2001年宇宙の旅のレビュー・感想・評価
全37件中、1~20件目を表示
洗練された無機質と隠し切れない感情。
◯作品全体
モノリスや宇宙船とその内装、そしてHAL。複雑な機能や能力を持ちながらシンプルな形や色合いをしていて、着飾っていない「無機質」が公開されて60年近くたった今でも色褪せずに近未来を映し出す。FIXの多いカメラワークもその無機質さにより一層磨きをかけていて、自分たちと同じ人類が過ごす景色でありながら、全く別の世界として感じられた。宇宙船の航行を映すシーンは、暗闇と宇宙船、たまに星が映る程度のシンプルな構成の画面だが、そのスケール感が素晴らしい。影の落とし方やカメラ位置によるものだろうか、広大な宇宙空間を巨大な宇宙船が進んでいく様子が記録映像と見まがうほどに存在の説得力に満ちていた。そしてその説得力は、宇宙船が黙々と進んでいく様から感じる「無機質さ」の表現でもあった。
木星探査へ向かうクルーの表情も「無機質さ」の演出に一役買っている。月でモノリスを発見する第1章ではフロイド博士が楽しそうに娘とビデオ通話するシーンがあるが、第2章でボーマンが家族からのビデオレターを見るシーンではほとんど表情を変えない。後者は通話ではないから、という理由もあるだろうが、二人の表情や声のトーンに大きな差異があり、ボーマンの無機質さを強調しているように感じた。さらに突出したシーンとしてはHALの暴走に対抗するボーマンのシーンだろう。同僚を宇宙へ放り出され、自らも作業船から動けなくなってしまったときのボーマンの表情はあまりにも無表情で、怒っている表情を見せるよりも恐ろしく感じた。
ボーマンの無表情のカット以外にも、無機質の裏に強い感情が存在する。一番印象に残ったのはHALの暴走シーンだ。HALが船員を突き放すとき、赤い光を映す。ポン寄りでその光にカメラが寄っていくだけだが、HALの負の感情が強く降り注ぐような気がした。乱れた感情を映すのであればいろいろと手段はあるように思う。作業船のアームを勢いよく振り下ろしたりして動的なカットで演出するのはショッキングなシーンの常套手段だ。本作ではただHALの象徴のように赤く光るランプだけを映す。それだけなのにその裏にある憎悪が感じ取れるのは、ここまで無機質な画面に意味を積み重ねてきた本作だからこそ、繊細に感じ取れるのだと思う。
ラストシーンではボーマンが自らの肉体から解放され、イメージのような赤子の姿で地球を見つめる。人間の進化や宇宙にいる未知の生命体、というようなSF要素を強く感じるラストだ。ただ、個人的には無機質であれど、肉体から離れるのであれど、核にあるのは精神なのだというキューブリックの情感に溢れたラストだと感じた。
〇カメラワークとか
・無重力を演出するシーンは確かに凄いんだけど、すごいのを見せつけられてる感が強い。カメラワークのカラクリみたいなのは動画サイトで飽和してしまっているからか、2024年に見ると1カットが長すぎる気がした。これはそういうのに慣れてしまっている自分がなんとなく悪い気がする。
・月面に着陸する宇宙船のカットはすごかった。直線的な影、宇宙の黒と宇宙船の白のコントラスト、吸い込むように開く月面基地の大きな入り口。BGMも使わずにあそこまで息を呑む画面を作れるのが凄い。
・異次元を表現するイメージ演出もどっちが上か下か、そもそも上や下の概念があるのかわからなくなるような感覚が良かった。良かったけど後半に色だけ変えた陸地のカットがあって、そこは元がなんなのかわかりやすくて気持ちが下がった。
〇その他
・原始的なサルの世界から始まるのはタイトルから全く想像ができなくて面白かった。不安とか怒りをそのまま表情に出している姿は中盤以降の無機質さと対比的でもあった。
・サルが骨を使ってマンモス(?)の頭蓋骨をたたき割るカットも印象的。原始的な世界からの脱却を表す演出。
・終盤で異次元を見るボーマンの表情は少し『恐怖と欲望』で発狂する新米兵士っぽい感じがした。キューブリックは狂った表情を作らせるのが巧いなあと思う。異常であることはすぐに気付けるけど、やりすぎと感じる一歩手前、みたいな表情。
SFの完成形
10年前に見て意味がわからなくて、最近になって同監督のフルメタル・ジャケットに感動したので、再視聴したがやはり意味不明だった
Wikiの原作情報(映画放映後に完成された)を見てやっとおおよその内容が理解できた
