ゆれるのレビュー・感想・評価
全94件中、41~60件目を表示
西川監督作品、迫力に圧倒、脇役にも光る俳優陣
【”兄ちゃん、家に帰ろうよ・・” 西川美和監督のオリジナル脚本のレベルの高さ、映像カッティングの見事さに驚嘆した作品。】
■今更ながらであるが、下記、作品内容に触れています。
ー 恥ずかしながら、初見時の感想は”平和な日々に潜む狂気”であった。
だがその後、西川監督の諸作品を鑑賞するたびに、
”この稀有な才能を持った方は、人間の善性を信じ、映画を製作される方なのだ・・。”
という想いを持つに至った・・。ー
■感想
・序盤、且つて猛(オダギリジョー)と付き合っていた智恵子(真木よう子)が、久しぶりに二人の故郷の田舎町のガソリンスタンドで、出会うシーン。
猛の、智恵子に気付きながらも、気づかないふりをしてガソリンスタンドを後にする姿。
そのガソリンスタンドは、猛の父(伊武雅刀)が経営しており、35歳で独身の冴えない兄稔(香川照之)が働いていた・・。
- 初見時には、この時点で完全に西川監督の脚本にミスリードされていた・・。-
・そして、且つて猛や智恵子や稔たちが、父に連れられて、屡、行っていた峡谷の吊り橋のシーン。
- ここでも、西川監督は決定的なシーンを敢えて写さずに、観る側に判断を委ねる。私は、見事にミスリードされた・・。-
・稔は確かに、”鬱鬱とした感情”を抱えつつ、単調な日々を過ごしていたのだろう。且つては弟の恋人であった智恵子と共に・・。
そして、弟、猛は自分とは違い、都会で成功した写真家として、活躍していることも重々知りつつ・・。
それは、智恵子も同じであった・・。彼女の部屋に置かれた猛の写真集。
”何で、私は貴方と一緒に行かなかったのかな・・”というセリフ。
・そして、始まった稔の殺人容疑の裁判。稔に有利に進んでいた裁判であったが、猛の証言により・・、形勢は逆転する。稔の穏やかな微笑み。
<稔は、確かに智恵子に対し、吊り橋上では、”ある思い”がよぎったのであろう。だから、自ら罪を認めたのであろう・・。
だが、稔は幼き猛(稔の腕に残る傷)や、智恵子に対して、確かに、助けの手を差し伸べていたのだ・・。
今春も、この稀有な才能を有する監督の作品「すばらしき世界」が公開された。
人間性肯定の視点に立った素晴らしき映画であった。
寡作な監督ではあるが
ーそれは、非常にレベルの高い「オリジナル脚本」で勝負しているからである。ー
次作を待望している。
「分福」で、若き邦画監督の育成を是枝裕和監督と共に行う姿勢も含め、敬服している監督のお一人である。>
西川美和の代表作
すごい!兄弟の心理描写。タイトル「ゆれる」の通り、吊り橋も揺れたのかもしれないけど、オダギリジョーと香川照之のゆれる思いが見事。まるでスクリーンから客席の間の空気に心が浮かんでいるような雰囲気に包まれていました。だけど、深層心理というか彼らの真実がどこにあるのかと、掴もうとすると逃げていってしまうような・・・だけど、兄思い、弟思いという両者の熱きものが胸に突き刺さってくるような・・・絶望と希望も紙一重なんだと最後にはわかり、人を信ずることの大切さも改めて教えてくれました。
序盤から、何気ないショットだけど凝ったカメラアングルがポイントを押さえ、事件の中心となる吊り橋現場での葛藤、目撃、濁流と緊迫感を生み出す編集効果が目に焼きついてしまう。空白となった智恵子落下シーンは最後まで彼らの記憶に閉じ込めてしまうのです。「あの瞬間、実際には何が起こったんだ」と観客をストーリーにのめり込ませ、オダギリジョーと真木よう子の関係を香川照之がどう感じているのかと疑問を投げかけてくる。裁判が始まるまでの一連の流れにどっぷりとハマると、もう西川美和監督の術中に陥ってしまう仕組みとなっていました・・・
