めまい(1958)のレビュー・感想・評価
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高度な映画技法に“めまい”がする
世界の映画史において“サスペンス映画の神様”もしくは“帝王”とも称されるアルフレッド・ヒッチコック監督のミステリーサスペンスです。物語が映像で語られる映画表現の面白さを堪能できる作品の一本でしょう。
「めまい」の中でも特に有名なのが、ジェームズ・スチュアート演じる高所恐怖症の主人公ジャックが、螺旋状になった階段の上から階段の下を見下ろした時に急激に起こすめまいを表現したシーンです。キャメラがトラックバックしながら急激なズームをすることで、めまいを起こしたような効果を生み、観客も一緒になって同じような感覚に襲われます。
さらにこの映画の特筆すべきところは、主人公の視点とともにその情緒不安定な心理と一緒になって物語の中に入り込んだような感覚におちいる作りとなっているところ。説明的な台詞ではなく、視覚的に物語や主人公の心理が描写されていきます。
そして主人公の心理は、次第にこの世では不可能な性的イメージを求めるものとなり、妄想の中の美女あるいは死者を蘇らせようとするような、ある種の偏執狂的な性的フェティシズムへと変化します。まるで主人公とともに観客も夢を見ているような、不安定なめまいを起こし続けているように。ヒッチコックの発想力、想像力に舌を巻き、見る者の心理も試される名作です。
【サスペンスというより恋愛ミステリー】
高所恐怖症の男の物語だと思って観始めたが、いい意味で裏切られた。
本作の本質は、サスペンスではなく“恋愛に重点を置いたミステリー”だった。
高所恐怖症の表現や、主人公が鬱に沈んでいく過程は、映像と音楽によって見事に描かれている。
まるで「映画表現の教科書」をそのまま映像化したかのようだ。
ヒッチコックの作品が、後世の映画にどれほど大きな影響を与えてきたのかが、理屈ではなく感覚として理解できる。
物語の中盤であえて“どんでん返し”を明かしてしまう構成も潔く、その後の展開に独特の緊張感を生んでいる。
そして何より、ヒッチコックがいかに女優を美しく、神秘的に映し出すか――その演出力を改めて実感した。
現代の映画を語るうえで、ヒッチコック作品はやはり必修科目。
その理由が、はっきりと腑に落ちる一本だった。
深層心理の万華鏡 ヒッチコックの白眉
41年ぶりに鑑賞致しました。あらためてじっくり観ましたが、とにかく映画自体が放つ雰囲気にすっかり魅了されました!
途中で自らネタバレしてしまうので、ミステリーはもはやメインアイテムではありません。
前半の夢の中にいるような覗き見的感覚、そして後半の主人公ジョンの執着をこれでもかと描くある種異常な性的質感が、私にとってのこの映画の最大の魅力です。ここまでの領域に達している作品にはなかなか出会えない。
そしてキム・ノヴァク!映画史に残る蠱惑的ヒロイン。昨今では男性の欲望の具現化と批判を受けそうですが、それをも超越した美しい存在感と言いたいです。
ジョンが、ジュディを見た目自身の愛したマデリンの様に完璧に仕上げ、熱い抱擁をかわすシーンは、回転するカメラワークと相まって身震いするほどの究極のシーンのです。
ロバート・パークスの舐めるようなキャメラ、バーナード・ハーマンの幻惑的音楽、イーディス・ヘッドの心象表現のような衣装、ソール・バスのタイトルデザイン、全てが一級品。サンフランシスコの景観も作品を盛り立てる重要な要素になっています。
ひとつだけ分からないのは、主人公ジョニーの旧友ミッジのキャラをヒッチコックはなぜ設定したのか。才能豊富でジョニーに好意を寄せ献身的なのに、見た目はメガネで垢抜けず、自らのすべった行動で自己嫌悪に陥る気の毒な性格。狂言回しでもワトソン的役割でもない、引き立て役というのも違う感じ。
それでも、私はミッジも好きです(演じるバーバラ・ベス・ゲデスも含めて)。この魅惑的作品の一部なのですから。
なんつぅエロい映画
ヒッチコックの最高傑作で我が愛する作品
1958年の作品で、舞台はサンフランシスコ。
ジェームス•スチュアートとキム•ノバックと言う私が大好きな男優と女優が主演。というかこの映画で二人を好きになったのです。
