マン・オン・ザ・ムーンのレビュー・感想・評価
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似てる!
元々本作は知ってはいていつか見ようと思っていたところで、配信が今月末までだったのと、なんかのきっかけでアンディカフマンのWiki見たら本作が自伝だと知ったので見た。
この映画見てからアンディカフマンの顔を見たら、似すぎてて感動した。
さすがジム・キャリー!演技も素晴らしかったし、完全なコメディより感動寄りの映画が似合う。顔もかっこいいしね。
ジム・キャリーとジャック・ブラックはコメディ俳優だが、感動系の本格映画も似合う。ウィル・フェレルとかは完全なコメディが似合う笑
トニークリフトンというもう1人のコメディアンは全く面白くなくて不快なだけだったけど人気だったのかな?
アンディカフマンも炎上YouTuberの先駆けみたいな感じだった。助手みたいな人はなんでも肯定してくれて良い人だと思った。あとスカウトマンはとても良い人だった。ダニー・デビートは振り回される優しい人役でしか見たことない笑
最後は病気で若くして死んでしまうけど、それもギャグだと思われたそう。
トニークリフトンがネタをするが、助手も観客側で見ているというオチは粋でとてもよかった。
2013年、アンディの弟が実は兄は生きてると語ったらしい。これもアンディの生前のギャグなのか?
ジム・キャリーのイメージになっている。しかし、なんとなく覚えているかなぁ?
マイティ・マウス♥懐かしい。
なんとなく、覚えているって程度のコメディアンかなぁ。
まぁ、こう言ったのも芸だと思う。
最後のフィリピンの1件がこの映画の言いたい事だね。
オカルトを信じなかった私としては、プロレスもそう見ていたが、それでも、プロレスは好きだった。でも、見なかったのはプロ野球の実況とお笑い番組だなぁ。スピード感がなかった。しかも、野球は黒い霧事件とかあって、親父が見せてくれなかった。今考えると、横暴な話だけどね。だから、今でもメディアで放映されている事は、先ずはフィクションと見るクセがついてしまった。
日本人なりに観ればよいでしょう
英語ネイティブ以外の人に笑いのニュアンスがわかるはずがないので、それ以外の視点で観ればなかなか面白いです。
アマデウス同様に調子の絶頂から最後は不幸に堕ちていくゆくサマを、初めから予想させるように笑いの裏の空虚感と切なさで静かに演出しています。
キャリー選手はいつもながら舞台俳優のようなオーバーアクションですが、渾身の熱演ですね。
最後泣きそうになった。
公開当時、話題になってたのは知ってたけど観てなかった。 たまたまC...
公開当時、話題になってたのは知ってたけど観てなかった。
たまたまCSでやってたので鑑賞。
主人公のことをいうと…
まー、どうなんやろね。個人的にはあの炎上芸というか、ダマシみたいな芸は全く好きじゃない。
というか嫌い。
ドッキリとかも基本あんまり好きじゃない。
本編にもあった、おばあちゃんが心臓発作で倒れて死んだ!? でもウソでしたーん♪
みたいなのは、まったく面白いと思えない。
確かに「緊張」と「緩和」で、笑いというか安堵みたいな感情がうまれるんだろうけど、「緊張」と「緩和」は、あくまでも「創作」とわかった上での話だろう、と。
心底おばあちゃんを心配したのに…!
なんでオマエ(仕掛け人)ごときに、自分の感情をコントロール支配されないとアカンの!?
ってなる。
だから、YouTubeでよくある個人撮影のドッキリとかも全然おもしろくないし、常に「これってドッキリなのか、本当なのか」って思いながら生きていくの、シンドイやん。
ロンドンハーツで昔あった、芸人に女の子を近づけてその気にさせといて「女の子は仕掛け人です~!も~、本気になって芸人きもちわる!笑」
みたいなドッキリは、最低やと思う。
人の心を弄んではダメですよ。
だから、主人公の芸そのものについては、全く評価しません。
ただ、なんか怖いくらいの信念をもっているのは、ちょっとうらやましいけど。
で、ですね、映画です。
んー、まぁ、ジムキャリーの熱演でぜんぜん飽きずに観られますが、出来事の表をなぞるだけで「なんでこの人はこうなった」みたいな深い描写がないので、映画作品としてはつらいかな。
主人公、子供のころから青年になるまでに何があったのかなぁ。
まぁそれは、リアルタイムで彼に翻弄された人々の感じを、映画を通じて味わわせてもらってるのかもしれないが。
いや、まぁ、そういうことなんだろう。
しかしおそらく、これはかなりカットしてると思われる。
すんげーダイジェストみたいになってる。本当は倍の尺があるんと違うかな。
いまの世の中だと、Netflixでシリーズとかできたのにね。
じっくりと。
個人的には、ポール・ジアマッティが大変よかったのと、
ラスト! ラストカット! よかった!!
