ディア・ハンターのレビュー・感想・評価
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映画オタクがおっさんになって、25年ぶりに本作を観たよ
オレが一番よく映画を観てた時は高校生のころ。特に「ベトナム戦争」と「マフィア」ものにハマっており、友人は「バリバリ伝説」と「あぶ刑事」に対し、「プラトーン」と「アンタッチャブル」ばかり観てた。 まあ、ぶっちゃけ、オレはひねくれたガキだったわけだ。今ではまあ、いい思い出ではある。 久々に一人で会社帰りに映画に行きたい、というと、あっさりOKが出た。さて何を観に行こうか?「ファンタビ」?「来る」? このもと変態高校生が一人で映画を観るんだぜ?そんなわけないじゃん! ・ ・ ・ 「ディア・ハンター4K」 当時誰に対してなのかさっぱりわからないが、「ディア・ハンター」を見て、観終わった達成感に恍惚な表情を浮かべていたころである。だけど、それはあくまで「完走した」という達成感だけであって、正直デ・ニーロがでようが、ロシアンルーレットが恐ろしかろうが、「完走した」だけで得意になってただけである。 さて、25年後。これを劇場でまた観る機会があるのもすごいことだが、これを選択するオレは当時と変わらず変態である。 だが、観終わった印象はさすがに変わった。 意外と長く感じないのだ。特に最初の1時間30分ちかく使う結婚式と鹿狩りが意外とすっきりしている。 これは当時のオレが持っていなかった、マイケルの、ニックへの視線とリンダへの視線に注目できたからでもあり、スタンの、ブーツを貸してくれないマイケルへの「あの」一言がもちろん、その後の展開に緊迫感を与えるからだ。 もちろん、単純に「ゲイ」映画というつもりはない。(おいおい、前回の「ボヘミアン・ラプソディ」に続いてまたこのネタか、というのは本当に偶然である。)。 だが、その視点もコミで、でも財布にひっそりと忍ばしているリンダの写真を持つマイケルの心情もなんとなくわかる。 そしてベトナム。いきなり捕虜になり、いきなりのロシアン・ルーレットの展開は覚えてはいたが、サイゴンでのニックの最初に行った賭場に、先にマイケルが居たことに驚いた。こんなシーンあったんだ! だが、なぜマイケルはあそこにいたのか。そう、25年後のオレが新たに抱いた本作の最大の謎はここだった。 今ではチミノのコメンタリーなど出ているので、そのシーンについて、確認することはできるかもしれない。だがオレはこのたび、こう 解釈した。 1)ニックとの「どちらかが、あるいはどちらとも昇天するかもしれぬ、アツイ打ち合い」が忘れられなかった。 2)マイケルとニックが「戦争の傷」をどう対処したか、の分岐点としての賭場でのマイケルを便宜上登場。 1)について、もちろんマイケルに死ぬ気はない。しかし「1発」に賭ける思いは「鹿狩り」同様、マイケルの信念によるものだ。マイケルは「鹿狩り」に関しては、異常なまでの「神格性」をもって望んでおり、それを満たすのはニックとでないとできない、と序盤に語っており、そのストイックさがロシアン・ルーレットで発揮。 それは、もうイッてしまうほどの事だっただろう。 2)半分冗談、はさておき、2)については、まさしく「ロシアン・ルーレット」こそが彼ら青年の「戦争の傷」をどう癒すかの分岐点。 マイケルにとっては、「ニック(ともに過ごすこと)こそ青春」であり、ロシアン・ルーレットはある意味、それを確認するものだったが、ニックにとってみれば、「ロシアン・ルーレットで勝つことがすべて」とすり替わってしまった。 マイケルにとっては、「ニックとイクこと」が勝ちであり、ニックにとっては、「ロシアン・ルーレットでイク」ことが勝ちになってしまった。 車に乗ったニックは、マイケルが追いかけていることに気付いていなかったのだろうか。それとも。 追記 4Kについて。 正直、過去の「記憶の画質」とあまり変わらないものだったが、まあ、劇場で観れたことで良しとしよう。 追記2 みんな若い。ウォーケンはイキイキ、ピチピチしているし、ストリープも彼女の映画史上最も美しい。 しかし、デ・ニーロ。 特にデ・ニーロが「美しい」。 本作の長さを感じさせなくさせる一番の要因は間違いなくデ・ニーロの存在。 追記3 God Bless America ロシア系移民の彼らにしてみると、ベトナム戦争に行くことこそが、アメリカ人としての誇りを得るもの、アイデンティティを獲得する方法だったわけである。セリフにあるように、その地を離れたかったわけでもなく、ましては敵兵を撃ち殺しに行きたかったわけではない。 そんな彼らの歌う「アメリカ万歳」は「戦争批判」ではない。そこから考えると、マイケル・チミノは「アジア系」に差別的な作品として「イヤー・オブ・ザ・ドラゴン」も含め、言われてきたようだが、「移民」の境遇やその生活に密着した描き方をしてきただけなのが分かる。
The Strangest of the Vietnam War Movies
The Deer Hunter is unpredictable. For the first hour which is a wedding scene, I was beginning to wonder if I had been misinformed that this was a Vietnam War movie. The war act comes into play as a metaphor with the Russian roulette game. It's grim and you can see where Vietnam War movies pulled their gruesomeness cues, but The Deer Hunter lives in its own imaginative universe. Somewhat bizarre.
