劇場公開日 2021年4月30日

  • 予告編を見る

愛のコリーダのレビュー・感想・評価

全48件中、21~40件目を表示

3.5美しい、でもお腹いっぱい

2021年6月20日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

「阿部定事件」(若い人は知らないだろうなぁ。知らない方がいいよ)を題材にした、大島渚監督、1976年公開の超問題作。

ストーリーらしいストーリーはない。全編にわたって、ひたすらやりまくる映画だ。
そこに男女の心の機微が展開し、情念が燃える。

僕はこの作品を「美しいな」と思った。
大島監督は、制作にあたって神代辰巳監督の『四畳半襖の裏張り』に強い影響を受けたと語っているそうだが、僕は本作から、歌麿や春信などの江戸春画に見られる「美」を感じた。艶かしく、粋で、品があり、おかしみがある。
大島監督は――意識的か無意識的かは別にして――映像作品で、そういった日本のエロスの伝統を継承しているのだと思った。

そんなわけで、本作は、過激で露骨な性描写が繰り返されるにもかかわらず、決してそれが下品に堕していない。むしろ品格さえ感じさせる作品となっている。
その監督のセンスと力量には敬意を表したい。

それにしても、人間というのは、なんと滑稽な、グロテスクな、おそろしい、そして美しく、可愛らしい存在なのだろうか。
そんな、言葉で容易に表現することのできない人間という何とも不可思議な存在の本質的な一面を、この映画は我々の目の前に提示しているのだろう。

ただ、延々と繰り返される性描写には、さすがに少々げんなりした。
もうお腹いっぱい。

何だか悪い夢を見そうです。

追記
「コリーダ」って、闘牛のことなのね。今日はじめて知りました。
それから、主演の松田暎子って、劇団『天井桟敷』に所属していたのか(それも今日はじめて知りました)。
なんだか納得。

コメントする (0件)
共感した! 3件)
peke

3.5愛ではないよ...

2021年6月19日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

「2000」の時も観て思ったのだけども…
やはり、定には、同じ女として共感できずです。
もう、自分のことしか考えていないのだもの。
病んでるよ。

吉さんの、あの死を覚悟した諦めのような慈しむような
瞳の切なさが脳裏に焼きついて離れません。
と言いつつ、藤竜也ファンだから余計、嫌なのだー!!

しかし、大島渚ってスゴっ!
芸術か?
ポルノか?!
やっぱり、ポルノかなぁ…。
フランスでウケるのは理解できる。

コメントする (0件)
共感した! 2件)
hkr21

4.0精神の結合と肉体の結合は表裏一体

2021年6月11日
Androidアプリから投稿
鑑賞方法:VOD

コリーダとはスペイン語で闘牛を意味すると言います
愛の闘牛とはなんでしょう?

相手が挑発的に赤い布で興奮を煽るものだから、その気になって幾度も突進してしまう
なのにひらりひらりと身をかわされる
そうして疲れたところを剣で一衝きされてしまう

本作の内容とは違うのですが、それは確かに男女のラブゲームは闘牛に似ているのかも知れません

命のやりとりになるほどの真剣な愛
それが愛のコリーダという意味だと思います

エマニエル夫人、チャタレイ夫人の恋人、O嬢の物語、カトリーヌドヌーヴの昼顔
その系譜に連なる作品だと思います

陰部を隠さず、結合部すらも意図的にカメラに映るような構図で撮影するのは一体何故なのでしょうか?

そこにこそ疑問を持たなければならないと思います
ボカシがあるとかないとかを云々しても、それは不毛だと思います

21世紀の現代ならば、ネットでいくらでももっと露骨にその部分だけをクローズアップしたものを視れます
劣情をかき立て性欲を充足させるという目的ならば本作はとても及ぶところではありません
つまりAVポルノはマタドールの赤い布の機能だけに特化していると言うことです

本作は闘牛であるとタイトルで謳われています
赤い布に興奮して突進しても、それはひらりとかわされるのです

男女の愛
相手を求める気持ち

それは何を求めているのでしょうか?
相手の心?
相手との心がひとつになった喜び
これが本当の愛なのでしょうか?

人間も動物である以上、相手の肉体を求めるのは自然なことです
肉体の結合を伴ってはじめて愛が満ち足りるのもまた真実です
心だけの結合では人間は満足出来ないのです

では、心を伴わない肉体だけの結合は?
お互いの肉体によって快楽を相手に与え合う行為、それは愛では無いのでしょうか?

