追憶(1973)のレビュー・感想・評価
全10件を表示
自分にないものを求める二人の行きつく先。
男がアルコール依存症にもなりかねない関係性。
利他的なケイティ。
常に戦い、自己主張ばかりしているけれど、自分の利益のためではない。
大学時代は、フランコ政権によって虐げられている人の為。
結婚してからは、夫のために尽くし、
アカ狩りの際は、その犠牲者のために立ち上がる。
ちょっとした揶揄も許せなくて(誰かを傷つけることが許せなくて)、周りの雰囲気を壊してしまう。(それが、発言者を傷つけていることは気がついていない)
こだわりの強さとか、空気が読めないところは、自閉症スペクトラム障害?と言いたくなるが、愛する人のために、自分を抑えようとする。途中まではやり遂げている。
安易な生き方をするハベル。
周りとの関係を一番大事にし、ケイティにもそれを強要する。
ケイティの言い分に心では賛同しているにも関わらず。
”清教徒”と例えられるケイティ。
それでも、豊かさ・華やかさを否定しているわけでもなく、ケイティが憧れるのは、大学のスーパースター。上流階級の華やかさをまとい、常に注目を浴び、人の輪の真ん中にいるハベル。
何もかも手にして、人生を享受しているはずのハベル。
けれど、心は満たされない。
自分の才能で勝ち得たものを共有して祝杯を上げればいいのに、揶揄されそうで、一人で祝杯を挙げる神経の細やかさ。
唯一本当の意味で理解してくれるケイティに魅かれていく。自分も共感できるが、行動に移せないことを次々と成し遂げる、その姿に魅かれていく。
無い物ねだりの相補性。そんな関係性もあるさと、その恋の行方を見守って鑑賞しているが…。
常に、世の中を、彼を、良くしようと心を砕くケイティ。
自分の才能を認めてもらいたいけれど、自信が持てないハベル。
その自信を常にくすぐり続けるケイティ。それに乗るハベル。
けれど、だから、自分の才能がないと見切られたらと恐れおののくハベル。
ハベルが、元カノを訪れるのは映画の中では2回。
最初は、小説の、ケイティの講評を聞く前。
次は、アカ狩りの余波を受けて、仕事が無くなりそうな時。
ダメな自分も受け入れてくれる存在?ケイティは叱咤激励するだろうから、癒しにはならない…。
犠牲者を救うために、世の中を良くするためには、今の生活を棒に振ってもかまわないというケイティ。
世の中に(長いものに)まかれても、自分たちを守りたいハベル。
そんな繊細な心を理解できないケイティ。もし、元カノがいなかったら、ケイティの望み通りに、常に良い作品を生み出せなかったら、アルコールに頼るしかない。依存症になっていても不思議ではない。
ハベルの浮気や、堪え性のなさで、二人が破局したように見えるけれど、元々、お互い自分にないものをみて惹かれあっているが、お互いの環境は理解できていない。
録音室での別れ話。完全なるすれ違い。まったくかみ合っていない会話。聡明なハベルはそのことに気が付いており、だから別れるつもりだが、知的なはずのケイティはまったく気が付かずに、頓珍漢な話ばかり。
なのに、やり直すことになる二人。
ケイティに説得されて、断ち切れなくて、窓枠を殴るハベル。本当は自分自身を殴りたかったのだろうな。なんともすごい演出。腐れ縁というのはこういうことか。
そこからの蜜月。
そして再びの再燃・破局。
後日談。
胸がヒリヒリする。
なんという恋愛映画。
私自身の、手放せない、成就しなかった恋の思い出もくすぐり、なんともいえない気持ちになる。
ストライサンドさんの演技に、息をのむ。
初めての夜。そのドキドキ。その嘆き。
復縁を願う電話。それとは違う、ラストの立ち振る舞い。
他にも、他にも。
恋する女の、あらゆる表情が見て取れる。
その、圧巻の演技を受けるレッドフォード氏。
”安易に生きて”いる役で、長いものにまかれろ的な言動が多いから、あまり動きはない。けれど、あ、ここではこんなことするけれど、心はケイティと同じように感じているんだと見て取れる微妙な表情とか、ラストのケイティを見つめる、愛おしさと懐かしさと、でもまたやり直すことになるのかという恐れが混ざり合った微妙な表情。すごい。
他にも、ケイティ初めての夜の翌朝のたじろぎ方は笑った。
