ベルリン・天使の詩のレビュー・感想・評価
全59件中、21~40件目を表示
彼が声を拾うことによって描かれる心象風景が美しかった。心の内面の声...
彼が声を拾うことによって描かれる心象風景が美しかった。心の内面の声はそれだけでも孤独で断片的で深みがあるのだが、そういった声を拾っていくという天使の活動自体が、ひとつの美しい世界を描きだしていた。天使ではないけれども、なんとなく、世界から浮き足だっているように感じている人にとっては、重みを感じたいという気持ちがどれほど重いか、わかると思う。
古くならないもの
初公開時は大学生だったから、もう35年前になる。観た当時も傑作だと思ったし、今観てもまったく古びていない。脚本も撮影も俳優も、すべて抑制が利いていて素晴らしいです。「天使は恋をすると死んでしまう」という、逆説的なモチーフが映画の中で叶うとき、モノクロの画面がカラーに変わる。本当の恋愛映画とはこの作品にこそ相応しい。ラストで小津、トリュフォー、タルコフスキーに捧げられる献示も感動的。
静かな良作
「午前十時の映画祭14」TOHOにて鑑賞。 90年代にレンタルビデオかスカパーか忘れたが、見た記憶がある。モノクロ画面、天使の話でサーカスのシーンがあったな…ぐらいで内容をさっぱり覚えていなかった。 「PERFECT DAYS」を鑑賞した頃、改めて今作を見たいと思った。ここのところ、ヴィム・ベンダースとウォン・カーウァイ作品が、よくリバイバル上映されるので良い機会と映画館へ。 天使は町中の人の心に耳を傾ける。 誰しも不安や悩みがある様が描かれる。天使ダミエルはサーカス団のマリオンに恋をして、自らも人間の世界へ。 昔友人が、あなたのそばにも天使がいる、見守ってくれる人がいる…みたいな事を言ってこの映画をオススメしていた。それもそうだし素敵な恋の話でもあるが、この時代の世相も反映した、新しく生きる事を始める話なのかなーと思った。 途中少し眠くなったが~~持ちこたえた。退屈な天使の世界(無垢な子どもにも通じる世界)から、触れあえて感じられる有限の人間の世界へ。 ***** 初めてダミエルがコーヒーを飲むシーンでは、自分もコーヒー片手にしてたので一緒に飲んでみた。
金と、金鍔・・
そう聴こえる呪文の中、必死に睡魔に耐えました。感じたのは、やはり監督は画の人。それにこの時期のベルリンだから撮れた作品という事。ちょっと「ゴジラ」が出て来た背景とも似ているかもしれない。 最後の二人の出会いにあれだけ長冗句を言わせるとは・・ちょっと舞台劇ぽい。ニックケイブ、ロックとの親和性は相変わらずでした。
地上に降りた天使
「子供が子供だった時」の印象的なモノローグから始まる詩的で哲学的なヴィム・ベンダース監督の傑作。
塔の上から中年男性の姿をした天使が町を見下ろしている。この世界の天使は皆中年男性の姿をしている。
彼らの姿は子供の目にしか映らない。町には様々な人々の心の声が溢れているが、そのほとんどが人生に対する不満や不安だ。
天使たちはそんな不安定な人々の心に寄り添う。
人生に絶望した者の中には天使が触れただけで希望を取り戻すものもいるが、基本的に天使は人に触れることは出来ないため、自殺する人間を物理的に止めることは出来ない。
天使の起源は分からないが、どうやら彼らは人類が生まれる前から天使の姿をしてこの世界を見守っていたらしい。
天使は永遠の命を持ち、どこにでも行くことが出来る。
しかし守護天使ダミエルは、そんな永遠の時を生きることよりも、重さを持った存在として大地に縛り付けられる生き方を選びたいと願う。それはきっと気持ちのいい生き方だろうと。
対して友人であるカシエルはダミエルに、真摯に、人間の世界とは距離を保ち、ただ見守り言葉を紡ぐだけの存在でいようと諭す。