ジェームス•スチュアートの代表作は『スミス都へ行く』『フィラデルフィア物語』、『素晴らしき哉、人生!』、『裏窓』etc
当然本作も代表作です。キム•ノバックは「ピクニック」とか「愛情物語」が代表作です。ノバックは2025年時点で存命です。
さてなぜこの作品を高く評価するか。
ストーリーが秀逸。サンフランシスコと言う舞台を上手く利用してストーリーに時代的な深み、ノスタルジーをもたらす部分。演出としては似たシーンの繰り返しで幻惑させる手法とか、場面展開の美しさ、撮影技法を駆使されている事。
登場人物が魅力的な事。映画のお手本なのですが、この主演二人の官能的な様々なシーンが凄すぎなの。
ちょっと病んだシーンがあります。街で出会ったジュディを亡くした女性に近づけようとしていくシーンです。
このシーンでは私は感動で泣きます。映画の創造性が極まっているから。まあ、頭おかしいです。主演のお二人はどんな気持ちで演じたのか知りたい。
「トリュフォー映画術ヒッチコック」というインタビュー本がありまして、この作品の技法についても言及があります。
ある意味で病的な映画です。
この映画は年を経るごとに評価が高まって私は嬉しいかぎりです。そうなんだよ、やっと分かってきたかと言う感じ。
イギリス映画協会の批評家ランキングで
1972年は十位以内に入らず、1982年7位、1992年4位、2002年2位、2012年1位、2022年2位
同じく監督投票のランキングでも1992年6位、2002年7位2012年6位、2022年6位 この三十年間高評価を維持しています。映画好きにはもっと観て欲しいです。
良さがわかってくれるか心配です。
眼鏡掛けた女友達のキャラがまた魅力的です。妖艶な魅力のノバックとのコントラスト。
異様でアブない妄想みたいな…【バラの映画】
心に傷を負い、刑事を辞めたジョン。友人に彼の妻の素行調査を依頼されて…。
ジェームズ・スチュワート主演、アルフレッド・ヒッチコック監督。1958年の作品です。
ジョンの苦悩が、ちょっと異様。アブない男性の妄想みたいな。
妻マデリンの魅力や、ジョンと友人ミッジの奇妙すぎる関係の、なんともいえないゆがみに引きずり込まれてしまいます。
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〜バラポイント〜
さすらう美しいマデリンの手には、バラの花束が。そして彼女の辿り着く先にも…。
ゾクゾクっとしました。
彼のめまいのイメージ映像にも、彼女のシニョンのイメージにバラが重なりあっているようです。
【バラの映画】
2015年、広島県福山市の市政100年の際、映画館を中心に集まった有志で、市花に因み小冊子〚バラの映画100選〛を編みました。
皆でバラに注目して観まくり、探しました。楽しい時間でした。
若い方から「ゴジラ対ビオランテ」が紹介され大拍手!
2025年、世界バラ会議に因んで、私選のバラ映画10を紹介します(一部レビュー加筆)。
アフリカの女王/アンタッチャブル/エド・ウッド/ゴーン・ガール/素晴らしき哉、人生!/ダ・ヴィンチ・コード/Dolls/プリティ・ウーマン/めぐりあう時間たち/めまい
謎の女性の虜になる男の愛欲の顛末
サスペンス映画の巨匠アルフレッド・ヒッチコックの代表作の一本に挙げられる、監督59歳の時の心理サスペンス映画。一般的に評価が高い作品には、イギリス時代の「三十九夜」「バルカン特急」、ハリウッド初期の「レベッカ」「海外特派員」「疑惑の影」、中期の「見知らぬ乗客」「ダイヤルMを廻せ!」「裏窓」とあり、この「めまい」は「北北西に進路を取れ」「サイコ」「鳥」の時代の後期の名作として位置づけられます。それに同じ題材の映画化「暗殺者の家」と「知りすぎていた男」、ヒッチコック70代の最晩年の「フレンジー」「ファミリー・プロット」を加えれば、代表作の殆どを網羅したことになるでしょう。個人的には中期の三作品が好みですが、ヒッチコック監督が亡くなり21世紀になって「めまい」の評価が見直されてきて、一例ではアメリカの映画団体AFIが選出したアメリカ映画ベスト100の中では第9位の扱いです。これに続き「サイコ」「裏窓」「北北西に進路を取れ」が100位圏内に選ばれています。このことは映画制作に精通した人たちが、つまり製作側の模範となる演出や撮影技術の斬新さから、その他の諸要素も含めて、映画としての完成度の高さを客観的に称賛した結果であり、簡単に言えば玄人受けする映画であると言えると思います。
