善き人のためのソナタのレビュー・感想・評価
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ヒトラーは『いまわの際』に曰わった『100年後に復活する』と。
先ずは、ベルリンが西ドイツにとっては飛び地と言う事。その点を理解すべきだ。
西ベルリンと東ベルリンと言うが、それは都市の事である。国家は東西ドイツである。多分、この主人公は、東ベルリンで生活をしている。西ベルリンと対峙しているが、しかし、東ベルリンは西ベルリンの様に壁で閉鎖されている訳では無い。東ベルリンから東ドイツの別の場所へは、国家の都合の範囲で自由に行けるはずだ。資本主義側の西ベルリンこそ、四方を壁で囲われた閉鎖社会なのである。つまり、西ベルリンはゲットー見たいな都市なのだ。その点を西側がプロパガンダしないのは何故か?それは兎も角『東西ドイツ♥』の国境は、『ベルリン』よりも遥かに西側に位置する。西ベルリンへの交通は『空路』しかない。『西ベルリンへの鉄道』は『全て閉鎖』されている。だから、人道的に許されない。また、私が想像するに、閉鎖された西ベルリン市民への監視もシュタージはやっている。東ベルリンから西ベルリンへの亡命が困難な理由もそこにある。この映画の変態爺の利己的色欲たけが巾を聞かせていた訳では無い。勿論、西ドイツ側も逆スパイの活動は行っていた。
それは兎も角、ナチスドイツが崩壊して、イデオロギー的に右側の人間は淘汰された。しかし、残った左側の人間がナチスドイツと同じ事をする。
つまり、右でも左でも東ドイツは同じ事をした訳である。しかし、同じ戦争に負けた日本はどうなったのか?左の人達が政権をにぎった気配が無い。つまり、日本は分断されなかったので、真ん中か右と言うことなのだろうか?
右も左もないとは思うが、日本人には言いたいね『人のふり見て、我がふりなおせ』って。ヒトラー見たいな人達が日本には残っているのかもしれない。
ドイツ統一がまだ40年と言うが、日本だって、まだ、75年。ヒトラーは『いまわの際』に曰わった『100年後に復活する』と。
芸術の力は絶大
1回でチャラ?
無慈悲な秘密警察。
寝る時間も与えず、尋問いや、拷問。
学生に講義する時でさえ、反論すればばつ印。
常に人を疑い、信頼できるのは…?
そんな生活、さぞかし疲れるだろうなぁ、と。
最後は作家さん救ったが、それまでに捕まった人達のことを思うと、天邪鬼な自分は複雑な気持ち。
急に芸術に目覚めた?
彼女が美し過ぎたから?
1人の芸術家を救った陰で幾多の人達が消されたのかと。
悲しい歴史である。
見事なストーリー
屋根裏の常人
難しく陰湿な話かと思いきや、
秘密警察が反体制派を監視する中でだけ起こる物語
なので分かりやすく入りやすかった。
敵対する立場である秘密警察に身を置き、
随時反体制派の行動を報告しなけれざならない立場に
いながら、反体制派の身を陰ながら守ると言う設定が
まず面白かった。
ヒーローみたいに目立つ人でもなく、
影のヒーローでもない、
ただの普通の面白みのない人が主人公というのも
良かった。
反体制派の自由な思想、何にも縛られてない発想に
憧れを持ったのだと思う。
反体制派が憧れであり主人公はファンと言う立場
はまるで今で言う推し活の様。
壁が崩壊してからの物語の改修も派手にせず
だけど、綺麗にまとまっててとても気持ち良かったです。
ここでも、ファンと憧れの適切な距離感が出てて
そこも良かったなぁ。
心に残る映画のひとつ
ジワジワ忍び寄る東ドイツの静かな恐怖
戦争やユダヤ人迫害の凄惨さと、東ドイツの抑制された静かな恐怖は別物だけど、1914年の第一次世界大戦開戦から辿るドイツの悲劇は、第二次大戦で終わらず、東ベルリンから89年の壁崩壊まで続いていたことに、あらためて気づかされた。
東ベルリンの質素で虚無な空気感と、ウルリッヒ・ミューエの気持ちが読めない表情が、その「静かな恐怖」を見事に表現しているように思う。
白と黒の間
冒頭で尋問の極意を講義しているヴィースラーが、学生から意見され、さりげなく卓上の学生名簿の名前にバツを付ける。この時のヴィースラーは、後に自分にバツが付くなど想像していない。彼は白か黒か、明確に分けられるし、その判断力に自信を持っている。まさか、白と黒の間に、たっぷりとたゆたうグレーがあるなんて!