若い頃には受け取れなかったこと
中学生か高校生の頃、テレビで観た時の記憶をひっぱり出しながら数十年ぶりに鑑賞。 見事に、ロシアンルーレットのシーンとテーマ曲しか覚えてなかった。 若き日の自分は、この映画で語られている多くを受け取れなかったが、年を取ると、それなりに物の見方が変わることを実感できるのも、映画鑑賞の面白味の一つだよなと自分を納得させる。 まず、主人公のマイケルたちが「ロシア系アメリカ人」であったことに驚いた。 あの時期、ベトナムでの米ソの代理戦争という側面から、国内にも軍の中にも、マイケルたちを敵対民族ととらえるアメリカ国民も居ただろう。ただ、彼らの祖先がロシア革命以前に渡米して来たとすれば、事情はもっと複雑で、彼ら自身は反ソとも言える。ただし、ロシア正教会などの施設や、結婚式でのロシア民謡など、彼らの民族的なアイデンティティの発露を見た周辺のアメリカ人たちの目には、そうした事情はすっ飛ばされて映るのかもしれず…。マイケルたちは、自覚がなくとも、よりアメリカに忠誠を誓う姿を見せなければという思いに駆られて、その結果が出征に前向きなシーンにつながっているのかなと思った。 それに、彼らがついている職業は、どうみても、労働条件がよいとは言い難い製造業(鉄鋼業)やサービス業で、中々厳しい様子が伺える。アメリカは移民の国で「アメリカンドリーム」もあるのだろうが、移民全てが対等な立場にはないことが、こうした中で当たり前に描かれてもいる。今年の大統領選挙でも、移民問題が争点の一つだったが、安い労働力として非正規移民を雇う資本家と、それによって賃金を抑えられたり、仕事を失ったりするとして、トランプがターゲットにしたのは、まさに彼らのような人々の数十年後なのだろうと思った。(場所も、激戦区の一つ、ペンシルベニア州だし…) そのマイケルたちが、ラストシーンで亡くなったニックを偲んで仲間たちで歌うのは、ゴッド・ブレス・アメリカ。 あくまで自分たちはアメリカ人なんだと、自身を鼓舞するかのような痛々しさを感じつつ、そのシーンにはグッと掴まれるものがあった。 マイケル自身の性的指向についての表現も、今だから理解できる。リンダに惹かれつつも、こちらが違和感を感じるほど、積極的なアクションを起こさないマイケル。それは、単に奥手というのではなく、リンダの向こうにニックを感じていたからで、マイケルが本当に好きだったのは、ニックだったのだろうということは、中高生の頃は思いもしなかったことだ。友に「ゲイなのか?」とからかわれて、ヘソを曲げるシーンもさりげなく描かれていて、脚本のうまさにうなった。 そして、ベトナムの戦場でのエピソードを挟んで、2度出てくる鹿狩りのシーン。 高温多湿のベトナムの戦場と、冷涼で静謐な山岳地帯との対比に加え、鹿を狙い通り仕留める出征前と、仕留めずに逃す復員後の対比が味わい深い。自然と「命」や「祈り」ということを考えさせられた。 自分の記憶の中では、戦場の場面は、地獄の黙示録のイメージの方が圧倒的に強かったのだが、戦場から離れた歓楽街の様子も含めて、人の根源的な欲望や狂気という点では、こちらの作品の方がよりリアルに思えた。 長いし、重いし、何度でも繰り返し観たいという映画ではないけれど、また時間をおいて観た時の自分の感想が気になる作品。
移民の子孫であることの悲哀と戦争の酷(むご)さ
<映画のことば> 「帰れるかな。」 「ベトナムから?」 「分かるか。俺たちのすべては、この町にあるんだ。」 「このとんでもない(fucking)町が好きだ。」 「俺に万一のことがあったら、必ずここへ連れ帰ってくれないか。約束してくれ。 頼む、これだけは約束してくれ。」 「了解だ。」 戦役でベトナムに赴くニック、マイケル、スティーヴン。 そのスティーヴンの結婚式の様子からすると、彼らはロシア系移民の二世、三世のアメリカ人と言ったところでしょうか。 本作の舞台となっているクレアトン(ペンシルバニア州)ー。 