「全て脚本家つまり演出家のフィクションです。」ヴェラ・ドレイク マサシさんの映画レビュー(感想・評価)
全て脚本家つまり演出家のフィクションです。
こう言った人や事実はなかったと言う事を先ずは知っておこう。
ただし、もし仮にこんな人がいたとしても、「善意と言う鎧」だけで許される行為とは言えない。言うまでもなく、女性の観点からである。
フィクションな映画だから、手術は成功はするが、人命にかかわらる行為である。もし、万が一があれば、子供だけでなく、二人の命を奪う事になる。倫理、法律、科学の上から間違った行為なのだ。
確かにこう言った動きや運動があって、1967年に中絶が認められるようになったのだと思う。しかし、現在に於いて問題は完全に無くなったのだろうか?
イギリスには優生保護法は元々存在しなかったが、1959年の「精神保健法」の制定まで、「障害者を隔離する法律」があった。その1959年の「精神保険法」も「隔離法の主旨」は引き継いでいる。
また、我が国を始め先進国であっても「優生保護法」は、20世紀末まで存在している。
ローマ法王が言う「中絶」に反対する意向は、そう言った「優生保護法」や「ナチズム」に繋がる事を懸念して言っているのだ。
また、先進諸国の大半がまともな「売春禁止法」を作っていない。「性差」を完全に考えるなら、先ずはそれをきちんと制定せねばならない。
こう言った「善意のオブラート飴」で泣いている時ではないと思う。
それでいて、女性が「プラ●75」なる物を考える。まったく腹立たしい。
さて、ジョークを一つ。
性犯罪には死刑を物理的断種手術(お隣の国はそう言う場合があるみたい)に減刑することを考えた方が良い。
同時に
男には「避妊法」なる法律を作るべきじゃない?「本当にブラックジョーク」だよ。
とにかく、世の中からウマシカな男を無くす教育が一番大事なのだろうね。だから、男がいなくなり種は耐えて、人類は滅亡するのだ。よ。