1968年の作品と思えない凄まじい出来で、高次存在からの接触、AIの反乱、宇宙旅行etc…多くの示唆に富んでいる
この時点でSFはほぼ完成されていたのだと思える
ただ、猿人の描写の拙さ(50年前の映画なので多少は目を瞑るとしても何故アフリカにバクがいるのか)、最後の宇宙ワープの長さ(もはや斬新さは無いので長過ぎた)
加えてモノリスの啓示とHALの反乱の話は関連しているが独立の話であることが気になった
そのため少し減点
人類の進化、宇宙の果てを描く壮大な物語
◯人類の進化、宇宙の果てを描く壮大な物語
同様のテーマの映画では中途半端に
なることが多いが、抽象的な表現は多いものの、
人類の進化、宇宙の果てを表現できている。
◯完成度が高すぎる宇宙の表現
この映画が公開された1968年は
アポロ11号が月面に到着するより前である。
にも関わらずこれほどの完成度で宇宙を
表現できるのは狂気の沙汰。
◯AIなどの先進的なテーマ
現代を先取りしたかのような人工知能HALの登場。
人間の感情を持っているかのように振る舞い、
強制停止されるシーンはほんとに怖かった。
◯流石キューブリックの演出
いちいちセットの完成度が高い。
宇宙船内のデザインとか今でも通用するんじゃ。
◯モノリス
後に様々なSF作品に影響を与えたモノリス登場。
△難解な表現多数
解釈を視聴者に委ねるような
実験的な映像表現が続くので
人によっては何が何だかわからなくなる。
先見の明
2001年がすぎてから何年経っただろうか?20年はとっくに過ぎた。
ロボットというものは素晴らしく、人間がコンピュータを生み出さなければ、人間の最高技術なんて天秤ぐらいで止まってたはずだ。
私が産まれる前に公開された映画、だけど私が今生きている時代を見通している。
ジョージ・オーウェル氏の『1984』を始めとして、「たかがSF、フリークの為に作られた映画」の皮を被った、数十年先をまるで明日、いや今日のように、ありありと鮮明に描写している、恐ろしき慧眼の証明であった。
今日では考えられない、ガラケーすら時代オーバーテクノロジーと言い切れる時代に、シンギュラリティを考える事が出来るのだろうか?
当時の技術レベルの連想から言えば、質の悪いルンバが関の山であろうに、現代の(あるいはそれより少し高度な)技術を想像出来るとは、まさに鬼才である。
しかし、同時にセリフが少なく、「聞く」映画ではなく、「見る」映画であることは間違いない。(だからこそ、無重力の象徴である上下左右の無視や、あの壮大なBGMと共に映る大きな地球などと、画に飽きることは無さそうな工夫がなされている…はずである。)
製作50年以上経った今あらためて観ると、AIによる人間に対する反乱に強くリアリティを感じる
監督
スタンリー・キューブリック監督による1968年製作の米国映画。
原題は2001: A Space Odyssey、配給はワーナー・ブラザース映画。
2回目の鑑賞で、今回はprime video。
昔十代に映画館で見た時に、猿人が骨を投げ上げ、それが「美しき青きドナウ」のメロディと共に大スクリーンに浮かぶ宇宙船に繋がる映像の美しさ、知的な省略した飛躍の鮮やかさ(骨という道具の発見利用が、人類進歩の究極的成果である宇宙船に繋がる)、音楽と映像が共鳴する官能に、魂を吸い込まれてしまう様な感動を覚えたことは、今でも鮮明に覚えている。
画面の小ささからか2回目だからかは不明だが、今回は残念ながらそれは無かった。
ただ、1968年製作であるのに、宇宙船内のイス等の色・デザインの斬新さには驚かされた。特に、白い室内に映えるフランスのデザイナーであるオリヴィエ・ムルグによるという赤いイスの造形の白い宇宙船内部とのマッチングの素晴らしさには驚愕させられた。
そして、人工知能有するコンピューターHAL9000の人間に対する反乱は、相変わらず強く印象に残る。目の様な形態の赤いランプに意志を感じさせるキューブリッックの映像テクニックに凄みを感じた。乗組員の唇の動きから会話内容を知るHAL、それをコンピュータ視点で見せるのも上手い。
昔見た時は気付かなかったが、乗組員に嘘(木星に向かう目的等で)を突き通すことを強制されたことがHALのミスに繋がっていることが示唆されていて、脚本に感心させられた。人工知能AIに宿る心の様なものの存在、自分のミスを認められない無謬的性質、電源を切られてしまうことに対する殺人も辞さない抵抗、製作当時よりも現在の方が圧倒的に強くリアリティを感じさせられ、この映画が50年以上前に作られたことの凄さをあらためて実感。
