バベルのレビュー・感想・評価
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ありきたりなハリウッド映画を期待したら、酷評される映画
劇中の日本パートは、日本人にとって受け入れにくい性的な描写があり、賛否両論と言うより、とりわけ嫌悪感から酷評されているように思います。
確かに日本の公序良俗に照らし合わせて考えてみれば、モラルに反していることは誰にでも分かることですし、目を背けたくなる気持ちも分かります。
でも、モラルに反しているから、気分を害するからと言って、この作品を簡単に駄作だと言うには性急すぎやしませんか?
劇中の性描写は、この作品を解釈するための重要なキーだからこそ、徹底した※リアリズムで描かれる必要があったのだと思います。
※(日本社会がどうとかではなく、人の性に対する意識について)
それゆえ、日本のパートはとても重要に思えたし、物語のラストに持ってきたことにも作品を象徴する上で特別な意味があったように思います。
この作品は、スカッとした爽快感のある映画ではありませんが、緻密で精巧、随所に様々な視点を含んだ良い作品です。
演技は良くても物語が駄目
総合:50点
ストーリー: 40
キャスト: 75
演出: 75
ビジュアル: 70
音楽: 65
大勢からの評価があってそれも賛否両論ですが、私にはつまらない作品だった。モロッコ・アメリカ・メキシコだけで十分成立するのに、とはいってもアメリカ人家族やメキシコ人乳母はそれすらも十分に別々の話なのに、東京の話を織り込むためのもって行き様は随分と強引。日本編は他の話からかなり離れていて、これを入れなければならない理由はなんだろうか。こんなことにするのならば、どれか一つの話を選んでそれをとことん追求する一本の作品にすればよい。
話題の菊池凛子、スカート短すぎ。悪い意味で東京の女子高生すなわち性の対象、みたいな単純な思考の象徴になっている感じで、いきなり裸なわけのわからない行動も含めて、日本への理解とか捉え方が極端。
有名俳優じゃない出演者も含めて出演者の演技や演出はけっこういいのに、とにかく物語に納得がいかないし、何よりつまらない。他の何人かの人がレビューの中でしているように、この物語と展開に深い意味を探したり文学的な解釈をしたい人は自由にすればよいのだろう。しかし私は見終わった後に「何それ?」としか思わなかったし、この物語は私にそれ以上の意味の追及などさせようとも思わせなかった。
「違い」それが全て。
イニャリトゥとギジェルモ・アリガリの世界観が全面に出た作品。
伝えることへの難しさと渇望を根底にストーリーは進んで行くと同時に解り合えることへの希望も描かれている。
現代の歪んだ現実を広い視野で決して美化することなく描いている。
見えない危険に怯えるアメリカ人、愛に飢える少女"愛と平和"への不安と期待そんなテーマも見え隠れする。
世の中の全てを「違い」が複雑にし偏見や憎しみを生む、聖書の時代から続く永遠のテーマを描き出している。
びみょう。。
旧約聖書の中で語られている、『バベルの塔』の現代版というべきか。
塔が地球規模で行われている感じ。
意思疎通の難しさ・・・みたいなのは、タイトルから分かるけれど、それを上回るような裏切りも無い。
その名の通り、淡々とストーリーが進んで行きます。以上。
で、
私が疑問に思ったことは、
1.なぜ、日本の話を入れたんだろう?
2.菊地凛子がアカデミー賞にノミネート?!
3.ブラピである必要があったのか?
