「キューブリックは無神論者」2001年宇宙の旅 Momoくんさんの映画レビュー(感想・評価)
キューブリックは無神論者
難解な作品には、二つの原因がある。一つは監督が本当に混乱した状態で制作された作品である場合。もう一つはワザと分からなくしている場合。前者の代表がデイヴィッド・クローネンバーグの『ヴィデオドローム』。後者の代表がこの『2001年 宇宙の旅』である。ワザと分からなくしたおかげで、名作、傑作として後世に伝えられることになった。その辺りの読みは流石のキューブリックである。
難解な作品の代表としては、ルイス・ブニュエルの『黄金時代』があるが、それは宗教的あるいは文化的な比喩が大量に流れ込んでいて、我々のようにその枠外にいる人間には、直感的に伝わりにくい という事情がある。それに比べるとキューブリックは無神論者のため、こうした比喩が極めて少ないのがありがたい。その意味でこの作品は極めて論理的に作られている。
分かりにくさの原因は説明不足によるもので、それらはアーサーC.クラークが正式な解題として著した小説に全て盛り込まれている。『2001年宇宙の旅』の謎を温存するために、あえて映画の公開から遅れて出版されていたりもする。高校生の頃、この小説を読んで、これはあの哲学的で深遠な『2001年宇宙の旅』のクラーク的解釈、つまりは一つの可能性と考えたが、そうではなくこれが正式な回答。まぁ、それを認めるのに30年もかかってしまったが(苦笑) 小説を読んでしまうと、『2001年宇宙の旅』が思いの外、つまらない作品に思えてしまうので、要注意かもしれない。『2001年宇宙の旅』は分かりにくさにこそ、超時代的な普遍性があったわけだ。
宇宙の旅なので、演出は信じられないくらい間延びしていて、無音状態が結構あって、睡魔に襲われることおびただしい。鑑賞には、体調万全で望みたい。そもそもこの作品はシネラマで撮影されていて、宇宙旅行を簡易に疑似体験する という目的で作られていたりもする。この作品がストーリーはともかく、映像や美術が素晴らしい と評されるケースが散見されるが、そのために作られているのだから当たり前である。
全体のプロットはフリードリヒ・ニーチェの超人思想がベースになっていて、進化をテーマにしているが、その進化のきっかけを神と見紛うばかりの地球外超知的生命体が、たぶん単なる興味か暇つぶしにまかせて、モノリスによってもたらす。なのでテーマ曲として、進化を迎える重要なシーンでリヒャルト・シュトラウスの「ツァラトゥストラはかく語りき」が鳴り響く。ニーチェの哲学書「ツァラトゥストラはかく語りき」の中で述べられている ラクダから獅子そして幼な子への三段の変化 と呼ばれる精神的な進化のプロセスを映画の最後の辺りでは、非常にダイレクトに映像化している。ラストシーンに登場するスターチャイルドと呼ばれた幼な子は、核ミサイル衛星が飛び交う一触即発の地球に間一髪、帰還して地球の新しい支配者として、次のプロセスに人類を導くことになる。戻るのが少し遅れると、地球が猿の惑星になっている可能性もあるけど(爆笑)
それ以外に、高度に進化したAIは神経症に陥る可能性があるとか、オデッセイとは様々な試練を経て王が帰還するという物語であるとか、キューブリックの他の作品でもよく主題に据えられる小ネタもたくさん入っている。