「魔法であって何が悪い?」素晴らしき哉、人生! 因果さんの映画レビュー(感想・評価)
魔法であって何が悪い?
クリスマスイブの夜。自社の終焉を悟り絶望の淵に沈みかけていた主人公ジョージだったが、普段の善行が幸いし、彼は周囲からの資金的あるいは精神的援助によって奇跡的な再生を遂げた。友人知人の喝采を受け、フェリーニ『8 1/2』のラストシークエンスを彷彿とさせるような大団円でこの映画は幕を閉じる。反面、ジョージを欺いた悪徳長者のポッターに関しては、その後の破滅や転落はおろかそもそもいかなる描写さえされないという重罰を受ける。施す者と施さざる者の鮮やかすぎる二項対立、信賞必罰。いい奴はいい奴、悪い奴は悪い奴。
私はあまりにもストレートすぎるヒューマンドラマが正直言って少し苦手だ。常に見る側の倫理が試されている感じで、そこから零落することがあたかも非人間の証明となるかのような心苦しい緊張感がある。そういう意味では深い教養やら知性やらが試される「芸術映画」のほうがよっぽどマシな気がする。教養や知性は人生をさらに高質な何かへと昇華させるスパイスに過ぎないが、倫理は人生そのものといっても過言ではない。そんな倫理がもし自分に備わっていないと知ってしまったら、我々に生きる意味があるのだろうか、などと考えてしまう。
とはいえジョージたちの人物像があまりにもステレオタイプに過ぎる、という批判を加えることによってこの映画に描き出されているものが倫理のふりをしたおざなりの二極化主義に過ぎないことを強引に喝破することも可能かもしれないが、そんなことにあまり意味はない。彼らはいかにも平板で、お調子者で、ご都合主義的なステレオタイプの有象無象かもしれない。しかし無機的な人工物であるようにも思えない妙なリアリティがある。
たとえばジョージの行動を見ていると、私はまるで自分の鏡像を眺めているかのような錯覚に陥った。根はそんなに悪くない奴で、普段から愛想を振りまいていて、時には中途半端に啖呵を切って弱者の味方なんかをしたりするけど、不意の挫折が訪れると途端に取り乱して、つい周囲の人やモノに棘のある接し方をしてしまう。そうそう、こうなっちゃうことあるんだよ、いやほんと、単純すぎて自分でも嫌になるんだけど。
おそらくこのように登場人物について「これは俺だ」と思い込んでしまった瞬間が我々の敗北であり、あとは有無を言わさず終幕まで引っ張り込まれてしまう。「倫理に乗るか反るか」などという入り組んだ議論はそもそもすっ飛ばし、最短経路でこちらの襟首を掴んで倫理の世界に引き込む圧倒的な求心力こそがこの映画の正体だといっていいかもしれない。いい奴はいい奴で、悪い奴は悪い奴だというこの映画の安易な倫理に乗るつもりはないが、少なくともこれを見ている間だけは、私はそれに乗っていた。言うなれば「映画の魔法」的なものにかけられていたように思う。
今これを書いていて、改めてジョージたち登場人物に本当にリアリティなるものがあったか考えてみると、不思議なことにそんな気はあまりしない。ジョージも少しずつ私のパーソナリティから遠ざかっていく。やはりこれはある種の魔法だったのだな、と思う。しかし魔法であって何がいけない?人道を踏み越えない限りにおいて、それはフィクションという媒体のきわめて重要な意味だ。