評決(1982)のレビュー・感想・評価
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弁護士としての矜持と、法律の根底にある「正義」を実現するという陪審員(素人)の役割
<映画のことば>
「あきれたね、あんたらは、皆おなじだ。医者も弁護士も『私に任せておけ』と。
しくじると、こう言う。『ベストを尽くした。許してくれ』と。
その始末を一生負わされるのは、俺たちだ。」
ゲームセンターで、ビールを飲みながらフリッパーピンボールで遊んで時間を潰し、不慮の事故で亡くなった故人の葬儀会場に押し掛けては、名刺を渡して、仕事の依頼をそれとなく勧誘するー。
おそらくは、弁護士資格を取得して開業したばかりの頃は、野心とやる気とに溢れていたことでしょう。有名弁護士事務所の「汚いやり方」に、いわば嵌(は)められてしまうまでは。
そんなこともあって、すっかり嫌気がさしてしまっていたのかも知れない。おそらくは、志を持って就いたはずの弁護士稼業に。
一方で、クライアントにしてみれば、もちろん、〈映画のことば〉の通りだろうと思います。評論子も。
ただ、医療の世界では、夢の抗菌薬・ストレプトマイシンが開発される以前の結核は、不治の病とされ、そのサナトリウム(療養所)の玄関前には「時に癒し、しばしば支え、常に慰む」と記(しる)された碑(いしぶみ)があったと聞きます。
結核が不治の病とされていた当時の医師として、患者を支え、慰めること。それができることのすべてだったのでしょう。
同じように、いかに法律家といえども、法令を適用して一刀両断に問題を解決できることは稀で、多くは自分の権利実現をめざして戦おうとするクライアントをしばしば支え、すぐには結果が出ずに、気弱に落ち込むクライアントを常に慰めているのが、偽らざるところでしょう。
「医師は、漆黒の闇夜に荒波の中を、患者と二人で、一筋の光明を求めて、小さな船で航海するようなものだ。」という現役の医師から聞いた(読んだ)言葉も、おそらくは、同旨のことを言うものなのだと思います。
冒頭の〈映画のことば〉をクライアントの夫に言われたときも、ギャルビン弁護士の胸中には、この思いが去来していたはずですけれども、片言たりとも反論せず、気持ちを胸中にだけ納めていたであろう彼の姿は、弁護士としての矜持が、まだ彼に残っていたことの証左だったと理解しました。評論子は。
そして、言葉で反論する代わりに、ギャルビン弁護士は(日本の弁護士であれば、弁護士会から懲戒処分を受けるような)「思い切った行動」に出て、事件の展開につながる決定的な資料を入手する―。
その彼の想いを思うと、秀作であったと評することができると思います。本作は。
(追記)
陪審員は、どうして、あの評決に至ったのでしょうか。
(むろん、だから本作の邦題が「評決」になっている訳ですけれども。)
陪審員は、法律の素人ではある…、否、法律の素人であるからこそ、技術的な法律論よりも、法律の根底にあるべき「正義」を真正面から見据えて、自分たちの判断のものさしをそこに求めたということなのかも知れません。
そして、それが、裁判に市民感覚を盛り込むという、陪審制度そのもののあるべき姿なのかも知れません。
そういう意味では充分に「cinema de 刑事訴訟法」、「cinema de 憲法」の要素もあった作品だったとも思います。
(追記)
作品の本筋ではないのかも知れませんけれども。裁判長のあの訴訟指揮は、絶対にヘンだなぁと思いました。評論子は。
いや、それは、評論子がアメリカ民事訴訟法に疎いが故なのかも知れませんけれども。
しかし、一般に「コピーに証拠価値がない」と言われるのは、ふつう、コピーは、真正に成立している原本の正確な複写である確証がないから。(何らかの意図的なマスキングがされている可能性が常に払拭できないから。)
しかし、本件の場合は、原本の成否・存在がが争われているわけではなく、原本が存在することを前提として、その真偽(後日・後刻の変造の有無)が争われているわけです。
そうであれば、原本が変造される前の状態のコビーは、もはやコビーではなく、変造前の原本の内容を証明する、それ自体が、言ってみれば「原本」そのものだったはずです。
そうすると、作中で引用されていた判例には抵触しないこととなりますけれども(最高裁が判決文などでよく使う言い回しを流用すれば「被告が引用の判例は、事案を異にし、本件に適切でない」ということ。)
評論子には気になってしまったのですけれども。
しかし、映画作品としての本作がおかしいとかいうつもりでは、ありません。その点、念のため。
言葉を発さないポールニューマンと、その眼
何度見てるだろう。