熱狂する観客席をカメラがドリーしていった先には…!!
こういうのを観たくて、映画みてるんだよね。
炎上芸人
ジムキャリーが大好きという理由だけで観賞。
実在の人物、アンディカウフマンの笑いは不快なやり方で今でいう炎上芸人みたいなものなんだろうけど、何が面白いのかさっぱり分からない。
別人格のトニーなんてめっちゃ不愉快なだけ。
ただただアンディの暴走を見させられてるだけな感じ。
それでも最後までそれなりに楽しめて見れたのはやはり、ジムキャリーの力量だと思う。
Netflixでこの作品の裏側を写したドキュメンタリーがあるみたいで、そっちも是非見てみたい。
不世出
今、細かすぎて伝わらないものまね、という番組があるが、アンディカウフマンというひとは、40年前にそれをやっていた人だったと思う。
ものまねの対象人物は、観客の知らない、どこかのだれか、だが、ひどい訛りの非英語圏の人物がよくつかわれた。
ピーターセラーズが演じる怪人フーマンチュー博士によく似ている。(と言って汎用な例えになりえているとは思わないが・・・)
まず、まったく笑えない小話をやって、ひとりで勝手に盛り上がる。
それは導入で「なんなんだ、こいつは」という不審にしかならないが、キャラクターをがらりと変えながら、しだいに観衆をつかんでいく。
笑いでは共感が因子になることがおおい。
たとえば、ロバート秋山や丸山礼が演じる、よくいるタイプの人物像は「あるある感」の絶妙な表出が、笑える。──わけである。
アンディカウフマンの笑いは「あるある度」をまったく意に介していない。
細かすぎて伝わらないものまね、においては、まずコメディアンが、それが「だれ」の「なに」であるのか、前口上してから、ものまねをするが、アンディカウフマンというひとは、いうなれば、予告も兆候もせずに、だれかのなにかをやるコメディアンだった。
そして「この男はなにをやっているのだろう」とか「この男はなんのことを言っているんだろう」という不可思議──ようするに「だれ」の「なに」か、まったくわからない形態模写が、おもしろいひとだった。
YouTubeに過去の動画も出回っている。
そのなかにレターマンのアンディ・カウフマンという動画があった。
デイヴィッドレターマンというアメリカの有名なトークショーホストがいて、その番組に出たときの映像だった。
くわしくはごらんになればいいが、かれはやってきて、腰をおろし、鼻を拭き取る。そこまで2分ほど。かれはひとこともしゃべっていない。が、すでに会場は爆笑だった。
コメント欄で、面白かったコメントに、
『2 min in not one word, and got more laughs than one whole Adam Sandler movie. These are facts.』
(ひとことも喋らず二分間。それでいて、かれはアダムサンドラーの映画まるまる一本よりも多くの笑いをとった。これらは事実である)
──というのがあった。
この映画は、もともと見ているだけで楽しいひとだったアンディカウフマンを、当代きってのコメディアンであるジムキャリーが完コピした──として語り草になっている。
なので、ミロスフォアマンの演出もさることながら、その模倣の完成度が、映画の面白さに直結している。
ベンハー(1959)の戦車競走シーンにおいて、それを見る観衆たち──厖大なエキストラたちにたいして、演技指導が要らなかった、というゆうめいな逸話がある。
かれらはそこで繰り広げられる戦車競走に驚嘆し、素で喝采をおくっていた──のだった。
映画のなかでジムキャリーが演じるアンディカウフマンの初舞台にも、同様のことが言える。
映画中舞台で登壇したアンディカウフマン(ジムキャリー)を見るクラブの客たちは、おそらくふつうにジムキャリーの舞台を見ている。
演技指導によって、不審がったり笑ったりしている──とは思えない。
すなわち映画は、夭逝した不世出のコメディアンの半生をかたっている、と同時に、ジムキャリーのすぐれた模倣が楽しめる二層構造を持っているのだが、ジムキャリーが、あまりにもふつうに面白いゆえに、誰かを演じている気配から解放され、二層構造が消えて、さいしゅう的には一つの哀感にみちた映画にまとまってしまう。
