もののけ姫のレビュー・感想・評価
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『「もののけ姫」はこうして生まれた。』を観て完結する映画
公開当時に印象に残ったのは2点。
1. たたら場の河の濁りは、薪の為に大規模な伐採が生じ、土壌が樹木の根で保持されず河に流れ込むから。室町時代に始まった環境破壊の象徴。
🐗
2. たたら場付近で小さめのイノシシ神が多いのは、ヒトが環境破壊を進め、山を怖がらなくなった事の象徴。
『ナウシカ』で生態学の世界に飛び込んだ自分には、類似したテーマ性を感じて嬉しかった記憶があります。
🦌
ただ、神殺しの展開に心がついて行かず、頭を抱えながら帰宅。エンターテインメントの象徴だった宮﨑駿に放り出された気がして、暫く鬱々と過ごすが『「もののけ姫」はこうして生まれた。』を観て霧が晴れました。本作の制作過程を撮影したドキュメンタリーで、中盤以降の展開に悩みながら、宮﨑監督どうストーリーを構築したのか、自身の言葉で語られています。
とは言っても、メイキングを観ないと理解し難いのは、観客側の理解力の問題ではなく、作品内で説明を怠った制作陣側にある気がします。なので、本作には未だに高得点を付けられずにいます。
神がいない神の物語
宮崎駿監督の『もののけ姫』をIMAXで初めて全編通して鑑賞しました。
これまで断片的にしか見ていなかったのですが、今回ようやく作品の全体像に触れ、その深さに圧倒されました。
結論から言えば、本作は「神がいない神の物語」、つまり自然の中にある神性の不在と遍在を描いた作品だと思います。
この映画の根底にあるのは、西洋的な「人格神」ではなく、自然そのものが神であるという日本的なアニミズム的感覚です。
シシ神は人間のような顔をした巨大な鹿の姿をとり、森の命を司る存在ですが、それは「審判者」ではなく「自然の理(ことわり)」の具現化です。
神は善悪を判断するのではなく、ただ生命を流転させる。
生きるものを生かし、死ぬものを死なせる。
この冷徹でありながらも穏やかな循環の中にこそ、宮崎の描く“神”が宿っているように感じました。
シシ神が首を失う場面は、作品全体の核心です。
首=「理性」「秩序」「判断」を象徴しており、それを失うことで世界のバランスが崩壊します。
しかしそれは単なる破壊ではなく、神が形を失って世界全体に拡散していく瞬間でもあります。
首を奪うことで神は“個体”から“環境”へと変わり、あの黒い液状の神体が世界に流れ出していく。
つまり「首を失う」とは、神がその秩序の形を超えて、無限に遍在する自然の力へと還ることなのだと思いました。
最終的に人間(アシタカとサン)が首を返すのは、神を蘇らせるためではなく、人間がその秩序を妨げないため。
つまり「人間が自然に委ねる」という行為です。
その後、シシ神が太陽に溶けていき、草木が再び芽吹く。
それは神の復活ではなく、自然の赦しの描写でした。
宮崎はそこで、理性による支配から「委ねる理性」への転換を描いているように感じました。
エボシはこの映画の中で最も複雑な人物です。
彼女は自然を切り開き、鉄を作り、神々と戦う「理性の女王」である一方、売られた女たちを救い、ハンセン病者を保護する「慈悲の母」でもあります。
つまり、慈悲を持つ理性という二重構造を持つ存在です。
エボシは「自然を理解し、制御しようとする人間の知性」の象徴であり、その傲慢さと善意が一体化している。
その意味で、彼女は『風の谷のナウシカ』に登場するクシャナの成熟形でもあります。
理性を極限まで押し進めた人間が、最終的に自然と衝突し、敗北ではなく「調和への譲歩」に至る。
ラストで彼女が「新しい村を作ろう。今度はもっと良い村を」と語るとき、そこには人間の理性が初めて自然の理に身を委ねる姿勢が見えました。
一方のサンは、人間でも狼でもない存在です。
彼女は「人間によって傷つけられた自然の記憶と痛み」の化身であり、森の怒りと悲しみをそのまま体現しています。
その破壊的で衝動的な姿は、理性の外にある“自然の叫び”そのもの。
つまり、サンは自然の“純粋な怒り”ではなく、「人間の罪によって歪められた自然の記憶」なのです。
エボシが“言葉を持つ理性”の代表だとすれば、サンは“言葉を持たない自然”の代表。