「吊り橋」と「ゆれる」という言葉が映画の中でも様々なことを象徴していましたが、あまりにも揺れすぎたため若干の謎も残してしまいます。問題となった現場は猛にはどんな風に写っていたのか・・・彼がカメラマンということもあって、見た目そのままと思われがちですが、現像し終わってからはその写真を見た印象が人によって違うもの。兄が真木よう子との関係を気づいていたと理解した瞬間から、弟のゆれていた記憶が「兄が突き落とした」と確証に至ったのではないでしょうか。
それにしても香川照之の演技は上手すぎる。弟への猜疑心を胸に秘めながら、殺人者としての今後のことを真剣に悩む。清廉潔白であることよりも罪滅ぼしのために投獄されることを望むといった自暴自棄の精神状態。面会中、弟を「人を信じない奴」と突き放す言葉だって、自ら弟とは絶縁状態にしてもいいと罪滅ぼしの一環だったのかもしれない。そして、法廷での弱々しい彼の演技はそうそう真似できるものではないのでしょうね。
形見分けとか遺産相続についてもサイドストーリーがあるような気がしてならないのですが、父・勇(伊武雅刀)と伯父(蟹江敬三)との会話で「兄さんだけいい思いをして・・・」という勇の言葉にあるように、大学は出してもらって弁護士となった兄とGSという稼業を継いだ弟がその息子たちに違った道を選ばせたという比較が面白そうです。ちなみに香川照之が東大出身ということも・・・
【2006年10月映画館にて】
撮る動機の強さ。
【心の奥底に潜むのもの】
今、この作品を見返してみても、ぼくの心の奥底に潜む闇のようなものや、弱さがつまみ出されるような感覚を覚える。
従順で真面目な稔。
自由な猛。
実は卑屈な稔。
兄の弱さを見透かす猛。
智恵子を想う稔。
智恵子を愛してもいないのにセックスする猛。
智恵子を追う稔。
智恵子を突き放す猛。
智恵子の転落死をきっかけに二人の向き合い方は変わったように思えたが、稔も猛も、事件どころか、率直にお互い向き合おうとしない。
どこか牽制しあって、間合いに踏み込めず、中途半端な状態が続くようだ。
最後、猛の証言がウソであったことが、フラッシュバックするように明らかになる。
なぜ…。
この疑問がずっと付き纏う。
この理由は、観る人、それぞれに、それぞれの過去や経験に、委ねられているのではないのか。
ずっと考える続けるように要求しているようだ。
稔はバスに乗ったのだろうか、それとも、止まっていたのだろうか。
これも、観る人、それぞれが違うシーンを思い浮かべているに違いない。
自分の心に向き合うことになる作品だ。
橋と兄弟
話は橋の上から兄の経営するガソリンスタンドの店員である女性が落ちてしまった。一緒にいた兄が突き落としたのか、それとも事故かというメイン。
兄はその女性が好きだけど、葬式で里帰りした弟とねんごろになった女性はその気はないし、兄の方もはっきりと告白したりしない。高い所が苦手な兄が、橋を先に渡っていった弟を追う女性を止めようと追いかけてその時落ちてしまった。
取り調べを受けて、最初は弟の方から事故という方向で人脈も使って押し出していくが、時間が経つにつれて素直で人の良い兄が事件のことは早く忘れたいという素振りを見せ始める。
女性が亡くなって間もないのに、出所してからの未来を語る兄が変貌したように見える弟は、裁判で一転し「兄が突き落とした」という証言をして、兄は刑務所行きというもの。
ラストは刑期を終えた兄に会いに行く決心をして、バスに乗ろうとする兄へ、幼い頃のように「兄ちゃん」と叫んで呼びかける。
そこで兄がバスに乗って行ってしまったか、待っていたかは観客に任せるという終わり。
見終わった感想としては役者演技が素晴らしい。特に兄役の香川照之の演技。正座して洗濯物をたたむ小さな背中だけでちょっとしたメッセージになる。
弟役のオダギリジョーの山での足運びも自信のある人間という感じでとても良かった。
繊細な演技だった。
映像にも静かで繊細な人々の暮らしが随所に盛り込まれていていい。