いちばん悲痛なのは、かれが子供のような博愛精神を持っていたことと、がんと戦い、生き延びようとしていたこと。
その純真と薄命が、映画をたんなる人物史でなく、幻想のような、まさにMan on the Moonにしていた。と思う。
実在したコメディアン、アンディ・カフマンの物語
結局彼を有名にしたのはタクシーのラトゥカだけだったのかな?カフマンのギャグのセンスは最高であるのに、結局は人に受けない芸を追及する人生がすごいですね。人を騙すことが好きなだけってドッキリカメラが好きな人だったのかも。しかし、ここまで徹底してやるとは・・・
トニークリフマンとの二重人格性も作られたものなんだろうけど、最初からメディアに挑戦状を叩きつけてるようで感心しました。金儲けにこだわらないところも魅力です。
で、この映画はコメディなのか普通の伝記ドラマなのかハッキリしません。ジム・キャリーの演技力が素晴らしいのでコメディじゃないと思った方がいいみたいです。
とてもよかった
伊集院光さんの「週末ツタヤで借りてこれを見よう」で紹介されていたので改めて見た。見たつもりだったが何もかも忘れていたので、もしかしたら初めてだったかもしれない。
主人公の相棒の作家が何よりよかった。あの無責任に面白くさえあれば全てよしとしてくれる感じが最高だ。あんな友達がもしいたら、彼が認めてくれさえすれば全てよしと感じることができて、なんでもやれていただろう。時に迷惑な存在であるだろうけど、羨ましかった。どんな時でも絶対的に引かず、常に煽ってくれる感じがいい。
伊集院さんが番組でネタが面白いとは思えなかったと言っていて、そう思うと確かにそうだった。
芸人魂
実在したコメディアンであるアンディ・カウフマンの伝記映画。子どもの頃からコメディアンに憧れていたアンディは、それが長じてバーでスカウトマンと出会いテレビに顔が出るようになる。ところが彼の奇抜過ぎる発想と過激過ぎる芸風はテレビの枠組みに収まり切らず、やりたいと思うような芸をなかなかさせて貰えない。客が求める芸と自分がやりたいと思う芸が違う時は平然と自分の思うがままに、例えば退屈過ぎる『グレート・ギャツビー』の朗読を延々とかましたり、女性相手にプロレスを行ったりと散々な(これは仕込みであることが明らかになるのだが)奇行でウケを狙いに行く。そんな彼は、ある日ガンを患っていることが分かる……これがこの映画のプロットである。
この映画を観るのは二度目だった。アンディ・カウフマンという芸人については不勉強にして知らないのだけれど、二度目に観てもやはり面白いと思わせられてしまうのはジム・キャリーの熱演が光っているからだろう。ジム・キャリーが出演している映画は不勉強にして『イエスマン "YES"は人生のパスワード』と『トゥルーマン・ショー』程度しか観ていないのだけれど、なかなかの細かい芸達者ぶりを見せていると思う。コミカルな演技も冴えているし、所々に見せる翳りもまたなかなかだ。それは認めるに吝かではない。
ただ、やはり日本ではイマイチ知られていないアンディ・カウフマンという芸人について知らないということがマイナスに働いてしまったようで、それほど前のめりになって楽しめたわけではなかった。せいぜい彼の「笑い(彼の場合は『炎上』という趣が強いのだが)」を追い求める情熱は凄まじいな、と圧倒させられてそこで終わってしまったのが惜しいところである。とにかく尖った芸風で人を圧倒させたい、という熱意にたじろいでしまったのだ。「コメディアン」という言葉を不用意に使ってしまったが彼の場合は「エンターテイナー」と言った方が良いのかもしれない。客を「笑わせる」というより「楽しませる」ことに命を注いだ男、というとニュアンスが伝わるだろうか。
