千と千尋の神隠しのレビュー・感想・評価
全207件中、81~100件目を表示
意味不明な場面も、深読みすればするほど、面白さと感動が深まる!これぞ千尋(計り知れない水の深さという意味)
見るの何度目かな?実は公開当時「映像美エンタメは凄いけど、話はいまひとつ意味不明、ナウシカやラピュタの方が面白いし感動」と思ってた。カオナシに現代社会批判が多々こめられている事は理解できても、まだ読みが甘かった。しかし今回また映画館で隅々まで見て、過去のインタビュー記事やネット等の考察も読み、新たな気付きに感動の渦にまきこまれた。これまで見逃してた細かなとこもちょいメモ。
宮﨑監督は映画内で説明しないので、意味不明…と感じた人はヒントにしてみて?
★カオナシ、河の神などが「吐く」行為が何度もあるのは「デトックス、浄化」を表す。醜いが重要。
また、千尋がハクに「この世界の物を食べないと消えてしまう」と食べさせられる小さな丸薬、非常に食べづらそうな様子だが、これは後に、傷ついたハク竜に千尋が苦団子を食べさせ、呪いのハンコを吐き出す場面と対になる。ハクがおにぎり(母の味、人間世界での懐かしい食)をあげて「大粒の涙がこぼれる」のも「苦しみ、悲しみなどの本音を吐き出す」ことであり、浄化。
★油屋は昔の風俗店の象徴という説は有名だが、これは宮﨑監督本人ではなく鈴木氏の言葉。宮﨑監督本人は「油屋=当時の鈴木氏が金儲け主義に傾倒していたジブリ、千尋=スタッフの娘千晶、油婆=鈴木氏(自分も少しミックス)、銭婆=高畑勲監督、窯爺=自分、ハクも一部自分の分身」として描いているそうで。油婆(鈴木氏)が坊(吾朗氏や若手)を溺愛し、血だらけのハク竜(駿氏)を「さっさと片付けな、もうその子(老いぼれ)は使い物にならないよ」と捨てる場面…。
銭婆のヒトガタ(白い紙の、人型の鳥)はあんな恐ろしいのに、実はただの紙。絵コンテを書くのに苦しめられているのね…そして顔も見えない世間の人々の声にも。
それではジブリのイメージを下げると心配した鈴木氏が「風俗店のような日本社会への批判」と評論家うけのよい説をでっち上げマスコミに伝えたそう。その説だけ信じて「何故ソープランドが舞台?」と揶揄する人もいるけど、そもそも「川で溺れたカムパネルラ」「環境汚染の川」を描きたいと先に考えたら、水が重要なテーマになり、神々が遊びに来る場所は湯屋が自然な流れ。千尋の名も深い水を表す語で、ハクが千尋にかけた呪文は「そなたの内なる風と水の名において解き放て」。竜も水神。ただ店名は「油屋」で「水と油」対比なのが意味深。
★「油婆は相手の名を奪って支配する。いつもは千でいて、本当の名は大事に隠しておくんだよ」
「千」は名でなく数字、番号。人格や個性を無視した囚人番号のような。
実は油屋の従業員達は 適当な偽名で契約し、実は意外と自由に(ホワイト企業的に)働いているのだが、ハクは正直に本名で契約してしまい苦しんでいるという説をどこかで読んだ。
宮崎駿氏の愛読書『ゲド戦記』では「真の名」が重要なテーマに描かれ、宮﨑作品は「名」にこだわりをもつ。シータとムスカの本当の名、ポルコも偽名、ハウルの複数の名、そして千ちひ。
(もっとも、ゲドより遥かに昔、古代の古事記やギリシャ神話でも、お化けに名を知られると命を奪われると云う。ちなみに、「この世界の物を食べないと消える」や最後の「トンネルを出るまではけっして振り向いてはいけない」も古事記由来)
若かりし頃宮﨑氏はペンネームを複数使ったそう。ジブリ設立後は「大字武里」(おおあざたけさと。音読みで大ジブリ)というペンネームにしたかったが、すでに宮崎駿の名が有名になり始め、スポンサーが許可せず、以降ずっと本名のまま。仕事で本名を出してしまいプライベートも無く、ハクのように苦しんでいるのかもしれない。
★リンの「雨がふりゃ海くらいできるさ」という言葉、印象的。神から見た下界ってこんな感じかな、海に沈んだ町で人は右往左往しているかな。ダムに沈んだ村…?とか想像したけど、あれは海。電車内の広告に「海老、海の幸」など書いてあった。もしかしたら温暖化の氷解で近い将来海に沈む町や、異常気象の大雨災害を暗喩しているかも。
