まあだだよのレビュー・感想・評価
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まあだだよとまだ言ってほしかった
黒澤明さんのドキュメンタリーを見てすぐさまレンタルへ走りました
『影武者』『乱』を手にし他にもと思い目に止まったのがこの作品
持ち帰り何から見ようかとひとしきり、影武者も乱も重そうだし今の気分ではない
『まあだだよ』初めて見るのではないですがほぼ初めてに近いほど何も覚えていない、ただタイトルからして心地良さそうなので
自殺未遂まで追い込まれた黒澤監督作品はコレが最後、遺作となりました
「まあだだよ」は劇中で使われる言葉で
「先生、まだあの世に行かないのか〜い」に対しての先生の返答です
「まあ〜だだよ〜」ってね
『七人の…』や『生きる』などかっこよかったり心に刺さる重い題材などのイメージがありますがこのほのぼのとした作品もいいですね
なんと言っても荒んだ終戦から戦後の暗いイメージの時代なのに明るくほんわかと描かれていることに驚きと優しさを感じました
【”誰にでも忘れられない先生がいるだろう・・。”偏屈でユーモア溢れる愛すべき内田百閒先生と教え子たちとの20年以上にも亘る交流を温かい視点で描き出した作品。】
ー内田百閒の作品が好きである。”冥途”は今でも時折、各掌編の幾つかを読み返す・・。-
■昭和18年春、30数年勤めあげた大学を辞め、文筆に専念するという百閒先生にひとりの教え子は言った。
”学校の先生を辞めても、先生はいつまでも僕らの先生です。先生は金無垢だ。混ぜ物のない金の塊。本当の先生だ、という意味です。先生はドイツ語以外に、僕らに何だかとても大切な事を教えてくれた気がします・・。”
そして、先生(松村達雄)と教え子たちとの長きに亘る交流が始まった・・。
■印象的なシーン
・先生が”泥棒がどうしても、わが家に入れない方法を編み出した・・”と自信満々である日教え子たちに宣う。教え子の高山(井川比佐志)と甘木(所ジョージ)はある晩、こっそりと先生の家へ。
すると、風呂場の戸が半開き。中を見ると”泥棒入り口”と書かれた立て札が。その先には”泥棒通路”、そして”泥棒休憩室”まであり、タバコに座布団まで置いてある。
高山と甘木は、嬉しそうな顔で”やっぱり、先生は金無垢だ・・”
ーもう、二人とも良い大人なのに・・・、とても好きなシーンである。ー
・先生が60歳の誕生日。皆で”馬鹿鍋”をつつき、どんちゃん騒ぎ。良い大人になった教え子たちが多数集合し、皆楽しそうである。
ー先生が、教え子たちに如何に慕われていたかが良く分かる。-
・先生の誕生日会である”魔阿陀会”を高山と甘木と沢村(寺尾聡)、桐山(油井昌由樹)が開くシーン。教え子たちは皆それぞれの道を歩んでいるが、先生の前に出ると、学生時代に戻ったようだ・・。
・愛猫、ノラが居なくなって狼狽する先生の姿・・
<最後の”魔阿陀会”で先生が教え子たちに言った言葉。
”自分にとって本当に大切なモノ、好きなモノを見つけてください。そして、そのもののために努力しなさい。それはきっと、心のこもった立派な仕事になるでしょう・・。”
やっぱり、内田百閒先生は”金無垢”だ・・。>
<1993年4月25日 劇場にて鑑賞>
<その後、複数回、他媒体で鑑賞>
個人的に内田百閒が好きなんで頬も緩みっぱなし。ただ純粋にニコニコし...
個人的に内田百閒が好きなんで頬も緩みっぱなし。ただ純粋にニコニコしたり涙ぐんだり出来る映画っていいな。悪い人間が現れない安心。最後なんだからそれでいいと思う。
黒澤監督にしか撮れない群衆シーン! これこそ黒澤明です
お別れのごあいさつ
生前葬というべきかもしれません
ありがとうとの黒澤監督からの最後のごあいさつなのです
エンドロールの茜色と黄金色の残照の空
次第に藍色が加わって暗くなっていきます
まるで葬儀会場の背景のような色彩です
その前の夢のシーン
夕焼け空の下、子供達がかくれんぼをして遊んでいます
本来、かくれんぼは夕暮れ時にはしてはいけないものです
神隠しや人さらいにあうかも知れないから
もういいかいと呼ぶはずなのに
遠くの丘の稜線にいる子供達はまーだかいと呼びます
それは何故?
かくれんぼじゃないからです
彼岸からの催促の声だからです
干し藁をかぶってもういいよと言いかけて
少年は夕焼けの美しさに見とれ、隠れるのを止めます
もうこれでもう思い残すこともない
しかし、そのはずだったのに夕映えの残照の美しさに、もう少しだけ時間を貰えるなら、空が暗くなる前にもうひと遊びしてみたい
そのようなメッセージと受け取りました
黒澤監督、お疲れ様でした
物語は戦争中から始まり、戦後すぐから大勢の教え子に支えられて77歳の喜寿の宴席の夜まで続きます
もちろん戦時中に監督昇格し、戦後の混乱の中から監督を続けてきた自己の半生をなぞったものです
ノラは映画作りへの情熱の暗喩かと思います
そして奥様への感謝のメッセージも強く打ち出されています
大宴会のシーンは監督からの今までの映画監督人生に関わった総ての人々への監督の催した御礼の大宴会なのです
あの大宴会のシーン
七人の侍や影武者や乱にも負けない、一大スペクタクルシーンです
あの大人数の宴席にいる総ての俳優が芝居をしています
監督がそれぞれの芝居の総てを把握して、神経を行き届かせて指導したものです
全員の動き、演技に監督が目を配らせてあるのです
ものすごいシーンです
黒澤監督にしか撮れない群衆シーンなのです!
これこそ黒澤明です
ノレない
最初から最後まで「先生の魅力がわからずノレない」の一言に尽きる。昔はこういう生徒と先生の公私を越えた関係のようなものが普通だったのだろうか。『仰げば尊し』を歌ったことのない世代には理解できなかった…。黒澤明の描くホモソーシャルは大好きなのだけどこれに関してはどうも。井川比佐志さんの演技がたくさん見られたのは良かった。
イメージまんま
百閒の随筆を読んできたけど、イメージまんまの百閒先生の姿。
猫が重そう。
香川京子がきれい。
「大切なものを見つけて、そのために頑張りなさい」という台詞があるのだけれど、
わたしの大切なものとはなんだろう。
心温まる師弟愛
総合:75点
ストーリー: 70
キャスト: 80
演出: 80
ビジュアル: 70
音楽: 70
これだけ大勢の生徒から慕われるというのはなんと幸せなことだろうか。もちろんそれは先生の人柄や教育があってこそのことである。人があまり訪ねてこられては迷惑だという、文学者らしい捻った張り紙などをしつつも、本当は本人もそれを嬉しく思い楽しんでいる。生徒のほうも、先生にまだ死なないのかなどと言いつつ、長生きしてもらいたいと願っている。お互いに愛情のこもった皮肉を笑いを込めて表現しているのだ。戦争という厳しい時代なのに、人と人の敬愛と交流が暖かく描かれていた。
気になったところとしては、最初のまあだだよの会の集まりと猫の件、ちょっと時間をかけ過ぎていて、ここは長すぎると思った。もう少し簡潔にまとめたほうがすっきりして良い。
音楽は殆ど使われていない。だがヴィヴァルディの「調和の霊感」第9番の第2楽章という曲だけが唯一流れるのだが、緩やかに流れるこの曲は作品に合っていた。
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