乱のレビュー・感想・評価
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破滅と美の交響曲 黒澤の半自伝的映画
視力の衰え、自殺を試みた絶望の淵から、黒澤明がその全てを賭けて創り上げた映画『乱』
日本映画界から追放された巨匠がフランスの支援を受け、最後の作品となる覚悟で挑んだこの大作には、時代を超えて響き渡る慟哭と美が宿っています。
物語の核は、愛する息子たちに裏切られた老人の破滅。けれど、それは単なる物語ではなく、黒澤自身の人生と絶望が刻まれた傷跡でもあります。
序盤、「三の城」の戦闘シーンは、息を呑むほどの構図と動きでスクリーンを彩ります。その完璧さは、後にマーティン・スコセッシが『ギャング・オブ・ニューヨーク』で模範したと言わせたほどだ。そして、黒澤を“先生”と崇めるスピルバーグの「プライベート ライアン」が未熟な映画にすら思える。
だが『乱』が真に恐ろしいのは、主人公が正気を失い狂気に飲み込まれる後半部分。その圧倒的なエネルギーは観る者を呑み込み、エンドクレジットが流れても席から立ち上がれないほどの衝撃を与えます。
原田美枝子が斬首されるシーンでは、黒澤映画の象徴とも言えるダイナミズムがさらに洗練され、美しい残酷さとなって胸に刻み込まれるでしょう。
この映画を絶賛したのは世界の名だたる批評家たちの中でも、最も辛口で知られるロジャー・エバート。彼が最高得点をつけざるを得なかった、『乱』に対する彼の批評もまた素晴らしい。
これは単なる映画ではなく、普遍的な破滅の物語であり、芸術の極み。
神や仏も泣いているのだ。
NAGOYA CINEMA Week 2024でこの日一度だけの上映。たまたま休みと重なったから鑑賞。
カラーになってからの黒澤作品は、なんていうか色がうるさくて、好きじゃなかった。七人の侍や蜘蛛巣城、用心棒、、、何度も何度も観たけど影武者、乱は公開以来観ていなかった。
やっぱり黒澤映画は面白いや。観るたびに発見がありますね。
キャストがオーディションで選んだ影武者より、断然良い。
二郎も三郎も亡くなって、丹後は夕陽評論家になっちゃったな。
野村萬斎だったんだ。
仲代さんは偉大な俳優だけど、あの舞台のメイクと舞台の演技はちょっと受け入れられない人はダメだろうな。
哀しい場面には明るい音楽がより哀しさを際立たせるって言ってたのは、黒澤さん本人なのに、哀しい物語に哀しい俳優、哀しい音楽。
主役が三船敏郎さんで、音楽が佐藤勝さんだったらどんなにか面白かったろうに。(三船さんは、映画スター、アクションスターだもんね)
黒澤明の神視線。
神や仏は戦争という人間の愚かな行いに泣いているのだ。
今こそリバイバル拡大公開して多くの人に観てもらうべき作品だと思う。
戦国合戦物の傑作
戦国合戦映画としてこれほど面白い映画は他に見たことがありません。まず映像の美しさ、次に話の面白さ(シェイクスピアの翻案だから当然か)、更に音響効果もあいまった合戦の迫力の3拍子揃った傑作です。一度は見る価値あり。
毒を飲めというなら喜んで飲む。
これほど悲しい話はない。
人間の業について、徹底的に描いたこの作品は娯楽を完全に超え、芸術と形容するしかない映像作品となった。
まず、不満点から。
NHKのせいなのか、元々なのか知らないが、音が聞き取りにくい。何言ってるかわからない。おそらく、吹き替えせずにロケで録った音を使ってるからだろうが、イっテQでももっと音質がいい。折角至高の脚本を使っているのに、セリフが聞こえなくてストレスしかなかった。後ろで母親が洗い物なんか始めると、視聴を止めなければならない。
もう一つ、少しくどい。日本映画の巨人の最高傑作にこんな言い方すると各方面に角が立ちそうだが、にしても長すぎる。いや、長いというより、飽きる。長いことは問題ではないが、同じアングルのカットが多すぎて、見飽きてしまう。流石に致命的すぎるので、恐らく僕にはわからない何か意図があったのかもしれない。例えば、違和感を感じさせることによって、より地獄絵図を僕の脳に刻ませるとか。
いずれにしても、こんな不満点があるのに、それでも、この映画を名作と言い切れてしまうのは、唯、脚本の良かったからだ。
人間のさまざまな業について、物語で描き切っただけで、この映画には存在価値がある。本当に、脚本を本にして、売って欲しい。僕は買う。