切手には「のりきり 滋養 絶佳」と書かれ、絶佳とは風景がすぐれて美しい風光明媚。
★窯爺の切符「40年前の使い残し」40年前に何があったのか調べてみた。映画公開2001年なら1961年(昭和36年)に何が?色々な事件のうち関連ありそうな事は不明だが、1941年生まれの宮崎駿監督が20歳の時。色々あったろう。かつて監督と加藤登紀子さんが『紅の豚』対談で「僕らの世代にとっての『あの頃』とは1960年代」と言っていた。安保闘争、学生運動の時代。監督は東映動画入社後は労働組合リーダーとして闘争したそう。『千ちひ』の静かな電車の場面はもしかすると、『紅の豚』の飛行機の空の墓場の雲の場面と関連しているのかも?仲間が命を失ったり、孤独に飛び続けるような心情があったのかも。
★電車に「行先 中道」と書いてある。仏教用語で、二つの対立するもの、有と無、生と死の狭間を表す言葉。また、快楽も苦痛も感じない悟った状態。行先(終点)は悟り(成仏)の状態?監督によるとこれは環状線なので、生死の狭間をずっとめぐり続ける輪廻の輪なのだろう。
★「6番目の駅」は「六道」を表すのだろう。仏教用語で、全ての生き物が、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上、6つの世界のどこかに再度生まれ変わるそう。1復楽時計台駅(仮称)、2油屋駅(仮称)、3南泉駅、4沼原駅、5北沼駅、6沼の底駅。千尋たちは油屋駅で乗った。他の乗客(カオナシと同じく透けた黒い影)は沼原駅で降り、その先は千尋達だけ。その後の北沼駅周辺では派手なネオンがたくさん光っていたのが気になる。そして沼の底駅で降りた。
当時、宮﨑監督は「宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』を描きたかった、誰かの犠牲の上に命が生かされていることを描かなきゃいけないと思った。」と言ったそうで。銀河鉄道を思わせる描写が幾つもある。
『銀河鉄道の夜』では、
1どこかを発車して、2銀河ステーション、3白鳥の停車場、4鷲の停車場、5小さな停車場、6サウザンクロス南十字、7石炭袋の停車場(終着駅)。
ジョバンニとカムパネルラは銀河ステーションから乗り、様々な人々と出会うが、みな6番目の南十字星で降り、車内は2人きりになる。終着駅が見えるといつの間にかカムパネルラの姿は消え(降り)、ジョバンニは1人きりになり、(降りられず)気付くと元の世界に帰っていた。
鉄道内で出会った人々との会話では「ほんとうにあなたのほしいものはいったい何ですか」「ああ、わたしはいままでいくつのものの命をとったかわからない」等まるでカオナシを想起するような話をしていた。また、「そんな神さま うその神さまだ、ほんとうの神さまはたった一人ひとりだ」と1神教(キリスト教)らしき話をし、『千ちひ』は日本の八百万の神様の話で対照的。
情景描写では、銀河鉄道は「高い高い崖の上を走っていて、その谷の底には川がやっぱり幅ひろく明るく流れていたのです。(中略)この傾斜があるもんですから汽車は決して向こうからこっちへは来ないんです。」「汽車が小さな小屋の前を通って、その前にしょんぼりひとりの子供が立ってこっちを見ている」などの描写、雰囲気が似ている。
さらに、1人きり残され泣いているジョバンニにブルカニロ博士は「さあ、切符をしっかり持っておいで。お前はもう夢の鉄道の中でなしに、ほんとうの世界の火やはげしい波の中を大股にまっすぐに歩いて行かなければいけない。天の川のなかでたった一つの、ほんとうのその切符を決しておまえはなくしてはいけない」と語る(初稿)。切符とは人生を生きる上での切符、名前だとすれば、最後の銭婆やハクの言葉と重なる。
★長年ずっと疑問だった数々の点が、誰かの考察「ハクは千尋の兄だった」の視点で、突然つながった。
川に落ちた千尋は裸。なら、あの手は服を着てるから靴を拾おうとする千尋ではない。父かな?と思っていたが、実は絵コンテに「子供の手」と書かれているそう。
川に落ちた(一度は死にかけた)千尋を救ったのはハク。川の神が人の姿に実体化して?