やはり傑作であり何本かの指に入る好きな映画。
シドニールメットの音声解説も見てるが
丁寧な演出はポールニューマンが体現してる
今回の気づき、は
音楽がまるでないこと。
淡々と静かにことは流れる、
そのことで彼らの演技のポイントが見えてくる。
ポールニューマンが言葉を発さないシーンがとても多いこと、
それに寄り添うスパイのシャーロットランプリングの妖しい美しさ。
トム・クルーズもこう年をとれるか。
傑作。
徐々に仕事の核心に迫り手応えを得る程「神妙」に成る男の物語。
人を大人を仕事を法を社会を命を一秒も舐めない名匠シドニー・ルメットの当り前の誠意に改めて恐れ入った。
この一本が誰にも撮れない不思議。
トム・クルーズ もこう年をとれるか。
タイトルなし
ポールニューマンが初老のダメ弁護士役だが次第に正義に一心に貫いていく姿はカッコイイ。シャーロットゲンプリングも若く、スパイは初めからだったのかとハッとさせられる。言おうとしていたのが何とも心苦しい。ラストの電話に出ないシーンはその後どうなったのだろうと思わせる。静かな音で派手な演出もない淡々と進む硬派な映画。
ポール・ニューマンのいぶし銀の演技を見る映画
シドニー・ルメット監督本来の正義感を真正面から主張した社会派ドラマ。ポール・ニューマンの考え尽くされた演技がいぶし銀の如く光り、一人芝居のドラマツルギー。シャーロット・ランプリングの存在感もいい。前半の地味な色彩設定が少し退屈ながら、後半はルメット演出が冴えてスリリングな法廷劇が繰り広げられる。ニューマンは、この演技で6度目のアカデミー主演男優賞にノミネートされる。ここまでくると虐めに近い。62年の「ハスラー」と68年の「暴力脱獄」のどちらかで受賞していればと思ってしまう。
正統派法廷もの作品
死亡欄ばかりチェックして弁護士の仕事を乞食のように漁っていた。楽勝だと思われていた裁判に、強力な証人が長期旅行に出かけてしまったというアクシデント。被告人サイドも判事もまともな手を使ってこない。かなりの社会派法廷モノの映画だ。
結局は病院を辞めてしまった受付をしていた看護助手がキーになる展開。どちらかというと日本の法廷ものにありがちなストーリーだった。途中で召還された黒人医師の証人やシャーロット・ランプリングの役柄がイマイチ生きてこないのが残念だ。
シャーロットランプリングがきれい
舞台はボストン
酒場でピンボールとブッカーズに溺れるワケあり弁護士
無精ひげとげっそりしたポールニューマン
最後は陪審員の正義に訴えかける最終弁論
ラストシーンがバッサリ
黒字に赤のクレジットといい音楽といいホラーの終わりかたみたいで意外
貫くひと、逃れるひと。
真実さえも言いくるめられてしまう裁判ってなんなんだろう…?
落ちぶれた弁護士が、正義を貫こうとしていて、行く手を阻まれている。ぶざまで、見ているほうも苦しくなって…。最後には、真実さえも言いくるめられそうになり、それぞれの正義に救われる。
主人公フランクが、全てを投げ出してしまいそうになると、ローラに追い詰められて励まされるシーンがあるけれど、スパイしているはずのローラの、正義のカケラだったのかな…。
正義を貫こうという人、あきらめて逃げる人。
ローラ役の、シャーロット・ランプリングが、美しかった(≧∇≦)あんな眼差しで見つめられたら、真実を述べてしまうかも。「君は美しい。」
酒場でのポール・ニューマンとの2ショット、素敵だったなあ♪憧れちゃうなあ♪
シャーロット・ランプリングの作品も、みてみたくなりました☆
重圧の中での奮闘
総合:85点
ストーリー: 90
キャスト: 85
演出: 85
ビジュアル: 70
音楽: 60
裁判ものにはずれなし、の格言に当てはまる1つ。ポール・ニューマンが駄目弁護士ぶりと、その後に復活をかけて仕事を受けて苦悩の中でしつこい努力をする姿を素晴らしく演じた。
彼は孤軍奮闘とまでは言えないが、それでもかなり不利な状況。力の強い相手に次々と打つ手を封じられ、ひたすら追い詰められる。植物状態になった患者のその家族、そして自分にもこれが最後のまともな仕事となるかもしれない。それでも依頼人とそして自分自身を救うために、大きな重圧を常に受けて潰れそうになりながら戦う姿が痛々しいくらいに迫る。最後に電話が鳴っても出る力すら残っていないほど疲れ果てているのが印象的。
ただし、最後の重要な部分は証拠として採用されなかったはずなのに、何故裁判を覆してしまったのでしょうか。いくら裁判官が証拠にはなりませんと言っても、それを見てしまった陪審員には今更そんなこと通用しないってことでしょうか。ちょっとわかりません。
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