人間の大人には天使の姿は見えないが、どこかにその存在を感じることは出来る。天使の存在に救われる人間も多い。だからこの世界で天使の果たす役割は大きい。
ある日ダミエルはサーカス小屋で天使の羽をつけた空中ブランコ乗りのマリオンに恋をする。サーカス小屋は解散が決まっており、マリオンはこれからの行く先を思案する。彼女の側に寄り添うダミエルは、そんな彼女の存在を愛おしく感じる。
ベルリンの街に『刑事コロンボ』でお馴染みの俳優ピーター・フォークが撮影のために訪れていた。
露店でコーヒーを飲む彼は側にいるダミエルの存在に気づく。姿は見えていないが彼はダミエルのいる方に手を差し出し、こちらの世界へと彼を誘う。
ついにダミエルはカシエルに別れを告げ、人間として生きる決心をする。
ダミエルが人間になった後のカラフルな映像がとても美しく感じた。
白黒の世界を生きてきたダミエルは初めて世界が彩りに溢れていることを知る。
初めて目にする血の色、そして初めて味わうコーヒーの味。
あれほど人々の不満や不安の声を聞き続けていたのに、ダミエルにとっては人間の世界は全て愛おしく、そして輝きに満ちている。
やがてピーターと再開したダミエルは、彼も元は天使だったことを知る。
この世界の全てを知りたいと教えを乞うダミエルに、ピーターは自分の目で確かめるように諭す。この世界は面白いものだと。
天使の時とは違ってダミエルは自由にマリオンの元に行くことは出来ない。
彼はベルリンの街をマリオンを求めて彷徨う。
そんなダミエルの姿をカシエルは静かに静かに見守る。
カシエルはピーターが差し出す手を握ろうともしなかった。彼は忠実に天使の役目を果たすだけだ。一見冷たく感じるカシエルだが、実は人間の心に寄り添おうとする気持ちはダミエルにも負けていない。
ピーターの撮影現場に入り浸っていたのもカシエルの方だった。
ニック・ケイブのライブ会場でダミエル、マリオン、カシエルそれぞれの視点が交差するシーンは印象的だった。
そしてマリオンは姿こそ見えていなかったが、ダミエルの存在をしっかりと認識していた。
二人は運命に導かれるように結ばれていく。
ビジュアルとしても鮮明に脳裏に焼き付く作品であり、やや哲学的で難しい台詞もあるが、とてもロマンチックな物語だと思った。
ところどころに戦争の爪痕が残るベルリンの街並みの映像も印象的だった。
子供は子供だった頃
面白くないものは正直に面白くない。 音楽も俳優も詩的なモノローグの数々も、私には合わなかった。 公開時、若い頃に観ていたら感動していたんだろうか。 台詞がほとんどなく役所広司がほぼ掃除してるだけの映画にはあれほど魅せられたのに。 午前十時の映画祭で上映される作品でも、合う合わないがあるんだとわかった。
今日はいい日だ。
オールナイト三本のうち、三本目。 天使の住むモノクロの世界、人間の暮らすカラーの世界。モノクロの世界は味気なく、カラーの世界はまさに彩りがある。それなら天使は人間になりたがるわな。そして、先人(刑事コロンボ!)の、人間を謳歌している姿を目にすればなおさら。どこか、人魚姫の世界観にも似たものがある。 なんとなく、日々過ごす日常において、時に、自分の力を越えたものに後押しされてうまくいくことって天使が手助けしてくれたのかもしれないと思えた。(仏教的には阿弥陀様のご加護でもいいが)。そして世の中、ちょっと人間離れした才能を持った人や物事を達観している人は、もしかしたら元は天使なのかもしれないとも思えた。(人生二周目って言われる人もそうか?)。問いただしてもそうだとは答えないだろうし、答えてくれなくてもいいけど。そういう人たちが、もしかしたら自分の身の周りにいて、楽しそうな人生を過ごしていると想像するだけで、こちらもわずかにお裾分けの幸せをいただいている気にもなれる。
素晴らしき哉、人生‼️
