釣りは、もう何十年もやっていない。 けれど、 生まれて初めて自分の仕掛けに魚がかかった瞬間 (!)の、あの特別の興奮と驚きは、まるで昨日の事のように、この手が覚えている。 あれは小学校の裏の大きな池だった。 校門の前の小さな釣具店で、糸と,針と,浮きと,コメ粒のような鉛の重りを買って、見様見真似で 拾った棒っきれに結わえ付けた。 餌には庭で掘ったミミズを使った。 「 !!! 」 あの指先に伝わった突然の振動。 まさかの生き物の振動。 釣れるとは、これっぽっちも思っていなかったものだから慌てる。 僕は、全世界を征服したかのような驚きと、勝利の達成感で、池のほとりで上気して立ち上がってしまった。 釣りとは、 つまりこういう事なのだ。 陸上で肺で呼吸をしている我々人間と、 水中でエラ呼吸をする魚との、 この別々の裏側の世界に生きる者同士が、細いテグスで水面を挟んで、上と下でお互いの気持ちを読み合う勝負。 いつ切れるとも分からない、あちらにいる相手とこちら側の自分で、 繋がっている「命の糸」を引き合う行為なのだ。 兄さんのノーマンと弟のポール。 モンタナの美しい自然の中で、兄と弟が糸を垂れる。フライを投げる。 時に言葉を交わし、またお互いに黙り、風に吹かれ、瀬音を受けて、二人の間の間合いを感じながら。 彼らもまた、兄と弟として、慮り、反目し、 こうして見えないザイルを引き合っているのだ。 物理的にも、心情的にも、僕たちは相容れずに誰かと離れて暮らしている。そして 生者の国と死者の世界にわかたれている場合もある。 渓流の水辺に立つ男たちの、この「人生の縮図」をスクリーンに見ながら、僕も、父や弟たち、そしてうちの息子たちのことを思い浮かべていた。 一緒に生きることは出来ない人と魚のことわり。 あちら側への思い入れ。 細い糸の先に、水鏡を通して、 離れて生きる彼らのことを、 彼岸に渡った彼らのことを、 じっと想わされた作品だ。 どうだろう、 僕にとっては「初めて魚が釣れたあの日」よりも、僕ら小さい兄弟を連れてダム湖へ行き、何にも釣れずに帰ってきた父との一日のことが、 今となっては何よりの楽しい思い出。 もしかしたら僕の人生で、一番の思い出だったかも知れない。 ・・・・・・・・・・・・・ レッドフォードが、グレイグ・シェイファーとブラッド・ピットをキャスティングした。 目の表情だけで演じられる繊細な俳優たちだ。 詩と光の奇跡がある。 流れてゆく人の命と、川への思慕が絶品である。 傷付きやすく、控えめで小心な兄。そして 奔放にして自由。時に兄の心を掻き乱す弟。 僕たちが「兄」であり「弟」であるならは、彼らの様子にはそれがよく分かるだろう。彼らの心の内と表情が、地味だけれど堅実で、 「家族のアルバム」のように楽しめる、レッドフォードならではの、いい映画だった。 「草原の輝き」=ウィリアム・ワーズワースの詩を、「つまらない男」と呼ばれて失意の中にある長男ノーマンと父親が、戸口で共に吟ずる場面はとても心に迫るものがあったが、 僕は、あそこでDVDを、一度途中で止めてしまった。 “なにか良くないこと”が起こるのではないかと、僕は胸騒ぎを抑えられなかったのだ。 モンタナ州。 スペイン語で「山の国」。 カナダに接する全米4位の巨大な土地。平原。そして高地。ロッキー山脈。 自動車のナンバープレートには「Big Sky」との愛称が。 アカデミー撮影賞受賞。 ・・・・・・・・・・・・・ [メモ] うちの子たちとは 近所の釣り堀に行ったっけね。 カツオ漁船よろしく、3人が入れ喰いで上げ続けるもんだから、針をはずす担当の僕は、大笑いの大忙しだった。 30分で30尾。大漁のニジマスだった。 覚えてるかな? 覚えてるよね。