メリー・ポピンズのレビュー・感想・評価
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懐かしさだけではない普遍性
何度も観てる大好きな映画。
でも、泣いてしまったのは初めてでした。
ラスト、去り際のメリーポピンズの寂しそうな、ホッとしたような、切なさというかなんとも言えない表情をみてたら自然と涙が零れてきたのです。
長いサラリーマン生活を終え、今は毎日学童保育の現場で働いていますが、子どもたちは本当に愛おしい。
やんちゃで暴力的な子も、すぐに癇癪を起こす子も、いつも漫画ばかり読んでいる子も、私の知らなかったシルバニアとかLaQとかに夢中になってる子も、要配慮の子も。
少しでも、どんなかたちでもコミュニケーションがとれた時のなんとも言えない充足感があるから、みんな可愛くて仕方がない。
それでも、やはり親子の繋がりという特別な関係は別次元の自然の摂理なようなもの。
もちろん現実世界には、この特別な関係がどこかの時点で歪なものとなることで生まれる不幸も少なくないが、それはまた別の話。
産業革命や大英帝国の栄光を背景とした植民地政策による経済発展が〝男は仕事第一〟という社会を正当化し、「子育てにおける大事な時期」と「仕事での成功・成長の大事な時期」が重なってしまうことに誰も疑問を挟まなくなってしまったようにも見える時代。
たぶん、日本でも昭和の高度成長期に同じような社会構造と価値観(男は仕事第一でいいのだ)が根付いてしまったのですね。
個人事業主のほうが普通だった江戸時代。
下級侍も魚屋さんも旅籠も越後屋(今の三越)のような大きな問屋さんや両替屋も家族はほとんど近くにいて(住み込みも含めて)、子どもは父親や母親の背中を見て育ったから仕事と子育てはそれほど分離、乖離はなかったのだと思います。
父親母親どちらも働くし子育てもする。
そして、どちらの背中も子どもから見える。
仕事の電話中に、相手の家族の声が聞こえてくるのが違和感ないくらいの職住接近。
そんな労働環境がもっとあってもいいのにと思います。上司や同僚から叱られるのを聞かれるのだって、始めからそういう環境だったらそれほど恥ずかしくもない?かどうかはわかりませんが…
義足のスミス
最初に日本で公開された時、父親に抱かれて、初めて映画館で観た映画だと、親に言われています。もちろん覚えていません。その後、幼稚園、小学校高学年でリバイバル公開した時に見ていて、小学校高学年の時には、平行して原作本を読みましたね。家にはサントラ盤があって、よく聴いていたので、今回の上映は非常に懐かしかったです。
「義足のスミス」は、映画のオチとして非常に重要な話ですが、日本語にすると理解しづらいかなり微妙な小噺。義足をつけている男の名前がスミスという意味なんですが、英語だと「1本の義足に名前がつけられていて、その名前がスミスだ」ともとれる言い方なんだとか。だから、「もう1本の名前は」というのが笑いにつながるようです。日本版は、いっそのこと日本語でわかりやすい、違う小噺にしてしまえばよかったのにとも思います。
「ウォルト・ディズニーの約束」で、この映画を制作する裏話が映画化されましたが、ディズニーとしては、それまで著作権が切れているものをベースにしていることが多かったのが、映画製作に際して、恐らく初めてキチンと原作者と向き合った作品のようです。冒頭のクレジットでは、明確に「原作」とは書かれておらず、「P・L・トラヴァースの著書を基にした」という言い方をしているところが、原作者との交渉の落としどころだった感じですね。キャラクターの設定は原作とは違うところが多いですし、トラヴァースはミュージカルになることは反対だったようですし。
当時珍しい実写とアニメの融合で製作され、シャーマン兄弟による曲も印象的ですし、これはこれで楽しい映画だと思っています。
「午前10時の~」は、リバイバルということもあり、通常よりも料金が安いはずですが、割増料金のスクリーンでの上映だったので、その割増分が追加されたので、あまり安くなかったですね。
60年前にこのクオリティ、ディズニー映画 恐るべし
午前十時の映画祭15で鑑賞
素晴らしい往年の名作だとは思いますが、個人的には主役のジュリー・アンドリュースさんが同じような役で主演し、ほぼ同じタイミングで作られた『サウンド・オブ・ミュージック』(1964)の方が圧倒的に好みなので本作ではちょっと物足りなさを感じました
本作の話題は大きく2つでしょうか