お互いの真心の優しさを相手に与え合うことと、何が異なるのでしょうか?
無論それは肉欲とか色欲といわれ、愛情とは違うとされています
ポルノはその為に純化した映像作品です

人は何故ポルノを視るのでしょうか?
それは劣情を自ら刺激して興奮するため?
確かにそうでしょう

しかし、男女の愛を充足できない
その悶々とした精神の涸渇感を満たそうとして視ているとも言えるのです
相手との心の交流だけでは満ち足りないのです
もし心を触れあわせる相手すらもいないならば、一層それを求めてしまうのは当然でしょう
せめて肉体の結合の錯覚だけでも満たそうとしているのです

甘く清い純愛物語に胸を一杯にすることと、それは表裏の関係なのだと思います

では本作は?
確かに肉体の結合ばかりを映し出しています
しかし明らかにポルノではありません
本作が目的としているところは違うからです

本作の二人が目指そうとしたのは、精神の固い結合でした
こころと肉体までが全て溶け合うまで、お互いを愛し合うこと
互いを求め合うこころの結合の吸着力が猛烈ならば、肉体の結合の力もまた猛烈になるのは当然のこと

男女の愛とは、こころと肉体は二つでひとつ
表裏一体、車の両輪なのだと思います
それ故に、このように性行為のありのままを表現しなければ、男女の愛の全景すべてを描き出しているとは言えなかったのです
愛の量が巨大ならば、肉体の結合もまた巨大にならざるを得ないのです

ここまで男女の愛の本質に迫った作品は他に無いと思います

間違いなく世界的な傑作であると思います
明らかな芸術作品です
ポルノでは決してある訳もありません

愛のコリーダ(Ai No Corrida)
今ではクインシー・ジョーンズの1981年の世界的大ヒット曲の方が有名かも知れません
この曲は本作に触発されて1980年に作られたものなので当然ながら本作では流れません
クインシーは,米国ポピュラー音楽界の超大物プロデューサー
あのマイケル・ジャクソンがスーパースターになれたのも彼のプロデュースの力が大きいと思います
そのクインシーが別人の作ったこの曲を気に入りカバーして自分のアルバムの一曲目に採用したものです
この人のアルバムに曲が採用されること、録音に呼ばれるということは、サッカーで言えばW杯の代表チームに召集されることに匹敵する程のことなのです
この曲の入っているアルバム「デュード」はジャズフュージョンの名盤100選に入る程の傑作です

クインシーらしい80年代の幕開けに相応しいゴージャスな素晴らしいサウンドの曲です
そして、その歌詞は本作のテーマを的確に伝えているものなのです
ネットで簡単に聴けますし、歌詞も和訳で読めます

本作を観終わったなら、是非この曲を聴かれてはいかがでしょうか?
それも体に感じる程の大音量で、イヤホンでなくスピーカーで
オーディオ的な快感を感じると思います
その快感は本作に通じるものだと思います

旅館にこもって、三日三晩やり続けているシーンはエヴァンゲリオン第20話を思い出させます
あのシーンは本作由来なのかも知れません

コメントする (0件)
共感した! 4件)
あき240

4.0圧倒…

2021年6月5日
iPhoneアプリから投稿

何よりかにより役者の方々に敬意を…凄まじい。
観るか迷ってましたが、一度は観ておいて良かったと思いました。
最初から最後までずーっと…ですが、どこか品を感じるのは
単なる性欲からくる行為というより、抑えきれない相手への愛を感じるからでしょうか。
ゾッとするような出来事ではありますが、
食欲、睡眠欲、性欲、三大欲求ですから(この2人はだいぶ性欲に偏ってましたが)
何を恥じるのです?と喝をいれられそうなほど大胆な2人はもはや清々しかったり。
理性より本能的に生きる昔の方々は己が強いですね。
吉蔵が兵隊さんとすれ違うときのうつむくシーンはとても印象的でした。

コメントする (0件)
共感した! 2件)
I am R.