鉄は「産業のコメ」とも言われ、製鉄業は国家の基盤を支える産業なのですけれども。 その一方で、製鉄業の現場という厳しい労働環境で、技術職(技術者)ならいざ知らず、いわゆる3Kのような労務職(現場作業員)を生業としているで(ネイティブのアメリカ人ではなく)、移民が多いのかも知れません。 これからベトナムに赴こうとするスティーヴンが、アンジェラと挙げた結婚式は、玉ねぎのような尖塔が特徴的なロシア正教会の教会で…。 そして、披露宴で、新郎新婦の門出を祝う余興の踊りは、かの有名なロシア民謡のカチューシャでした。 「移民の子」であるという理由だけで、ネイティブのアメリカ人からは、陽に陰に、さぞかし、さまざまな(謂われのない)偏見や差別を受けてきたことでしょう。 同じようにイタリア移民の子だったリー・アイアコッカ氏は、フォード自動車に入社して、セールスエンジニアとして、また開発者に転じてからは、いわゆるベビーブーマー向けの新型車(ツードアクーペ)「マスタング」を開発するなど、同社の業績向上に実績を残したとのことですが、移民の子としての差別から首脳としての座を追われ、ライバル社のクライスラー社の経営に転じたと聞き及びます。 同じく移民の役柄を、これまたイタリア系の血を引くロバート・デ・ニーロが演じているというのも、とても興味深かったと思います。 外面的には平穏でも、例え国籍を得ていて法律上はアメリカ国民ではあっても、ネイティブのアメリカ国民から見れば「部外者」である外国移民としては、積極的に徴兵を志願して、ネイティブのアメリカ人に対してら、自らの愛国心・忠誠心を示す必要があったのだろうと思います。本作でのニック、マイケル、スティーヴンは。 (太平洋戦争でも、多くの日系アメリカ人がアメリカ合衆国への忠誠を示すために進んで同国側の戦闘員として従軍し、暗号の解読など、対日戦に参加したと承知しています。) まして、ベトナム戦争は、単に南北のベトナム間の戦争ではなく、共産主義勢力と資本主義勢力との代理戦争のような紛争。 ピカピカの資本主義国に住まう者として、出自が共産圏であった彼らは、余計に、アメリカ合州国への忠誠を示す必要があった(必要に迫られていた?)のだろうとも思います。 そういうマイケルたちの心中を思うと、やりきれない気持ちにもなってしまいます。 これも、戦争というものの「酷(むご)さ」「無慈悲さ」という側面なのだろうとも思います。 そして、その中でも光るのは、同郷の移民同士の厚い友情-マイケルとニックとが交わした上掲の映画のことばのとおり、残念な結果ではあったとしても、マイケルはニックとの約束を果たし切ったというべきでしょう。 最後の最後には、ニックはマイケルを認識できないほど、心が憔悴しきってしまっていたとしても。 本作は、評論子の「メリル・ストリープ路線」(彼女の出演作品を連続で観て行く)の一作品として観たものでした。 肝心の?彼女の出番こそ、そんなに多くはなかったものの、また良い作品に出会えたことの満足感のほうが、はるかに大きかったことは、言うまでもありません。 午前十時の映画祭シリーズ2のラインナップの一本としても決して見劣りのしない、秀作だったと思います。 評論子は。 (追記) 陰湿な民族差別の中でも、同じようにロシア系移民の子息たちと楽しむ鹿狩りが、彼らの唯一の娯楽で、本作の題名は、そんなところから出ているものでしょう。 趣味・娯楽でやっている鹿の猟師(ディア・ハンター)とベトナム戦争。 同じく銃器を使うことでも、こんなに天地ほどの差があるのかと思いました。 そんな感慨もあった一本でもありました。 評論子には。 (追記) 結婚式で始まり、お葬式で終わる-。 どちらも、人生では大きな節目のセレモニーとして、大きな意味を持っていることは、間違いがありません。 その「ひとつ目」で始まり、「二つ目」で終わるという本作の構成も、一篇の物語としては、優れていたと思います。 (追記) 本当に「余談の余談」なのですけれども。 (映画の評は自由ということで、ひらにご容赦下さい。) リー・アイアコッカ氏をフォード社から放逐した一派の急先鋒が、ロバート・マクナマラという人物とのことです。 お若い方ならともかく、年配の方には、聞き覚えのある名前かとも思います。 はい、そのとおり、当時の国防長官として、ベトナム参戦、戦争遂行に辣腕(?)を振るった方です。 後に、アイアコッカ氏を放逐したことは、フォード社最大の戦略的誤りと認められたと聞き及びますが、アイアコッカ氏の放逐とベトナム敗戦-。 ロバート・マクナマラ氏は、アメリカ史上の大きな二つの失敗の両方に関係した唯一の人物でもあるようです。
ワンショット
この映画はロシアンルーレットの場面が強調されているが、それだけでは無い。現在の米国のラストベルト地域の小さな町の若者達の物語だ(ロシア系移民の町だ)。前半はその街のどこか牧歌的な雰囲気や友の結婚式が延々と続く。その間に友達全員の趣味である鹿狩りに出掛ける。その時に主人公のマイケルは"ワンショット"の大事さを語る。 場面は大きく変わり、いきなり我々はベトナム戦線に放り出される。そこではベトコンが捕まえた米兵を使ってロシアンルーレットをさせ賭け事をしていた。このシーンの切り替わりの演出が見事でその対比性に驚かされる。現在の映画に比べると前半が冗長に感じるが私はそこが逆に好きだ。 マイケルの機転により仲間たちは命からがら助かるが全く無事である者は居ない。そしてその後も親友のニックは故郷に帰って来ない。マイケルは心配になり、友を連れ戻しにベトナムへ戻るのだ。そこでは変わり果ててしまった親友の姿があった…。。 そしてマイケルがハンティングに再び出掛け鹿を仕留めずに終わるのだった。 この映画には、名優のロバート・デ・ニーロ、クリストファー・ウォーケン、メリル・ストリープ等が若々しく出演している名作です。ちょっと長い映画ですが素晴らしい映画ですので是非ご覧下さい。(出来れば映画館で‼︎)私は午前10時の映画館で再度観ました。
感銘した映画です
私が中学2年生の時、映画好きの今は亡き父と観に行った『ディアハンター』。 ラストシーンでは死んだ友の葬儀の後、食卓に集まりコーヒーを配り始める、その友を偲び、皆でゴッドブレスアメリカを歌い出す。映像が一瞬ストップ、暗転し、そしてエンドロールが始まる。ロバート・デ・ニーロ、メリル・ストリープ、クリストファー・ウォーケンらの写真とともにあのテーマ曲の『カヴァティーナ』が流れる。 これまで観てきていた映画は終了した際、ひとり、ふたりと少しでも席を立つ人がいるもの、この映画のエンドロールではまったく誰一人席を立たない、話し声や服を着る等の音さえ全く聞こえてこない。 静寂なそして異様ともいえる厳かな雰囲気が劇場を包んでいた。映画から体感した衝撃と感動をきっと、私と父を含めて観客全員が共有していたようだ。 そんな映画であった。 それから3年後、リバイバルで私の街に再び観る機会が訪れた。高校2年生になっていた今度は、まだ観ていない友人らに観に行くことをつよく勧めた。 翌日の教室では『ディアハンター』のことで授業を受けていることを忘れて語り合った。 やはり、観にいった友人が曰く、映画が終わった後は感動して脱力感いっぱいで不思議な気分だったと話していた。 それから10年後、銀座で好きな女性とまたディアハンターを観る機会に恵まれた。共感しあえた。そして私たちの結婚式の入場の曲は『ディアハンター』のテーマ曲『カヴァティーナ』。 そして結婚して20年。単身赴任先の地「仙台」でディアハンターを再び…。この時は休日の冬の夕方、独りの部屋でDVDを借りて観た。やはり鳥肌ものであった。50に近い年齢となり、戦争、友情、恋愛、人生について自分なりの考えを少しは持てるようになっていたがこの映画であらためて自分の人生の軌跡を振り返ることが出来た。やはり私が最も感銘した映画であると実感した。 ロバート・デ・ニーロ、メリル・ストリープも若かった。私も若かった。大切な映画だ。