観客がサンを「理解しづらい」と感じるのは、彼女が“語ることを拒む側”に置かれているからです。
宮崎はここで、理性が到達できない沈黙の領域――自然の沈黙そのもの――をサンに託しています。
アシタカはその二つの女性的原理――理性のエボシと沈黙のサン――の間に立ち、
どちらかに与するのではなく「関係を取り戻す」ことを選びます。
首を返すという行為は、神を支配することではなく、世界の理に身を委ねること。
その後に訪れる静寂と再生こそ、宮崎が描こうとした「人間の責任のかたち」ではないでしょうか。
ラストでサンは「人間を許さない」と言い、アシタカは「それでも共に生きよう」と応じる。
この不完全な終わり方こそが、自然とのバランスを保つ人間の在り方を示しているように思います。
支配と混沌の間で揺らぎ続けること――それが宮崎駿が描いた“生きること”の本質なのだと感じました。
『もののけ姫』は、理性と自然、男と女、神と人、生と死――
そのすべての境界を問い直す作品です。
そして「神に委ねる」ことでしか見えない、人間の小さな成熟を描いた物語でした。
IMAXでの体験によって、画の密度と音の深さが改めて生命の流れのように感じられ、
まるで森の呼吸の中に取り込まれていくような体験でした。
鑑賞方法: IMAX (4Kリマスター)
評価: 91点
凄い
映画とはこういうものだよねという説得力がすごい
切なかったり、胸が熱くなったり、苦しくなったり涙ぐむシーンは劇中何度かあったのだけど、個人的には私が1番好きなタイプのエンドロール始まってからが(映画全体のメッセージとかが押し寄せてきてその余韻で)1番泣けるタイプの作品だった
大人の視座とピュアさの両立具合も改めて見事だと感心するくらいに、双方向から感性を刺激された
日本人の誇りとか普段感じないけど、自然との向き合い方とか感覚的に備わっているものは、アイデンティティとして深くあるのでそこも感じさせてくれてじんわり心があたたかくなる
色々感じたことはあるけど、希望を感じさせるエンディングには許しとか愛とか生とかが、恨みとか厳しさとか現実に負けないようにっていう人間讃歌に泣いた
良い悪いってないもんね
アシタカヒコのごとき曇りなきまなこで俯瞰していきたい
ヤックル推しです
IMAXでの上映で鑑賞しました。
ジブリ作品はもののけ姫以外もそうですが、音楽や美術が本当に素晴らしいですね。実に壮観です。これをIMAXの劇場で観ることができたのは幸せです。
森に暮らす生き物が神や精霊の類として描かれている世界観の中で、架空の生き物であるヤックルが逆にリアルな生き物っぽく描かれているのが好きです。(お利口さんなところも個人的に好き)
アシタカがタタラ場で暮らすと言った時は、故郷の村に戻らないのか...とちょっと意外に思いましたが、よく考えたらヤックルの矢の傷が癒えないままでは帰るのも難しいですね。ヤックルとアシタカはしばらくタタラ場に留まって、傷が治って元気になってるといいなと思いました。
初鑑賞
もののけ姫初鑑賞。鑑賞後、何年の作品かと気になって調べてみると自分の生まれ年で驚いた。そういえば実家にVHSがあったような、でも見たことなかった。
自分の生まれ年に公開された作品がリバイバル公開され、当時見れなかった世代に届くことは素晴らしいと思うし、それだけの価値がある作品なんだろうなと思った。
実際見た感想は、ただただ心を打たれてしまったということ。薄い言葉になってしまうのが悔しいけど、かなりぶっ刺さった。
最初は人間と自然界の攻防戦でどちらが強くてどちらが勝って終わってその結果が現代に繋がるのかとか思っていたけど違った。共存、共生。共に生きるということ。
自然が破壊され、生き物たちの住む場所がなくなり、人間と自然の境界線がくっきりと線引きされているところをよく見かけるけど、人は自然に生かされて自然を生かす、自然は人間を生かし人間のすぐそばで生きている。アシタカとサンが共に生きることを誓ってそれぞれの場所に帰っていく姿が、どちらか一方ではなく共に支え合い依存し合い助け合い時間を過ごすこと、それが“生きる”中で大切なことだと思った。
