善き人のためのソナタのレビュー・感想・評価
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よくぞこのタイトルを付けて下さった
これが映画としても文学であっても素晴らしいタイトルです。「この曲を本気で聴いた人は悪人にはなれない」――それほどの音楽を聴いたことがあるだろうか。それほど、音楽を本気で聞いたことがあるだろうか――。最後の本屋の店員さんとの遣り取り、「これは贈り物ですか」「いいえ、私のための本です」――シリアスジョークとして上手すぎます。ズシッと心に刺さりました。
その他、監視社会の問題としても心に重く響きます。たかが、自殺者に関する文書を書いただけで、家宅捜索したり尋問したりする情報統制の下らなさ。こういう下らないシステムはますます力を増して永続するでしょう。今度はネットやスマホを利用して、AIが情報をまとめ上げて報告する。この映画のように、観察者が手心を加えてくれるような、そんな善意は起こりえないと思います。任務を命じられたAI、もとい、任務しか知らないAIは、善意や悪意、人権蹂躙の問題など、理解しようが無いでしょうから。
政治批判などしても仕方が無いですね。これを機に、「1984」を関連作品として読書を挑戦して映画も観てみようと思います。
善き人ヴィースラーに目はウルリッヒ
スカッとはしないがじんわりする映画
こんな人が何人居ただろう
尋問の鬼が芸術によって人間らしさを取り戻すお話。
正義と信じていたものがただの私欲による腐敗だと気づいた時、
その隙間に入り込んできたのが芸術でよかった。
ラストの一言のために寝られた脚本かのように、秀逸な一言で締めくくるのが良い。
ただ、クリスタには何の救いもなくてちょっと悲しかったな。
ただただ男に利用され、自分自身も信じられなくて、最後は罪悪感に苛まれるという。。
この時代は女性にとってこういうものだったのかよく分からないけど、何だかやりきれない気持ちになった。
私のための本だ
ベルリンの壁崩壊から、もうすぐ36年。そして、この映画がつくられてもうすぐ20年経つ。
現代にいる我々は、この話を、「冷戦時代の産物」で終わらせることができるだろうか。
イデオロギーはともかくとして、監視と粛正で存続させないと維持できない組織に、真っ当な正義も未来もあるはずがない。けれども、費用対効果を度外視して、あえてそういう組織を求めたがっている人々のメンタリティは、どうなっているのだろうかと思わされる。
今作は、遠い他国の関係ない人々の話ではない。自分の持つ正義とはズレた他者に対して、徹底的に不寛容な意識を抱いてしまう(もちろん自分も含めた)人々の話である。
もちろん、今作はフィクションではあるけれど、崇高なものに触れた魂と、肉欲に溺れた生理的欲求との相剋において、主人公の中では芸術の崇高さが勝利する展開に救われる思いがする。けれども、映画でもそうだったように、現実の中では、必ずしもそういう結末になるとは限らない。
それでもやっぱり、人として生まれたからには、より美しいものを求める気持ちは、決して忘れたくないと思わされるラストシーンだった。
映画から少し離れるかもしれないが、映画で観る限り、東ドイツが、尋問や監視の記録文書を全て保管していたことに驚きを禁じ得ない。
日本では、敗戦時の文書廃棄どころではなく、今も文書改竄や廃棄の問題で、情報公開のあり方が問われ続けている中、過去の記録がたどれるようにしておくことは、とても大切なことだと思わされる。
重いテーマに気が沈むどころか むしろ優しい気持ちに
本作の評判はこれまでに何度か見聞きしてきて、冷戦時のドイツ問題ものは気が沈みそうだなぁ…とあえて避けてきたが、やはり第79回アカデミー賞外国語映画賞受賞作品であれば一度は観ねばと、配信見放題終了間近を機に思いきって鑑賞。
観終えるとこれは意外や意外、気が沈むどころかむしろとても優しい気持ちに。
前半は思った通り重々しい雰囲気だったし、終始不穏な緊張感は続き、やはりいたたまれない悲劇も起こってしまうのだが、主人公の心の動きに観ているこちらも自然と溶け合っていき、気がつけば予期せぬほど心が温かくなっている。
ストーリーも良いが邦題もとても良い。「善き人のためのソナタ」なんとも言えぬ優しく平和な響きがある。原題の直訳ではここまでの雰囲気は出せなかっただろう。
いずれにしても、アカデミー賞外国語映画賞受賞は伊達ではない。思いきって観て本当に良かったと思える作品だ。
これは凄い!!!