4.5妖艶で魅力的な昔の日本の女性像

2021年6月5日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:映画館

悲しい

幸せ

萌える

邦画史に最も影響を与えた(と勝手に思っている)阿部定事件をテーマにした大島渚監督作。
現代を生きる自分でさえ、この事件をはじめて聞いたときにかなりの衝撃を受けた覚えがある。
少し阿部定事件について調べてみたけれど、結構忠実に描かれている印象。

そして何より、ずっと濡れ場。
想像の何倍も絡みのシーンで、それだけ阿部定が吉蔵を愛していたんだなとわかる。
究極の愛の形。
独占欲と一言で言ってしまえばそれまでだけど、演技とはいえ2人の相思相愛っぷりが生々しくも愛おしく、ずっと観ていたいと思ってしまった。
だからこそ、普通だったら理解しにくいプレイも納得してしまう。
ただ、理解できないところもあった。
大島映画はまだ2本目ですが、しっかり人物相関をわかりやすく描いたうえで多くは語らず、解釈をこちらに委ねてくるこの感じ、嫌いじゃないです。
特に結婚式?の場面はかなりカオス。
昔はあんなに公開SEXが普通だったのか?
普通なら修羅場と化すような状況でもヤり続ける。
定さんきっつぁん流石です。

これはアートか?エロスか?
アートであり、エロスでしょう。
エロスこそアート。
こんなに芸術的な官能を今のところ見たことない。
ただ、そういう話の前に今だったら児ポでアウトですね。

最初は「これ、公共の場で観ても大丈夫か?」と思っていた濡れ場にも次第に慣れた。
登場する様々な爺婆の魅力を堪能し、「かたい」に関するなぞかけ的な一幕(性格・雰囲気/イチモツ)に笑い、悲しいとも幸せとも違うなんとも言えない気持ちで迎えたラスト。
これが最後の劇場公開。
映画館で観れて本当に良かった。

コメントする (0件)
共感した! 3件)
唐揚げ

3.5笑い絵 vs. 戦争

2021年6月1日
Androidアプリから投稿
鑑賞方法:映画館

笑える

怖い

幸せ

吉は限りなく優しい。話し方も笑い方も優しくて定の言うことをすべて肯定する。

小唄三味線は本当に四畳半の世界のものだとよくわかった。聞いてわかったのは端唄の奴さんと梅は咲いたかだけだったけれど。吉の口ずさむのは小唄で、上手くて色っぽい。

この映画は春画の世界だった。殆ど着物を着たまま。鏡台や風呂場の鏡、三味線、子ども、老人、年老いた女、若い女、吉みたいに美しい男、足袋を履いてたり裸足の足、色鮮やかな長襦袢、帯、覗き見、障子、徳利、衣紋かけ(衣桁)、布団、縁側、ぜんぶ春画の中の小道具で登場人物だった。春画は笑い絵で、戦に出かける時に持って行く命を守るお守りでもあり、犬死にや大量殺戮を行う戦争とは真逆だ。

1936年か、昭和11年。映画の冒頭は雪。その頃、二・二六事件があったんだ。

コメントする 5件)
共感した! 10件)
talisman

4.0藤竜也がやたらとカッコいい

2021年5月26日
Androidアプリから投稿
鑑賞方法:映画館

愛のコリーダというと映画というよりクインシー・ジョーンズの曲の方を思い浮かべてしまう。映画の方は無修正で本番している映画ということで有名だったが、観る機会がなかったので今回が初鑑賞。無修正よりも阿部定事件を扱っていることに興味が湧いた。
でも実際に観てみると局部をきちんと見せている(ボカシが入っていたが)シーンが思った以上に多くて驚いた。しかもセックスの描写がやはりリアルだったことも衝撃を受けた。AVで見るセックスとは違うリアルさ。それは男の性欲のための見せるシーンではなく、ちゃんと情愛を絡めた演技の力なんだろう。狭いところでのカラミ、口の中に出した後垂らして見せる、首締め、今のAVでも使われている手法があって、もしかしたら最初はこの映画から発展していったのかなと想像したりした。
かなり昔の映画なので古臭いかなと思っていたが、違和感はあまりなかった。男女の情念、執着、屈折した性欲が描かれていて圧倒されてしまった。本妻とはセックスするな!って言っておいて、女中や芸者や通りすがりの女には、あんたこの女とやったら?みたいなことを言う。ものすごい感覚。おちんちんを切り取ったからこそ歴史に残ってしまったこの事件。映画で観てもその特異性が損なわれない。
ちなみに調べたらクインシー・ジョーンズの曲はカバーで、タイトルはこの映画からとったんだとか。そりゃ日本語で「アイノコリーダ」って歌ってるんだからそうだよな。てっきり「アイムコリーダ」って歌っているのを邦題で「愛のコリーダ」ってつけたのかと思っていた。映画愛のコリーダの威力スゲーな!