この作品には、アメリカ初期・中期作品のようなストーリー展開の面白さや起承転結のスッキリした完結性はありません。一度の見学では計算された脚本の凄さに気付けない巧妙な話術ゆえでもあります。また「サイコ」のような観客を怖がせるショッキングなインパクトも特になく、殺人罪に問われるべき犯人も逃したままに終わり、主人公が騙されて犯罪に利用される事件も解決しない状態です。勿論心理サスペンスに集約した内容ですから、「北北西に進路を取れ」のようなアクションシーンの醍醐味も無く、地味に話は進みます。主人公スコティが高所恐怖症になるプロローグから、友人ギャヴィンの妻マデリンの尾行を依頼されて恋愛感情を抱くようになるのも極ありふれた流れでしょう。それも、若くして命を絶った曾祖母カルロッタの亡霊が取り憑いたようなマデリンの感情のない表情の冷たさが不倫恋愛を盛り上げることなく、最後は謎のまま飛び降り自殺をしてしまう。スコティが救えなかった後悔が、元々の高所恐怖症に加えて更に精神衰弱を悪化させて入院してしまう前半部分は、多くの謎を残したままで、物語として決して分かり易い面白さとは言えません。謎のキーワードは、“私を失ったら愛が本物だったと分かるはず”。
ところが、この映画の本当の怖さと面白さは、スコティが完治しない状態で退院して、亡くなったマデリンの幻影を追い掛けてしまう後半にありました。それもマデリンに瓜二つの容姿とスタイルをもつジュディという女性に出会ってからの異常な行動には、性的な衝動も含めた男の生々しい姿が表現されています。ヒッチコック監督のサスペンス映画に恋愛要素があるのは珍しくないのですが、この作品のように描かれていない部分で想像させる演出は貴重です。サンフランシスコ市街地を見下ろすロングショットに続くマデリンの車が駐車してある邸のシーンから、謎解きの面白さで観る者を引き付けます。スコティの眼からはマデリンが映り、近づくと車を買い取った夫人が現れる。映画だけができる錯覚の表現は、初めて出会ったレストランでも、スコティはエルスター夫妻がいた席にマデリンを見てしまう。カルロッタの肖像画が展示してある美術館、ショーウィンドウに飾られている花のブーケと記憶をたどり、偶然にもジュディを見掛けて追跡するスコティは、マデリンの幻影に取り憑かれた男になってしまっている。対してジュディは、カルロッタの亡霊に取り憑かれた芝居を演じたマデリンではない。この立場が逆転した男女が再び恋愛関係を築こうと苦悩するところが、ヒッチコック監督の狙いであった。ジュディをデートに誘い、グレーのスーツを着たマデリンに変身させていくスコティの執拗な要求が病的になる怖さ。髪を染め化粧も変えて髪型までこだわるスコティの性的な欲望が偏執的に描かれている、不思議な感覚です。完全にマデリン仕様になったジュディと熱いくちづけをするスコティの恍惚が、回転する背景の記憶と重なる映画演出の見事さ。そして、次のカットで黒いドレスに変身したジュディとスコティの関係を破壊するネックレスの登場で、物語が急展開するクライマックスの緊張感が素晴らしい。
ジュディがスコティを忘れられずサンフランシスコにとどまり、いつか再会できるのではないかと待っていた女心と、ジュディではないマデリンを愛してしまったスコティが、結ばれた後のこの結末は、肖像画に描かれていたネックレスをジュディが身に付けたことでマデリンの呪いがかかる最後を迎えます。スコティはネックレスひとつで、友人ギャヴィンが仕組んだ妻マデリンの投身自殺に見せかけた遺産目当ての殺人事件の証人役に仕立て上げられ、騙されたことに気付く。目の前にいるジュディは、マデリンでなくギャヴィンに雇われただけの共犯者に過ぎない。それでも、真相を確信して怒りに震えるスコティが鐘楼がある塔の頂上で高所恐怖症が治り、ジュディに心を許す瞬間のラスト。一気になだれ込むような結末の後の虚無感含め、見事なクライマックスです。