「パリ、テキサス」と並ぶ、ヴィム・ヴェンダース監督の最高傑作ですね‼️ブルーノ・ガンツ扮する守護天使ダミエルが現代のベルリンに現れ、人々の内心の声を聞いたり、東西分裂という戦争の傷痕を実感したり、人間たちの暮らしを見守っている。「観察者」の立場だったダミエルは、サーカスのブランコ乗りの美女マリオンに恋をして天使をお払い箱になり、普通の人間になって彼女と結ばれるというお話。ヴェンダース監督がスクリーンに刻む西ドイツの荘厳な街並みは、まるで神々の世界‼️ドイツ語、フランス語、英語が入り交じる世界観も観る者に神々の世界だと実感させるに十分‼️天使たちが大空を飛翔する姿は神々しくてホントに美しい‼️そしてダミエルが翼を失い、人間の世界へ降りた瞬間、映画がモノクロからカラーへ美しく変貌‼️まるで「オズの魔法使」の逆バージョンのような魔法がかかる瞬間です‼️ホント酔わされます‼️見とれちゃいます‼️そして本人役で出演のピーター・フォーク‼️なんと天使が見れて、会話ができる役‼️さすが刑事コロンボ、いい味出してます‼️天国の事件も解決できそうですね‼️そして堕天使の立場から人間であることの喜びや哀しみ、それがベルリンの壁崩壊という歴史ともシンクロしているように感じます‼️これまでロード・ムービーを得意としてきたヴェンダース監督の新たな作風‼️詩的だし、ファンタスティックだし、ロマンティックだし、そして皮肉なユーモアや哀しみも感じさせてくれる‼️人間の温かさや優しさがホント心に染みます‼️ひょっとしたら、私たちの周りにも堕天使の人たちがいるかもですね‼️
人々の心の声を聞く天使(亡霊)、壁崩壊前のベルリンの風景、本人役の...
人々の心の声を聞く天使(亡霊)、壁崩壊前のベルリンの風景、本人役のコロンボことピーター・フォーク、ニック・ケイブの妖艶なロック。字幕を必死に追っても難解な部分はあるけど、奇抜な設定や見どころもたくさんあり、美しい映像も楽しめた。
うーん。あんまり合わなかったなあ。 天使がふたりとも『ごきげんテレ...
うーん。あんまり合わなかったなあ。
天使がふたりとも『ごきげんテレビ』の頃の志村けんみたいな髪型をしていて、その意味が分かったところは面白かった。
ちゃんと分析すれば描かれていることももう少し読み取れるのかもしれないが、そこまでコミットもできない。
戦勝記念塔とポツダム広場の対比 そして、カメラ目線の安二郎先生が彼の先生。
天使が天から降りてくる?じゃなくて、堕ちるのだから、堕天使。つまり、人間から見れば、堕天使は悪魔。
さて、空中ブランコの女の子は西ドイツ。堕天使は東ドイツとすれば、それを隔てるベルリンの壁って事だ。
難しいと言っている方もいるが、ピーター・フォークのセリフに『顔見えないけど、こっち来いよ。コンパニオール』って東ドイツに向かって言っている。しかし、映画の前半は病める西ドイツ市民の嘆き。物質主義に飢えていると言っている。ジェームス・ディーンまで登場する。
それを踏まえて
プロバガンダ映画だと思う。でも、この直後の1989年に壁は崩壊するんだから、言い当てているけどね。でも、1986年のチェルノブイリ事故から、ソ連は崩壊するんじゃないか?って言っていたし、突然壁が崩壊した訳では無い。
ローラン・プティジラールってフランス人のクラシックの人の音楽が素晴らしい。女の子が一人ブランコで奮闘する時にバリトンサックスとテナーサックスとアコーディオンとドラムで奏でられていた。
彼女はその後のロックの方が酔いしれていたが。それもなんか意味があるのかも。
また、途中で観客の少女が天使に話しかけてくる場面がある。しかし、サーカスに夢中になり、もう一度見ると、彼女はもう、天使を見ていない。(飛行機の中の少女も気が付いている。お人形遊びのメガネの子)気が付かないのはゲームに興じるクソガキか?図書館で勉強する男の子!壁にもたれる孤独な少年!