コメントする (0件)
共感した! 4件)
kenshuchu

4.0いまさらですが、松田英子と藤竜也が凄すぎ

2021年5月24日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:映画館

昭和11年、東京の料亭、吉田屋で、主人の吉蔵と仲居の阿部定が出逢い、惹かれあい、昼夜を問わず体を求めあうようになる。二人の愛はエスカレートしていき、お互いの首を絞めて快感を味わうなど、危険なプレイを続けていくようになる。定は妻子ある吉蔵の愛を独占したいと願うようになり、吉蔵の希望で首を絞めているうちに殺してしまった。その後、ペニスと睾丸を切り取り逃亡した、という阿部定事件を再現した話。
実際に起こった阿部定事件を20回以上の濃厚なセックス描写で映画化したもので迫力あった。
藤竜也と松田英子の激しいセックスはボカシが入っていても本番をしているのがわかるほどの映像だった。
45年経た今観てもヘタなAVよりエロい。
阿部定事件に至る経緯を描く上で疑似ではなく本当に挿入するセックスは必要不可欠な映像だったんだろうと思った。
松田英子さんの過激な演技により、永遠の代表作となったと思えるし、観賞出来た事に感激です。
大画面の劇場で観れる事もあまり無いだろうから、貴重な体験となった。

コメントする 3件)
共感した! 10件)
りあの

0.5うちの若い子たちがね、嫌がってるんですよ。お二人に見せつけられて。

2021年5月24日
Androidアプリから投稿
鑑賞方法:映画館

単なる依存症。チ○ポ自慢の旦那と、性欲の権化の下女が堕ちていくだけのどうでもいい話。好きにやってろ、と思う。情緒の欠片もなく、明けても暮れても続く性交を見せつけられてるこっちは、我慢を強いられる気分でうんざり。美術に金をかけたただのポルノ映画。失望。

コメントする (0件)
共感した! 1件)
栗太郎

4.0落ちて行く2人の濃密な時間に目が離せなくなる

2021年5月22日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:VOD

出会ってしまったら離れられない、そんな物凄い引力を見せつけられ、最後までぐいぐいと引っ張られる様に観た。
演出なのに、まるで本人達と錯覚するほどの情愛ぶりと迫真の作品だった。

コメントする (0件)
共感した! 5件)
パプリカ

4.0大島渚という映画監督

2021年5月22日
Androidアプリから投稿

まず何より藤竜也と松田英子の演技が立派。二人の身体付きも当然大事だったはずだが、藤竜也の色っぽさはもちろん、松田英子も監督の起用がよく分かる。これが胸の大きい肉感的な女優だったらずいぶん間の抜けた作品になった可能性すらあったと思う。性愛=死と隣合わせというテーマ自体は、既に描かれつくした感があるけど、時代背景を考えれば、やはり映画監督としての大島渚の気概・誠実さに敬意を表するべきだろう。「戦場のメリークリスマス」以降が同時代の自分のような人間にとって、大島渚というとどうしてもテレビの論客としてのイメージが強いのだけど、まず何より立派な映画監督だった、と記憶し直そうと思った。

コメントする (0件)
共感した! 3件)
つくねと皮以外は塩

5.0究極

2021年5月21日
Androidアプリから投稿
鑑賞方法:映画館

とにかく最初から最後までやりっぱなし

今の時代だとバカップルの一言なんだけど、これは究極のバカップル

とことんやりまくるので、途中から笑ってしまう

昭和の時代藤竜也は日本一色気のある俳優と言われ大人の女性から大層人気があり、当時子供だったので意味がわからなかったが、大人になると理解できる

松田英子は美人ではないが、女性の可愛らしさ、怖さを演じていて素晴らしい

館内殆ど女性客だったが、映画として美しいので納得

最高!!

