから引き上げられたレベッカの遺体は1年以上経って骨だけだろうから、それで当時の科学でレベッカと特定できたのか?
③断崖で自殺しそうな男と結婚する気になるかな?
④ベンとかいう怪しげな男は結局なんだったの?誰かが事情聴取すると言って結局していない。
⑤従兄弟という男がレベッカについて一番よく知っていると思うが、これも何も問いただしていない。不倫してたのならダンバースが気付くはず。
⑥サスペンスの対象となる疑惑は基本的にこのストーリーにはない。強いて言えばヨットが見つかってからの、レベッカの死因についてだけ。新妻に身の危険は全くない。
⑦結婚前のロマンスはストーリーに不要。
⑧夫の話によるレベッカの死の原因も不自然だが、映画では曖昧なまま。
若い頃に読んだミステリーはたいてい結末で種明かしがされると、スッキリと説明されて、謎が残らないが、映画では結構謎の残る結末が多い。この映画がその走りなんだろうか?そういえば市民ケーンも謎がはっきりとは解き明かされなかった。
ヒッチコックはハラハラさせるのが目的で結末などどうでも良かったのか?だからとにかく派手に屋敷を燃やしただけなのか?それとも意図的に謎の残る結末にしたのか?
ヒッチコックの頭の中が一番のミステリー。
レベッカ!!
なるほど〜、レベッカの存在感たるや!!
最初は、美しい上流階級の妻を想像してました。亡くなっても彼女の部屋はそのままだし、鏡台の前の品々の配置にも細かくチェックする女召使の長も厳しそう。
おどおどするヒロインのジョン・フォンティンも、美人ですけど。どんなドレスで着飾るよりも、ニットのアンサンブルにツィード風のスカートというシンプルな装いがより一層美しい◎
なんとなくぎこちないマキシムも、彼女と出会ってほぐれていくと思いきや、海辺の小屋やパーティのドレス姿で急に不機嫌になるし、???と落ち着かず、、、
レベッカの正体が、私の想像からガラガラと崩れて、えーっ、そんな女性だったのか〜、さすがヒッチコック!
レベッカの死因はハッキリせずだけど、モヤモヤ感は、まあ豪邸と共に燃やしましょう。
ローレンス・オリビエは、「風と共に去りぬ」にビビアン・リーを推薦して結婚もしてたし、その時のメラニー役は、ジョン・フォンティンのお姉さんだし、色々と繋がりがあるなぁと思いました。
レベッカ・ド・ウィンターの呪縛
恋心に身を焦がす純情な娘から、夫を深く愛する妻となる美しい女性を、ジョーン・フォンテイン(東京都生まれとは驚き 👀 )が可憐に演じる。頬を伝う涙が美しい。
大邸宅マンダレイに住む英国紳士マキシム(ローレンス・オリヴィエ)、皮肉屋のホッパー婦人(フローレンス・ベイツ)、冷ややかな眼差しの家政婦長ダンヴァース婦人(ジュディス・アンダーソン)、ヨット小屋に隠れ住むベン、愛犬ジャスパー…。個性的なキャスト陣、計算された美しいモノクロ映像、レベッカの幻影に惑わされる様に目が離せなかった。
完成度の高い作品✨
ー思い出を香水のように瓶に詰められたらいいのに
ー今は私が奥様よ
NHK-BSを録画にて鑑賞 (字幕版)
ヒッチコック作品の中でも一二を争う名作!
ヒッチコック作品は美人が多い
ヒッチコック作品の楽しみの一つに主演が美女であること。この作品も例外ではなかった(ジョーン・フォンテーン)。
中盤までは避暑地を舞台にした普通のロマンス映画みたいで、モノクロの映像も素晴らしく、それなりに楽しめた。
マンダレイの大豪邸に着いてからの中盤からはヒッチコックの本領発揮と言う感じで、ミステリータッチになっていく。
最後のレベッカの死亡の真相が、彼の独白からわかるが、ちょっと説明過多の感じも否めない。本当に彼の言うことを信じていいのかと言う疑問も若干残る。本当にレベッカが倒れた拍子に頭を打って死亡したという事故死だったとしても、彼の死体遺棄の罪は残るはずである。表向きにはレベッカがガンの告知を受け、長くは生きられないのを悲観して自殺したと言うことになって一件落着となるのだが、なんとなく釈然としない。冒頭、彼が自殺しようとするシーンがあったが、もしかしたら本当に妻を殺していて、自責の念から自殺しようとしていたのではないか。
二人のハッピーエンドに水を差すように、あの大豪邸が放火されてしまうラストは、なんとも皮肉である。レベッカの怨念がそうさせたのか?それを暗示するかのようにレベッカのイニシャルが入った寝具が画面に映る。結局レベッカが勝ったのかどうかはわからない。レベッカが勝ったとしたらあの妻も焼死していたはずであるから。
多くに影響を与えたお屋敷サスペンスとサイコに繋がる狂気
多くのシーンで既視感が満載。それだけ多くの後年の映画に影響を与えたということだろうか。お屋敷に迫るカメラワークに、燃え盛る中に浮かび上がるRの文字、これ翌年の市民ケーンにそっくり。まあ、それは偶然の一致、それとももろに影響を受けた?
お屋敷の秘密の部屋、光と影が織りなす中で揺れ動くカーテン等。これも、随分と沢山見た様な。大きな屋敷が故くなった人間の意志を持った様に不気味になって来る。この展開、キューブリックのシャイニングは、完全にレベッカを意識しているのかな。
屋敷の主人ローレンスオリビエが、実は妻レベッカを殺していた、さらに、もう一回転じてそれは癌末期のレベッカの一種の自殺とのストーリー展開は、予想外でなかなかに面白かった。そして、家政婦長ジュディス・アンダーソンのヒロイン新妻ジョーン・フォンテインへの殺意、仕えたレベッカの思い出残る屋敷と共に燃える姿はサイコに繋がる狂気で見応えはあった。ただ、英国時代の様なヒッチコック的ユーモアがこの映画では皆無なのは、少々残念と思うところは有り。
見応えはあったが、後半に重要部分が何度もひっくり返り、少しガッカリ
あらすじと感想
1.レベッカとは、マキシムの前妻の名前、 「ボートが転覆して死亡」とされていた
2.マキシムから見たレベッカは、不倫+αの性悪女
①マキシムは、レベッカが倒れた時の記憶がハッキリしてない
②マキシムは自分が殺したかも知れないと思い込んでた
③転倒死?の後、マキシムが遺体をボートに乗せ、水死を偽装した
3.レベッカを診察した医師の証言により
①レベッカは、妊娠はしていなかった
②癌で余命数か月のため、自殺する可能性はあった
4.迫力はあったが、ここまでひっくり返されると少しガッカリ
5.ダンバース夫人(家政婦長)は、
①愛想が少なく冷酷な感じがしたが、最後まで怖い感じ
②ハッキリした証拠は無いが、放火の犯人、及び、焼死する感じ
6.感動する映画ではないが、
謎の部分があり、真相は何だろうと感じさせるストーリーは良かった
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