また、自分にとってはかなり意外だったのだが、女性がとても魅力的だった。名前は忘れたが玉藻前のようなあの女性は映画で観た日本人女性の中で最も魅力的だった。勝手なイメージだが、黒澤明は女性を撮るのが苦手、もしくは不得手だと思っていたが、全然そんなことない。とても美しかった。だけど、演技は下手だった。人によるだろうが、自分はあの大仰な演技が苦手だ。つまり、この作品の俳優の演技全般を評価しない。
最後にもう一つ、不満点。
これ戦国時代を舞台設定にする必要なかったと思う。そうすれば、もっと安く済んだし、採算もあったはず。
色々不満点もあったが、本当に観てよかった。わからなかったことが多いからまた見ようと思う。
神も仏も、救う術なし
狂った世の中で、気が狂ったなら、気は確かですね。
刀剣が乱舞するだけなら、見目麗しいことですが、血ほとばしり、肉弾ける映像は、今の時代、ダメみたい。先日、とある特撮映画観たのですが、血飛沫は不要とのコメントが散見されました。ただ暴力は不快なものです。(興味ある方は「ファ二ーゲーム」ご覧下さい。)昔から否定されている暴力ですが、槍が自動小銃となり、馬がレオパルド2に換わっただけで、今そこにある現実です。どんなに殴られても、翌週には青アザひとつ残らないような、暴力をファション化する映像のほうが、問題だと思います。
CGにせざるを得ない今と違って、城燃やすし、血糊も、文字通り出血大サービス状態。その城攻めシーンですが、鬼気迫る映像が、妙に淡々と描かれています。あるコンセプトに基づいて撮られたからです。わりと有名な話なので、どんなコンセプトなのか、調べてね。
全てを手に入れ、全てを失くす裸の王様。「リア王」読んでませんけど、栄枯盛衰の四文字を描くのに、どんだけ金使うんだよって話です。疾走するお馬さんの側で落馬する、かなりヤバいスタントも大盤振る舞い。大きなスクリーンで観たかったな。
それにしても、女性が非道い扱われ方をする映画ですね。人権の欠片もない。逆説的に、人権の有り難みを痛感します。
神も仏も、ヒトの愚かな苦しみを救う術は、無いようです。と云うか、そもそも、救う義理がない?。ヒトのことは、ヒトがやれってこと?。そんな私の戯れ言も、馬蹄の地鳴りに、掻き消されてゆきました。
乱世の非情さ、非人間性を描いた、理屈抜きの名作です。
この時代に戻りたい?。
よかった!
最も印象に残ったのは、仲代達矢のメークと怪演。
ピーターもいい味出してた。
映像といい、合戦の大人数の迫力といい、素晴らしい映画だった。
長年次男も阿呆で、彼らに裏切られ、やっと分かり合えた秀虎と三男なのに
あっけなく死んだの残念だったな。
黒澤監督の思いも自分にも少しは伝わってきた。
老いぼれて、初めて過去を反省する切なさと、
神も仏も無く殺し合う人間の愚かさよ。
子供達に裏切られた父親の悲哀
仲代達矢扮する一文字秀虎は齢70歳になった事から寺尾聰扮する長男太郎に家督を譲るとした事から秀虎の思惑と違う展開となってきた。根津甚八扮する次郎も策を弄し秀虎を城に受け入れず彷徨う始末。やはり家督を譲るとしたなら老いては子に従えのごとく謙虚にしなければね。以前観た時は何やら訳が分かりにくかったが、じっくり構えて観ると人の痛みが分かるし、子供達に裏切られた父親の悲哀が良く出ていたね。
老いの衰えがもたらす絶望と悪夢
テレビで放送されていた。 37年ぶりの鑑賞。 当時のように黒澤作品に対する過大な期待もなく観ることができたが、印象は変わらなかった。 まず、神様目線を狙っているのか、ほとんどが引きのカメラで、それが劇場芝居を観ているような感覚になってしまう。 役者のセリフ回しも大河ドラマのようで、日本人が見ると安っぽい感じ。 大殿役の仲代達也氏の芝居は、特に演劇的で大げさ過ぎ。 その辺が原因で、カメラといっしょに自分の気持ちも引いてしまった感じだ。
国内外で評価された映像美の部分は、確かに素晴らしい。 前衛映画や実験映画のような幻想的な映像が、役者の演技よりも鮮やかに物語を映し出す。 ただ・・・、 黒澤監督はやはり、モノクロ作品との相性の方が良かったのではないかと感じる。
公開当時、海外での評価は悪くなかったが、国内では、「黒澤老いたり」という本音も聞こえてきた。 私も当時、黒澤作品ならではの引きの強さがないことに正直落胆した。 最も有名な「七人の侍」のように最高のカタルシスを期待していたわけではないが、「乱」には、もはや作品としてのハリがなかった。 高校時代に早口だった友人と40年ぶりに会った時、あまりにもゆっくりとしゃべることにショックを受けたが、 「乱」の印象もそれと同じような感じだ。 歳をとると、否が応でもテンションが下がってしまうのだろう。