東ドイツは社会主義だが、地位の高い人は民主主義だろうが、共産主義だろうが、関係なく利己主義である。利己党でも立ち上げればいいんじゃ? 勝ち気できれいな女が、この国のエラい自分になびかない。くそー、権力を使ってオレの言いなりにしてやる。こりゃ女、オレ様の力を思い知ったか~。いや、マジでゲスいな。
ドライマンは辛抱強い。現状、芸術表現に縛りがあると承知していても、西に逃亡しようとか、心を病むとかはない。あくまでも国のために作品を作り、発表する。穏健である。ドライマンがよく組んでいた舞台演出家のイェルスカは、仕事を干され(民間事業はないんでしょうね)、仲間内のパーティーに来ても、誰からも話しかけられずに一人読書をする。ドライマンはイェルスカを励ます。イェルスカはドライマンの友情は理解するが、すでに絶望している。そして、イェルスカはドライマンに「善き人のためのソナタ」の楽譜を贈る。
ドライマンの部屋を盗聴するヴィースラーは、最初は彼を黒だと決めてかかっていた。だけど、ピアノの音で、彼の感情は決壊し、灰色の海を泳ぎ始めた。そして、危険を承知でドライマンを守った。自分を犠牲にして。バツ印を付けられたヴィースラーは、以後、国家から見向きもされない。ラスト、自分への謝辞が印刷された本を、自分のために買う。その表情は変わらないが、心の中には美しい調べが満ち満ちているかもしれない。
監督は、フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク。30歳前でこんな重厚な作品を撮れるなんて、人生5周めだろうか。すごいの一言。ちなみに身長2m。貴族の末裔。またまたすごい。
BS松竹東急の放送を鑑賞。
僅か40年前の東ドイツで
冷戦時代の東ドイツ、シュタージ( 国家保安省 )職員ヴィースラー大尉を演じたウルリッヒ・ミューエの抑えた演技に引き込まれた。
翻弄される女優クリスタ( マルティナ・ゲデック )に心を痛め、芸術家に対する思想統制に苦悩する劇作家ゲオルクをセバスチャン・コッホが好演。
ウルリッヒ・ミューエの憂を帯びた瞳…ラストシーンが沁みる。
ー感謝を込めて
HGW X X /7に捧げる
BS松竹東急を録画にて鑑賞 (吹替版)
権力を持つ人の欲望は醜い
東ドイツの監視・密告社会を自己批判と救済の視点から総括
ドイツは第二次大戦中はユダヤ人ホロコーストを行い、戦後は東側で歴史上類を見ない徹底的な国民監視・密告社会を組織していた。ともに世界史に残るおぞましい事実である。
ホロコーストについては、世界各国で原因を分析し批判する映画がつくられてきたが、監視・密告社会についてはそのような総括モノがあるのかどうか、よくわからない。恐らくかなり少ないのではなかろうか。本作は、そうした監視・密告社会の総括、自己批判を企図した数少ない映画の一つだ。
映画は秘密警察(シュタージ)職員の監視担当者を主人公に、毎日規則正しく生真面目に、淡々と個人的感情も交えず作家とその恋人を盗聴し、監視し続ける日常を描く。周囲の住民からは嫌悪され、性欲は売春婦で処理する最低の生活を送りつつも、彼は党と国家のために自分の生活のほぼすべてを監視に捧げるのである。
監視の結果、体制批判の証拠などが分かると、例えば優秀な演出家でも仕事を剥奪された挙句、自殺に追い込まれる。自殺者が多いので、国はある年から自殺者の統計発表を停止してしまうほどだ。自殺しないまでも、秘密警察に睨まれたら反体制的な人物も震え上がる。
秘密警察の上司は、そのような人物は数か月、収容施設に閉じ込めれば、もう何も言わなくなると自信たっぷりである。
ところが主人公は、監視し続けた作家カップルに知らずに影響され、好意ばかりか憧れのようなものを感じ始める。ミイラ取りがミイラになってしまったわけだ。その結果、監視報告に虚偽を記載するようになり、作家が反体制グループと協力して西側に機密を暴露すると、それをむしろ隠蔽する努力を払う。
むろん機密が暴露されれば、当然、作家たちに嫌疑がかけられ、主人公にも疑いの目が向けられる。その中で作家の恋人は国家幹部に身体を委ねたうえ、最後には自分を守るため、作家が機密を暴露した証拠の隠し場所さえ明かしてしまう。作家を売る密告屋と化すのである。監視社会の怖さがひしひしと感じられるシーンだ。
ところが主人公はその証拠までも隠蔽してやり、その結果、作家は逮捕されない代わりに、自分が懲罰的な業務部門に追いやられてしまう。
ベルリンの壁が崩れたのはそれから4年半後だった。映画は主人公の内面など何一つ、説明しようとせず、統一ドイツでチラシ配りで細々と生計を営む主人公を映す。他方、作家は自分が逮捕されずに済んだ陰に主人公の計らいがあったことを知り、監視社会を告発する書籍の巻頭に彼への謝辞を捧げるのだった。