主演のジェームズ・スチュアートは、終始精神疾患の難役を好演し、マデリンの儚い美しさの虜になる男の欲求を巧みに演じています。マデリンとジュディの二役のキム・ノヴァクも演じ分ける巧さをみせて、何よりマデリンの時の美しさは「ピクニック」「愛情物語」の代表作に並ぶ存在感です。キャスティングで唯一の物足りなさは、バーバラ・ベル・ゲデス演じるミッジの扱いでしょうか。マデリンがスコティのアパートから出てくるところを偶然目にして嫉妬を膨らませ、カルロッタの身体に自身の顔を描いた油絵をスコティに見せる痛い女性は、それ以上物語に加わることはありません。これはスコティとマデリンとジュディの3名の登場人物で語り、完結する恋愛心理サスペンス映画の形を取っています。ソール・バスのタイトル、バーナード・ハーマンの音楽も良く、最も見事なのはロバート・バークスの撮影です。坂道を走る車からのサンフランシスコの街並み、建物を捉えたショットの構図の完璧さ、そして会話時のカメラアングルの的確さまで、模範的なカメラワークです。特殊効果の技術者から撮影監督になったバークスの功績は、「サイコ」(ジョン・L・ラッセル)を除いて「見知らぬ乗客」から「マーニー」までの多くのヒッチコック作品があり、高レベルの安定感と斬新さを兼ねた映画遺産です。
最低でも連続して2度見直して、ヒッチコック監督の演出の見事さ、脚本の構成力、カメラワークの素晴らしさ、テクニカラーの美しさ(レストランの赤い壁)、照明の丁寧さ(本屋さんで店主からカルロッタの歴史を聴くシーン)、墓場のシーンその他での幻想的ぼかし、主演ふたりの演技を堪能して欲しいと切に思います。
予想不可能のプロット
キム・ノヴァクを観ていられる人向き
ヒッチーの掟破り
ヒッチコックなのにバッドエンドを採用している。一体どういう心境の変化だろう。別に僕はバッドエンドが嫌いなわけではない。ありきたりな甘ったるいハッピーエンドよりかは幾分かマシだ。でも、これはヒッチコック映画だ。ヒッチコックは観客にドキドキとハラハラを与える代わりに最後には必ずハッピーエンドにすることで全体のバランスを保ち、ちゃんと自分の映画が大衆映画になるように調整してるものだ思っていた。しかし、今作は違った。なぜ?
それはさておき、映画の魔術師ヒッチコックの最高傑作に挙げられることの多い今作「めまい」は噂通り、彼の映像センスが遺憾なく発揮されていた。彼は大量の鳥も、大掛かりなアクションも自分には必要なく、ただその映像の力だけで観客を魅了することができると今作で改めて示した。彼の映画には常に同じ魔法がかかっている。そして、今作は魔法の質も巧妙さも最高だった。「そりゃこれが最高傑作になるわな」と感じさせられた。純粋な映像の力で感銘を受けた。
さて、結局ヒッチコックは何故バッドエンドを採用したか。僕は一つの理由に美男、美女にたまには酷い目にあって欲しいという、彼の潜在欲求の現れではないかと思っている。本当のところはわからない。でも、もしかしたら、この彼のルール外の行動が、映画の魔術師ヒッチコックの核に近づく手がかりになるのではないかと感じた。
キム・ノヴァクに目を奪われる
「めまい」は初視聴。最初は、憑依話かと思って、色々考えていたら、確かにその手があったのかと。でも、あんな風にジョンも恋に落ちたり、彼女を追いかけて鐘楼を登るときに、高所恐怖症で登れないかは確信が持てないはず。愛する彼女が命を落とすかもというのを追いかけているのだから。しかし、それにしてもジョンは、最後どうしたかったのか?犯行を暴いた上で、彼女の愛が本当かどうか確かめたかったのか。ずっと抱き留めていればいいものを。また、ジュディは、修道女を見て何故逃げようとしたのか?悲劇として終わった方が、ヒッチコックらしいとは思うが、しっくりこなかった。
ジュディを見つけてから、ジョンがマデリンに服装も髪の色も同じにしようとするのは、彼女がマデリンと確信しなければ、普通はやらせない。
別人だったら嫌われてしまうし、二度と失いたくないと思うはず。それでも強行するのは、ヒッチコックがよっぽど偏執狂なのだと思う。
ヒッチコックならではの映画の見せ方があって、楽しめた。
キム・ノヴァクが、昔の金髪美人女優さんで、スタイル抜群で、目鼻立ちが際立っていて、それを見ているだけでも目の保養になった。嘘をつき続けるのが苦しいジュディとしての演技も良かった。彼女の別な作品も見たくなった。
ニューロティック・スリラーの大傑作!