黒澤映画という巨大になり過ぎたネームバリューの圧力と、制作費・収益・評価を意識しながらの映画制作は、多感な芸術家である監督の神経をズタズタにした。 老いの衰えがもたらす絶望と悪夢は、現実だった。 結局、狂った大殿の姿は、黒澤監督が自身の心をフィルムに映し出した姿だったのかもしれない。
『七人の侍』、『生きる』、『赤ひげ』の次に好きな黒澤映画を挙げるとしたらこれかも。
スクリーンでは観たこともないのに、テレビ画面だけでも迫力に圧倒される。26億円をかけたと言われる超大作でフランスも出資している。『影武者』のときには感じられなかったダイナミクスはストーリーよりも個々のキャラがわかりやすくて面白いところ。史実に基づかないストーリーの良さなのかもしれない。
まずは一文字太郎孝虎(寺尾)と次郎正虎(根津)の性格の差といきなりの敵対関係。性格の差も面白いが、太郎の正室であった楓の方(原田美枝子)の存在がいい。身内の復讐も絡んで、ドロドロ劇を操作する立場。やがて次郎が彼女の才智に惚れてしまう。もう一人、ピーターが演ずる狂阿弥も狂った大殿(仲代)の心を対称的に描いていたことが面白い。演技は下手なんだけども台詞ひとつひとつに哲学が感じられるような・・・狂った世で狂うならまとも・・・とか。
城の燃え方は尻すぼみだけど、CGのない時代でこれだけ描かれば納得。合戦でも落馬がかなり多く、『影武者』にはなかった迫力が蘇ってきた。そして、黄、赤、青と父親の白。視覚的にもわかりやすく、生き残った次郎の赤に落ち着くところも皮肉なのか・・・狂ったような内輪もめの虚しさが伝わってくる。
4K修復版観たかったなぁ~
自分の中では彼の最後の映画
映画は映像の現実がすべて。
クロサワさん老いたか?
狂阿弥ピーターの存在感がない。
三の城しろ、一の城しろ・・・城の燃える構図がすごいが、どこか見知ったデジャブの景色に見える。
救っているのは原田美恵子の存在かもしれない。
いずれ偉大な日本人監督に敬意を表しています。
これは酷い
黒澤が書いた脚本を読んで脚本家の小国英雄はこうアドバイスしたと言う。
「原作のリア王が書かれた時代と現在とでは観客が違う。シェイクスピアの時代、観客は強力な王様がどれほど重要なのか肌で感じていた。彼が死んでいくこと、そしてその息子達が争うことがどれほどの悲劇のなのか彼らは知っていた。彼らの心の中にはいつも他国からの侵略の恐怖があった。だが今の映画ファンはそうではない。脚本はそれを説明しなければならない。キングがどのように強かったのか、どのように賢かったのか、どのように恐れられ、どのように愛されていたのか・・・」
これについて「七人の侍」や「切腹」で有名な脚本家の橋本忍もその自伝の中で同じ意見を述べている。
だが黒澤はアドバイスを無視して自分の書いた脚本のままで映画化した。彼の全盛期の傑作は彼らのアドバイスの賜物だったというのに・・・
そしてこのような酷い失敗作を作ってしまった。原作にはケントという人物が出てくる。その人物がリアを守ろうとする。 それによってリア王がかつて、いかに優れていて、いかにリスペクトされ、そして現在もいかに重要なポジションにあるのかが表現できている。リア王を守ろうとすることは同時に国家を守ろうとすることになるのである。それが上手くいくかどうかということが当時の観客にとってはとてもスリリングでだったのだ。
シェイクスピアは作品の中でこのような工夫をしているのだが黒澤はしなかった。彼の脚本でケントは縮小されリア王の惨めさが拡大された。スケールの大きなドラマとしてのリアリティが失われ、単なる老人が惨めになっていくドラマになってしまった。
それまで強権を振っていた王が突然耄碌したら周りはもっとパニックになるはずだ。原作では子供たちが娘だったので政治を知らない軽率な振る舞いをしてもリアリティがあった。そしてその夫たちの行動には慎重さがあった。乱ではリア王の娘たちのままに新王たちがマヌケな行動をとっている。前王の影響力を恐れて新王や側近はもっと慎重に振る舞うはずだ。そのように描いておけば前王とタッグを組んだ時の三男の持つポテンシャルが暗示され、前王がいっくら惨めになっても観客はそこに期待して最後まで映画を楽しめたことだろう。
・・・写真も全然美しくないし、演技も学芸会レベル。これは駄作中の駄作である。
恐るべき、恐るべき映画。劇場で見たならしばらく立ち上がれなかっただ...