さて、この映画は結果論として、歴史的な映画になってしまった。このベルリンの風景は二度と見られない。いゃ!見たくない。ては、良い世の中になったのだろうか?
隔たりをなくしても、領域が広がるだけ、ジョン・レノンの歌のように未だに世界は隔たりが存在する。
途中、図書館で老人が気付くが彼の歳を70歳とすると、元天使の堕天使(ナチスorユダヤ)なのかなぁ?
『ベルリンはどこへ行っても壁』って言うが、西ベルリンの事。壁を隔てて西と東に別れている訳では無い。
追記 コロンボ(ピーター・フォーク)が天使と老婆を見ながら、絵を描く場面がある。果たしてどちらの絵を描いているのか?右と左の目線が違う。さて。答えは彼の身体的障害にある。
追追記 ぜんぜん観客見ていないロックンローラーだぜ!
テーマは目線?
マリオンが美しかった
人間の心の声を聞き、苦悩に寄り添う天使ダミエルは、ベルリンに来たサーカスの空中ブランコで舞う女性マリオンに出会った。ダミエルは孤独を抱える彼女に強くひかれ、天界から人間界に降りることを決意した。 それまでほとんどモノクロ画面がラスト30分からはカラーに変わり、天使が地上に降りてきたんだとわかる仕組みは明快で良かった。 マリオン役のソルベーグ・ドマルタンがスタイル抜群で空中ブランコとダンスが美しかった。 カラーになってから刑事コロンボのピーター・フォークが本人役で出てきて、彼も元天使だったという設定は面白かった。
やっぱり好きな映画だった
映画館で3〜4回観たことがある。 今回はかなり久しぶりで忘れていたプロットもあったけれど、生涯ベスト3には入る映画だ。 カラーとモノクロの対比がとても美しい。 ダニエルが人間になった時の生き生きとした表情もとても好き。 もう天に召された人もたくさんいるけど、その人たちを偲びつつ、またこの映画を映画館で観られたことに感謝。
ファンタジーなのにドラマティックな演出なし!でもそこがいい✨
物語はモノクロで地味に淡々と進んでいきます。前半ちょっと中弛み感ありますが、、恋していた女の子と会えて会話を始めるとこも、喋りすぎじゃってる女の子のことをただひたす見つめてるダニエルも最高でした。 派手に演出しないところが良い💓またピーターフォークの使い方も最高。
いつかは、観たい! → とうとうたどり着いた
ベルリンの街を見守る天使たちの話。主人公の天使ダミエルと友人の天使カシエル、サーカスの空中ブランコをしている女性マリオン、元天使だった俳優ピーター・フォーク(本人)、老詩人ホメロス。ヴェンダース監督が、「ベルリンの、私の好きな場所を寄せ集めた映画」と語る本作。いまはなき ベルリンの壁、市立図書館、戦勝記念塔、・・・。「かつて天使だったということに信憑性をあたえる要素を、彼は持っていた」 とヴェンダース監督が言うピーターフォークさん。ほんとだね。 「子供は子供だった頃、腕をぶらぶらさせ、小川が川になれ、川が河になれ、水たまりは海になれ、と思った。子供は子供だった頃、自分が子供とは知らず、すべてに魂があり、魂はひとつと思った」 このような詩的なモノローグが淡々と流れる中で描かれるベルリンの姿。そこを静かに歩き回り、人々の話を聞き、行動を見守る2人の天使。天使が中年の男性だということがびっくり。しかしそれがモノクロームの映像、淡々としたモノローグとあいまって、「人間の活動的な様子」 を 「静かに見続けている天使」 というきれいな対比を生み出す。なんだか心地よい。 忘れてならないのが老詩人ホメロスのつぶやき。「あきらめる? 私があきらめたら、人類は語り部を失ってしまう。ポツダム広場はある日旗でおおわれ人々は優しさを失った。・・ 私の主人公や子供たちはどこへ行った・・ サーカスが解散すると決まった時のマリオンのつぶやき、「ベルリン、異国なのに故郷のような街。ウエィトレスに戻ろう。どう生きよう。もっと重要なのは、どう考えるか」 監督がベルリンに寄せる思いと、日々動いていく環境の中で、俺たちひとりひとりがすべきこと。 