コメントする (0件)
共感した! 1件)
うんこたれぞう

0.5芸術か猥褻かって、芸術って事じゃないと見てられない

2021年5月21日
iPhoneアプリから投稿

とは言え、正視出来ない程のグロテスク。

Netflixだったので早送りの連続。
映画館じゃ無理だった。

ましてボカシが入ってない無修正版じゃなくて良かった。
まともに人の股ぐらなんか見たくもない。

今の時代なら裁判以前の問題。
AVは知らんけど。

この時代、娯楽が他にないからか、よくまあ暇に任せてというか もう胸が悪くなった。気持ち悪い〜。

この映画は私がまだ未成年の頃 話題になり裁判にもなったわけだが、当時見てたらトラウマになった事間違いない。

いくつかの場面で子どもが出て来るのも これはもう児童虐待確定。
そう言った意味で有罪でいい。

この歳でこんな事言いたくないが、ここまでハードとは知らなかった。
完敗です。

あ〜も〜 吐きそう。
これが芸術だと言うのなら 私は芸術のわからん人間だというのはわかった。

しかし こういうものだ とわかった のが
見て良かった点。

コメントする 8件)
共感した! 4件)
asica

5.0美しくも儚い夢物語

2021年5月20日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:映画館

知的

幸せ

美術と照明と衣装が生み出す世界が美しい。俳優陣の演技もあの状況であれだけ出来るのが素晴らしい。ドアップの撮影が多く、俳優の微妙な表情による演技が秀逸。単なるハードコアポルノに終わらすことなく、男女の愛欲の果て、肉体の内側の最奥、感情の深みに横たわる情念までも大島渚は映し撮る。晩年の大島渚はほとんど映画が撮れずにテレビの御意見番となって、無念の内に鬼籍の人となってしまった。やはり、映画を撮って貰いたかった…残念至極である。

コメントする (0件)
共感した! 4件)
shanti

4.0芸術か猥褻か

2021年5月17日
PCから投稿

芸術でしょう。

好きだから一時も離れたくない、常につながっていたいというのが、これでもかもかというぐらい直球で伝わる。これを映像で残すとセックスシーンばかりなってしまったわけだが、いやらしさより深い愛ゆえの狂気しか感じない。

怖いね、苦しいね、切ないね。

コメントする (0件)
共感した! 9件)
Oyster Boy

0.5全く面白くない

2021年5月16日
スマートフォンから投稿

情緒のやり取りの描写がほとんどなく、ただただセックス のシーンが延々と続く。物凄くつまらない。これを「芸術だ」と言ってる連中は芸術の何たるかを理解してると思えないし、ポルノとしても二流の作品。ポルノ以下。
日本的な表現が多いので海外ではそこだけが評価されたのだと思う。
見るだけ時間の無駄。全くの無価値。

コメントする (0件)
共感した! 0件)
Hiroyuki

3.0役者ってすごい

2021年5月14日
Androidアプリから投稿
鑑賞方法:映画館

ごめんなさい、有り体に言って他人がしてるところを延々と見てることにかなり辟易しました。
いや、あれが全て必要な描写だということはちゃんと分かってる。分かってるんだけど、ねえ。男の人はああいうの見慣れてるかもしれないけれど。
時代は変わりましたからね。今はそういうのいくらでも見られるでしょうから衝撃度は低いかもだけど、当時大変な問題作であったことは容易に想像がつく。ただそれにしても、よくあれで演技ができるな、っていうところに感心した。感動すら覚えた。役者ってすごいなと心から思う。首絞めてるのだって、本当に絞めてるよね。紅潮していくのが見えるもの。

クライマックス、それまで散々ぼかしが入ってたのに、切り取ったものをゴロンと転がしたところは一切ぼかされてないことにちょっとびっくりした。作り物だっていうのが分かるからいいのかな。
ラストのナレーションが聞き覚えのある大島渚監督の声だったのがかえって新鮮味があった。あと小山明子さんがちらっと出演してることもちょっとびっくり。

コメントする (0件)
共感した! 5件)
よしえ

5.0【時代を超えて語りかけるもの】

2021年5月12日
iPhoneアプリから投稿

公開当初は超センセーショナルだった性描写も、今や、過激なAVの登場で過去のものになってしまったのかと思いきや、なんのなんの、やはり大島渚監督の画力は、色褪せないというか、今でも群を抜いてるなと改めて感じた。

冒頭の、料亭のあたりに雪がしんしん降りうっすら積もる場面、喜多川歌麿の肉筆画「深川の雪」を思わせる。

これは、深川の料亭の雪の降る日の芸者衆を描いたものだ。
長らく行方不明になっていて、近年発見され、修復された喜多川歌麿の傑作の一つだ。
喜多川歌麿は、美人画を描かせたら当代随一とされる浮世絵師だが、その魅力は描かれた女性の艶っぽさだ。