恐るべき、恐るべき映画。劇場で見たならしばらく立ち上がれなかっただろう。合戦映画の頂点で、ライフワークとして望んだ作品を自身の最高峰に仕上げた黒澤明には感嘆する。もうこのような映画は作られることはないだろう。傑作、名作、一級、芸術。
マスベスとリア王との物語の違いはあれども、本作は結局のところ、蜘蛛巣城のリメイクだったのだと思います
紛れも無く黒澤明監督の映画を観たという満足感があります
全くの傑作で世界の映画賞の数々を受賞するのも当然です
黒澤明監督の最高傑作の一つと言って良いと思います
とは言え既視感があります
それは黒澤明監督が本作の30年前に撮った1955年の作品蜘蛛巣城のことです
蜘蛛巣城はマスベス、本作はリア王の翻案です
ですから筋書きは全く別です
ですが既視感があるのです
マスベスもリア王も観客がその筋書きをみな承知しています
それでも面白く、また翻案のレベルも高く完全に日本の物語になっている点は本作も蜘蛛巣城も同じです
しかしそれが既視感という訳では、ありません
一体何が既視感をもたらすのか?
まず似たシーンが多く有ります
原田美枝子の楓の方が入れ知恵をするシーンです
彼女の鬼気迫る演技は素晴らしいと思います
しかし、これは蜘蛛巣城での山田五十鈴が演じた主人公の妻に相当するシーンで既視感が有ります
そして、山田五十鈴を上回ったかというと空恐ろしさでは上回ってはいなかったと思います
比較してしまうのです
また三の城の落城シーンも蜘蛛巣城のクライマックスと相似形です
スケールがより大きくなっていますが、これもまた既視感があります
横殴りの雨のような矢の嵐は蜘蛛巣城の強烈さを上回っていたと言えるでしょうか?
これもまた比較してしまうのです
白黒映画時代の蜘蛛巣城でやりたかったことをカラー撮影で再度やり直した感があるのです
フランスの資金を得て潤沢な製作費で、黒澤監督の完璧主義を満足させて撮り直した蜘蛛巣城といった体なのです
マスベスとリア王との物語の違いはあれども、本作は結局のところ、蜘蛛巣城のリメイクだったのだと思います
主演の仲代達矢は正に当て書きそのもので、彼にしか演じれないものでしょう
完璧であると思います
狂阿弥のピーターは本作の独自のものですが、中性的存在の期待された役どころを発揮出来ていたかというと不足していたと思います
また狂言としての芸のレベルが今一つ低く、観客を感服させる域に達していないのは残念でならないと思います
その点、盲目の鶴丸を演じた野村武司の方が遥かに存在感を示しています
お末の方の宮崎美子ともども、もっと画面に登場させれば、本作のテーマをより一層陰影を付けれたのではと感じました
撮影は色彩の鮮やかさ、望遠を多用していながら、手前から背景まで全ての焦点の合い方など驚嘆すべき映像がとれていると思います
影武者の撮影よりも格段に優れています
衣装、セット美術もまた世界最高峰のものだと思います
影武者よりも美術の統一感が上がっています
戦闘シーンの数百人の隊列の動き、数十の騎兵の猛速度の表現、戦闘の推移の簡潔な表現
黒澤監督にしか撮れない映像です
これも影武者の経験を踏まえてより的確に効果的になっています
音楽も影武者のような無理矢理な西洋風味ではなく、西洋のクラシック音楽でありながら日本的であり重厚さを失っていません
蜘蛛巣城の既視感はあれど
本作はやはり名作であるのは間違いの無いことです
あまりの酷さに勝新太郎が降板した映画です
最低な演出をする監督に反発して主役が降板するなど、様々なアクシデントに見舞われながら、見事、最低最悪の作品が完成した訳です。
これほど、良いところが皆無に成し遂げる、黒澤明は天才バカボンである、のだ。
期待していなかったんですが非常に感動しました、発表当時あまりに評判...
期待していなかったんですが非常に感動しました、発表当時あまりに評判が悪くて黒澤明が好きな故に敬遠してきました。確かに血糊や主人公のメーキャップが如何かというのはありますが、その時観たらまだ学生まがいでしたので「なんだこの暗さは!」で反発したはずですが歳とったので「あぁ絶望していたんだなぁこの頃の黒澤は」「この世はもう終わりだ家族も人間も世の中も全く希望が持てない、そんな気持ちになっていたらこの映画はズッと観入れる映画だなぁ」「今の自分にはなんとなくだがシックリくるなぁ」という流れで大好きです。※『天国と地獄』以降の黒澤映画は、偏見ですが50歳過ぎて子供が成人し親が老いぼれ栄達も叶わぬぐらいの境遇になってから観た方がいいような気がしました。
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