「長らく魚ばかり。ある朝、ついに我々に似たものが。人間をみて我々ははじめて笑うことが出来、話すことが出来た。・・ ずっと天上からみてきたが、これからは地上でみていたい。歴史に加わりたい。もう背後の世界はいやだ」 というダミエルのセリフ。歴史を、地球をずっと見続けている存在が俺たちの背後にあり、彼らからみた ”生きること、生活すること” の素晴らしさを、彼らの目を通して疑似体験するという、本作は、ちょっと素敵な体験できるおとぎ話。 ラストに映る 「安二郎、フランソワ、アンドレイに捧ぐ」 の文字は、ヴェンダース監督が信奉する、小津安二郎、フランソワ・トリュフォー、アンドレイ・タルコフスキーの3人の監督のことなのだそうだ。そんなっこと言われたら、まだ観ていない小津監督やトリュフォー監督も、見ないわけにはいかないじゃない。w ------ 「とうとう、たどり着いた」 という感がある。観たいなあとは思っていたが、スクリーンで上映されることは少なかった。今回上映してくれた館は1989年設立だから、俺が20代のときから存在していた映画館 ”ル・シネマ”。なにせ 「文化村」 ですからね。若き俺には 「小難しい映画」 をかける映画館という印象で、訪れたことはありませんでした。いや、真の原因は、名画座じゃないから料金が高かった=通常料金だったため。 いま考えると、若い時に 「小難しい映画」 とか避けてきた映画は、単に 「宣伝があまり多くできない映画」 ってだけだなあ、とわかる。たまにしかいかない映画は、ハリウッド映画や邦画といった 「宣伝を多く投入する映画」 になるようなあ。TV番組 「王様のブランチ」 でLilikoが 「今週はミニシアター系でかかっている "いい映画" を特集します」 とやってくれているのは、貴重なことなんだな。俺は、留年していた1年間に名画座で手当たり次第に観た100本と、いまシニア料金で手当たり次第に観ている本数が財産なんだなあと思う。 余談が長くなりました。本作、冒頭に説明が入るように、1987年5月にカンヌで上映。年数経過で上映用プリントでは元のネガの鮮明さが失われていたのを、カンヌ40周年記念事業んのひとつとして、2017年にデジタル修復を行い、オプチカル合成を1コマずつやり直して上映できるようにしたものとの投影されます。ありがとう、カンヌ40周年記念事業!! ミニシアターブームが起こった1980年代後半の東京では、ロングランヒットとなった作品が次々に誕生したが、中でも本作は、日比谷のシャンテ・シネで30週を超えるロングランし劇場を移して一年以上も上映された。
【子供が大人になった頃、天使が人間になった頃】
作品中のモノクロのシーンで、たびたび出てくる”子供は子供だった頃”で始まる詩は、ペーター・ハントケのもので、彼は2019年、ノーベル文学賞を受賞している。ペーター・ハントケは、ヴィム・ヴェンダースと関わりが深く、今回のレトロスペクティヴの10作品のうち、この「ベルリン、天使の詩」は脚本を担当、「まわり道」は原作・脚本、今回は上映はないが「ゴールキーパーの不安」は原作を提供している。 ヴィム・ヴェンダースが日本で注目されたのは、第37回カンヌ映画祭でパルム・ドールを受賞した「パリ、テキサス」が最初だったと思うが、一気に人気を博すことになったのは、同じく第40回で監督賞を受賞した「ベルリン、天使の詩」だった。 異例のロングラン上映となった。 個人的には、「パリ、テキサス」で僕が持っていたウォークマン初号機が出てきたことで、ちょっと優越感に浸ったが、「ベルリン、天使の詩」では、クラブのシーンで日本人女性が出てきて日本語でつぶやくシーンが収められていて、これも日本人の心をくすぐったのではないかと言われたりしている。 そして、この「ベルリン、天使の詩」を機に、ヴィム・ヴェンダースは、巨匠ではないが、”鬼才”と呼ばれたりするようになる。 