それもあり得るが、万能の神が助けたのでは、銀河鉄道のカムパネルラとつながらない。
しかし「ハクは千尋の兄。千尋の命と引き換えに死に、その後、川の守り神になった」とすれば、まさにカムパネルラで、数々の疑問が腑に落ちる。
なぜ母が千尋に冷たいのか?長男を死なせるきっかけを作った千尋。映画で母が最も異常に冷たいのは、川を渡る時だ。息子を思い出すから。千尋が兄に懐いていなかったはずはない、きっとショックで記憶にふたをしてしまったのだ。それでも千尋には「川に落ちたことがある」とだけ話し、詳細を語らないのは母の優しさ、千尋への愛。無神経で能天気に見える父は妻子を笑わせようとがんばっている。現代社会批判にしか見えなかった家族の姿が、急に切なく、不器用な愛にみちて見えてくる。友達と離され転校させられる寂しさでいっぱいの千尋だけでなく、ずっと胸奥に息子の死をかかえ心ここにあらずで生きる両親だから、「今を生きていない」状態の3人はまるごと神隠しにあった。
命を救われたから千尋は、銭婆に契約印を返しに「戻りの電車は無い」二度と帰れないかもしれない黄泉の国へ行く。窯爺の「愛だ、愛」は兄弟愛。
音楽の「あの夏」「あの日の川」、あの日っていつ?大人になった千尋が、この夏の不思議な冒険を懐かしんでる?そんなはずない、旅を終えた千尋は「今」を生きる子供なのだから、テーマに合わない。「いのちの名前」も同様に過去を懐かしむ歌詞で「消えない夏の日、なつかしいいとおしいひとつの命、いつか名前を思い出す」…ん?映画内では油屋で必死に冒険し、のんびり懐かしむ時間などなかったはず、最後には自分達の名前を取り戻したから映画と歌詞が合わない…?
それらの疑問もつながった気がする。千尋は記憶を取り戻した瞬間、昔 川で命を失い(三途の川、一度は死んだ)自分を救い、ひきかえに死んだハクの存在を知り、その命を思い、その夏の日を思い出しているんだ。自分が死に、救われ、そのひきかえに命を失った人がいるその場面が、この映画で最も重要な場面だから、映画のラストシーンなんだ。(靴が川に流されるラフ画)
千尋は今10歳、ハクは12歳、普通なら自然界の川の神ならもっと高齢のはず。だが元人間で死して守り神になったとすれば合点がいく。12歳で死んで時が止まっているとしても、もっと年下だったが少し年をとり今12歳だとしても、兄妹になり得る年齢差。(時間の流れる速さはたぶん異なる。昼夜逆転で、四季すべての花が一度に咲いている不思議な世界)
人は二度死ぬと云う。一度目は肉体の死、二度目は忘れ去られる時。ハクは守るべき川も埋め立てられ居場所を失い、3度目の死かもしれない。このまま消え去る寸前だったのかも。
饒速水小白主、神様みたいな名と千尋は言ったが、仏様に与える名のようにも感じる。
「いのちの名前」の歌詞では、「見えない川」埋め立てられた川の前で誰かを思い出そうとしている。
「あなたの肩に揺れてた木もれ日」、竜でなく人の姿。
映画の後日だろう。この冒険を忘れた千尋がかすかな記憶でハクの名を思い出そうとしている、とすれば、「秘密も嘘も」は?ハクの「きっとまた会える」が嘘?