①原作者パメラ・トラバースさんと製作者ウォルト・ディズニーさんが揉めに揉めてバチバチで作った作品、原作者は全く納得いってない、というのだが、作品は映画史上に残る傑作・名作という評価
これは映画『ウォルト・ディズニーの約束』(2013)で詳しく描かれているので興味ある方は観てみてください
②ロンドンの街の俯瞰ショットはマットペインティング、そして絵と実写の合成といった
現代で言うSFX技術がとても60年前のものとは思えず素晴らしい
本作以降、ディズニー映画はもとより、いろんな作品に深く影響を与えることになり、そういった意味でもエポックメイキングな作品として有名です
そして何より、前述のジュリー・アンドリュースさんの歌声が素晴らしく魅力的で、それだけで一見の価値のある名作です
SAVING MR.BANKS
メリー・ポピンズを観て、SAVING MR.BANKS(「ウォルト・ディズニーの約束」)を観ると泣ける。
SAVING MR.BANKSを観てまたこれを観るとより泣ける。
子どもはもちろんだけど、大人(お父さんたち)にこそ観てほしい。バンクス氏にきっと泣く。
オープニングからワクワクが止まらない。
ジュリー・アンドリュースの美貌と歌声、バートと老人の二役を演じたディック・バン・ダイクの芸達者さ、ジャーマン兄弟による名曲の数々を堪能。
煙突掃除屋さんたちによるアクロバティックな群舞は圧巻。
至福の時間。劇場の天井へ舞い上がってしまいそう。
特撮も、子役の演技もこのくらいで充分。
(このくらいって言っても公開当時はすごいことだったんだろうなぁ)
午前十時の映画祭、ありがとう。
(夏休み中、ロビーは人で溢れていたけど、いつもながら午前十時の映画祭の入りはあまりよくない。一組だけ家族連れがいた。あの子どもたちしあわせだな。)
(余談)
初めてメリー・ポピンズを観たのは、中学生の時。今はヨシモトになっている京都の祇園会館が名画座だった頃。
近鉄電車で2時間、京都に着いてからは当時まだ走っていた路面電車に乗って、八坂神社まで。
「マイフェアレディ」「シェルブールの雨傘」「メリー・ポピンズ」の三本立てだった。
中学生の時に覚えたSupercalifragilisticexpialidociousはまだ書ける。
アーティストのライブ、コンサートの類いは、自作絵本のキャンペーンで来日した時のジュリー・アンドリュースのコンサートを観に行ったのが最初で最後。
ジュリー・アンドリュースの唯一無二の優しさ。観る者を幸福感で満たしてくれる作品 。今のディズニーが失った理屈不要の温かさ楽しさがある。 これこそがディズニーの真髄!
「午前十時の映画祭15」7年ぶりの上映。
何と、ネット予約時点で満席。
恐らく初鑑賞、やっと観ました!
何といっても、ジュリー・アンドリュースの優しいキャラクターが素晴らしい。
その仕草、演技、歌声から、純真さが伝わってくる。
厳格な父親、言うこと聞かない子供に手を焼く。
雇った家庭教師が歌が上手で優しくて、子供に人気。
という後の「サウンドオブミュージック」の原型でもあることを新たに認識しました。
そんなことよりなによりも、とにかく楽しいシーンの連続。
映画を観てなかったのに、知ってる歌が何曲もあって、この暖かい雰囲気と懐かしさに最初から泣きそうでした。
アカデミー主演女優賞、歌曲賞受賞も当然。
技術的には、60年前にして、このアニメーションと実写のシンクロ率の高さが凄い!
140分の長尺も気になりません。
父親も大切なことに気付いて、昇進までして、ハッピーエンド。
最後の必要以上に悲しまない、ウェットにならない別れもいい感じ。
これがディズニーですよね!
(しいて言えば、【今の目線で見ると】女性の参政権運動を揶揄してる大人の男目線が、唯一気になるところですが、そういう時代でしたから。)
誰もが彼女を好きになる
子ども向けと侮るなかれ大人も最幸に楽しいミュージカル
夢見る全ての子供たちと、かつて夢見た全ての大人たちへ
恥ずかしながらもういい大人なのに今まで観たことがなかったのですが、午前十時の映画祭で上映されると聞き、初めてはぜひスクリーンで観たい!と喜び勇んで行ってきました。
まずは結論。こちらの作品、まさにディズニー黄金期の最高傑作の1つと言っても過言ではありません。
これまで数多のディズニー作品のビデオを何千回と観てきたはずなのに、なぜこの作品を知らずに生きてきたのか…悔しい…
子供の頃から歌だけは知っていましたが、まさかオープニングから涙が出そうになるとは思いませんでした。
何よりジュリーアンドリュース演じるメリーポピンズの存在感とその歌声のなんと素晴らしいこと!