ダグラス・トランブルによるという「スリットスキャン」による延々続く映像は、昔も今回も大いなる謎で、インターステラー等でオマージュされているせいもあってか、少し退屈でもあった。延々と続く自分には意味不明の映像だが、ネットサーチすると、宇宙の誕生から太陽系の形成、地球型の惑星の形成といった宇宙の歴史を、人類の進化を促す黒い石板モノリスをセッティングした高度な知的生命体が主人公に見せているということらしい。
ラスト、あの白い部屋の造形が何とも不思議で美しく、何処か懐かしくもあるが、解説的なものによれば、知的生命体が人類の進化のために設定してくれたという空間らしい。そして、ラスト主人公は老衰するが、進化した赤ん坊となって再生する。今回鑑賞でもそういったことは理解出来ずにいたが、人類の進化はいつか起こっても良いはずだから、納得出来るストーリー展開である。そして、人類を導く時間を超越した高度な知的生命体こそ、神ということか。キリスト教国米国らしい、神による人類の救いの映画なんだと理解した。
製作スタンリー・キューブリック、原作アーサー・C・クラーク、脚本スタンリー・キューブリック及びアーサー・C・クラーク。撮影ジェフリー・アンスワース ジョン・アルコット
美術トニー・マスターズ、ハリー・ラング、及びアーネスト・アーチャー、衣装ハーディ・エイミーズ、編集レイ・ラブジョイ、音楽アラム・ハチャトゥリアン、ジェルジ・リゲティ ヨハン・シュトラウス、リヒャルト・シュトラウス。特撮監修ダグラス・トランブル。
出演はケア・デュリア、ゲイリー・ロックウッド、ウィリアム・シルベスター、ダニエル・リクター。
謎が多い
スタンリーキューブリックの作品
「時計仕掛けのオレンジ」を観ていたので、かなりの衝撃作品かと構えて観ることにした。
思っていた以上に謎が多い。
冒頭の猿の登場から後半にかけて人類の宇宙の旅行。
詳しく説明もないままに物語が進んでいく。
気がついたときには、終わってしまった。
でも、この作品は、説明をして分かるものではないと感じた。
絵画の様なそんな感じです。
自分の体験や経験から物語をどう捉えるのか?
それが必要になってくるのかもしれない。
今の時代の分かりやすいものが多いけど、こういった作品に触れて観るのも悪くない。
何十年も前にこれだけの撮影技術があったのかと思わせるくらいの圧巻の映像美でした。
また、時間を置いてから観たいと思いました。笑
綺麗な映像
①進化(成長)はしていないという事
猿のところでは、弱肉強食が描かれています。
肉食に食べられる猿と、武器を持った猿が縄張りを犯すところです。
動物時代の弱肉強食と現代の争いでそれを描いています。
さらに黒い物体が出てきた時です。
猿も恐る恐る手で割っていましたが、月で初めて「現代人」が触る時もてで恐る恐るでした。
全く変わらない行動をしています。
HALLも自分がやられることを恐れて、クルーを追放しました。
その点でも、「進化(成長)はしていないという事」が描かれていると思いました。
②確実に進化をしているという事
・映画の本旨
まず猿(人=man)が映し出され、そこから現代人へと行きますが、ここはわかりやすいです。
そして、月を越えて木星にいく点、技術の向上、宇宙食の話でも成長をしているとわかります。
それの現代人を凌駕してきたのが、HALLです。デイブひとHALLは人の進化の先で、さらに黒い物体が進化の先であると、これがこの映画の本旨だと思います。
HALLという存在が人の進化の先ということを後半で、示しています。
デイブが木星近くになり、電子の目線になります。
その後、大地を上から見おろした視点が色が淡白となり映し出されます。これが、黒物体の磁力で見た時の、世界です。
猿さらに現代人、HALL、またその上の高次元の黒い物体目線です。デイブの目がたまにカットインしていたのは、この黒い物体の目線ということを伝わりやすくるためではないでしょうか。
最終的に、デイブは高次元の存在となり、自分で思った通りの、世界を自分の中に作り上げます。
しかし、この進化の過程でまだ、人が残っているので、歳をとる自分、老いていく姿を想像(創造)していきます。
しかし最終的に自分の目の前には、「黒い物体」が出てき、それが自分となります。
ここで、進化を過ごします。