Ultra HD Blu-rayで2回目の鑑賞(吹替)。
原作は未読。
キム・ノヴァク演じる美女を巡るオカルティックな謎に「こう云う系の話だったっけ?」となりつつ、ジェームズ・スチュワート演じる主人公のトラウマを活かした展開にドキドキ。
後半のスコティの偏執的な振る舞いや、スコティの友達(以上恋人未満?)な画家の女のスコティへの執拗な想いなど、狂気的な愛に戦慄しつつジュディの真実の愛が悲しかった。
ロマンスの悲劇性も見事で、先の読めないストーリーとどんでん返しも素晴らしかった。観る者を惑わす視覚効果も抜群で隙無し。ニューロティック・スリラーの名作に酔いしれた。
[以降の鑑賞記録]
2024/12/15:Blu-ray(吹替)
※修正(2024/12/15)
ブロンド美女(キム・ノヴァク)に魅せられて・・・
この作品はヒッチコック監督の名作として揺るぎない評価を得ている作品。初見から30年以上経ちますが、いつ見てもドキドキさせられます。映画の内容を象徴したかのようなタイトルデザイン、「マトリックス」に影響を与えたといわれるオープニングのビルの屋上での追っかけ、"めまい"の視覚効果、ジェームズスチュアートがキムノヴァクを尾行するシーンのサンフランシスコのロケーション、バーナードハーマンの音楽などなど。映画史的に有名なシーンは数えればキリがないのですが、キモは男性の女性に対する妄想です。男性の女性に対する強迫観念、妄想を映像化し、それに殺人事件を絡め、ヒッチコック・タッチといわれる技法で彩った作品と言うべきでしょうか。有名な話なのですがヒッチコック監督はブロンド美女が大好きで、自作の女優起用にもその傾向が見てとれます。マデリーンキャロル、イングリッドバーグマン、グレースケリー、キムノヴァク、エヴァマリーセイント、ティッピヘドレンなどなど。今作のジェームズスチュアートを見ていると、あきらかにヒッチコック自身が投影されている事は明白で、特に自殺した友人の妻が忘れられず、新たに知り合った女性を髪型、メイク、服装に至るまで友人の妻そっくりに仕立てようとするシーンなどは、ヒッチコック監督が現場で女優さんにこんなふうに指示していたのではないだろうかと、想像させられます。要は男の妄想を映像化することで、こんな名作が出来るんだよと証明した名作なのです。
ラストは悲しい衝撃ですね
【”二重螺旋階段構造作品”偏執狂的な人たち・・の哀しき定めを描いた作品。】
■捜査中に同僚を転落死で亡くした故に、高所恐怖症になってしまったのファーガスン(ジェームズ・スチュワート)は、”友人”エルスターに頼まれ、自殺傾向があるという彼の妻・マデリン(キム・ノヴァク)を尾行する。
ロサンゼルスの海に身を投げた彼女を救ったファーガスンは、冷たくも魅惑的なマデリンに心を奪われていく。ある日、ファーガスンは彼女と瓜ふたつの女ジュディ(キム・ノヴァク)を見かけ…。
◆感想<Caution! 内容に触れています。>
・ファーガスンが、”友人”エルスターに吹き込まれた”マデリンには祖母カルロッタの霊が憑りついている・・”という言葉からの展開が秀逸である。
ー まるで、カルロッタの霊が憑りついたかのような、マデリンの行動。ここは、色々な解釈があると思うが、私には夫婦関係が上手く行っていない悩みと解釈。-
・そして、マデリンは”夢で見たという”スペイン風の建物の鐘楼から身を投げる。ファーガスンは後を追うが、高所恐怖症の為か、彼女の転落を止められない。
・失意の日々を送る中、ファーガスンは街中でマデリンソックリの女性、ジュディを見て”強引過ぎる手法”で、彼女の部屋に入り込み、夕食を共にすることまで決めてしまう。ストーカーのようだが、何故かジュディは了承する。
ー マア、ここら辺から分かって来るのだが・・。ジュディの髪の色を含めて偏執狂のようにマデリンに似させようとするファーガスンの姿。-
■そして、明かになる”友人”エルスターが仕掛けたファーガスンの高所恐怖症を利用した、巧妙な罠。
可哀想なのは、巧く利用されたジュディである。マデリンの時は、ファーガスンを騙そうとして、けれど恋に落ち、ジュディになってからも、結局は彼に恋する・・。
<哀しきジュディの最期は、”罪と罰”を暗喩的に表している。
気になったのは、”友人”エルスターの罪や如何に・・、であろうか・・。>
キム・ノヴァクの美貌にめまい?!
全56件中、1~20件目を表示