別の読みでは、「ハク」とも「饒速水小白主」とも違う名を知ってるような気がして、人の子としての名を思い出そうとしてる…でも千尋は兄だと知らない、ハクも両親も優しさから秘密と嘘を守っているから、ともとれる。
考察しても真相は不明、宮﨑監督の中にしか答えは無いが「何でもかんでも説明したくない」そうなので、どちらともとれるふくみを残したまま、映画の切ない余韻にひたる。どちらもあり得るから、より話が広がり深みを感じられる。例えるなら、俳句や詩にかけ言葉で2重3重の意味がこめられていることに気づくように。
そしてまた、何も理解できなくても、なんだか妙に印象に残る不思議な作品…
そんな、まさに「計り知れない水の深さ=千尋」がこの作品の魅力。
実はみんないい人ばかり。
やはりよい。 金曜ロードショーでいつもあるけど、改めてフルで見ると...
映像美と音楽が素晴らしい
2001 年公開のスタジオジブリ制作の長編アニメーション映画で、監督は宮崎駿、興行収入は 308 億円で、日本歴代興行収入第1位の作品である。この記録は現在も破られていない。第 52 回ベルリン国際映画祭では金熊賞を受賞した。宮崎の友人である映画監督ジョン・ラセターの尽力によって北米で公開され、第 75 回アカデミー賞ではアカデミー長編アニメ映画賞を受賞した。2016 年のイギリス BBC 主催の投票では、世界の 177 人の批評家が「21世紀の偉大な映画ベスト100」の第4位に選出した。
公開直後にすぐさま爆発的なヒットになり、週末映画ランキングでは公開以来 26 週連続トップ 10 にランクインした。さらに、公開 32 週目には前週の 18 位から一気に4位に浮上した。11月11日までの4か月間で、興行収入262億円、観客動員数2023万人を記録。1年以上のロングラン興行になり、最終的には 308 億円の興行収入を叩き出した。実にのべ 2350 万人もの日本人の足を劇場に運ぶに至ったのである。この300 億円という金額は、1年間の邦画の総売上に匹敵するものである。
英語吹替版はピクサー社で「トイ・ストーリー」や「カーズ」等を手掛けたジョン・ラセターがエグゼクティブ・プロデューサー(製作総指揮)を担当した。ディズニーが北米での配給権を取得し、英題は Spirited Away に決まった。吹替版は原作に忠実に制作され、日本公開から1年以上遅れた 2002 年の9月20日、北米 10 都市で公開された。以後約1年間に渡って小規模ながら全米で興行が続き、次々とアメリカの映画賞を受賞した。
日本の神々を翻訳するのには非常に苦労したらしく、大根の姿をした「春日さま」は “the radish spirit”、ハクの本名である「ニギハヤミコハクヌシ」は “the spirit of the Kohaku River” という説明の方が訳語として充てられている。さらに、「えんがちょ」には “Hurry, before it rubs off on you! Put your thumbs and fingers together.” と、この動作を行なう理由ばかりか具体的なしぐさまで補われている。
「千と千尋」は、海外市場全体で 900 万人を動員(丁国 200 万人、フランスとアメリカ各 150 万人)、日本公開から約 2 年の間におよそ 50 カ国で公開された。ただし、アメリカの 150 万人は、日本の 2,333 万人の 7.5 % に過ぎず、アニメーション大国のアメリカとしては、驚くほど少ないとも言える。この作品には、アメリカの一般大衆に伝わりきらない足かせがあったことも否定できない。この作品にアカデミー賞を与えたアカデミー会員は慧眼であったと言えるだろう。
