「生きる」もののけ姫 かすさんの映画レビュー(感想・評価)
生きる
自分が生まれた年の翌年の映画
幼い頃はよく観ていたけど、全然話は理解してなかったんだなあと最近観ていると、強く感じる
映画のキャッチコピーは「生きろ。」だか
ボツになってしまったキャッチコピーがたくさんある
「おそろしいか。愛しいか。」
「おまえには、オレがいる。」
「惚れたぞ。」
「ひたむきとけなげのスペクタクル。」
「だいじなものは、ありますか。」
「昔々は、今の今。」
「おまえは、まぶしい。」
「死ぬのと、生きるの、どっちが好きだ。」
「それでもいい。私と共に生きてくれ。」
「あなたは 何を守る!?」
「なぜ、俺は生まれてきた。」
「暴と愛の嵐」
「人間がいなきゃよかったのか」
「わからなくっても、生きろ!」
などがあった
サンを見ていると、なんだか儚く思えて、美しくて悲しい
モロの生贄として人間に捧げられ、人間にもなれない、山犬にもなりきれない、言えば、宙ぶらりんのような状態
彼女の前にアシタカが現れ、肯定される
人間だって、生きろ、美しいって
タタラ場に奇襲をした時のサンはすごくかっこよかった、不気味な土面を付けていて
額と頬にある赤いものは、山犬の血だとも言われといるし、刺青だとも言われている
サンの決して流す事のない涙を表現しているんだとか
首飾りから土面、毛皮、刺青などは
山犬に少しでも近づこう、昔からの風習であるとか
一つ気付いた事があって、サンの毛皮に尻尾がある
でもタタラ場に奇襲をした時アシタカに抱えられる前になくなっている、
どのタイミングでなくなったんだろう
モロはサンの事を本当に本当に愛している事が伝わってくる
アシタカに鎌を掛けるような発言をしているけど、彼がサンを本当に救えるのではないか、彼となら、と考えていたんだと思う
アシタカの誠意や真っ直ぐな思い、モロにも伝わって
乙事主からサンを助ける時に「お前にサンを救えるか」と言った、モロは安心したんじゃないかな
乙事主のセリフで
一族は皆小さく、馬鹿になりつつある、
このままでは肉として人間に狩られてしまう、
一族が滅びようとも人間に思い知らせてやる、
例え一頭になろうとも、走りをやめない
イノシシたちの誇りが虚しかった
海外のインタビューで、
「ジコ坊はとても印象的でユニークな登場人物ですね」と質問をした時に、宮崎駿さんが「あれは多くの日本人です」と話をしていました
なんだか、それが痛いほどわかった気がした
エボシ、タタラ場を作り上げた女性
売られている女を見ると放っておけないが、男性に対しては冷たい
ハンセン患者を差別したりせず、人間としと扱ってくれる唯一の存在、慕われている
初期ではエボシはモロに殺されて死ぬという設定だったが、宮崎さんはエボシを気に入っており、やっぱり殺すことは出来ないという事になり、山犬の背で運ばれ助かる
山犬たちはどんな気持ちで憎んでいるエボシを運んで助けたんだろうか、考えるだけで気分が沈む
ハッピーエンドだとは思えなくて、
サンはやはり山犬としての誇りを持ち続け、森で暮らす
アシタカはタタラ場に残り、ヤックルに乗って会いに行く約束をする
プロポーズとも言えるアシタカの発言だが
気になって調べてみると、宮崎駿監督の後のインタビューで"二人はしょっちゅう会っている"と話している
アシタカはタタラ場とサンの間に板挟みになって、ボロボロに引き裂かれるが、彼は双方がどうしたら共に生きていけるかを考え、めげずに生きていく
彼の生き方は、現代人にも共通する事があると、
アシタカやサンを見ていると、生きるという事が
切ない、困難なもののように感じる
それでも彼らは決して生きる事をやめない
それぞれ誇りや思いがある、
彼らみたいに強く生きれたらと思う、