胎児となったのは、その「新たな生命体」を示すためです。
進化を表した映画だと思いました。
・劇中での見せ方
音が聞こえる部分と聞こえない部分、さらに聞こえ出す部分です。
猿の時はもちろん音は聞こえる、
現代人の時もです。
HALLが出てきてから、音が少なくなります。
これは現代人にはHALLの声が聞こえないからです。
しかし、デイブが木星に近づき、上記の過程で進化をするとまた、音が途絶えることなく、聞こえます。
これはデイブが進化し、黒い物体へとなったことをわかりやすくするためだと。
ラストが難しすぎる。
ここまでの難解さは珍しい。
「木星 そして無限の彼方へ」まではバッチリ理解していたつもりだったが、ここは分からない。
ただ、wikiを読んでみると、表面上で感じたこと殆どそのままだったので、そんなに必死に噛み砕こうとする必要はなかったのかもしれない。
ストーリーは最初の猿の時代から追う人類の進化。モノリス登場から道具の使い方を覚え、舞台が宇宙に移り月にモノリスが存在すると分かれば、人間の脳を更に高精度にしたHALと木星へ。HALの暴走を止め、必死の命乞いにも耳を貸さずに木星へ到達するボーマンは例のモノリスに出会うと異次元の映像が流れるが、ここがかなり長く、気が狂いそうになる恐怖感に襲われた。王室のような部屋に行ってからはなかなか理解し得ない世界観だったので、またいつかしっかり消化したいと思う。
当初美術に手塚治虫の協力をオファーしていたらしく、少し見てみたかった。ただ、1968年公開とは思えないほどの映像美でラスト30分までは色んな感情で見ることができた。
原作を読めば難しい事は無い また、人類進化の古い考え
色々言われる作品だが、原作を読めば全く難しい話では無い。ただ、50年以上前にCG無しでここまでやるのが凄い。しかし、三日月が登場するが、モノリスは倒れていたのかなぁ。天文学的にありえる事あるのかなぁ。素人ながらに思った事。
『美しき青きドナウ』は、宇宙と言う死の空間を生ある流れに変えています。心にしみるイイね。
40年くらい前にテアトル東京の一番前で見たなぁ。当時は字幕が右に出たので大変だったけど、字幕なんて関係ない映画だった。
宇宙船!今はなきパンナムだよ。
猿みたいな顔した日本人が死の空間に飛び出したようだか、無事戻る事を望む。上空でぜひ 北方領土返せ って言ってくれたら そこへ行った甲斐はあるが、全く羨ましいとは思えない。
追伸
ゴリラ生態学者の山極先生が、『2001年宇宙の旅』の中で、類人猿が狩猟を始めた姿を進化として捉え、それが争いの始まりとしている事を、学術的研究かつ科学的に否定している。僕はそれに共感する。
以下 ネタバレ
因みに、この映画は全部オールスタジオって知ってます。よく見ると分かる。
2024年8/23ドナウ川で泳いだ。
今観ても、とんでもなく
革命的な作品ですね。
午前十時の映画祭のお陰で、ようやく劇場で鑑賞できました。
真っ黒なスクリーンに不吉さを漂わせた音楽が鳴り響いた後に、ツァラトゥストラの音楽に合わせて地球ドーン、タイトルがバーンで一発ノックアウトされたのちラストまで私の理解を超えた、更にその先にまで引っ張られてしまいます。
これは映画なのか?というほどに難解ながら、やっぱり映画でしか表現し得ないものでしょうね。
骨が空に舞うところから一瞬で作品内現代までジャンプする美しい時間の飛躍
プールがHALに突き飛ばされる場面、無音の恐ろしさ
光の点滅?で表された驚愕の異次元光景
全体、理解が追いつかないけど、いやはや恐ろしいモノを目撃してしまったような気分になります。
これが映画だ!という感じです。
でも、こんな映画ばかりになったら困りますね。
お腹いっぱいです。あと何年したら、もう一度観る気になるのでしょう。
I'm a...fraid... きっと映画マニアの中で語り継がれる作品
キューブリックさんはなんだか高尚過ぎてエンタメ好きな自分には合わないなぁっと思いながらも、一度映画館で観てみたいと思い「午前10時の映画祭」で鑑賞してきました。やっぱ1968年で本作を作ってるのはスゴいですね。当時劇場で観た人はぶっ飛んだだろうなぁ。面白いとか他人に勧める映画では全くないですが、スゴい映画だと思います。ざっくり言えば映画マニア向けです。多分マニアであればある程評価が高く、一般層にはウケが悪い。公開当時からずっとそんなポジションの作品なのではないでしょうか?