私は日本公開時に子供たちを連れて映画館で数回観に行って、翌年アメリカに家族で移動したら、映画が追いかけて来た形になった。アメリカ公開のニュースを聞いたときは、僅か 10 都市でのみという話だったので、私のいた田舎の映画館まではまず来ないだろうと思っていたが、じわじわと評判になって公開都市が増え、遂に私の住んでいた市の映画館にもやって来たので、また子どもたちを連れて観に行った。化け物と化したカオナシが、泥を吐きながら千を追いかけるシーンで、一瞬観客席の方を振り返り、“Excuse me.” という日本語版にないシーンが追加されていたのには欧米人への心遣いが感じられた。
音楽の素晴らしさは筆舌に尽くしがたい。映画のサントラ CD は一般に寿命が短く、すぐに廃盤になってしまうものだが、この映画のは現在も発売されている。特に千尋が、銭婆に会いに行くために、釜爺からもらった電車のチケットを利用して、電車に乗るシーンの音楽は、とんでもない名曲である。帰りの電車がないというのは、時間の流れを意味していると思われるのだが、夕景の暖かな光の中で繰り広げられる台詞のないシーンは、この映画の白眉である。
2020 年、47 ウィルスのせいで映画の封切りが激減したため、ジブリ作品がいくつか映画館で上映されており、先日娘と観に行った。アメリカで観て以来 18 年ぶりであった。何故最後の問題の結末がああだったのかとか、ハクはあの後どうなったのかなど、18 年前にはできなかった会話をしたが、娘によると、ハクはあの後湯婆婆に約束通り八つ裂きにされたに違いないということであった。マジだろうか?:-D
不思議な国のニッポン
「一生に一度は、映画館でジブリを」っという宣伝文句にまんまと釣られて観に行ってきた「千と千尋の神隠し」。宮崎駿監督のセンス・オブ・ワンダー炸裂ゥゥっといった感じでした。毎回毎回ああいう不思議なキャラクター達を思い付くってスゴいなぁっと単純に感心します。
「千と千尋の神隠し」って言わずと知れた日本での映画の興行収益第一位の作品なんですよね。映画好きのハシクレとして、やっと日本で1番売れた映画を映画館で観る事が叶いました。因みに世界興行収益第一位の「アベンジャーズ エンド・ゲーム」は日本だと100位にも入らないという・・・多分、海外から見れば不思議な国のニッポンですね。
本作ってアカデミー賞の長編アニメ部門を受賞しているんですよね。日本の八百万の神様なんて概念は一神教の方々には解りにくいであろうによく受賞できたなぁと思っちゃうんですけど、よくよく考えたら英語の題名は「Spirited away」。神様は1人だけじゃないとダメなのに、精霊(Spirit)は沢山いても良いという解釈なのでしょうか?この不思議な感じにアカデミー賞会員の人も魅力されたんでしょうね。
言うなれば今回のストーリーって宮崎駿版「不思議の国のアリス」ですよね。もしくは「オズの魔法使い」とか。海外で昔っからある物語の日本版といった印象を受けます。でも海外の物語だと不思議の国に迷い込んでも元の世界に戻る為に冒険するとかですけど、本作だとちゃんと労働しなくちゃ豚にされるので勤勉な日本が反映されているみたいですよね。でも真のテーマは「銀河鉄道の夜」らしいです。
この「千と千尋の神隠し」ってホント不思議で、見終わって面白かったなぁっと思っても具体的に何がどう面白かったか説明しにくいというか。胸が締め付けられるような感動を覚える訳でもなく、頭を悩ますような問題提議がある訳でもなく、ただ純粋に面白かったっという感じでした。