日本の話だけ、とっても無理矢理。
日本でなくても、どこの国でも良かった。
ならば、「日本でなくてはならない理由」が欲しかったな。
聾唖者というの発想は面白いとは思う。
残念ながら、私は聾唖の方と接したことが無いので、菊地凛子さんの演技が素晴らしいのかどうかは、分からないので触れません。
ですが、結構最初のあたりで、彼女のグロシーンがあって、それで気分悪くなった。
彼女の全裸シーンもあったのですが、え????という裸体。決して褒められないお体。
まぁそれが、一般的な普通の女の子を象徴していて逆に良かったのか。。。
彼女がアカデミー賞にノミネートされたのは、勿論演技を評価されてのことと同時に、このようなエログロシーンを大胆にもやったことが、少なくとも関係しているとは思うのですが。。
んーーー、私がタダ単に菊地凛子さんの外見と演技を、好きになれないだけかも。
なので、独り言として流して下さい。
あと、ブラピが役不足。
(「役不足」はよく間違えられて認識されてますが、本当の意味は『素晴らしい俳優に対して、役柄が不足している。』です。)
全然、ブラピでなくていい。
いや、むしろ、もっとしっくりはまる俳優はいたはず。
ここも残念でした。
あまり持てはやされた割には、私には微妙でしたが、賛否両論な映画なんでしょうね。
言葉の壁、思いを伝える難しさがテーマだとしたら、かなり半端な作品
アカデミー賞の話題が先行した作品だが、ここにきて「届け、心。」なんていうクサいコピーのポスターが出てきた。初期のポスターの方がセンスがいい。
内容的には、たまたま日本人が外国のガイドにライフルをプレゼントしたことがきっかけで、世界の3ヶ所で何人かの人生に影響が出たという、「届け、心。」というほど大袈裟な作品ではない。言葉の壁、思いを伝える難しさがテーマだとしたら、かなり半端な作品だ。
個人の行動が村の中だけの騒動で済んでいた昔と違い、いまや国際レベルの問題にまで発展しうる時代になったという警告にはなっている。
うーん
自ブログから抜粋で。
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うーん、正直なところ監督の伝えたいことがいまいち理解できなかった。
同時進行的にいくつかの話が進むお陰か、長いわりに観ていて飽きはしないんだけど。
時系列をあえてぐちゃぐちゃにした『21グラム』より構成自体はわかりやすいんだけど。
日本を描いた外国映画にありがちな違和感はあまり感じなかったんだけど。
ただ、その日本パートだけが全体から浮いているような気はした。
終わり方も、「え、これで終わり?!」ってな感じたし。
でも、なんとなく見応えはあるんだよな。
キリキリと胸が締め付けられるような登場人物の追い詰め方はさすが。
期待はしませんでした
期待はしていませんでしたが、それをも下まわりました。
4つの話が繫がるとのことで綺麗に収束していくかと思ったら
時間軸をずらして、考えた風、を装うだけで、
全てがピッタリ収まり最後に納得ってことではなかった。
開始1時間くらいでの不要なエログロで興味を失い
続きは観なくても良くなっていましたが、
4つの話の収まり方だけ知りたいので観ました、が苦痛でした。
バベル(聖書)の話がどうしてもしたいなら、
最低限、興味が終盤まで持続する作品にするべきで、
それができないとテーマなんか考える気にならない。
「届け、心」、伝わらない思い
07年の今頃、どんな作品を観たいたのか、
作品リストを見ていたら、この「バベル」だった。
幼い兄弟の一発の銃弾から事件は連鎖していく。
今これと同じ事が、メキシコから全世界へ連鎖しているが、
この物語はモロッコから起きた。
少年が放った銃弾は偶然、
バス旅行していたアメリカ人夫妻の、妻の肩を撃ち抜いてしまう。
そのせいで彼等の旅行は大変なものとなり、
アメリカ国内で待つ子供たちとベビーシッターは翻弄される。
ベビーシッターは地元メキシコで息子の結婚式が予定されていたのだ。
その結婚式へ、やもおえず子供たちを連れて行くと
そこでも事件が引き起こされてしまう。
さて、モロッコの事件で使われた銃の所有者は日本人。
その銃の所有者ヤスジローには聾唖の娘がいた。
彼女の元へ刑事がやってくる。
こんな,内容だったと思う。
アメリカがくしゃみをすると日本が風邪を引き
オーストラリアが肺炎になる、なんて一昔に言われたが、
中国で鳥インフルエンザが発生すれば、
メキシコで豚インフルエンザが発生し、
世界中で新型インフルエンザが発症する世の中である。
ある事象は世界を駆け巡っていくが
その受け止め方は世界中ばらばらである、
今思うとそんなことを感じさせてくれたのであろう。
う~ん、一筋縄では…。
前評判は確かに凄かった。吾輩の期待も確かに凄かった。さあ、現実はどうだったでしょうか?