名作だと言われる理由がなんとなくわかった気がする。公開から28年経った今の世界にも刺さる内容が描かれていて、自分が生まれた時から変わっていないのかと思う反面、このテーマはこれからもずっと考えていくべき人類のテーマだと思う、生きていく限り。
これから先も多分一番観るであろう映画
IMAXリバイバルで鑑賞。
「アニメ映画といえば?」で真っ先に名をあげるのがこの傑作かなぁ。何回観たかもう覚えてないけど、その度に観入っちゃう。これだけ観てるとメインの絵でなくディテールを観察してしまうが、作り込みすごいなやっぱ。
久石譲の音楽がIMAXで響き渡る。こりゃ贅沢!いつ観ても美しい、かつての自然の数々。ぴったりだ〜。
人間と獣たちの戦争。と、国が絡んだ人の欲。アシタカが双方の陣営に入り、中庸を模索していった。
そしてタタラ場の長が語った、生きることへの執着。アシタカも、サンも、生きるために必死でもがく。
何が正しくて何が間違っているのかは重要ではなく、自然や人を通して「生き抜くこと。」について宮崎監督は語りたかったのではないかなぁ…と考えるようになった。
祝28周年IMAX上映!
もう公開から28年も経っていた事にも驚きつつフィルム上映からデジタルリマスターしてIMAX上映と映像も音響も良くなって劇場で観る事が出来て最高でした。次なる上映時には映画はどんな進化をしているのか楽しみにしつつって感じでしたね。
各ロードシャーやVHSの永久保存版(当時から思うけど永久保存版ってなんぞやw)で一言一句セリフ言えるくらい観た作品のひとつ。
当時は商店街の端から端までに4〜5つ映画館があって全席自由席で一応出入りしてくれとは言われるけど1日観ようと思えば観れる環境ではあった。
指定席がそもそもないし、並んだ順だから人気のあるタイトルだと立ち見も当たり前で1本立って観たから2本目を座って観る、そして帰りにシェーキーズでピザ食べて帰るなんてのがワンセットな時代でしたね当事は。
ネットも当事はまだまだ一般的ではなかった中、
音楽全然知らない子供でもカウンターテナーと米良美一と主題歌は知ってるってのが今思えば凄いなってw
この手の記念上映の際にリマスター化だけじゃなくて少しでも良いからその後とかやってくれたらなぁって。
また40周年とかの記念上映観ましょう!
中立の良さを知った夜
満員御礼、そして観客がみんな同年代という日曜日のなんばのレイトショー。みんなおしゃれなPOPEYEとか読んでそうな男女多め(=サブカルめ)でさすが。がしかしクッサイ食いもん食ってる人ばっかでびっくりした。チリドッグ、臭い強すぎるよ。
まあそんなのは置いといて、自分の価値観が変わった映画だったな〜と。基本私は白黒はっきりさせたい派だけど、もののけ姫の世界は人間と動物(森)、大きく言うと生と死の「中立(和解というか共存?)」が正解な世界(と解釈している)。どちらかに偏ると憎しみだらけの世界になってしまう。その本質を理解してエボシさんたちに訴えるアシタカ、そしてサンちゃんを救うのではなく「共に生きる」とし、死など怖くないと言うサンちゃんに「生きろそなたは美しい」と伝え、最後には「生と死の中立」を語るアシタカ、素敵だ(ここ最近ウジウジ文句言ってる中学2年生(エヴァ)ばっかり観てるからよりいっそうね笑)...。人間でも動物でもないことに苦しむサンちゃんはきっとここで少しは救われたはず...。
もちろん私が人生でつくづく感じている「有識であること」は正なのだなとも思った。知識がないからこそシシガミ様を殺そうとしてしまうし、動物たちは人間を滅ぼそうとしてしまう。また、病気の患者たちを徹底的に隔離してしまうことも(彼らの病気はハンセン病がモチーフだと、有識者から教わった)。アシタカやエボシみたいに知恵をつけていれば、共存できる策を講じることができるのか。
で、個人的にはサンちゃんにしろエボシさんにしろ、そしてたたらの女性たちにしろ、眼光が強くてかっこいい女性たちばかり登場するのがスカッとした。駿、こういう女好きなんだろうな、ってことを薄々感じつつも。(笑)私も強くたくましい女になりたい、なってるか?(笑)
ほんで、旧劇エヴァにも言えるけど、1990年代後半の映画でここまでの映像美、ガイナックスもスタジオジブリもすごいね。
何かもう、話難しいから終電ダッシュして家帰ってひたすらnoteとか漁ってここまで何とか自分の言葉にできた。満足。
寝る!