彼女が微笑み、その美しい声で歌いだす度に、なぜか涙が溢れて止まらなくなってしまいました…
キャラクター達の魅力的でコミカルな立ち居振る舞いと、それを引き立てる色鮮やかでユーモラスなアニメーション。
「そうそう、やっぱりディズニー作品はこうでなくちゃ!」と膝を打ちたくなる。そして思わず手拍子や拍手をしたくなる。
そこにはいつの間にか、テレビに齧り付いて夢の世界に没頭していたあの日の自分がいました。
素っ頓狂なミュージカル?子供向けの映画?いえいえまさか。
本作は、もちろんお子様も楽しめる作品ではありますが、根幹は『ある家族の再生の物語』であり、それと同時に『夢見ていた大人(=観客)達に夢を取り戻す勇気をくれる物語』なのです。
文明社会で必死に生きる大人たち。「現実を見ろ」と言われて育てられた大人たち。そんな私たちでも、たまには夢を見たっていいじゃないか。あの日の夢を忘れずにいたっていいじゃないか。そう思ってもいいんだと勇気を貰える、お守りのような作品です。
そして願わくば(誠に不躾であることは承知の上ですが)、この作品に込められた思いや願いが、「世情を見ろ」と言われてポリコレの波に攫われ続ける現代のディズニーに、どうか届いて響きますように…
今でも色褪せない作品
さすが、ディズニー。
ディズニーによる「資本主義的憂鬱」の表現
ディック・ヴァン・ダイクが存命なこと(2025年7月現在)に驚く。1925年の12月生まれなのでもうすぐ100歳となる。
さて古典的児童文学作品であるトラヴァースの「風に乗ってきたメアリー・ポピンズ」と本作の違いはよく論じられているところである(研究書が多くある)。まず何と言っても主役のメリー・ポピンズのキャラクター設計。原作の彼女は常に不機嫌で、規律を重んじ、時として意地悪である。魔法は使うがそれが自分の仕業であることは一切認めない。謙虚であるわけではなく責任回避的態度なのである。これはメリー本人の性格というよりは当時の職業としての「ナニー」(乳母とか家庭教師と訳されることがあるがニュアンスとしては「子守」が近い)の代表的性格を反映しているらしい。つまり重労働であり(映画ではカットされているが原作ではジェインとマイケルの下にまだ双子がいる)、低賃金であり、休みはない。機嫌よく仕事をしろと言う方が無理がある。原作では彼女に代表される下層労働者や、バートのようなまともな職もない大道芸人などの日常と、上流社会の住人(ブーム提督やラーク夫人など)の馬鹿馬鹿しい言動を対比して、資本主義がもたらした格差、矛盾、悲哀を描き出している。
映画ではジュリー・アンドリュースが演じるメリーは明るく元気で優しいとされているわけだが(子どもたちが広告文案を書く設定は原作にはない)、でもどこか憂鬱な感じを引きずっている感じが面白い。
そして、ウォルト・ディズニーは、マイケルが鳩の餌に使うはずだった2ペンスをシティの銀行頭取が強奪しようとし、そしてそれによって引き起こされた取り付け騒ぎでバンクス氏が解雇されるところを映画での設定に組み込んで、資本主義の非人間性を描いてみせた。
現在の状況に則れば世界有数のコングロマリットたるディズニースタジオが何を言ってるんだということになるが、1964年当時はまだまだ数あるプロダクションの一つでしかなかった映画会社の表現として革新的だったのかもしれない。
当時は画期的だっただろうアニメと実写の合成は今となっては古めかしい。でも筋書きの面白さともちろん楽曲群の素晴らしさは今後も残っていくものだと思う。
そう、最後のメリー・ポピンズが西風に乗って飛び去る直前に、傘の柄のオウムと会話するシーンがあるが、あの声はウォルト・ディズニーその人であるとの説が昔からあった。でも今回、スクリーン越しに確認したところ、あれはバンクス氏を演じたデヴィッド・トムリンソンの声のようですね。何故二役になったかは分からないけど。
ジュリー・アンドリュースの魅力
Supercalifragilisticexpialidocious
「スーパー・カリフラジリスティック・エクスピリアリ・ドーシャス」
5年生の時流行った。この言葉を一発で言えたので尊敬された。(自慢❤)
ここに点を打つと覚えやすい。
ビー・ジーズの音楽にイン・ザ・モーニングと言う曲がある。映画では「小さな恋のメロディ」のイントロの歌。
「夜には君と共に
月へと飛んでいこう
僕の部屋の右上の隅へと」
この詩が、幸せになると浮いてしまうおじさんの逸話とかさなって印象に残っていた。
爺になって、人生の夜へとなる今、余計に心にしみる。
追記 2025年 6/19 22時30分 鑑賞
「Saving Mr. Banks」を見たので、もう一度鑑賞した。
それで、思い出した事。やはり、僕はこの映画を封切り後の2本立てで見ている事と親父に連れて行って貰った事だ。親父が何を言ったか忘れたが、えらく感動していたと記憶する。それで、物凄く機嫌が良かった。帰りに鉄腕アトムの「ホットドック兵団」のCOMICを買ってくれた。光⭕️社のCOMIC本だと思う。
1965年の1月じゃないかなぁ。
僕は残念ながら、「ロンドンって煙たそう」って思ったくらいで、買って貰った鉄腕アトムがお気に入りだった。
追記
担任の女教師が僕は苦手で、色々あって、こんな綺麗で優しい先生なら良かったのにと思ったが、「ウォルト・・・」を見る限り、どうやら、原作はこの映画のようではなさそう。残念ながら、原作は読んでいないと思う。
追記
経済学的に見れば、産業革命とバブルが弾ける話。アナクロな話にして、資本主義の終焉を匂わせている。
未来永劫語り継がれる名作
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