ディア、デ・ニーロ・・・‼️ディア、ウォーケン・・・‼️
この作品はいわばベトナム戦争の "後遺症" 映画ですね‼️ベトナム戦争を扱った映画は数多くありますけど、この作品ほど "痛み" と "悲惨さ" と "悲しみ" に満ちた作品はないと思います‼️ごく平凡な若者たちが降りかかってきた戦争という災いをどのように体験し、取り返しのつかない悲劇に見舞われる中でも、失われることのなかった友情をこれほど美しく描いた映画もないですね‼️希望と幸せに満ちた結婚式から、嵐の前の静けさを漂わせる鹿狩り、恐怖ゆえに目が離せない戦場でのロシアンルーレット、そしてラストの葬儀まで、そのすべてのシーンでみぞおちにボディーブローくらってめまいがしそうなほど、強烈に酔わされました‼️現在からは想像もつかないほど若く美しすぎるメリル・ストリープや、ジョン・サベージらの演技も素晴らしいのですが、やはり主役の二人、ロバート・デ・ニーロとクリストファー・ウォーケンですね‼️クリストファー・ウォーケンの純粋な瞳が、捕虜になったことでうつろに狂い、ロシアン・ルーレットという恐怖の遊びによってしか生きていることを実感できないゴーストへと変貌‼️そんな彼をなんとか助けたいデ・ニーロが、自分の頭に銃口をあて、「アイ・ラブ・ユー」と言って引き金を引く‼️もうこれはラブシーンです‼️美しすぎます‼️切なすぎます‼️そして物哀しいギターの旋律も印象的だなーと思ったら音楽はジョン・ウィリアムズだった‼️SWやジョーズ、インディのテーマで私たちをワクワクさせてくれたヴィルトゥオーソも素晴らしい仕事ぶりでした‼️ 追記:私の勉強不足でした‼️この作品の印象的なギターのジョン・ウィリアムズさんはまったくの別人でした‼️申し訳ありません‼️もう一人、ヒッチコック監督の「ダイヤルMを廻せ」のハバード警視役や、ビリー・ワイルダー監督のオードリーのお父さん役の俳優さんもジョン・ウィリアムズ‼️そういえば10年位前に公開された名作映画「それでも夜は明ける」の監督さんはスティーヴ・マックイーン‼️まぎらわしいですよね‼️
ロシアン・ルーレット
ずいぶん昔に途中まで見ていて、どうしてもロシアン・ルーレットの場面から先に進むことが出来なかった。 いや、二人は生きてるから(映画だし)、と言い聞かせ、なんとか今頃になって全鑑賞。 戦争で身も心も壊れてしまったクリストファー・ウォーケンの演技がやるせない。
とても面白かった
登場人物個別のキャラを超えて、アメリカ人、というものをじっくり見させてもらえた気がする。ロシア系コミュニティのアメリカ人。全編に渡って面白いのだが、特に冒頭の製鉄所から結婚パーティー終了まで、登場人物の濃密な1日を描く「第一部」とも言えるシーンが、まるで一連の長回しを見ているかのような没入感で凄かった。ベトナムに行ってからの例のシーンは、見てるだけで相当メンタル削られた。対照的に鹿狩りシーンは伸びやかな空気感で、沸騰した頭が冷えていく感じ。映像が全編に渡って異常にカッコよくて、映画館で見られて本当に良かった。あと何と言ってもメリル・ストリープがとても美しくて、デニーロもそりゃ悩ましいだろう、となった。
安易に評価できません
ベトナムはアメリカ人のアキレス腱ですが、日本人には決して理解できません。 よって安易な評価は避けるべきです。 よって映画としてだけ感想を述べると、この作品の核心は、彼らの日常的な幸福感が労働者階級における恵まれているとは言い難いささやかなものであることを前半で陰鬱に表現したうえで、後半における救いようのない戦場の不毛感につなげているところでしょう。 但し、冒頭のとおり、その表現をどうとらえるか?という点において部外者たる日本人に所感を述べる資格はありません。
戦争が人を狂気に追いやるんだなと、 戦争の恐ろしさを感じる映画だっ...