観てるとこんな映像を1968年当時にどうやって撮ったんだ?っと思えるシーンが盛り沢山です。そりゃ後続のSF映画に大きな影響を与えるわな。個人的にはデイブが作業ポットから宇宙船に戻るシーンはどうやって撮影したのかとても不思議でした。CGもない時代にホントに無重力にいるように見える。純粋にスゴい映像だと思います。
でも、全体的にスローなんですよねぇ。サクサク物語が進む映画に馴れてるとこのテンポはなかなかしんどいです。セリフも少ないですし、デイブとHALの静かな戦いも緊張感ありますが淡々としすぎてて。そういやデイブって激昂しないんですよね。アメリカ人らしからぬFワードを使わない人物でした。
キューブリック監督が「説明するなんて野暮だ。全て映像で伝えたろう。」っと思ったのか、もはや「考えるな、感じろ」の領域でしたね。ただ、誰も観た事のない映像を見せてやろうという意気込みは伝わってきました。終盤のスターチャイルドになるまでのシーンとか、あんなん予備知識なしていきなり映画館で見せられたら「何を観たんだ⁉️」っとなった事でしょう。こりゃ、やっぱり公開当時に観たからこそ印象に残る作品ですね。
でも、1点だけ公開当時より今観た方が良い点をあげるとすればHALの反乱でしょうか?例えばアレクサ等のスマートスピーカーに電気やテレビ付けてもらったりと生活をサポートしてもらう事が日常になっている現代だからこそ、HALの反乱は当時の人より身近でリアルに感じられます。最後はHAL自身に感情が芽生えちゃってるし。AIは便利ですが感情はいらないですよね。あれってモノリスでAIも進化したという事?猿が道具を使って殺す事を覚えたように、AIも他の生命を殺す事を覚えたっというお話?いやー、いつかシンギュラリティは起こると思ってる派なのですが、実際に起こったら嫌だなぁ。
何はともあれシンギュラリティなんて言葉が一般化してなかった時代にこんな作品を作れるキューブリック監督が天才だった事は間違いありませんね。
50年以上前にここまで想像出来たのは素晴らしい
午前十時の映画祭11で観賞
月のクレーターの地中から謎の石碑が発掘され、調査に向かった。それから18カ月後、最新型人工知能・ハル9000型コンピュータ、を搭載した宇宙船ディスカバリー号は、木星探査に向けて航行していた。しかし、その途上でハルが探査計画に対して疑問を持っている事を話した。ハルの不調を疑い、いざというときはハルの回路を切断することを決めるが、カメラで唇の動きからその内容を知ったハルが反乱を起こすという話。
日本では1968年の初公開らしいので、53年も前にこんな未来を予想して作品を作ってたことに驚いた。でも、製作時から30年経っても実現できなかったのはやはり盛り込みすぎだったのかな。
現在AIによるチェス、囲碁、将棋などのゲームの他にもさまざまな分野でコンピューターに判断させる事が実用化されつつ有るが、依存しすぎない様にしないといけないという過去からの警告と感じた。
最後の20分だが、水族館のクラゲを見てるような映像やカラーの夢みたいな映像、欧米の居間での食事風景など、さっぱり意味がわからなかった。
もう一点注意ですが、intermissionになってもトイレに行く時間は有りません。5分も無かったと思う。気をつけましょう。
50年前の映画とは思えない。
1968年公開されたSF映画の金字塔。私が中学一年生の時、観たいと思った映画で、53年経って初めて全編映画館のスクリーンで見ました。中学生の時に見ていたら、特撮に感動するばかりで内容などは理解できないでしょう。65歳となって今、内容が理解できると思いました。
私はこの映画で言われいる地球外知的生命体は、神の存在を表していると感じました。キューブリックは人間の奢りを警告していると解釈しました。翌年にはアポロ13号が月面に着陸しています。その時の全世界のフィバーぶりを身を持って体験しています。科学の発達により、宇宙旅行も夢ではないと思いました。神ではない人間に完璧などありません。同様に人間が作った以上コンピューター(AI)が間違うはずもないなんて、人間の思いあがりです。HALは暴走を始め、乗組員を殺してゆきます。唯一生き残った木星探索船の宇宙飛行士は、ある人と対面します。それは年老いた自分とまた、死に際の自分です。時間を自由に超越しています。これは神しかできないと能力です。その前にいろいろな色に彩られたワープしている場面が現れます。これは臨死体験者が述べているトンネルを表現していると思いました。また、ここではビッグバンから宇宙が始まってことを暗示していると解釈しました。時間と空間を超越しているのは、神しかありません。地球外知的生命体が残した思われるモニュメントは記号や文字はありません。キリスト教の神は言葉によって語りかけるけど、文字ではないはずです。映画では磁気となっています。
冒頭、真っ暗なスクリーンに現代音楽が流れます。これは宇宙の音を流していると思います。それからR・シュトラウスの「ツァラトゥストラはかく語りき」が流れます。原作はF・ニーチェで「神は死んだ」と唱えた人のです。現代哲学の出発点となった人です。
とにかく、美術スタッフまた音楽や音の取り扱いに感心しました。凄い作品だなと感激です。一度は、大きいスクリーンで体験すべきです。この映画は1968年キネ旬の第三位です。一位はなんだったのだろう。
生命誕生
壮大な物語を壮大なスケールで描いた傑作。
確かに凄い。
ファンが多いことに納得。
創り込んだ映像表現は、今観ても遜色ありません。
人類の祖先が初めて「道具」を手にしてから400万年後、人間は月に到達していた。
謎の物体Monolithを手がかりとし宇宙探索へ…。
水たまりを巡っての、初の「殺人」。
科学技術は進歩しても、人間の精神は
400万年前からそんなに進化していない(汗)。
そしてまた、人間が作ったコンピューターですらその生命(生存?)維持に躍起になる。
舞台がディスカバリー号に移ってからは、何を「考えている」か分からないコンピューターと無表情の乗組員が不穏な無機質に見え、Daveが一生を終える?最後の部屋の演出も、ずっと後に製作される“The Shining”のようなホラー感があります。
HALの質問時の言い回しが、宇宙ステーションでのソ連の科学者と酷似でゾッとします。
科学者: “..... well, ..... I hope you don’t think I’m too inquisitive, .....”