『幾つものストーリーが、微妙に重なり合って1本の映画を構成している。そしてその、1つ1つのストーリーが、どれも素晴らしい』てな感じの評判を聞いておりましたし、実際に観て吾輩も各エピソードはそれぞれ充分に見応えの有るものだったと感じました。実は吾輩これまで、アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督の映画は観た事が無かった(別に嫌いな訳ではないです。ただホントに観るタイミングがなかっただけ…)のですが、この構成力には脱帽いたしました。コレを1本の映画にしてしまうってのは、素晴しいことだと思います。その力は認めますが、ただですね~。敢えて言わせてもらいますと、モロッコとメキシコのエピソードは非常に密接に絡まっているのですが、コレに対して日本のエピソードは、この映画に絶対必要な要素だったのでしょうか?誤解を受けるかもしれませんが、決して日本で繰り広げられるストーリーの出来が良くないとか思ってる訳ではありません。むしろ、非常に良く出来たストーリーだったと思います。ただ、コレを他の国(モロッコとメキシコ)で展開する物語と絡ませるのは、何となくムリからっぽい気がしておりました。そう正に“浮いてる”“異質”って感じを受けました。チョット詰め込み過ぎ…。
ただ何度も言いますが、それぞれのエピソードは秀逸です。言葉が伝わらないことで、人間は自分の思いを他人に伝えることが出来ない。また同じ国にいても、言葉を持たない者がその思いを他人に伝えるのは、並大抵のことではない。そんな人間の苦悩を、俳優陣も素晴しい演技で見せてくれます。特に吾輩は、ブラピ演じるリチャードにかなり感情移入してしまいました。彼の何ともやり切れない“哀しみ”“怒り”“不安”といった思いは、スクリーンを通してヒシヒシと伝わってきました。
ところで、アカデミー賞にノミネートされた菊池凛子さんですが、確かに手話も素晴しかったですし、ノミネートに値する演技だったとは思います。んが、“高校生”と言われると、やはりチョット違和感を感じてしまいましたね。ただこの映画に出たことで、彼女が国際的に強烈なインパクトを残したのは確かです(だってイキナリ「氷の微笑」やっちゃうんですから…)。そういう意味では、コレを機に更に世界に羽ばたいて行く足掛かりには、充分出来たと思います。後は英語力をどこまで伸ばせるか?に掛かってくると思います。何せ今回は喋ってませんから。
う~ん。。。それで?
一つの事件をきっかけに、国境を越えていろいろな人の生活に影響をおよぼすというのがストーリー。まぁ、こういったグローバルなご時世ゆえに出来た映画という感じです。世界的に高い評価を得たらしいですが、個人的には企画勝ちの映画なだけで、後世に語り継がれる映画だとは思わない。
アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ(ながっ)監督は、ラテン系なだけあって、演歌でいう「こぶし」が入りそうなくらい抒情的な語りです。でも、じめじめぶつぶつって感じで、個人的になじめず途中かなりウトウトしてました。
こういう複眼映画は、やっぱりスティーブン・ソダーバーグの「トラフィック」には及びませんね。
暁を求めし闇の暗さかな
エンディングに映し出されます言葉…。
【The brightest in the darkest night】
『最も暗い闇夜に輝く最も明るい光』
直訳するとこんなところでしょうか…?
または…、
『夜明け前こそ最も暗いのだ』
そして、
『闇は暁を求めて』
とも訳せましょうか。
先だって紹介しましたBOBBYしかり、
国家間の憎しみによる紛争、テロ…、そのえも云えぬ悲しみを乗り越えようと、
世界は暁を求めています…。
そんな映画です。
四つの言語が飛び交うメキシコ、モロッコ、日本…。
すなわち、アメリカ、アフリカ、アジアの三大陸を横断し製作された映画です。
モロッコのある村で放たれた一発の銃弾…。この一発の銃弾から、人間の抱える悲しみを個人、家族、民族、国家単位のコミュニケーションの難しさというテーマから描かれていきます。
いつものようにあまりストーリーには触れません。見て欲しいからです…。または、書くのがめんどくさいからです(……。)
さて、何故に涙があふれてくるのでしょうか?
本来持っている自分(人間)の中に潜む悲しみ…、希望…、僕の中の様々な核心を直撃したのでしょうか?