コッポラとの対立などもあって、確かに、巨匠ではないように思うが、ヴィム・ヴェンダースが鬼才というカテゴライズも、僕にはしっくりこない。 それほど、ヴィム・ヴェンダースの眼差しはやわらかく、優しい。 この点については、敬愛する小津安二郎やフェリーニの影響が強いように思うのだ。 「ベルリン、天使の詩」で、ベルリンの自身の好きな場所を巡ったりするのは、確かにヌーヴェル・ヴァーグ的だと思うが、今回のレトロスペクティヴ向けのパンフレットでどなたかが、映像と言葉について述べているところあって、確かに、ヴィム・ヴェンダースは映像の語り部のように感じたりもする。 「ベルリン、天使の詩」の物語は、大人向けの寓話だ。 でも、「中年男性ふうの天使」は子供には見えるが、大人には見えず、ピーター・フォーク演じる”元”天使には存在を感じ取ってもらえる。 もう少し言えば、「中年男性ふう天使」のラブ・ストーリーだ。 ヴィム・ヴェンダースの作品には、一貫して、アイデンティティがテーマの一部になっていると感じることが多いのだが、この作品もそうだ。 ただ、ベルリンのお気に入りの風景を撮りながら、実は、そうではないところにアイデンティティを見出しているように思うのだ。 画面が一気にカラーに変わり、ラブ・ストーリーが展開するところも素敵な感じがする。 「子供は、子供だった頃」 ちょっと時制表現としては......とか堅苦しく考えてしまいそうな書き出しだが、それは詩なので良しとして、様々な見聞きするものや経験が新鮮で、大人になると気にも留めなくなるような事柄は、まだ実は沢山あって、それは恋愛もそうで、こうした多くの事柄が人を形作り、独自性、つまり、アイデンティティになるのだと表現しているように感じる。 或いは、愛こそアイデンティティの最も重要なパーツと言いたいのだろうか。 当時はまだドイツは東西に分断されたままだったことを考えると、”中年””天使”と”若い””人間の女性”が恋に落ちる、それも、偶然の”出会い”と、若い女性の”恋の予感”がベースで、設定・組み合わせとしてはあまり考えられない状況は、もしかしたら、東西ドイツのの困難と考えられていた統合のメタファーだったのかもしれない。 アイデンティティとは、複雑で多様で、実はそれこそが当たり前なのだと、改めて気づかされるなんか素敵な作品だった。
〝壁〟の意味するものは今のほうが切実かもしれません
人間っていうのも、そう捨てたもんじゃないかもな。 生きている誰もが、色々とそれぞれの訳があって、面倒くさいことのほうが多そうだけど、ほんの少しでも、誰かのことを思うことが出来れば、なんだか生まれてきて良かったと思える。 そう語りかけてくれてるような気がする優しい作品でした。
地上に降りた天使達の讃歌
主人公の恋する踊り子さんのセリフに生きることへの讃歌が凝縮されている。 「悲しみたい。それが自分を感じることだから。」 生きていると喜びや楽しみばかりではない。苦しいことや悲しいことにも一杯出会う。でもそれらの感情も生きているからこそ出会うことなのだと思えば、全ての人や体験が愛おしくなる。そんな前向きなメッセージがこの大人向けのメルヘンから伝わってくる。 主人公のオジサマ2人もかなりのイケオジながら、ライブハウスシーンの若者達も全員美形で驚いた♡
あと20年後にもう一度観て、しんみりしたい作品
正直、観た直後は何もわからなかったし、 何も感じなかった。 演出よりも詩的なセリフで物語る映画。 印象的なのは、電車のシーン。 ただ、この後ほんとうにベルリンの壁が壊されて、 まさに歴史に残る映画になった。この事実が素晴らしい。 ひとりひとりの心に響くような、気持ちを変えるような、 行動を起こさせるような映画だったのかもしれない。 何年か後、もっと人生経験した後に、 ファンタジーとしてではないこの映画を しんみりみたいと思う。
全59件中、21~40件目を表示