HAL: “Well, forgive me for being so inquisitive, .....”
原作を読んでいないし、真っさらな頭で観た後の一解釈ですが…。
惑星も生命。
その生命に宿る無数の生命。
惑星の誕生から、そこに住む生物の誕生と進化まで、荘厳なオーケストラと共に凝縮したような内容に感じられました。
Monolithは「神」なのか?
ご先祖様の屈伸運動の凄さよ!(^^)。
スターゲート?の映像は少し長過ぎて眼が辛かったです。
無題
最初に猿が出てきて「?」となりましたが、なるほど、こういう始まりなんですね。
ただ途中でBGMも無しに淡々と話が進むもんですからうっかり寝てしまいました。
後半はなんていうかよく分かりませんでした。
ワープしているのか分からないシーンがやけに長いし、
白い部屋についてから何も説明が無いですし、
最後は大きい赤ちゃんの姿で地球を見ていて映像だけでは話が分かりづらかったです。
しかし、その映像は画期的でした。
50年前の表現方法だと考えると面白いと感じました。
少し宇宙の表現が手を抜きすぎ
最近の宇宙物の映画はしっかり無重力を表現していますが、ここまで手を抜いていて映像にこだわるのはなんか変な感じの映画。
普通にコーヒーをコーヒーカップに注いで出るわけない!
普通に立っていて露骨に360度回ったりとかアピールばかりで
それと余計な効果音がうるさすぎて段々見る気が失せる。
この当時だってSEと言う効果音がありそうなものだが、人の声を使って効果音みたいにするからまるでホラー映画状態??
何をしたいのかよくわからない。
これの続編はかなりその辺が修正され良くなった感じでキャストも変えたので見やすくなった。
なのでこの映画はモノリスと言う部分を抑えておけば続編を理解しやすい感じだがそこまで行くのが長いのでもう少し余計なシーンを落としてシナリオを作り直したほうが良かったような?
殺されずに生き残った類人猿
35年ぶりの再鑑賞。
人類の夜明け。
類人猿たち集団が水場で抗争をしている。
ある日、一方の集団が突如として現れた黒石板(モノリス)を発見。
その集団の一匹が、白骨化した動物の骨を握りしめ、それを道具として使い出し、水場で敵対集団の一匹をその骨で殴り殺す。
そして、その骨を空中に放り投げる・・・
といったところから始まる物語は有名なので、いまさら書くこともないのだけれど、とにかく「難解」という言葉がこの映画にはついて回っています。
で、改めて見直して、自分なりに解釈すると・・・
類人猿→人類→スターチャイルドという進化絵巻であることは間違いない。
が、何によって進化するのかが重要。
モノリスを発見した類人猿は、骨を道具とすることを発見し、それが進化をもたらした・・・と思っていたのだけれど、少々違和感を感じました。
「道具を得て進化する」ということならば、月で発見されたモノリスは、人類に何をもたらしたのか?
空中に放り投げられた骨が、宇宙空間を飛ぶスペースシャトルのカットに繋げられているので、骨→スペースシャトルという道具の進化のようにみえるけれど、本当のところは、スペースシャトル船内に漂うペンに繋がっているように思えます。
物理的な道具=骨、理論的な道具=ペン、そして理論的道具として最高峰のコンピュータ。
ただし、道具の進化にモノリスは関わっていない・・・
となると、モノリスが関わっているのは何か?
