パラダイスの夕暮れのレビュー・感想・評価
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ビンゴ場とLL教室
年配の相棒が清掃業で独立しようとニカンデルを誘ったが、彼が突然死してしまい、ニカンデルは戸惑い、酒場で暴れて留置所に送られた。そこで知り合った無職のメラルティンを職場に誘う。知り合ったスーパーの店員イロナが突然解雇され、困惑の中、手提げ金庫を盗んでしまう。唐突な展開ではあったが、それも日常の一部。女性には奥手であるニカンデルが毅然とした態度を取りながらも、朴訥な上、諦めが早いといったユニークな性格なのだ。
フィンランドにはビンゴ場なんてあるのか?その淡々として盛り上がりのない会場がとても虚しく、LL教室で英語を勉強する主人公のニカンデルが両方とも生活の一部となっているところが痺れる。
プロレタリアート三部作の第一部ということだが、最も如実に表れているのが高級レストランでの出来事。ホテルでもそうだったが、満席だからと断られるところ。イロナの新しい職場の上司とのデートでは簡単に入れたのに・・・死んだ同僚の「独立してのし上がってやる」という言葉が思い出されるところでもある。
いつまでも恋が実らないままじゃいられない。朴訥さ故のストレートな新婚旅行の誘いなんてイチかバチかの大勝負。真面目だけど奇行も見受けられる2人なだけに不安が尽きない。英語を勉強していたから、てっきりイギリスにでも行くのかと思えば、ソ連のタリンだからなぁ・・・パラダイスになるのか??
あの二人、どっちも危ねえなあ。
会話のセリフが極端に言葉少なく、主要人物がいずれも、無表情で仏頂面。
まるで、初期の北野武映画のようだが、北野映画と比して「静」の部分がず〜っと続く感じで、
逆に「動」の部分はザックリと差し引いたような映画。
感情の昂ぶりや起伏は、極力抑制され、
一見すると何を考えてるかわからない者同士の、
男女二人の付きつ離れつな恋愛物語だが、
よ〜く見てると主人公の男性は、仏頂面の中にしっかりと喜怒哀楽が滲み出ていて、
わからなそうで丸わかりな、不器用なだけのオジサンである事に気づく。
対してヒロインの女性は、男性主人公よりも愛想や愛嬌がなく、
気まぐれな一面もあり、クセ強なキャラクターで、主人公を自然と振り回している。
中年のコミュ障同士、無愛想同士、貧乏同士、似た者同士のお話で、
変わり者達がこのあとどうなるのか、興味の引きはあるから、最後まで鑑賞完走できたけれど、
変わり者であるが故に、共感性はあまりなく、
むしろ二人からは、心の内を探られる事への拒絶すら感じるので、
最後まで、他人事のストーリーのまま終わってしまった感もある。
なんで貧乏なのに、新婚旅行と称した駆け落ちする金はあったのか謎だし、
国を脱出するほど追い詰められてる印象も無かった。
だいたい、なんであんな簡単に親友が作れるのか。筋金入りのコミュ障だぞ?
また、無表情での感情の機微を表現したのは、役者が秀逸だったが、
一方で、主人公の序盤の喧嘩や、終盤の暴漢とのアクションのくだりは、
身体表現としてあまりの大根演技っぷりに見えて、
わざとらしかった。
これもまた、「静」の映画であり「動」の要素は無い、無いというよりも、全く機能していない映画に思えた。
それと、労働者階級の物語としては、ある特定の人々の、個人的なリアリティは明確に出ていたが、
社会派映画としての側面は、一般化された作品にまで昇華されたわけでもなく、
特殊なクセ者達の領域を出ることは、終始、無かった。
だとすれば、これは一体、何の映画なの。おそらく考えても何も答えは出てこない。
主人公たちのセリフから推測すれば、
「先の事なんてどうでもいい」映画なのだろうし、
「気まぐれ」な映画だし、
「いちいち理屈をこねる贅沢など無い」映画でしかないなら、
それはちょっと物足りないし、上手くいくか先行き不安だ。
良くない意味で、思想が無く、途中で死んだ同僚の爺さんの方が、
よっぽど志しがあり、思想もあり、主義もあった。
そういう意味で言えば、北野映画風に言えば、
「あの二人、どっちも危ねえなあ。」
だった。
底辺に生きる人々への光
ゴミ収集作業で働く男性、スーパーのレジ打ちの女性。 出会って親しく...