これほどまでに緻密で計算され尽くしたシナリオを他に知らない。劇中劇であり、告白劇であり、緻密で緊張感あふれる映像の連続であり、そのカメラに配役陣は見事に応える。そして何よりもこの作品が凡百の作品を上回っているのは終幕劇の凄さである。それはそこまでの映画的手法と全く異質なネタ晴らしドキュメントの様相を呈する。それでいて最後最期でのエンディングは全てが開示され、この舞台の登場人物の感情がある一人の人物に注ぎ込まれる。最後のセリフと共に・・・。まさにその人物こそが善き人でありその伏線は何度も張られているのである。そしてその収斂されるべきシーンの導入には歴史的事実が大きなきっかけとなる。その瞬間に見る者たちは全てを知り全ての感情をそのフォーカスされた登場人物と同化し大きな感情の揺さぶりに遭遇する。凄い映画だ。感服した。
言葉が力を持った時代
東ドイツの諜報機関をシュタージと言い、その東ドイツ内でその東ドイツ...
東ドイツの諜報機関をシュタージと言い、その東ドイツ内でその東ドイツの体制批判をしてはいけませんが、その東ドイツのその諜報機関のシュタージの一人がヘッドホンをして、その体制批判をしかねないその脚本家を監視して盗聴もしてますが、SONYのウォークマンのそのテレビCMも猿がヘッドホンをして音楽を聴いている広告でしたが、また最近に松田聖子と小泉今日子がヘッドホンをして並ぶその広告を目にしましたが、もう冷戦時代が終わってますが、その東ドイツのその元諜報機関員が、もう開かれた自由主義圏で、再就職をする際のその就職を希望するその企業に出すその履歴書にシュタージ勤務でスパイ活動をしていたと書けないと思いますが、またスパイ行為自体が裏切り行為でばれたら通常、周りに無視されるか殺されてしまうかになると思いますが
会わずして
大好きな作品で十数年ぶりに再鑑賞しました。
全体主義国家、監視社会であっても、国家は人々の気持ちまでを機械化することはできないのです。なぜなら、人間には他者の心を感じる力があるから。
社会主義国家の中で秘密警察として粛々と反体制派の監視をこなし、変わり映えのしない日常を淡々と送るヴィースラー大尉の心を動かしたもの。それが、芸術であり劇作家ドライマンと女優クリスタのパッションだったのだと思います。人の心が動くことに理屈はないんですよね。
ヴィースラー大尉とドライマンはお互い一度も会ったことはありませんが、最終的に心を通わせました。ドライマンが小説に込めたことがヴィースラー大尉に届いたラスト。例え会ったことがなくても、人を助けることができる。例え会ったことがなくても、私は誰かに助けられている。人間って素晴らしいし映画って素晴らしいと思わされた瞬間です。
人はパンのみでも生きていけますが、パンだけでは人生に喜びを感じることはできないんですね。だから、芸術や小説が生まれたのではないでしょうか。
自分のための本…
とても静かに恐ろしかった。冷戦時代の東ドイツ。人が人を監視する。主人公は冷徹に人を品定め、尋問していく冒頭から、昼夜対象者を監視し、ソナタを聴いた後、人間性を取り戻していく。しかし、自分も命懸けであり、勇気ある行動を隠密に実行する。ウルリッヒ・ミューエの静かな演技が素晴らしい。イェルスカ、クリスタの死など冷戦時代の負の歴史を静かに力強く訴える良作だった。
いい、、
ナチス時代のものばっかり見てきたが、これは第二次世界大戦後の冷戦の時代の話。
ちょうど冷戦の知識を入れたばっかりだったため楽しめた。
ドイツは米ソの対立に巻き込まれ、東西に分裂されていた。東=ソ連(共産主義) 西=アメリカ(社会主義)
ベルリンの壁は東ドイツにある唯一の西側である西ベルリンを囲むように建てられた。
なぜなら西ベルリンは西ドイツへの飛び地みたいな立ち位置だったからだ。東ドイツの人が西ドイツへ逃げないため、壁を作られた。
言論の自由もなくなり、作家はシュタージ(ゲシュタポみたいなやつ)に家を盗聴されていた。そのシュタージ役が主人公。
最初の取り調べをしている人と盗聴している人が一致していなかったけど、優秀なシュタージだった主人公が作家夫婦を盗聴しているうちに感情移入してしまい、東側の悪事を暴露しようとしても見過ごしてしまう。
そんな気持ちはバレることもなく、故意ではなくミスとして地下労働みたいなところで2年間ほど働かされるが、ベルリンの壁が崩壊して普通の人に戻る。