やりたいことを平然と優先させ、テレビの放送禁止コードや不謹慎とされている暗黙の了解を破ってしまうところは痛快ですらある。仕事も渋々引き受けた仕事は本番であるにも関わらず(まだ「芸」で許される範疇、アンディ・カウフマンならやりかねないと許して貰えるギリギリの部分を超えて)投げ出してしまい、確実に受ける鉄板ネタ(それこそ観客が求めているものなのだが)であってもそれを不本意であると思ってしまえば捨ててしまい、先にも書いたようにボイコットするようにして退屈極まりない『グレート・ギャツビー』の朗読という(最初から最後まで読み通すのだ!)ステージを展開してみせる。アンディ・カウフマンのそういう部分に、さっきから書いていることはブレているのだけれど「芸人魂」を見るべきなのかもしれない。
……書いていることがブレっ放しなのだけれど、こういう曖昧なことしか書けないところが私の限界だと思って貰えれば有難い。ミロス・フォアマンの映画も『カッコーの巣の上で』程度しか観ていないのでこれと言ったことは語れないのだった。やはり普段からもっと映画を観ておくべきであったと後悔しきりなのだけれど、こればかりは仕方がない。とにかく言えることというのは、やっぱりこの映画はジム・キャリーの映画であるな、というこれもまた至極退屈なことでしかないのだった。人を楽しませる芸人/エンターテイナーが、最後の最後に奇蹟を信じてフィリピンに飛んだ先で「技芸」に騙されるのは皮肉が込められているのかな、ということもまた考えてしまった。
アンディ・カウフマン。これもまた繰り返しになるが現代ならこういう芸人/エンターテイナーは「炎上芸人」として扱われることだろう。それも一貫したポリシーを持ち、己の保身を顧みず(もちろんその一方でヒールを演じるプロレスラーと密約した上で身体を張ってプロレスを行うなど、周到な用意は行うわけだが)笑い/エンターテイメントに身を投じる人間として。彼の最後のステージのシーンと葬儀のシーンでは思わず、その芸風にも関わらず(いや、だからこそ、なのか)ここまで愛される人間というのもなかなか居ないな、と思わされて涙が出てしまった。かなり渋い映画なのだけれど、ジム・キャリーの芸人/エンターテイメントぶりを楽しみたい方にはお薦めしたい。
ラストのシークエンス。なかなか重い余韻を残す。突き抜けた芸人/エンターテイメント魂は、虎は死して皮を留め……という諺があるように亡くなってもなおリスペクトされ芸が生き続けるということなのだろうか、と思ってしまった。そして R.E.M, の名曲「マン・オン・ザ・ムーン」で幕を閉じられる。最初はジム・キャリーもミロス・フォアマンも知らずにこの曲が目当てで観たような映画だったのだけれど、二度目に観た今回もしんみりしてしまった。なるほど、こういう背景があってこそのあの名曲なのね、と腑に落ちたのだ。ヨーロッパでの洗練されたシニカルな笑い/エンターテイメントとも違う、型破りとしか言いようのない真正面からぶつかり合う笑い/エンターテイメントがここにあるな、と思わされた。ミロス・フォアマン、彼の映画はもっとチェックする必要があるようだ。
悪乗りしすぎ
総合55点 ( ストーリー:65点|キャスト:80点|演出:70点|ビジュアル:70点|音楽:65点 )
初めて観た時は知らなかったが、何でも実在した人の映画化だそうで、出演しているダニー・デヴィートは彼を直接知っているのだそうだ。
人を騙して馬鹿にしておちょくって、それを見てまるで子供のように大喜び。劇中の観客が呆然として引いてしまおうが、映画の視聴者が白けてしまおうが、そんなことはお構い無しで、本人も制作者もむしろそれを望んでいる。何もかも冗談にしてしまって調子に乗りすぎなんだけど、そんな風変わりな人物をジム・キャリーが演じてはまっている。フィリピンの手術は人生のしっぺ返しをされたようで物悲しい。
しかし悪乗りしすぎだと思う。とにかく騒ぎを起こせば勝ち、みたいなところにはついていけないし不快に思うこともある。だけどジム・キャリーの演技といい、視聴者を含めて徹頭徹尾人をおちょくっている姿勢といい、ある意味での凄さは感じる。
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