テロ、戦争、様々な争いごと…。これらは島国日本に生きている僕たちに無関係なことでなく僕たちの日常の出来事、すなわち僕たちが家族、恋人、仕事関係の人、友達などと関わり合う上で発生する、そして思い知るコミュニケーションの難しさから端を発することであると、この映画は語りかけます。
バベル公式サイトも是非参照してほしいのですが、この映画の大テーマは言語、国境、宗教の違いにより、
【心が分断されバラバラになった世界をつなぎたい】</font>
監督はこの困難なテーマを撮影中に実体験するのです。
まさに他言語が飛び交いコミュニケーションが非常に困難な中、“この映画に関わったすべての人たちの事を奥深く考えたい。そして皆で何かを胸に刻みたい。”との想いで完成させたそうです。
【本当の境界線は…、国家間、言語の違いにではなく私たちの自身の中にある】
そして映画の最後に小さく映し出される文字…、
The brightest in the darkest night。
この文章の前に二名の自分の子供たちの名前が書き綴られていました。
すなわち、冒頭に述べた暗闇の中の最も明るい輝きを放つ存在を“子供たち”であると位置付けているのです。
おらたちは悲しき現実を直視しなければいけないと思います。
今、普通の大人たち(特殊でサイコな人、凶悪な人、ジャンキーな人などではなく)が、いとも簡単に子供を殺してしまう。
僕たちももちろん含まれますが、性産業の業界がいとも簡単に“中出しまくり”なんて表現を用いてしまったりと…。
以上、おらのつぶやきでした。ご静聴ありがとうございます。
つぶやきだけでは終わらせないぞ!と誓うおらです。
話題性で見に行ってはいけません。結構難解です。
菊池凛子が、助演女優賞にノミネートされて話題になった映画。バベルとは、”バベルの塔”から来ています。旧約聖書 創世記11章には『遠い昔、言葉は一つだった。神に近づこうとした人間たちは天まで届く塔を建てようとした。神は怒り、言われた”言葉を乱し、世界をバラバラにしよう”。やがてその街は、バベルと呼ばれた。』と書かれているらしいですが、今の世界はまさにバベルでの出来事のために、人々は言葉も心も通じ合うことは無い(通じ合っていない)と言うことが、この映画が突きつけたテーマになっています。でも、それだけで『バベル』と言うタイトルになっているのでは無い気がします。今の人間は、バベルの塔を築いた頃の人間と同じように傲慢であるとも示唆しているような気もしますが、考えすぎでしょうか?
突きつけているテーマがテーマだけに、非常に難解です。モロッコ・アメリカ・メキシコ・日本の4カ国で物語りは進んでいくのですが、直接的にはそれぞれの出演者同士は全く絡みません。その意味でも、人々は通じ合っていないんですよね。まぁ、物語の発端となった銃撃に使われたライフルで人々はつながっていると言うことは可能ですが。
リチャード(ブラッド・ピット)とスーザン(ケイト・ブランシェット)が、モロッコに観光に来ていると言う設定なのですが、なぜ二人で観光に行っているのかと言うことは明らかにされません。子供をめぐって二人の間に諍いがあり、その解消のために来ていると言う示唆はあるのですが。でも、欧米の人って、ああ言うところに観光に行くんですね。
さて、菊池凛子です。聴覚しょうがい者を演じるため、手話を勉強し、聴覚しょうがい者について色々勉強したかいもあり、聴覚しょうがい者の演技は、出来ているのではないでしょうか。ただ、26歳の彼女が女子高生を演じるのは、ちょっと無理があるのではないでしょうか。日本人の目から見ると、若干の(いや、かなりの)違和感を覚えました。しかし、日本のシーンが、何故女子高生なのかと言うことには、いろいろと考えさせられました。女子高生の文化というのは、日本の若者文化の代表として欧米人の目には映っているのでしょうか? もちろん役所広司も、出演場面もせりふも少ないながら、女子高生の娘との距離感に悩む(娘と通じ合っていない)父親をうまく演じています。
サンチャゴ(ガエル・ガルシア・ベルナル)とアメリア(アドリアナ・バラッザ)の出てくるメキシコの件の結末は、まぁ、予想通りですね。アメリカでメキシコと言えば・・・と言う感じです。アメリカとメキシコも通じ合っていないんですね。
いずれにしても、「話題になったから」と言う動機で見ると、途中で寝てしまう可能性大です。ですが、物語は非常に深いです。色々と考えてみたい方は、見られてはどうでしょうか。あ、PG-12指定ですが、指定されている事には、納得です。
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