映画を通じて浮かび上がってくるのは、東ドイツの監視・密告社会を自己批判する視点と、自己を犠牲にして監視対象を守ろうとした人物を描くことにより救済を希求する視点である。
この社会に対する総括の視点として、それで十分か否かは議論の余地のあるところだろう。監視と密告社会は国民全員の相互不信を招いたであろうに、その割に安易に救済されてしまっていいのか、という気がしないでもない。
【”シュタージ盗聴者HGW XX7が盗聴メモに残さなかった事”1984年、東ドイツを舞台にした、恐ろしくも切なきヒューマンドラマ。言論、思想の自由の大切さを、今一度感じさせる作品である。】
■1984年、東西冷戦下の東ベルリン。国家保安局“シュタージ”の局員・ヴィースラー(ウルリッヒ・ミューエ)は、反体制の疑いのある劇作家・ドライマンの監視を命じられる。
国家に忠誠を誓ったはずのヴィースラーであったが、仕掛けた盗聴器から聞こえてくる彼らの自由に芸術、舞台に関し、会話する声に共鳴し…。
◆感想
・劇中でも描かれているが、1984年と言えばベルリンの壁崩壊の5年前である。そんな中、本作では旧東ドイツのシュタージによる諜報活動が描かれる。
ー 劇的でもなく、あくまでも淡々と・・。-
・ヴィースラーはドライマンの恋人で、女優のクリスタと彼とのSEXも無表情に聴いて、メモを残す。あくまで、機械的に。
ー だが、ヴィースラーは後にクリスタが薬物依存をシュタージに指摘され、ドライマンを裏切る行為をしたときに彼女に掛けた言葉”今の貴女は、本当の貴女ではない・・。”という言葉に彼に人間性の豊かさ、優しさを感じてしまう。-
・ヴィースラーはある日、ドライマンが尊敬する劇作家で、国家から活動を中止されていたイェルスカの自死を知る。彼は、ドライマンに”善きひとのためのソナタ”と、名付けられた楽譜を残していた。
ー その楽譜をドライマンはピアノで弾く。美しくも哀しい曲である。そして、ヴィースラーは日の当たらない監視室で、その曲を聞きながら、涙を流している。
この映画の名シーンの一つであろうし、彼が西側の文化、人の自由な生き方に感動したシーンであろう。-
<今作を観ると、共産思想に染まった真面目な人間が、西側の思想に傾倒する人たちの会話を盗聴する中で、音楽、文化を楽しむ人たちの”声”に感化されて行く姿が、淡々と描かれている。
ベルリンの壁崩壊後に、ドライマンが出版した”善き人のためのソナタ”を書店の店頭で見つけたヴィースラーが、その本を手に取り、裏表紙に書かれていた”HGW XX7に捧げる”という献辞を見るシーン。
彼は本を手に取りレジに向かい、店員に”これは私の本だから・・”と答えるシーンも沁みる作品である。
言論、思想の自由の大切さを今一度感じさせる作品である。>
最後の言葉が深く余韻を残す
善き人であることは抗えない
感銘を受けた。ライフタイムベスト映画のひとつになりそうなくらい。思いがけず。ゲルハルトリヒター→ある画家の数奇な運命→善き人のためのソナタ、と同じ監督作品、ドナースマルク監督作品しかもデビュー作?卒業制作?本当かわからないですがそうだとしたら奇跡的なすごい作品でとにかくこの流れで偶然にも見ることができて感謝しかない。
シュタージに支配される重苦しい東ドイツ、おそらく当時の様子がしっかり描写されているのだろう。シュタージのえげつなさ、厳しさと、意外にも無防備なところがある市民。
芸術を愛し人を恋人を仲間を愛し美しいものを愛する人たちを監視するなか、とくにピアノソナタを盗聴器越しに聞いたときの電撃。少しずつ、生きる喜び愛する喜び人間的な感情に触れ震え満たされていくウィスラー大尉。
互いを信じたり疑ったリヒター慰めたりしながら、創作に、変化を起こすことに励むドライマンたち。
保身のため恋人を裏切るクリスタを自らの職業立場を忘れて今のあなたはあなたではないと励ますウィスラー大尉。
最後の本屋のシーンまでじわじわと、誰もが当たり前に持って要るはずの感情を少しずつ動かされて、今は落ちぶれた人生となったウィスラー大尉の、無駄ではなかった彼の人生、組織体制への裏切り人間性つまり芸術への回帰。
全ての人が善き人のためのソナタを聞くことが出会うことができますように。
そしてこのような美しい映画に出会えたことに感謝。
冷戦下の旧東ドイツ。国家のため盗聴を行うことを任務とする男性。 舞...
一言「これは、渋い胸熱!」
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