ひと世代後、再びのヒットは、その普遍性ゆえか
先週末の国内映画興行成績ランキングで
第4位が「もののけ姫」。
言わずと知れたジブリの名作、4Kリマスター。
61館だけの限定公開にしては驚きの高順位。
あっという間に席が埋まっちゃうだけのことはある。
* * *
運よく好みの席がとれたので、
スクリーンが日本一デカいというグランドシネマサンシャインで観てきた。
作品については、
あちらこちらで詳しい解説・考察がなされてるので、
今さら語ることもあるまいが、
ワタクシにとっては、
ナウシカと並んでジブリ映画の双璧。
ただ、
ナウシカは劇場で6回観たし、その後も何度かリピートして、サントラもすり切れるほど聴いたけど、
もののけ姫は、劇場で観たのは1回。その後のリピートも、してるとは思うけどせいぜい1〜2回(定かでない)。
劇伴も、よかったとは思うけど特にサントラを聴くほどではなかった。
つまり、
インパクトという点では、ナウシカが圧倒的に上だった。
だが作品としての深さは、
もののけ姫の方が上だと、当時も思った。
ナウシカは、当時の世界情勢を反映して、
「正義」を振りかざす二つの大きな国の対立と、
そのどちらも、つまり人間じたいが、
地球という惑星から見たらガン細胞のような存在でしかないということが読み取れて、
深い、と思ったんだけれど、
もののけ姫は、
日本古来の自然信仰、
人間による自然改造、
少数民族(かもしれない)蝦夷、
男尊女卑、
被差別民、
権力者のパワーゲーム、
舞台となった戦国時代にはすでにその萌芽が見られた近代合理主義、
自らの幸福を追求することと他者の幸福との関係
など、安直な解決方法などない矛盾だらけのリアルな人間(+生物)社会が描かれていて、
ナウシカを上回るその深さに舌を巻いた。
* * *
で、今回の上映。
「限定公開」初週の好調さゆえ、
今週末からは、61館から171館に拡大されるという。
それはとってもいいことだし、
この作品が全然古びず普遍性を持っていることの証だと思うけれど、
世界の課題が依然変わっていない(むしろ悪化してる?)ことを表している気もして、
若干複雑。
だがともかく
生きてさえいりゃ、なんとかなる、かもしれない。だから、
「生きろ」
* * *
ともあれいずれにせよ、
IMAXでの「もののけ姫」は、
一見の価値大いにあり、なのであります。
こんなに真剣にもののけ姫を観たのはいつぶりだろうか?
感無量!
シネコンがようやく福岡で開業しようとしていた1997年頃に現在は存在していない劇場で鑑賞しました。
その頃の「もののけ姫」のブームは凄まじいもので、長い行列に並びようやく劇場の1番前の端っこの席に座れて鑑賞したのを覚えています。
それが今IMAXで自分好みの席で鑑賞出来るとは!