そして、映画「愛のコリーダ」は、その後の展開では、「春画」のような性描写の場面が続く。

大島渚監督は、この作品を撮るにあたって、映画「四畳半襖の下張」を意識したと言われているが、同名の原作は永井荷風の小説で、永井荷風が描いたとされる春本(春画集のこと)もあるのだから、春画のようだと感じるのは当たり前なのかもしれない。

因みに、「深川の雪」は箱根にある岡田美術館の所蔵で、別途、春画を展示しているコーナーもあるので、「深川の雪」の限定公開を狙って訪れるのも良いかもしれません。
歌手のあいみょんは、春画愛好家だが、今は容易に春画を集めた画集を手に入れることができるほか、研究家の本などもあるので、ご覧になってみて下さい。

そして、作品について思うのは、人間の奥底に潜む性的な結合を求めてやまない人の心は、至極当たり前のことではないのかいうことだ。

身体のフィーリングが合うのであれば尚更ではないのか。

人間の三欲を語る時、「権力欲」と「睡眠欲」、「集団欲」は選択肢になるが、「食欲」と『性欲』を外す人はいないと思う。
更に、触れ合いたいという「集団欲」は、ちょっと「性欲」にも通じるものがある気がするのは僕だけではないように思う。

確かに、この阿部定事件のようなケースや、有名なアメリカのプロゴルファーのセックス依存症のような状況は許容出来ないと思うが、趣味が合うとか、(曖昧いだが)価値観が合うとか、そういう言葉で説明できないものが、僕達の心の奥底には絶対眠っているのだ。

狂おしいほど好きな相手であれば、ずっと身体を合わせていたいと思うことだってあるはずだ。

場合によっては、落ちるところまで落ちても良いと思うことだってあるだろう。

最近の映画で言えば、「花束みたいな恋をした」では趣味などを通じて付き合った二人は別れたが、ネットフリックス作品の「彼女」や、この「愛のコリーダ」では、人は落ちるところまで落ちてしまう。

「花束みたいな恋をした」を否定して、「彼女」や「愛のコリーダ」を肯定するつもりはない。

どちらも人の揺れ動く心によるものなのだ。

海外では「愛のコリーダ」の無修正のDVDが販売されていて、男性器が見えたのは何回とか、女性器の陰部が見られるのは何回とか、実際に挿入が確認できるのは何回とか、下世話なところのが注目されることが多いように感じる。

しかし、僕達の心の奥底に潜む…というか、当たり前にあるはずの性への欲求を、改めて客観的に考えてみる機会に出来たらいいのにと思う。

それが、単純な性欲なのか、狂おしいほど好きになったが故のものなのか。

「愛のコリーダ」にしろ「彼女」にしろ、人を殺すなんて出来ませんなどと極端な結末を前提に考えるのではなく、心の奥底に潜むものを感じながら、自分自身と照らし合わせて観るのが面白い作品だと思う。

事件後、戦前も阿部定に同情が集まったというのは、これを自分自身の心の底に潜む感情として考えた人が多くいたということではないのか。

大島渚監督の、まるで日本の伝統的な浮世絵と春画を映像に蘇らせたような画力と、そこから感じ取れるエロティシズム、物語の展開は、僕達の心の奥底を照らして、問うているような気がする。

あなたは狂おしいほど人を好きになったことがありますか?…と。

コメントする 2件)
共感した! 10件)
ワンコ

3.0始まりと終わりの唐突さ。藤竜也、まさに体当たり。

2021年5月9日
iPhoneアプリから投稿

再見、劇場では初見。
露悪的でさえある性愛シーンを全編で延々見せられ、その前後は唐突な始まりと終わりという構成の歪を特殊性と評するか否か。
脱力弛緩衰弱し緩やかに絶望する男をそれでも優し気にカッコ良く演る藤竜也、まさに体当たりの巧演。
重要作ではあろう。

コメントする (0件)
共感した! 6件)
きねまっきい

4.0すごい作品!

2021年5月8日
Androidアプリから投稿
鑑賞方法:映画館

ほとんど、セックス三昧。
こんな作品を作った大島渚監督に改めて頭が下がります。
戦争中の実話ですが、ラストはしびれました。

コメントする (0件)
共感した! 3件)
かん