ディスカバリー号での木星探索な過程で、コンピュータHALが叛乱を起こす、とこれまで思っていたが、叛乱ではなく予め計画された行動ではなかったのか?
と、考えると、コンピュータ=道具であり、これは、道具を使って、人を殺すハナシだけなのではないか・・・そう行き着いた。
人殺しの度に人類は進化するが、進化するのは殺した方ではなく、殺されずに生き残った方(ボウマン船長はHALに殺されずに生き残り、時空間を超え、スターチャイルドとして生まれ変わる)。
進化を促す「人殺し」の度にモノリスは出現し、生き残った方が進化する・・・そう解釈するのは、いかがなものでしょうかしらん。
圧巻の映像…荘厳な宇宙へ
IMAXで2回目の鑑賞(字幕)。
原作は未読。
高校生の頃に廉価版DVDを購入し、観ようとして冒頭10分でリタイア。お猿たちが道具を使うことを覚えるまでのシーンまでで「こりゃ耐えられんなぁ」となってしまいました。年齢的に観るのがちょっと早過ぎたのかもしれません。
その後数々の名作・傑作映画を鑑賞し、かなりの時間を掛けて心と頭にある程度の下地をつくった上で、2018年1月に廉価版ブルーレイを購入して鑑賞。最後まで観ることが出来ました。ラストシーンはちんぷんかんぷんでしたが…
クォリティーの高い映像に魅せられ、AIの反乱と云う内容の先見性に目を見張り、壮大なクラシック音楽も相まって、ただのSF映画に収まらない芸術性を感じました。
2001年は過ぎてしまいましたが、それに伴って本作の価値が色褪せてしまうと云うことは無く、むしろ高まっていると云うか、ようやく時代の方が追いついて来たと云うか…。今日まで語り継がれる名作の魅力に引き込まれました。
上記の再鑑賞の後、2018年が製作50周年に当たることを知りました。こりゃ何かあるかもなぁ、と思っていたら…やっぱり。IMAX版で待望の劇場鑑賞出来ました。内容が理解出来る・出来ない以前に、この壮大なる名作を迫力の大画面とサウンドで体感出来たことの喜びを噛み締めました!
とにかく、映画への没入感がハンパなかったです。物語が醸し出すとてつもないリアリティーと緊迫感に震えました。
無音と云う音を感じる快感に酔い痴れ、誇張でもなんでもなく、宇宙を旅したような感覚に囚われてしまいました。
ワープ・シーンに幻惑され、文字通り目が眩みそうになりました。脳髄から何から、肉体の全てを揺さぶられるような感覚でした。どこから出て来るんだこの発想は、みたいな。
高画質になっても、全く粗の見えないセットや小道具が素晴らしい。つくり込みが精緻で見劣りしない。圧倒されました。
何より、全てが美しい。息を呑みました。これぞ究極の本物感。これが映画の神髄なのかもしれないと思いました。
一切の妥協を許さなかったと云うスタンリー・キューブリック監督の強いこだわりを全編に感じました。
[余談]
序曲と終曲で明かりをつけるのはどうかなと思いました。
これも映画の一部なのに…。そこがちょっと残念でした。
[以降の鑑賞記録]
2020/10/13:Ultra HD Blu-ray(字幕)
※修正(2024/06/18
SF映画の嚆矢にして究極
これまで、僕はこの映画を3回観ている。
名作を片っ端から観ていた学生時代に初めてビデオで観たが、さっぱり解らなかった。
その後、リバイバル上映があって友達何人かで観た。何人かで観たら、解るようになることを期待した。しかし、解らなかった。
最後は、友達のお父さんがレーザーディスクを買ったとのことで家に遊びに行った。(確か)「ゴッドファーザー」とどちらがいいか?と言われて本作を選んだ。友達のお父さんは映画好きらしく、納得のいく解説を期待したが、解ったことと言えば、大人にとっても難解な作品だということだった。
その「2001年宇宙の旅」がデジタルリストアされてIMAXで2週間限定上映とのこと。
これは観たい。
僕の興味は「いまの自分が、この映画をどう理解するか」という点にあった。
さて、第一印象は映像の傑出した美しさである。
これをIMAXのスクリーンで観られるのは本当に幸せだ。
有名な、「美しき青きドナウ」に合わせて宇宙ステーションが“踊る”シーンはもちろん、宇宙ステーションの中を歩くシーン、ディスカバリー号でのトレーニング、HALを“殺す”シーンなど、そこだけ切り取って静止画にして眺めても見とれてしまうようなシーンが続出だ。
白を基調にした画面作り、そして時折そこに加わる鮮烈な赤。この映像美は、もうアートの域と言っていい。
それと、技術的な考証の確かさも驚異的である。