けれどガソリンスタンドの男性店員が、弟を責めたり激励するための配役でしかなく、これまで細やかに(これまで歩んできた背景がそれぞれあるような感じで)描写されてきた人間像が後半急に無くなる。
話の内容はもう少し踏み込んでほしかった。兄弟が相対したか、相対したとして何を話したか、二人はどんな気持ちで、これからどうなっていくのか、など観客への、想像していい展開のゆだね幅が大きすぎる。
一つの作品として作り手の答えをもう少し示してほしかった。
兄弟のすれ違い
公開当初見た時、この映画のテーマは弟の自由な生き方に対して兄の生まれながらの兄という生き方にスポットし好きな女性を取られた嫉妬だと思っていました。兄の人格に底知れなさがある、みたいなものかと。でも、何故こんな撮り方をするのか?今になり見直して、嫉妬と思いこんでいたけれど、弟の目線で描かれているので、騙されていました。
要はお兄さんは吊り橋が怖かったのだと思いました。怖かったのに、守ろうとし助けられなかった、突き飛ばしたせいで、自分から逃げようとしたせいで落ちた。けれど男だから、怖かったせいにしたくない。(弟との面会で吊り橋なんてちょちょいだ、みたいなこと言ったシーン)優しい人間だから弟の告発を受け入れた気がしました。まじめに生きてきた男だから、自分で責任を取ったということだと。最後のシーンは気がかりですが、兄として、変わらない弟に笑顔を向けたと思いました、ですが、兄は家には帰らないと思います。
心情描写は秀逸
兄も弟も、どっちもイタいし、勘違いしちゃう幼馴染(女)もイタい。
いわゆる「優しい人」の兄が損をして、キリギリスみたいな弟が最後まで自分探し。
言っちゃえばけっこう不快な物語なんだけど、
最後まで引き込んで見させちゃうのは、心情描写と演出が効いているからだろうか。
特に香川照之とオダギリジョーの兄弟は本当に細やかな演技で、
キャラクターの心情を背景まで含めて表現していたように思う。
ラストシーンの兄の表情、あれは苦笑いと失笑のミックスだと思うな。
「あぁ、来たのか。でも今更かよ。」っていう。
逆に気になったのは真木よう子と蟹江敬三。
こっちはオーバーアクト気味でちょっと…。TVドラマみたいだった。
同監督の『永い言い訳」がすごく好きだったせいで、ハードルを高くしすぎたかもしれない。
ゆれる
ゆれる。
吊り橋、人の感情、相手への気持ち、兄弟の絆。
全体的に暗く重たい空気が充満していました。
狭い田舎で毎日同じような毎日を過ごすのは退屈だろうな。鬱屈した日々はいつの間にか狭い価値観を強いり、爆発してしまう。
相変わらず、香川照之はいい演技してるなぁ。
もう一度見たいとは思わないけど。
香川照之の演技が好きすぎる。 こういう人、いそう。 想像ができる。...
この映画では常になにかが揺れてるらしい。ずっと、ん?突き落とした?...
自己中
揺れる橋を渡る あなた 私
心の奥の、ゆれ押し殺す、ゆれる思いが、たまると‥。
相手を思う優しさ、
嫉妬、
劣等感、
そんなもので、人間の心はいつもゆれている。古い橋を渡るときのようにゆらゆらと。
オダギリさんは二枚目弟でカッコよいが、兄の香川さんは、カッコよいとはかけ離れ、弟にコンプレックスを抱いている。溜め込んだものが爆発する、怖さ、臆病、優しさが入り混じった演技が上手い。ラスト出所した香川さんがオダギリジョーに、ニコッと笑いかけて後ろを振り返らずバスに乗って去る姿が、胸をえぐられるようになんとも言えない気持ちになった。
このとき兄弟ははじめてゆれを感じず、辛い決断を踏まえた人間に、一歩足を踏み入れたように感じた。
人間は壊れかけた橋を、揺れながらも、踏ん張りながらも、一歩一歩あるいているようなものだ。見終わったあと、なんかさびしい気持ちというか、そんな感じにおちいった
全94件中、41~60件目を表示