「鬼滅の刃」が興行収入を記録するなどの大ヒットをしていますが「もののけ姫」との大きな違いはシリーズものではないことです。
単体の作品で社会現象になるほどのブームを起こしたアニメ作品は現在では考えられないほどです。
また、「もののけ姫」はあれだけの興行収入を記録していながら続編は製作されなかったのは宮﨑駿監督の並々ならぬ思い入れがあったからないでしょうか。
まさに稀有な作品です。
非常に上質で満足感が高い
やっぱり、映画館で観るのは別格ですね。
金曜ロードショーやDVD、Blu-rayで何度も観た作品でも、スクリーンで味わう迫力と没入感はまったく違います。IMAX上映だけで終わらせるのは本当にもったいないと思いました。
小さい頃、親に連れられて映画館で観た記憶がありますが、大人になって改めて観ると、感じ方がまるで違いますね。
何度も繰り返し観てきた作品なのに、映画館で観ると新しい発見や感動があります。
そして驚くのは、約28年前の作品なのにまったく古さを感じさせないこと。
映像の美しさも、音楽の響きも、今観てもまったく色あせていません。
むしろ現代の作品よりも力強く、温かいものが胸に残ります。
やはり宮崎駿監督の作品は特別です。
映像の美しさや音楽の力強さ、そして作品全体から伝わる温かさ、どれを取っても、最近の映画ではなかなか味わえない満足感があります。
この機会に、『風の谷のナウシカ』や『天空の城ラピュタ』、『紅の豚』といった名作もぜひ再上映してほしい。
きっと、どの世代の観客にとっても忘れられない体験になると思います。
何十回と見てますが…
上映方式の進化についていける映画とは
28年ぶりの劇場でも圧倒的。
1997年の公開当時も間違いなく圧倒される体験だったし、購入したBlu-rayで何度となく観返してきた作品なのだが…
4Kデジタルリマスター版が公開されるこのチャンスを逃すまいとIMAXシアターに足を運んだ。平日にも関わらずかなりの客の入りで、その多くが息を呑んでスクリーンに釘づけになり、今日の貴重な体験を心に刻み込むつもりで臨んでいるかのような空気感が劇場内に充満していた。ほとんどの観客が、エンドロールの最後、重厚な音楽の最後の一音が鳴り終わるまで席を立たなかった。私も同様だったが、むしろ1997年当時に初めて観た時以上に圧倒された感じがした。これはやはりとんでもない作品なのだと改めて思い知らされた。
さて、4Kデジタルリマスターということだが、決して絵の質感が現代的なデジタル時代の画質になっているわけではなく、当時の質感を大切にしながらリマスターが行われたようだ。映像以上に印象的だったのは音響。大きく向上したのはむしろ音の方ではないかと感じられた。非常に微細な音から重低音まで、音の分離が良いからかよく聞き取れた。それゆえに臨場感&没入感が半端ないのである。
私は観始めたところからずっと鳥肌が止まらず、胸と目頭が熱くなるのを感じながら至福の時間を過ごした。観ることができて本当に良かった。丁寧なリマスター作業と、これを劇場公開する英断に感謝したい。
【95.】もののけ姫 4Kデジタルリマスター 映画レビュー
作品の完成度
『もののけ姫』は、人間と自然との根源的な対立、憎悪の連鎖、そして共生への微かな希望という、人類が抱える最も困難な問いを、壮大なスケールで描破した叙事詩的傑作である。その完成度の高さは、監督の作家性が極限まで追求されたこと、そして当時のアニメーション技術の粋が結集された点にある。宮崎監督が長年温めてきた構想に基づき、従来の勧善懲悪を超越した多層的な物語構造を採用したことで、観客はアシタカという「第三の視点」を通して、登場人物それぞれの正義と業を理解せざるを得ない。特に4Kデジタルリマスター化により、シシ神の森の木々一本一本の緻密な描写や、タタリ神の禍々しい蠢動といった微細な表現が鮮明になり、作品が持つ「力」が純粋な形で再現された。それは、単なる娯楽作品としてではなく、一つの哲学的な映像詩として、時代を超えて鑑賞されるべき芸術作品としての地位を確立している。
監督・演出・編集
