善き人のためのソナタのレビュー・感想・評価
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僅か40年前の東ドイツで
冷戦時代の東ドイツ、シュタージ( 国家保安省 )職員ヴィースラー大尉を演じたウルリッヒ・ミューエの抑えた演技に引き込まれた。
翻弄される女優クリスタ( マルティナ・ゲデック )に心を痛め、芸術家に対する思想統制に苦悩する劇作家ゲオルクをセバスチャン・コッホが好演。
ウルリッヒ・ミューエの憂を帯びた瞳…ラストシーンが沁みる。
ー感謝を込めて
HGW X X /7に捧げる
BS松竹東急を録画にて鑑賞 (吹替版)
権力を持つ人の欲望は醜い
東ドイツの監視・密告社会を自己批判と救済の視点から総括
ドイツは第二次大戦中はユダヤ人ホロコーストを行い、戦後は東側で歴史上類を見ない徹底的な国民監視・密告社会を組織していた。ともに世界史に残るおぞましい事実である。
ホロコーストについては、世界各国で原因を分析し批判する映画がつくられてきたが、監視・密告社会についてはそのような総括モノがあるのかどうか、よくわからない。恐らくかなり少ないのではなかろうか。本作は、そうした監視・密告社会の総括、自己批判を企図した数少ない映画の一つだ。
映画は秘密警察(シュタージ)職員の監視担当者を主人公に、毎日規則正しく生真面目に、淡々と個人的感情も交えず作家とその恋人を盗聴し、監視し続ける日常を描く。周囲の住民からは嫌悪され、性欲は売春婦で処理する最低の生活を送りつつも、彼は党と国家のために自分の生活のほぼすべてを監視に捧げるのである。
監視の結果、体制批判の証拠などが分かると、例えば優秀な演出家でも仕事を剥奪された挙句、自殺に追い込まれる。自殺者が多いので、国はある年から自殺者の統計発表を停止してしまうほどだ。自殺しないまでも、秘密警察に睨まれたら反体制的な人物も震え上がる。
秘密警察の上司は、そのような人物は数か月、収容施設に閉じ込めれば、もう何も言わなくなると自信たっぷりである。
ところが主人公は、監視し続けた作家カップルに知らずに影響され、好意ばかりか憧れのようなものを感じ始める。ミイラ取りがミイラになってしまったわけだ。その結果、監視報告に虚偽を記載するようになり、作家が反体制グループと協力して西側に機密を暴露すると、それをむしろ隠蔽する努力を払う。
むろん機密が暴露されれば、当然、作家たちに嫌疑がかけられ、主人公にも疑いの目が向けられる。その中で作家の恋人は国家幹部に身体を委ねたうえ、最後には自分を守るため、作家が機密を暴露した証拠の隠し場所さえ明かしてしまう。作家を売る密告屋と化すのである。監視社会の怖さがひしひしと感じられるシーンだ。
ところが主人公はその証拠までも隠蔽してやり、その結果、作家は逮捕されない代わりに、自分が懲罰的な業務部門に追いやられてしまう。
ベルリンの壁が崩れたのはそれから4年半後だった。映画は主人公の内面など何一つ、説明しようとせず、統一ドイツでチラシ配りで細々と生計を営む主人公を映す。他方、作家は自分が逮捕されずに済んだ陰に主人公の計らいがあったことを知り、監視社会を告発する書籍の巻頭に彼への謝辞を捧げるのだった。
映画を通じて浮かび上がってくるのは、東ドイツの監視・密告社会を自己批判する視点と、自己を犠牲にして監視対象を守ろうとした人物を描くことにより救済を希求する視点である。
この社会に対する総括の視点として、それで十分か否かは議論の余地のあるところだろう。監視と密告社会は国民全員の相互不信を招いたであろうに、その割に安易に救済されてしまっていいのか、という気がしないでもない。
【”シュタージ盗聴者HGW XX7が盗聴メモに残さなかった事”1984年、東ドイツを舞台にした、恐ろしくも切なきヒューマンドラマ。言論、思想の自由の大切さを、今一度感じさせる作品である。】
