「(生きる)を感動的に描いたキャプラ監督が贈る、こころ温かいクリスマスプレゼント」素晴らしき哉、人生! Gustavさんの映画レビュー(感想・評価)
(生きる)を感動的に描いたキャプラ監督が贈る、こころ温かいクリスマスプレゼント
アメリカ映画で最もユーモアに溢れハートウォーミングな作品を手掛けたフランク・キャプラ監督の最後の傑作。1945年のクリスマスイブ、ニューヨーク州の田舎町ベッドフォールズを舞台にしたこのファンタジードラマは、父親が経営する住宅金融会社の縛りから抜け出せず、夢である海外旅行や都会への大学進学を諦めざるを得ないジョージ・ベイリーを主人公とする。実直な父親と優しい母親の温かい家庭で育ち、弟想いの素直な青年ジョージは、次々と襲われる不幸や災難に挫けることなく身の丈に合った家庭を作り、最後は人生を悔いることの無い幸福感に包まれて、最高のクリスマスを迎えます。一時は絶望の淵に落とされるも、天から見守る大天使のご加護により物語は展開する。キリスト教の教えに沿ったストーリーにクリスマスの背景が重なる、ハリウッド映画ならではの良心作として、後世に語り継がれる名画であろう。クリスマス映画のもう一本の代表作である「三十四丁目の奇蹟」がサンタクロースを題材にしたのに対して、この作品では翼の無い二級天使が活躍するのがユニークであり、そのどこかトボケタ小父さん風の天使クラレンスとジョージが絡む場面が面白く、そしてジョージの存在しない仮想世界の描写の怖さが衝撃的である。
フィリップ・ヴァン・ドーレン・スターンの原作をキャプラ監督含め3名で創作した脚本が素晴らしい。卒業記念パーティーのダンスホールがプールの上に設定されていて、ここでジョージとメアリーの恋の始まりをドタバタ劇として見せて、月夜のランデブー宜しくも滑稽に描いている。近所の御節介おじさんがキスを強要するところなんて、観客の思いを代弁した可笑しさがある。弟ハリーの結婚に心から祝福できないジョージの気持ちを察して、ふたりの母親が仕組むジョージとメアリーの場面では、メアリーの母親のワザとらしい言動が絶妙に絡む。同時に受話器を持つジョージとメアリーが顔を近づけ、堪らずキスをするまでの脚本と演出が流れとして解っていても心地よいのは、キャプラ監督の手腕である。その他、末娘の花びらの使い方、酒場で殴られたジョージの唇から流れていた血が消えるカット(つまり濡れた衣服が乾いたという台詞だけではない見せ方の巧さ)、『トム・ソーヤの冒険』の本の伏線、ジョージの宅地開発を共同墓地と対比させる展開で見せるハリーの墓碑、メアリーに拒絶されてからバート警官から逃げるように辿り着く橋の場面で神に祈るジョージに降り注ぐ雪の効果と、細部に渡るまで分かり易く丁寧に描かれ構成されている。
主演のジェームズ・スチュアートは、「スミス都へ行く」でも絶体絶命の境地から逆転の若き国会議員を熱演していたが、今作では奥手の好青年が窮地に追い込まれる苛立ちや絶望感を見事に演じている。正統派美女ドナ・リードの落ち着いた演技も好感高く、スチュアートとの夫婦役の相性もいい。お人好しでドジな叔父ビリーを演じたトーマス・ミッチェルは役に嵌り流石の手慣れた演技。愛嬌のある天使クラレンスのヘンリー・トラヴァースもベテランらしい味のある演技で難役を熟す。特筆すべきは、名優ライオネル・バリモアが演じたヘンリー・ポッターの悪役振り。金儲けしか興味がない富豪の堅物は、スチュアート演じるジョージとその存在感で五分に対立しなければお話が面白くない。善意だけでは世の中生きて行けない現実の視点を組み込んだポッターの人物表現として最良の演技と貫禄を見せる。
アメリカ映画の監督では、個人的にジョン・フォードやチャールズ・チャップリン、エルンスト・ルビッチと並んで敬愛するフランク・キャプラだが、一番最初の記憶は中学時代に日曜洋画劇場で観た最晩年の「ポケット一杯の幸福」だった。特に感動は無く、優しいお話だけの感想を持つ。一気に虜になったのは「或る夜の出来事」に出会ってからで、その後「オペラ・ハット」「我が家の楽園」「スミス都へ行く」「群衆」「毒薬と老嬢」と観て来て、どれもが楽しく面白く、また感動的なストーリーと演出に惚れ込んでしまった。この戦前戦中の傑作と比較すると、この1946年作の「素晴らしき哉、人生!」のアメリカ公開時の評価と興行成績、及び8年後の日本公開での評価が芳しくない。キネマ旬報のベストテン選定では、今では考えられない扱いの35位に止まり、殆ど無視されている。淀川長治、双葉十三郎、清水千代太、植草甚一各氏など私が尊敬する批評家も選出していない。戦後に現れたリアリズム映画の隆盛の影響を受けた結果であろうか。その後クリスマスシーズンに恒例のようにテレビ上映されて、認知されると共に愛される映画の不動の地位を占める。しかし、この好意的評価は、キャプラ監督が亡くなった後の21世紀になってからである。そこがとても口惜しい。我が生涯で好きな映画のベストの地位は不動になっています。また正当な評価の点で悔やまれるのは、「群衆」も同じである。
もうキャプラ監督のような職人肌の映画監督はアメリカ映画には現れないと思う。生きることに悩み挫けそうになっても、生きていればきっと頑張っただけのいいことがあると勇気付けてくれる映画の希少価値と共に、キャプラ監督の功績に感動と畏敬の念を強く抱かされるのです。
Gustavさんコメントの返信ありがとうございます。私もキャプラ監督の日本で公開された作品はほとんど鑑賞させてもらってますが、理想主義をあんなに嫌味なく語れるのはキャプラ監督くらいじゃないでしょうか。今の若い映画ファンの方にも是非観て欲しいですね。ワイルダーやヒッチコックの作品は観てる人多いですが、クレールやルビッチの作品は鑑賞頻度が低いような・・・「巴里祭」「巴里の屋根の下」「極楽特急」とか大好きなんですが・・・