「【子供が大人になった頃、天使が人間になった頃】」ベルリン・天使の詩 ワンコさんの映画レビュー(感想・評価)
【子供が大人になった頃、天使が人間になった頃】
作品中のモノクロのシーンで、たびたび出てくる”子供は子供だった頃”で始まる詩は、ペーター・ハントケのもので、彼は2019年、ノーベル文学賞を受賞している。ペーター・ハントケは、ヴィム・ヴェンダースと関わりが深く、今回のレトロスペクティヴの10作品のうち、この「ベルリン、天使の詩」は脚本を担当、「まわり道」は原作・脚本、今回は上映はないが「ゴールキーパーの不安」は原作を提供している。
ヴィム・ヴェンダースが日本で注目されたのは、第37回カンヌ映画祭でパルム・ドールを受賞した「パリ、テキサス」が最初だったと思うが、一気に人気を博すことになったのは、同じく第40回で監督賞を受賞した「ベルリン、天使の詩」だった。
異例のロングラン上映となった。
個人的には、「パリ、テキサス」で僕が持っていたウォークマン初号機が出てきたことで、ちょっと優越感に浸ったが、「ベルリン、天使の詩」では、クラブのシーンで日本人女性が出てきて日本語でつぶやくシーンが収められていて、これも日本人の心をくすぐったのではないかと言われたりしている。
そして、この「ベルリン、天使の詩」を機に、ヴィム・ヴェンダースは、巨匠ではないが、”鬼才”と呼ばれたりするようになる。
コッポラとの対立などもあって、確かに、巨匠ではないように思うが、ヴィム・ヴェンダースが鬼才というカテゴライズも、僕にはしっくりこない。
それほど、ヴィム・ヴェンダースの眼差しはやわらかく、優しい。
この点については、敬愛する小津安二郎やフェリーニの影響が強いように思うのだ。
「ベルリン、天使の詩」で、ベルリンの自身の好きな場所を巡ったりするのは、確かにヌーヴェル・ヴァーグ的だと思うが、今回のレトロスペクティヴ向けのパンフレットでどなたかが、映像と言葉について述べているところあって、確かに、ヴィム・ヴェンダースは映像の語り部のように感じたりもする。
「ベルリン、天使の詩」の物語は、大人向けの寓話だ。
でも、「中年男性ふうの天使」は子供には見えるが、大人には見えず、ピーター・フォーク演じる”元”天使には存在を感じ取ってもらえる。
もう少し言えば、「中年男性ふう天使」のラブ・ストーリーだ。
ヴィム・ヴェンダースの作品には、一貫して、アイデンティティがテーマの一部になっていると感じることが多いのだが、この作品もそうだ。
ただ、ベルリンのお気に入りの風景を撮りながら、実は、そうではないところにアイデンティティを見出しているように思うのだ。
画面が一気にカラーに変わり、ラブ・ストーリーが展開するところも素敵な感じがする。
「子供は、子供だった頃」
ちょっと時制表現としては......とか堅苦しく考えてしまいそうな書き出しだが、それは詩なので良しとして、様々な見聞きするものや経験が新鮮で、大人になると気にも留めなくなるような事柄は、まだ実は沢山あって、それは恋愛もそうで、こうした多くの事柄が人を形作り、独自性、つまり、アイデンティティになるのだと表現しているように感じる。
或いは、愛こそアイデンティティの最も重要なパーツと言いたいのだろうか。
当時はまだドイツは東西に分断されたままだったことを考えると、”中年””天使”と”若い””人間の女性”が恋に落ちる、それも、偶然の”出会い”と、若い女性の”恋の予感”がベースで、設定・組み合わせとしてはあまり考えられない状況は、もしかしたら、東西ドイツのの困難と考えられていた統合のメタファーだったのかもしれない。
アイデンティティとは、複雑で多様で、実はそれこそが当たり前なのだと、改めて気づかされるなんか素敵な作品だった。