■1984年、東西冷戦下の東ベルリン。国家保安局“シュタージ”の局員・ヴィースラー(ウルリッヒ・ミューエ)は、反体制の疑いのある劇作家・ドライマンの監視を命じられる。
国家に忠誠を誓ったはずのヴィースラーであったが、仕掛けた盗聴器から聞こえてくる彼らの自由に芸術、舞台に関し、会話する声に共鳴し…。
◆感想
・劇中でも描かれているが、1984年と言えばベルリンの壁崩壊の5年前である。そんな中、本作では旧東ドイツのシュタージによる諜報活動が描かれる。
ー 劇的でもなく、あくまでも淡々と・・。-
・ヴィースラーはドライマンの恋人で、女優のクリスタと彼とのSEXも無表情に聴いて、メモを残す。あくまで、機械的に。
ー だが、ヴィースラーは後にクリスタが薬物依存をシュタージに指摘され、ドライマンを裏切る行為をしたときに彼女に掛けた言葉”今の貴女は、本当の貴女ではない・・。”という言葉に彼に人間性の豊かさ、優しさを感じてしまう。-
・ヴィースラーはある日、ドライマンが尊敬する劇作家で、国家から活動を中止されていたイェルスカの自死を知る。彼は、ドライマンに”善きひとのためのソナタ”と、名付けられた楽譜を残していた。
ー その楽譜をドライマンはピアノで弾く。美しくも哀しい曲である。そして、ヴィースラーは日の当たらない監視室で、その曲を聞きながら、涙を流している。
この映画の名シーンの一つであろうし、彼が西側の文化、人の自由な生き方に感動したシーンであろう。-
<今作を観ると、共産思想に染まった真面目な人間が、西側の思想に傾倒する人たちの会話を盗聴する中で、音楽、文化を楽しむ人たちの”声”に感化されて行く姿が、淡々と描かれている。
ベルリンの壁崩壊後に、ドライマンが出版した”善き人のためのソナタ”を書店の店頭で見つけたヴィースラーが、その本を手に取り、裏表紙に書かれていた”HGW XX7に捧げる”という献辞を見るシーン。
彼は本を手に取りレジに向かい、店員に”これは私の本だから・・”と答えるシーンも沁みる作品である。
言論、思想の自由の大切さを今一度感じさせる作品である。>
最後の言葉が深く余韻を残す
善き人であることは抗えない
感銘を受けた。ライフタイムベスト映画のひとつになりそうなくらい。思いがけず。ゲルハルトリヒター→ある画家の数奇な運命→善き人のためのソナタ、と同じ監督作品、ドナースマルク監督作品しかもデビュー作?卒業制作?本当かわからないですがそうだとしたら奇跡的なすごい作品でとにかくこの流れで偶然にも見ることができて感謝しかない。
シュタージに支配される重苦しい東ドイツ、おそらく当時の様子がしっかり描写されているのだろう。シュタージのえげつなさ、厳しさと、意外にも無防備なところがある市民。
芸術を愛し人を恋人を仲間を愛し美しいものを愛する人たちを監視するなか、とくにピアノソナタを盗聴器越しに聞いたときの電撃。少しずつ、生きる喜び愛する喜び人間的な感情に触れ震え満たされていくウィスラー大尉。
互いを信じたり疑ったリヒター慰めたりしながら、創作に、変化を起こすことに励むドライマンたち。
保身のため恋人を裏切るクリスタを自らの職業立場を忘れて今のあなたはあなたではないと励ますウィスラー大尉。
最後の本屋のシーンまでじわじわと、誰もが当たり前に持って要るはずの感情を少しずつ動かされて、今は落ちぶれた人生となったウィスラー大尉の、無駄ではなかった彼の人生、組織体制への裏切り人間性つまり芸術への回帰。
全ての人が善き人のためのソナタを聞くことが出会うことができますように。
そしてこのような美しい映画に出会えたことに感謝。
冷戦下の旧東ドイツ。国家のため盗聴を行うことを任務とする男性。 舞...
