劇場公開日 2000年6月10日

「不世出」マン・オン・ザ・ムーン 津次郎さんの映画レビュー(感想・評価)

4.0不世出

2020年12月16日
PCから投稿

今、細かすぎて伝わらないものまね、という番組があるが、アンディカウフマンというひとは、40年前にそれをやっていた人だったと思う。

ものまねの対象人物は、観客の知らない、どこかのだれか、だが、ひどい訛りの非英語圏の人物がよくつかわれた。
ピーターセラーズが演じる怪人フーマンチュー博士によく似ている。(と言って汎用な例えになりえているとは思わないが・・・)

まず、まったく笑えない小話をやって、ひとりで勝手に盛り上がる。
それは導入で「なんなんだ、こいつは」という不審にしかならないが、キャラクターをがらりと変えながら、しだいに観衆をつかんでいく。

笑いでは共感が因子になることがおおい。
たとえば、ロバート秋山や丸山礼が演じる、よくいるタイプの人物像は「あるある感」の絶妙な表出が、笑える。──わけである。

アンディカウフマンの笑いは「あるある度」をまったく意に介していない。

細かすぎて伝わらないものまね、においては、まずコメディアンが、それが「だれ」の「なに」であるのか、前口上してから、ものまねをするが、アンディカウフマンというひとは、いうなれば、予告も兆候もせずに、だれかのなにかをやるコメディアンだった。

そして「この男はなにをやっているのだろう」とか「この男はなんのことを言っているんだろう」という不可思議──ようするに「だれ」の「なに」か、まったくわからない形態模写が、おもしろいひとだった。

YouTubeに過去の動画も出回っている。
そのなかにレターマンのアンディ・カウフマンという動画があった。
デイヴィッドレターマンというアメリカの有名なトークショーホストがいて、その番組に出たときの映像だった。
くわしくはごらんになればいいが、かれはやってきて、腰をおろし、鼻を拭き取る。そこまで2分ほど。かれはひとこともしゃべっていない。が、すでに会場は爆笑だった。

コメント欄で、面白かったコメントに、
『2 min in not one word, and got more laughs than one whole Adam Sandler movie. These are facts.』
(ひとことも喋らず二分間。それでいて、かれはアダムサンドラーの映画まるまる一本よりも多くの笑いをとった。これらは事実である)
──というのがあった。

この映画は、もともと見ているだけで楽しいひとだったアンディカウフマンを、当代きってのコメディアンであるジムキャリーが完コピした──として語り草になっている。

なので、ミロスフォアマンの演出もさることながら、その模倣の完成度が、映画の面白さに直結している。

ベンハー(1959)の戦車競走シーンにおいて、それを見る観衆たち──厖大なエキストラたちにたいして、演技指導が要らなかった、というゆうめいな逸話がある。
かれらはそこで繰り広げられる戦車競走に驚嘆し、素で喝采をおくっていた──のだった。

映画のなかでジムキャリーが演じるアンディカウフマンの初舞台にも、同様のことが言える。
映画中舞台で登壇したアンディカウフマン(ジムキャリー)を見るクラブの客たちは、おそらくふつうにジムキャリーの舞台を見ている。
演技指導によって、不審がったり笑ったりしている──とは思えない。

すなわち映画は、夭逝した不世出のコメディアンの半生をかたっている、と同時に、ジムキャリーのすぐれた模倣が楽しめる二層構造を持っているのだが、ジムキャリーが、あまりにもふつうに面白いゆえに、誰かを演じている気配から解放され、二層構造が消えて、さいしゅう的には一つの哀感にみちた映画にまとまってしまう。

いちばん悲痛なのは、かれが子供のような博愛精神を持っていたことと、がんと戦い、生き延びようとしていたこと。
その純真と薄命が、映画をたんなる人物史でなく、幻想のような、まさにMan on the Moonにしていた。と思う。

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津次郎