世相史的にも、へえ~の連発。
ラジオの収録風景。
USAでも、戦時中は配給で食料調達していたんだとか。日本の配給とずいぶん違うけれど。
第二次大戦前夜~戦中。ソ連の旗とUSAの旗が一緒に掲揚される風景。そうだよね、対ナチス・ムッソリーニでは、二つの国は協働していたのを再認識。
妊娠中で、ビーチバレー?男性脚本で男性監督だから?女性が指摘できなかったの?それとも、あの時代では日常的なことだったの?喫煙や飲酒と同じように。
DVDについていた解説によると、試写会で不評だった、アカ狩りにまつわるシーンをいくつか削ったとか。
そのシーンは特典映像に入っていた。もし、映画本編に取り入れるディレクターズカット版があったら、どんな印象になったのだろうか。もっと二人のすれ違いぶり、相いれなさが際立って、すっきりしたのではないかとも思う。それも見てみたかった。
同級生
大学で初めて恋心を抱いた日のこと、卒業パーティーで踊ったこと、社会人になって再会したこと、自分からアプローチしてつきあい始めたこと、相手の好みに必死に合わせて結婚にこぎつけたこと、それでも社会運動への情熱が再燃してしまったこと、子供を身籠るも相手の不実に直面し別れる決意をしたこと。
有名なテーマ曲に彩られ、過ぎ去ってみれば、全てが懐かしく愛おしい。何年も経た今、街で見つけて手を振れば相手もすぐに気づいてくれ、ハグをすれば愛情が甦る。
いわゆる「映画みたい!」という映画。
年を重ねて鑑賞して初めて、味わいが出るというか。
また、闘うヒロインの、ユダヤ系移民で貧乏な家庭の出身であることへのコンプレックスが印象的。WASP層と移民組。社会を変えられると信じる者と信じることをはなから諦めている者。この頃からアメリカ社会は分断してたといえばしてたのかも。
タイトルなし(ネタバレ)
この頃はベトナム戦争でアメリカの敗北が濃厚の時期で、反ベトナム戦争一色だったと思う。
確か、ピーター・フォンダ主演の『ふたり』と言う反ベトナム戦争の映画と二本立てで見たと記憶する、しかし、覚えていなかった。
ハリウッドテンの事は知っていたが、寧ろ、直接『ジョニーは戦場へ行った』に食いついていた。従って、この映画は歌が有名と言うだけで、評価は低かった。
でも、バーブラ・ストライサンドって素敵な人だ。歌はうまいし、彼女『ウィアザ・ワールド』にも参加している。で、You Tubeで『ウィアザ・ワールド』見ていたら『ポール・マッカートニー』も参加していてびっくりした。
美しい追憶よ 〜 君は美しい
学内でも活動家として目立っていたケイティー( バーブラ・ストライザンド )と小説家を目指す友人の多いバベル( ロバート・レッドフォード )が出逢う…。
ベッドシーンが切なく、バーブラ・ストライザンドの頬を伝う涙が美しい。
何度も流れる名曲「 The Way We Were 」が効果的に使われ、ラストシーンが秀逸。
BS松竹東急を録画にて鑑賞 (字幕)
喧嘩ばかりで疲れる
政治的思想がはっきり違う
価値観も違う
なぜこの二人が結婚したのか理解できない
喧嘩のたびに「お前ら、別れろ」と言いたくなる
古い映画はその当時の政治・経済の状況を理解してみないと分からないんだと感じた
主題歌が素晴らしい
戦前の学生時代に知り合ったバーブラ・ストライサンドとロバート・レッドフォード。色々なことがあり別れたが、戦後に二人は再開して、まだ惹かれ合う気持ちはあったが、結局すでに二人とも家庭も持っているので、元に戻ることはなかった。時間の流れと、昔の懐かしさを想う、まさに追憶という題名にふさわしい物語。バーブラ・ストライサンドの歌う主題歌が素晴らしく、ストーリーの詳細は忘れても、このメロディーはいつまでも心に残る。
なお、同じ時期に公開された「華麗なるギャツビー」にもロバート・レッドフォードは主演していて、どちらのロバート・レッドフォードが好きかと巷では話題になってた。多くの女性は「追憶」の主人公の軍服姿のほうが凛々しく、「華麗なるギャツビー」のような、当時の高級そうな最新ファッションに身を包んだ主人公より、断然かっこいいという評価だった。
大好きな映画になりました
どう考えても合わない二人。
要はケイティーが真面目でひたむきすぎて
生きることに不器用なのかも?