一言「これは、渋い胸熱!」
人間らしさ
組織の責任者は常に腐れ外道で有る法則に例外は無い‼️
タイトルなし(ネタバレ)
1984年の東ドイツの話で国家保安局シュタージの局員ヴィースラー(ハゲ)が、反体制の劇作家ドライマンとその同棲相手の女優クリスタを完全監視する話。壁中に張り巡らせたマイクで部屋中の隅々まで音を拾い、その行動を記録。交替する仲間もいて24時間監視し続ける。何時何分にエッチしたとかまで事細かく書かれていて、終盤の方でドライマンがその自分自身の記録を読むのだが、なんとも冷静。自分だったら発狂するわ。
秘密警察のマシーンだった男が劇作家の人生を知ることによって、監視マシーンじゃなくなってしまう所がキモでヴィースラーがちょっとだけドライマンを助けたりもする。すぐバレるけど。
ドライマンが自分の行動記録が改竄されている事に気がついて、それをキッカケに本を書く。
命令よりも自分の良心に従ってしまったハゲは左遷でどうでもいいような雑用の部署に送られ、冴えない日々。
ドライマンの本を手にとるヴィースラー。
感謝をこめてHGW XX7(ハゲのこと)に捧ぐ
時を経て届いた心の返信。
「いや私のための本だ」
凄くスッキリした顔で再び自分を見つけたようなエンディング。泣けた。
人の歩むべき道を優しく教えてくれるドイツ映画
旧東ドイツの秘密警察の盗聴、諜報、尋問などの国家ぐるみの闇の実態が興味深い。それが単なる告発ものの暴露映画ではなく、国家保安省(シュタージ)の男が盗聴で任務する過程で徐々に自由思想と芸術に影響を受け、社会主義体制の国家に反する裏切り行為を行い、ひとりの反体制思想の劇作家を救う人道主義になっているのがユニーク且つロマンチックである。劇作家の愛人が薬物中毒の意思の弱さから密告をしてしまい贖罪に苛まれるサブストーリーと調和して、人間の救済に対する作者の信念を感じることが出来る。ラストの真実を知った劇作家が、恩人の元保安省の男に面会せず、小説の序文で謝意を添えるカットの、映画ならではのフィナーレに感動して胸が熱くなる。時代や社会に惑わされない、人の歩むべき道を教えてくれる、美しく心優しい映画でした。
謝意の劇中本が原作?
映画のキャッチコピーに「この曲を本気で聴いた者は悪人になれない」とありますがゲルト大尉が劇作家のドレイマンを助けたのは彼の恋人クリスタに横恋慕するヘムプフ大臣の好色な陰謀、上司や仲間の下劣さに嫌気がさしたからでしょう。
確かに本作の録音技術は秀逸で音楽シーンの音色の生々しさは格別ですが曲の演奏も短く曲が主題を担っているとは思えませんでした。かといって表現の自由と闘った演劇人のレジスタンス物語でもありませんね、政治弾圧に名を借りた下劣な品性の権力者の悪行は普遍的に存在するとみた方が良いかもしれません。
ドナースマルク監督33歳、西独出身なので東独の内情は壁の崩壊後に4年も調べてオリジナル脚本を仕上げたようです、映画にも出てきましたが当時の政府資料が閲覧できるとは驚きました。役者の名演にも助けられたのでしょうが初の長編デビュー作とは思えぬ重厚さ、才能が光っています。
ことの真相を知ったドレイマンがゲルト大尉に逢って礼を言おうとしますが思いとどまります、2年後に本の形で謝意を表しますが痺れます。メール配達人に落ちぶれた彼をおもんばかったのかもしれませんし、月並みな礼では済まないと悟ったのでしょうか、その本が巡り巡って映画の原作めいて、主題の巡るソナタ形式にも思えました・・。いつもながらドイツ映画は渋いですね。
映画が描いたことが実に発生している
東独それは抑圧と美学
良かった・・・
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