監督である宮崎駿は、本作において商業的な成功と個人的な芸術的探求を完全に一致させた。彼の演出は、物語のテンポを犠牲にすることなく、緻密な情報量を画面に詰め込むという離れ業をやってのけている。編集は、静謐な自然描写から一転して苛烈な戦闘シーンへと観客をシームレスに引き込み、緊張感を緩めることがない。特にアシタカがコダマの導きでシシ神の森深部へと分け入るシークエンスは、映画的な「没入感」を極限まで高めており、映画館という暗闇の空間でこそ真価を発揮する。この緩急自在な演出は、登場人物の感情の機微を捉えつつ、物語が持つ巨視的なテーマ性を際立たせ、観客を深く作品世界へと引きずり込む。
脚本・ストーリー
本作の脚本は、安易な解決を拒否した点に最大の特質がある。アシタカとサン、そしてエボシ御前という三者が、それぞれ異なる倫理と生存原理に基づいて行動し、誰一人として絶対的な「悪」として描かれない。この多角的な視点の提示こそが、物語を単なるファンタジーではなく、歴史的、社会的な重みを持つ寓話へと昇華させている。自然と人間の対立という普遍的なテーマを、「祟り神」「シシ神」といった日本古来の神話的世界観を通して再構築し、現代社会の分断や環境問題へと接続させる手腕は驚嘆に値する。結末で示される「共に生きよう」というメッセージは、勝利でも敗北でもない、苦渋に満ちた受容であり、それがゆえに鑑賞者の心に深く突き刺さる。
映像・美術衣装
美術監督の男鹿和雄と山本二三による背景画は、日本のアニメーション美術の頂点を示す。特にシシ神の森の描写は、緑の深み、水の透明感、光の粒子に至るまで、神々しさと畏怖を同時に感じさせる圧巻の美しさである。4Kリマスターにより、その色彩のグラデーションとディテールがさらに強化され、まるで絵画の中を移動しているかのような錯覚に陥る。また、タタラ場の描写における生活感あふれる美術や、製鉄所のリアルな構造、登場人物の衣装に見られる泥や汗の表現は、このファンタジー世界に確かなリアリティを与えている。手描きアニメーションの温かみと、当時最先端だったデジタル技術(特にタタリ神の表現やシシ神の変容シーン)の融合は、現在においても色褪せることがない革新的な挑戦であった。
キャスティング・役者の演技
主演、助演を問わず、本作のキャスティングは、キャラクターの本質を見事に体現する俳優・声優が起用されている。
• 松田洋治(アシタカ役)
主人公アシタカに命を吹き込んだ松田洋治の演技は、一貫して清廉で、悲劇を背負いながらも希望を失わない青年像を的確に表現している。単なるヒーローとしてではなく、呪いを負った者としての苦悩、そして対立する者たちの間に立って調停を試みる「静かなる意志」を、抑制の効いた声のトーンで表現しきった。特に、憎悪の力に呑み込まれそうになりながらも「黙れ、小僧!」と怒鳴るシーンでは、彼の内面に渦巻く葛藤と、それでも平和への願いを捨てない強靭な精神性が垣間見える。その声には、観客がこの複雑な物語世界に入り込むための、揺るぎない「倫理的な支柱」としての役割が完璧に果たされていた。
• 石田ゆり子(サン役)
山犬に育てられ、人間を憎む「もののけ姫」サンを演じた石田ゆり子の声には、野生の鋭さと、内面に秘めたる純粋な悲しみが共存している。セリフの多くない役柄において、彼女は息遣いやわずかな感情の震えだけでサンの持つ孤独と苛烈さを表現した。人間でありながら人間ではない、動物にもなりきれないという複雑な存在を、力強い発声と、時に見せる繊細な感情の揺らぎをもって立体的に描き出している。特にアシタカと対峙し、互いの立場を超えて惹かれ合う過程での声の変遷は、サンの内面的な成長と葛藤を見事に表現しており、聴く者に深い感銘を与える。
• 田中裕子(エボシ御前役)
タタラ場を統率するエボシ御前を演じた田中裕子の声は、知性と冷徹さ、そして圧倒的なカリスマ性を帯びている。彼女が作り上げたエボシは、単なる悪役ではなく、弱者を救い、新しい社会を築こうとする指導者としての強い信念と、それゆえに自然を破壊することも厭わない業を併せ持つ。田中は、その複雑なキャラクターを、余裕のある低い声と、一瞬の決意を込めた鋭い言葉遣いで表現し、エボシの抱える「大義」の重みを観客に強く印象付けた。彼女の演技なくして、エボシ御前というアンチヒーローの成立はあり得なかった。
• 小林薫(ジコ坊役)