そういえば観た後に色々と検索してて好きだった話がこの映画の後日談。嘘か真か宮崎駿監督がアニメーターの女の子にだけ話したらしいのですが、この映画の後で千尋に妹が産まれるそうです。で、本作で成長した千尋と妹は、「トトロ」でいう所のサツキとメイみたいな姉妹になって、ちょっと冷たかったお母さんとももう一度家族の絆が深まる。といった映画では描かれなかったストーリーが宮崎監督の頭の中でのみあったみたいです。
一度は不思議の国でバラバラになりかけた家族が、それからちゃんと幸せに暮らしましたっていう現代のお伽噺にふさわしいおわり方だと思いました。
日本の神様
1100円なので見に行った。昔高校生の時に映画館に見に行ったのを覚えています。命の不思議、命の記憶、人は過去を思い出せるのか、大好きな人と再びまた巡り合える日がくるのか、そしてアナタも私もそれを覚えているのかそんな人間の営みといのちの悲しさも身に染みましたそしてそれが痛いぐらいに千尋とハクを通じて私にテレパシー的にわかりました。
その時の記憶が蘇りました。本当に素晴らしい体験でした。
不思議な映画ですね。やはりこれは。何がどうの、ってわけじゃなんだけども、見終わった後に「ウ~~~ン」と頷いてしまう、私にとってはそんな映画です。
ハッキリしたメッセージ性とか、そんなの別にいいと思うんです。映画が何を伝えたいのか?とか何が言いたいのか?とか考えるのも好きですが、そんなこと本当はどうでもいいのかもしれません。見た物感じた物が全てです。それが人間の基本だと思っています。あなたが経験し見聞きして感じた事全てがあなたの全てなのだと、私はそう思っています。意味不明でごめんなさい。
とにかく、千と千尋もとい宮崎駿監督作品はそんな感じが多いなと思います。見て感じて受け取った思いそのまま、それでいいのです。その時に見て何を思ったのか何を感じたのかが大切でそれを大事にしてほしいどんな映画もどんな出来事も人間生きる上できっとそれが本当は一番大切だと思いますみんな、「あれはあの時ああだった」とか深く深く考え追求してしまうクセがありますがそれをやればやるほどドツボにハマります。だからきっと本当はその時その時に思ったこと感じたことが全てなのだと思います。だから千と千尋も感じたままでいいのだと思います。
それは日本の神様にしても同じなのだと思います。
湯ばあばが言っていましたが「八百万の神様が疲れを取りにくる湯だ」と。日本の神様も、目には見えないけれどきっとみんなのまわりに存在していてあちらこちらにいて、私たちを見ています。そんな目に見えない存在、感じる、見れる者は見れる、素晴らしいことだなと思います。神様に悪い事していないかな、負担をかけていないかな、そんなことを思った映画だった。特に大量のヘドロと共に神様がやって来た時、大量の(あれは)おそらく人間が捨てた家電製品とか自転車とか粗大ゴミだと思いますが)ゾッとしました。神様、怒っているのだろうな、と思いました。人間の欲望と人間の罪が感じられました。またそれをアニメで見ました。宮崎駿監督に感謝感謝でした。そんな光景を見せてくれて感謝でした。学ぶ事が出来ました。神様も日々の疲れがあるからこうやって温泉に来ているのだなと思うと神様も本当に毎日ご苦労様です、と言いたくなりました。感謝感謝。千尋と共に観客も臨死体験をする、そんな不思議な映画だと思いました。
いつか千尋とハクがまたどこかで出会えることがあるのならば、私はきっとその時に人間の悲しみや苦しみも一緒に受け入れて喜ぶ事が初めて出来るのだと思います。宗教的な映画でもありました。人生は、私は長い長い旅路だと思います。そしてそれはみんな、自分自身を癒して慰める為に気の遠くなるような長い長い、航海のような旅路なんです。みんな、多分それを無意識の内にやっています。私も、アナタもなんです。千尋とハクも、きっとそうなんだと思います。