戦争が人を狂気に追いやるんだなと、 戦争の恐ろしさを感じる映画だった。 戦争がなくても、 人間関係は時間とともに変わっていくものだが、 戦争前の結婚式で、 アメリカ式に仲間で騒いで、 馬鹿やって、楽しい時間を過ごしたはずなのに、 同じ関係には戻れない悲しさを感じました。 ロシアンルーレットの緊迫感は 心拍数がかなり上がった。 しかしながら、最初の結婚式のシーンは 時間をかけすぎではなかろうか。 映画が作られた当時では、 アメリカの日常と戦場を対比させるために、 結婚式のシーンは重要だったのかもしれないが、 自分には長く感じた。 結婚式のシーンは3分の1くらいでいいと思ってしまった。 こんな感想で申し訳ない f(^ ^;)
シネラマで観たよ。
大阪のOS劇場は、70mmシネラマだった。 今でこそ、指定席は当たり前だが当時は、ここが全席指定席だ。デニーロが渋い。ロシアンルーレットのシーンが衝撃だ!ラストシーンがいいね。 マイケルチミノの2作目にして最高傑作だな。
新たな理解
何度もテレビで字幕やら吹き替えを観た記憶はあるが、映画館で3時間、腰を据えて観た記憶が無いので、「午前10時の映画祭」で観てきた。 自分の中では「地獄の黙示録」と同様の立ち位置の映画で「ベトナム戦争で心身ともに傷ついてしまったアメリカ人」と思っていたが、今回、観終わった後に、ネットを利用して、ソ連と主人公たちの関係性、ベトナム戦争とソ連を調べ、より感慨深くなった。 3時間は全然、長く無い、観て良かった。
初見の人はトラウマ注意です
なんの前情報もいれずに鑑賞。 戦争ものの映画をあまり見たことがなかったのでショックを受けました。 長崎の原爆資料館に行った後のショックに近いです。 ふらふらです。 最後はロバートデニーロ格好いいで乗り切りました。 自分が人間関係とか読めなくて残念でした。
初鑑賞
ようやく見ることが出来ました。3時間ごえの超大作だから途中で眠くなったらどうしようと思っていたが、そうならず最後まで集中して見れた。 パートが完全に三つに分かれていたのがよかったです。戦地に行く前、戦地での死闘、戦地からの帰還。順番通りだからよかった。 4K映像できれいでした。 役者達はエネルギーにあふれていて、皆素晴らしい演技でした。 監督の代表作であり、オスカーも取ったけど、次の作品が世紀の問題作で失墜し、その後の作品は個人的には好きなのですが、認知度は今一つ。 ロシアンルーレットのシーンは良く話題になっていたから知っていたけど、映画で見ると恐怖感が半端なかったです。
変わらないもの、変わってしまったもの
午前十時の映画祭にて鑑賞。 狂気と平和、喧騒と静寂の対比が象徴的で、序盤と終盤で対になっているシーンが多い。そんな中、鹿狩りのシーンの自然の美しさ・雄大さだけは変わらない。 戦時中に生きる人々の心情の変化を丁寧に描いている。
ようやく劇場にて
長いけれど、その分だけ丁寧に彼らの生活が描写される。 彼らの日常・価値観・貧しさまで。そして鹿撃ち。 ベトナムでの地獄とその後の顛末… ベトナムに行ったものと行ってないものの間には到底理解できない溝があるのだということ… 行ったものはけしてこちら側には帰って来れないのだということ… 同じくデニーロ主演のタクシードライバーと並ぶ、リアルタイムでのベトナム後遺症もの。なんといってもロシアン・ルーレットの場面の狂気は並ぶものがない… そしてクリストファー・ウォーケンの美青年ぶりよ…
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