ジコ坊は、物語の裏側で暗躍する謎の人物であり、小林薫は飄々としたユーモラスな調子と、底知れない冷酷さを併せ持つキャラクター像を見事に造形した。その落ち着いた声の裏には、世俗の権力に対する達観と、目的のためには手段を選ばない現実主義的な哲学が透けて見える。小林の演技は、物語の緊迫した瞬間に、人間社会の暗部と狡猾さを象徴する一種の「狂言回し」としての役割を果たし、観客に作品の持つ多面性を再認識させる重要な要素となっている。
• 美輪明宏(モロの君役)
犬神の長であるモロの君を演じた美輪明宏は、その圧倒的な存在感と深みのある声で、森の神々の威厳と怒りを具現化した。人間の愚かさを鋭く指摘し、サンに対する深い愛情と、自然界の掟を守ろうとする強靭な意志を表現した。美輪の独特で荘厳な声質は、モロの君の神秘性と老獪さを際立たせ、登場するシーン全てに重厚な緊張感をもたらしている。その迫力あるセリフ回しは、単なるキャラクターの声を超え、自然そのものの魂の叫びとして観客の心に響く。
• 森繁久彌(乙事主役)
クレジットの終盤に登場するイノシシ神の長、乙事主を演じた森繁久彌は、作品全体に深遠な「古の力」と「悲劇性」をもたらした。晩年の森繁が持つ重厚で威厳に満ちた声は、老いた神の持つ誇り、そして時代に抗うことのできない絶望的な運命を表現している。その発声には、単なる演技を超えた人生の奥行きが感じられ、滅びゆくものの美しさと哀愁を深く印象づけた。短い登場時間ながらも、その圧倒的な存在感は、物語のクライマックスにおける精神的な重石となっている。
音楽
久石譲による音楽は、本作の壮大な世界観を構築する上で不可欠な要素である。彼のスコアは、日本古来の旋律と西洋のオーケストレーションを高次元で融合させ、自然の雄大さ、戦闘の激しさ、そして登場人物の心情の機微を余すところなく表現した。特に「アシタカせっ記」のテーマは、聴く者を一瞬で悠久の時が流れる神々の世界へと誘い込む力を持っている。また、主題歌である「もののけ姫」は、カウンターテナー歌手の米良美一が歌唱を担当し、その唯一無二の透明感と神秘性を帯びた歌声が、物語の根底に流れる哀愁と美しさを象徴している。この主題歌は、その芸術性が高く評価され、第21回日本アカデミー賞協会特別賞として主題歌賞を受賞している。
受賞の事実
本作は、その圧倒的な完成度により国内外で高い評価を獲得している。特に第21回日本アカデミー賞において最優秀作品賞を受賞し、アニメーション映画として初めてこの栄誉に輝いた。その他にも、第1回文化庁メディア芸術祭アニメーション部門大賞、第52回毎日映画コンクール日本映画大賞・アニメーション映画賞など、数多くの主要な映画賞を受賞し、その批評的・芸術的価値が広く認められている。
『もののけ姫 4Kデジタルリマスター』は、単に過去の名作を蘇らせただけでなく、現代の技術をもってその本質的な力を再解放した作品である。宮崎監督が描いた、今もなお続く人間と自然、そして人間同士の間の闘争と、そこに見出される微かな希望は、21世紀に生きる我々にとって、深く、そして重い問いかけとして響き続けている。
作品 [Princess Mononoke]
主演
評価対象: 松田洋治
適用評価点: S10
助演
評価対象: 石田ゆり子、田中裕子、小林薫、美輪明宏、森繁久彌 (平均)
適用評価点: S10
脚本・ストーリー
評価対象: 宮崎駿
適用評価点: A9
撮影・映像
評価対象: 奥井敦
適用評価点: S10
美術・衣装
評価対象: 男鹿和雄、山本二三 (美術監督)
適用評価点: S10
音楽
評価対象: 久石譲
適用評価点: S10
編集(減点)
評価対象: 瀬山武司
適用評価点: -0
監督(最終評価)
評価対象: 宮崎駿
総合スコア:[95.095]
タイトルなし(ネタバレ)
もののけ姫が大好きでそれを映画館でで観れるなら絶対観たかったがもう最高。
作品自体は何回も観てるが数年振りに改めて観て思ったのが脚本、キャラ造形、セリフ、演技、演出、音楽が全部良い。
やっぱりIMAXだと絵も音の迫力もすごく、感情に直に訴えかけてくる感じで、特に1番最初のアシタカが旅立つシーンの絵や音楽に泣かされた。
作品自体の感想は色々あれどやっぱり令和の時代にデカいスクリーンと音で観れたのは感激。
他のジブリもして欲しい。
凄まじい傑作!
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