劇場公開日 2021年4月30日

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「精神の結合と肉体の結合は表裏一体」愛のコリーダ あき240さんの映画レビュー(感想・評価)

4.0精神の結合と肉体の結合は表裏一体

2021年6月11日
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鑑賞方法:VOD

コリーダとはスペイン語で闘牛を意味すると言います
愛の闘牛とはなんでしょう?

相手が挑発的に赤い布で興奮を煽るものだから、その気になって幾度も突進してしまう
なのにひらりひらりと身をかわされる
そうして疲れたところを剣で一衝きされてしまう

本作の内容とは違うのですが、それは確かに男女のラブゲームは闘牛に似ているのかも知れません

命のやりとりになるほどの真剣な愛
それが愛のコリーダという意味だと思います

エマニエル夫人、チャタレイ夫人の恋人、O嬢の物語、カトリーヌドヌーヴの昼顔
その系譜に連なる作品だと思います

陰部を隠さず、結合部すらも意図的にカメラに映るような構図で撮影するのは一体何故なのでしょうか?

そこにこそ疑問を持たなければならないと思います
ボカシがあるとかないとかを云々しても、それは不毛だと思います

21世紀の現代ならば、ネットでいくらでももっと露骨にその部分だけをクローズアップしたものを視れます
劣情をかき立て性欲を充足させるという目的ならば本作はとても及ぶところではありません
つまりAVポルノはマタドールの赤い布の機能だけに特化していると言うことです

本作は闘牛であるとタイトルで謳われています
赤い布に興奮して突進しても、それはひらりとかわされるのです

男女の愛
相手を求める気持ち

それは何を求めているのでしょうか?
相手の心?
相手との心がひとつになった喜び
これが本当の愛なのでしょうか?

人間も動物である以上、相手の肉体を求めるのは自然なことです
肉体の結合を伴ってはじめて愛が満ち足りるのもまた真実です
心だけの結合では人間は満足出来ないのです

では、心を伴わない肉体だけの結合は?
お互いの肉体によって快楽を相手に与え合う行為、それは愛では無いのでしょうか?

お互いの真心の優しさを相手に与え合うことと、何が異なるのでしょうか?
無論それは肉欲とか色欲といわれ、愛情とは違うとされています
ポルノはその為に純化した映像作品です

人は何故ポルノを視るのでしょうか?
それは劣情を自ら刺激して興奮するため?
確かにそうでしょう

しかし、男女の愛を充足できない
その悶々とした精神の涸渇感を満たそうとして視ているとも言えるのです
相手との心の交流だけでは満ち足りないのです
もし心を触れあわせる相手すらもいないならば、一層それを求めてしまうのは当然でしょう
せめて肉体の結合の錯覚だけでも満たそうとしているのです

甘く清い純愛物語に胸を一杯にすることと、それは表裏の関係なのだと思います

では本作は?
確かに肉体の結合ばかりを映し出しています
しかし明らかにポルノではありません
本作が目的としているところは違うからです

本作の二人が目指そうとしたのは、精神の固い結合でした
こころと肉体までが全て溶け合うまで、お互いを愛し合うこと
互いを求め合うこころの結合の吸着力が猛烈ならば、肉体の結合の力もまた猛烈になるのは当然のこと

男女の愛とは、こころと肉体は二つでひとつ
表裏一体、車の両輪なのだと思います
それ故に、このように性行為のありのままを表現しなければ、男女の愛の全景すべてを描き出しているとは言えなかったのです
愛の量が巨大ならば、肉体の結合もまた巨大にならざるを得ないのです

ここまで男女の愛の本質に迫った作品は他に無いと思います

間違いなく世界的な傑作であると思います
明らかな芸術作品です
ポルノでは決してある訳もありません

愛のコリーダ(Ai No Corrida)
今ではクインシー・ジョーンズの1981年の世界的大ヒット曲の方が有名かも知れません
この曲は本作に触発されて1980年に作られたものなので当然ながら本作では流れません
クインシーは,米国ポピュラー音楽界の超大物プロデューサー
あのマイケル・ジャクソンがスーパースターになれたのも彼のプロデュースの力が大きいと思います
そのクインシーが別人の作ったこの曲を気に入りカバーして自分のアルバムの一曲目に採用したものです
この人のアルバムに曲が採用されること、録音に呼ばれるということは、サッカーで言えばW杯の代表チームに召集されることに匹敵する程のことなのです
この曲の入っているアルバム「デュード」はジャズフュージョンの名盤100選に入る程の傑作です

クインシーらしい80年代の幕開けに相応しいゴージャスな素晴らしいサウンドの曲です
そして、その歌詞は本作のテーマを的確に伝えているものなのです
ネットで簡単に聴けますし、歌詞も和訳で読めます

本作を観終わったなら、是非この曲を聴かれてはいかがでしょうか?
それも体に感じる程の大音量で、イヤホンでなくスピーカーで
オーディオ的な快感を感じると思います
その快感は本作に通じるものだと思います

旅館にこもって、三日三晩やり続けているシーンはエヴァンゲリオン第20話を思い出させます
あのシーンは本作由来なのかも知れません

あき240