小気味いいリズムで進む希望の物語
この映画は「枯れ葉」の前編だ
映画を観終わったあと、カタルシスを得た。「救い」と言い直してもよいだろう。世界中の多くの人々が、なぜアキ・カウリスマキの映画を観るのかわかるような気がした。
登場人物の二人は、出てくる音楽や、ジュークボックスでわかるように、60年代風。しかし、SONYの最新のビデオ機器などが出てきて、80年代の中頃を背景にしていると知れる。この映画の二人が人を代えて、2020年代に浮遊したのが、「枯れ葉」ではないか。
主人公の二人、ごみ収集が仕事のニカンデル(マッティ・ペロンパー)とスーパーのレジ係イロナ(カティ・オウティネン)は、そのまま「枯れ葉」の二人、飲んだくれの金属工ホラッパ(ユッシ・バタネン)と、スーパーのレジ係をクビになるアンサ(アルマ・ポウスティ)に引き継がれる。この映画に出てきた音楽の中で、一番気になったのは「ともしび」か。ロシアの曲なのに、まるで日本の歌謡曲のようだった。
少し驚いたのは、ニカンデルの妹が精神を病んでいたこと。ニカンデルが、イロナとせっかくデートに漕ぎ着けても、用意した食事は食べてもらえずビンゴに行ったり、せっかく二人になっても話すことが何もなかったりしたことと、共通するのかも知れないと思った。ただ彼は、正式のレストランには足元を見られて入れてもらえず、バーガーを食べた時も、二人でいるだけで満足そうだった。それに比べ、イロナは奔放。
なぜ、この映画を観て、私たちは救われた気持ちになるのだろう。ニカンデルの最後の誘いに、イロナが応じたからに尽きる。ニカンデルは、心の中の思いと外に出る言葉の間に、また自分と相手との間に、とてつもない距離があるから、彼の心からの思いが相手に伝わった時の喜びは、想像に絶するものがある。たとえ、結果としてうまく行かなかったとしても。ただ、ニカンデルを演ずる俳優は、とても酒が強そうには見えなかったことが気になった。
ヘルシンキの街の片隅で・・・‼️
フィンランドの男もつらいよ
【”君はもう、独りじゃない。この世の全てを君に捧げたい”社会的弱者の男女の恋心の機微を抑制したトーンで描いた作品。】
■ごみ収集車の運転手のニカンデル(マッティ・ペロンパー)は、スーパーのレジ係の仕事をする怪我の手当てをしてくれたイロナ(カティ・オウティネン)に好意を抱く。
ニカンデルはイロナをデートに誘うが、巧く行かずギクシャクした空気が流れる。
ところが、仕事をクビになったイロナがニカンデルのもとを訪れ、彼女と一緒に暮らすことになるが、イロナはスーパーの売上金を入れた小さな金庫を腹いせに盗んでいた。
◆感想
・相変わらずの、アキ・カウリスマキ監督節、全開作である。
・無表情に近い、ごみ収集係のニカンデルとスーパーを首になったイロナとの恋を実に淡々と描いている。
・ニカンデルが、デートに失敗し、自棄になってしまい刑務所に入れられた時に出会った無職の男に、ニカンデルは、突如亡くなってしまった起業を誓った男の代わりに職を与え、男もニカンデルがデートの際にお金を借りに来ても、すんなりと貸してあげる。
<アキ・カウリスマキ監督の弱者の視点から見た、善性溢れる人間の描き方が好きである。
ニカンデルとイロナの新たなる人生の希望が、仄かに見えるラストが良い作品である。>
不器用ですから、、、
その後の作品群を思わせる作品
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