それでもお互いに無いものにひかれあい子供を授かるが
出産後に別れる決断をする。
それからどれくらいの歳月が流れたのだろう。
偶然の再会時、微笑みながら短い会話をする。
ラストで泣ける!
別れた後からこれまでのそれぞれの苦悩を色々想像してしまうからだ。
自分の青春時代と重ね合わせながら見てしまい
なんだかとても切ない。
若いときに観ておきたかったな。
けっこうよかった
バーブラ・ストライザンドが怒りっぽくて超苦手な感じ。一緒にいたらストレスでがんになる。ロバート・レッドフォードが何一つ欠点のない人物で、よすぎる。厄介者の隣にはナイスな人物がいると常々思っているのだがそんな感じかな。
大して面白くない話の割に引き込まれていつの間にか最後まで見てしまった。
シドニー・ポラック監督の「怒り」
思想も 育ちも違う男女が、色々ありながらも 共に暮らし、成長もした
脚本家になった(小説家でもある)夫に、的確なアドバイスの出来る優秀な妻(主張は強く、やや、うざい…)
この豊かな 満ち足りた暮らしを壊してゆくのが、「赤狩り」である
「ハリウッド・テン」は 有名だか、ほかにもヨーロッパに渡ったり 転向を余儀なくされたり、才能を潰された人物が 多々あっただろう
悲しいことに 密告者も多く、彼等は ライバル潰しにも 成功した
JJの妻(ロイス・チャイルズ)による 誘惑が発端ではあるが、ケィティとハベルの別れる遠因はこれである
育ちが良い(と、思われる)JJの妻が 夫と別れた後、元カレとはいえ、直ぐに ハベル(レッドフォード)に触手を延ばしてくる辺り、全く、油断も隙もあったものではない
(ケィティのうざさの影に隠れてしまうが、働く気がなく 次の男を探す美女も やや、不気味ではある… )
今では 誰もが認めるハベルの妻になったのに、
許せないケィティ(ストライサンド)の微妙な女心と
ガチンコな性格!
時代が正しい訳でもないのに、それによって壊れてゆく 男女の関係を描いている
ハベルもケィティも、二人で暮らした日々ほどの
充足感は、もう得ることは出来ないだろう(多分)
JJの元妻は ハベルの現在の妻になったが、彼と彼の作品に刺激を与えることは無いだろうし、ケィティの情熱は 又、政治活動に戻ってしまった
残念だが、人生ってこうなのかも
男女の愛と別れ、という物語の中に
ポラック監督の あの時代に対する、静かな「怒り」を感じる (脚本も 素晴らしい)
なお、白い軍服姿で登場する レッドフォードは 美しく、ストライサンドでなくても 思わず 触りたくなる(髪ですよ)
純愛と価値観・性格の違い
総合:75点
ストーリー: 75
キャスト: 75
演出: 75
ビジュアル: 70
音楽: 80
物語はありふれた恋愛ものである。好きだけど価値観と性格が違った。たったそれだけのこと。こんな話なんてどこにでもころがっているだろうに、せつなさの残る映画だった。
純粋でひたむき、一度こうと決めればそれに対してまっしぐらな女ケイティ。本気で好きになった人を何年会えなくても思い続ける。だけど堅物でやたらと視野が狭くて周りが見えず、自分の価値観に合わなければすぐに感情的になって攻撃的になる。これでは衝突は不可避だろうし不幸も招き悲しみと孤独に暮れることも多いだろう。
だが彼女がひたすらに貫く純粋な愛情の深さがわかる。だから後先考えずに行動する子供っぽい彼女でも、その思いはまっすぐに伝わってくる。そんな中盤までの透明感のある物語のせつなさがひしひしと響いてくる。彼女の思いと同様に透明感のあるせつない音楽がそれを助長する。
後半、大きな社会の中で生活する彼らは、自分の好きなようには生きられない。赤狩りのうねりと自分たちへの影響、何でも好き勝手にやることなど出来るわけがない。そんな現実を認められない彼女の青臭い価値観が二人を分かつ。社会で働き出せば理想を食べて生きていくわけにもいかず、純粋なままにはいられない。大人になって世俗にまみれていく男と、それでも価値観を変えられない女の、せつないけれど自然な結末だろう。それでも最後には二人の気持ちが染み入ってきた。
全10件を表示