主人公は郵便配りの仕事をしながら細々と暮らしているが、ある日守った作家の人が本を出版。
途中まではまぁまぁだったけど後半やばかった。
Wikiかなんかで見たが、戦争が終わった後はシュタージが集めた個人情報を本人たちが閲覧できる仕組みとなっている。そこで味方だと思ってた人や意外な人がシュタージで情報漏洩されていたと気がついた、ということが良くあったらしい。
本作でもそのシーンがあり、作家は自分を守ってくれた主人公の存在を知る。そして主人公に向けて本を出版する。。
人にオススメしたいほどよく出来た映画だと思った。
静かな中に、力強さがある傑作だ。
旧東ドイツ。秘密警察(シュタージ)のヴィースラー大尉は、劇作家ドライマンの盗聴に従事する。盗聴を要請した大臣は、ドライマンの恋人に対して、邪な気持ちを抱いていた、、、。
極めて上質で静謐な空気のなか、胸が押しつぶされそうな、ヒューマン・スリラーだ。ウルリッヒ・ミューエが、劇作家の思いを知り、次第に本当の自分を発見する主人公を、見事に演じている。
国家のためにと言いつつ、己の欲望を満たすための欺瞞、一度かけられたら、執拗に追及される疑惑、そして、自由にものが言えない専制主義の息苦しさを、非常に落ち着いた雰囲気で醸し出している。
自分の人間性を発見したスパイを主人公に、繊細で巧みなストーリー運びで、一種の大きな賭けに出た男を、絶妙な緊張感で描く。悲劇的な人間ドラマの中で、恐怖体制を暴露し、個人の強烈な反抗を、静かな中に力強く描いた傑作だ。
国家保安局(シュタージ)が支配する1984年の東ベルリンを舞台に...
国家保安局(シュタージ)が支配する1984年の東ベルリンを舞台に、盗聴任務に従事する1人の局員の心の揺らぎを通して東ドイツの徹底された監視社会の実情と問題を静かに描いたヒューマン映画。
世間的には非常に評価が高い作品ではある。が、本当にヴィースラー大尉は『善き人』化したのだろうか?
大学の教壇に立ち学生に講義を行い、冷徹に学生の選別を行っているシーンがある。価値観が固定化しているであろう年齢の男性が、全てのキャリアを投げ捨ててまで短期間で善人化することが果たしてできるのだろうか。違和感を感じる。
大尉はもともと女優の熱烈なファンという描写もあるが、女優が盗聴対象となったので、女優の生活を守るためにシュタージの掟を破らざるを得ず、結果、女優の恋人であるドライマンを保護することになっただけ、という解釈も不可能ではない。
もともとヴィースラー大尉は『善き人』であり、その要素を隠しながら嫌々にシュタージの仕事をしているという描写があれば、解釈も変わるのだが・・・。
なお、国家保安局(通称:シュタージ)はドイツ語の Ministerium für Staatssicherheit の略称から由来している。ドイツ民主共和国(東ドイツ)の秘密警察・諜報機関を統括する省庁で1947年のK-5(秘密警察組織・第5委員部)を前身として始まり、1989年ベルリンの壁崩壊の1990年に解体されるまで続いた。ゲシュタポ(ナチス・ドイツ期の秘密警察部門:Geheime Staatspolizei)の手法を踏襲した徹底的な相互監視網を敷いて国民生活の抑圧を行った。組織解体時には9-10万人の正規職員を抱えていたとの記載がある。
対照的なふたり
演技は目で
おさえた動き、セリフも少なく。
だのに画面からあふれ出てくるこの感情はなんなんだ。
まん丸の目が何よりも語っている。
ラストの誇らしげな眼!目です!
あの眼は一生忘れられないかもしれない。
公安の彼をかりたてたのが
たった一度だけ聴いた一曲というのも
あまりにも印象的だ。
芸術の持つ力ってそういう底知れないものがある。
この映画の二人の男のように、
直接話すことはなくても
語れるなにかがこの世界にはあるのだと
うれしく感じた。
しかし、公安の情報は本当に公表しているの?
身の安全は保障されているのだろうか…?
リアルタイムで東西ドイツの壁が壊れたニュースを見た。
その当時も衝撃だったが
この映画で登場した際には鳥肌がたった。
日本ではたしか平成元年、昭和天皇が亡くなった翌年のこと。
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