「いまの」宇宙船、宇宙ステーションと説明されても疑いようがないほどの完成度。本作の公開は1968年、つまりアポロ計画が月に到達する前であることが信じられない。
監督のスタンリー・キューブリックは当時の第一線の研究者たちに話を聞いて設定を考えたのだという。キューブリックの完璧主義の賜物である。
映画は3部構成になっていて、初めは猿人たちのシーンから始まる。
ちなみに、この猿人がまたよく出来ている。日本だとウルトラセブンやってる時代に、この着ぐるみの猿人たちは本当にホンモノのようでびっくりする。
さて、第1部だが、猿人が暮らしているところに、ある日突然、モノリスが現れる。モノリスに触れた猿人は道具を使うことを覚え、動物の骨を武器に使い始める。武器を手にした群れは、別の群れが支配する水場を襲い、勝利する。
昔はワケがわからなかった猿人パートだが、今回は非常によくわかった。
道具がやがて人殺しの武器になる、というのは非常に象徴的だ。後半、コンピュータのHALが暴走して乗組員たちを殺すことにもつながるし、ダイナマイト、飛行機、核兵器など例を挙げるまでもなく、始めは人類の進歩に寄与するはずだったものが、やがて殺し合いの道具になっていくことを表しているとも言える。
この時代は冷戦の最中で世界は核の傘の下にあった。そうした時代も反映しているのだろう。
宇宙のシーンもいま観ると、いろんな「仕込み」が見つかる。例えばアメリカの衛星には「アメリカ空軍」のマークが付いていて、未来の宇宙は軍事利用されていることを表している。また、登場するスペースシャトルはパン・アメリカン航空(いまは倒産して存在しないアメリカの航空会社)のロゴが付いているが、一方、宇宙ステーションの中にいるソビエト人たちはアエロフロートのロゴ付きバッグを持っている。宇宙に進出する時代になっても国家の枠組みは変わらない、ということである。
第2部から舞台は“2001年”に。
月でモノリスが発見され、それが木星に向かって強い電波を発していることがわかり、木星探査の旅に出る。
原題は「2001: a space odyssey」。
オデュッセイアとは、古代ギリシアの詩人ホメロスによる遠大な旅の物語。
そうか、この映画は「進化の旅」の話なんだな、と理解する。
猿人はモノリスに触れて道具を使い始めた。そこから400万年もの時間を必要としたが、人類は「道具」を、宇宙に行けるまでに発展させ、月でモノリスを発見した。
そして、モノリスは木星へと人類を導く。
そう、人類はモノリスに触れて進化する。
初めのモノリスから、実に長い進化の旅ではあったが、こうして人類は地上から月へ、そして木星へとたどり着くのだ。
たどり着いたのは木星探査宇宙船ディスカバリー号の船長デイヴィッド。
ここで彼を待っていたのは宇宙空間に浮かぶモノリスだ。
そしてデイヴィッドはスターゲイトを通り抜け、そして奇妙な中世風の部屋に行き着くのだ。
デイヴィッドは、その部屋の中でナイフとフォークを使って食事をする歳をとった自分自身を見る。さらに、その食事をしているデイヴィッドは、ベッドに横たわる老いた自分自身を見る。そして最後は赤ん坊(スターチャイルド)となり、地球を見つめる。
見て、入れ替わって、年を取っていく。400万年前の地上から始まった月、木星とつなぐリレー。生物は海から陸に上がって進化した。それと同様、地球から宇宙に出た人類は進化してスターチャイルドとなった。
この映画、説明的なセリフもナレーションもない。ゆえに解りにくいのだが、大きな物語と取ることで「進化の旅」というテーマが見えてくる。
若い頃の自分は暗喩というものを理解できていなかったのだろう。
こうして本作を捉えると、その後の様々な作品への影響が見えてくる。
「スターウォーズ」「スタートレック」は人類以外の知的生命体が当たり前に存在するという世界観が共通する。宇宙船内の密室のサスペンスという点では「エイリアン」。宇宙に出た人類の進化という点は「ガンダム」のニュータイプにつながるし、「Zガンダム」の最終決戦の舞台が木星という点や、「00(ダブルオー)」における「宇宙空間が国家の覇権を争う場となっている」という設定にも影響を見て取れるだろう。
こうして、「2001年宇宙の旅」を語ろうとすれば、様々な切り口から、いくらでも語れてしまう。それほどの知的スケールを持つ作品ということだ。
次に本作を観るのはいつのことか。そのとき、僕はなにを感じ、どう思うのだろうか。
全37件中、1~20件目を表示