千尋の傷ついたあの心と、ハクの傷つけられたあの身体と心をお互いが癒し、そしてまたそれはもっともっと遠い未来なのかもわかりませんが、二人はきっとまたどこかで会えるのです。きっと、きっと、本当にどこかでまた二人は巡り会えるんです。それが人生なんです。私はそれを信じたい、それを千尋とハクに教えてあげたい。だってそれは神様が見てくれているからなんです。
神様に感謝なんです。神様に感謝しながら生きたいです。
素晴らしかった
公開当時、宮崎作品はちょっともういいかな見たいな気持ちになっていたのに、見たら久しぶりの大傑作だと思って確認するために2回目見たほどで、今回改めてイオンシネマで見たらやっぱりすごかった。
以前に見た時は面白かったけど、ほんの2~3日働いただけで人間が成長するかと、何か月もやってこそではないかとも思ったのだけど、今回見たらまた印象が違う。仕事初日って、何は普段とは違うイレギュラーが起こりがちで、それが千の身に降りかかっており、あれだけきつい仕事を乗り越えたらそれはたくましくなるし、成長もするだろうと思う。ただ、釜ジイのところに最初に行ったところから千は、選択肢を一つも間違わないスーパーガールぶりを発揮していて、ちょっとできすぎな感はある。
湯ばあばは偉そうにしている割に何がしたいのかよく分からないし、判断ミスもあり、けっこう間抜け。ハクは川なのになんで魔法使いになりたいのか意味が分からない。
大人に観てほしい(映画館で)
柔らかい爽快感
改めてのいい作品ですな
一生に一度は映画館でジブリを、の声に誘われて、見てみました。いやまぁ、リアルタイムで見たんだけどね、、当時はおそらく高校生とかで記憶は曖昧。。
さて、改めて見ましたが、いい作品ですね。
アニメーションとして綺麗だし、ストーリーも見てて飽きない、訳わからない世界のはずなのにわかりやすくて、キャラもみんなたっていてだいたい素敵(ちひろの父さん母さんだけなんかバカなわりに厳しいから好きになれない、笑)
働かないものは豚にされ
大きな世界の中で名前を奪われ自分を見失い
金に目が眩んだものたちは痛い目に遭い
自分の大切なものが変わったことに気づかない
そんな不安な世界で懸命に頑張り成長する千
なんかそれぞれのシーンを様々な解釈で見てる人が考えながらも、ファンタジーの世界にも引き込んでくれる、そんな素敵な作品。
もののけとナウシカも見ようかな(ゲド戦記はやめとく、、)
流れがわかってるのに泣く
千と千尋の神隠しは不朽の名作
三本とも観ちゃうことに。迷っている方は、是非お運びください!
三本とも二回ずつ観てしまうとは、、、。
やっぱり、いい映画ですね。
この三本を超える映画って、ホントないてかもしれないな。
2回目が始まったとき、ラストの千尋の成長を思うと、おお頑張れって感じで、観ることができました。
数年後、また上映されることがあったら、是非観に行くぞ。
-------------------
ナウシカは、通算20回以上観たと思うんです。
しかし、もののけ姫、千と千尋の神隠しは劇場で1回観たきりだったんです。
ナウシカは、覚えてないシーンがないくらい鮮明に覚えたんです。しかし、後の二本は、内容を全く覚えませんでしたので、初めて観る感覚で観ました。
なぜか、刺さらなかったんですかね。
しかし、20年を経て、歳とってから観ると、感じ方が違うのか、また観たいという気持ちにさせてくれます。
今回、コロナの影響でリバイバルとなったかもしれないですが、たまには上映して欲しいです!
この三本を観て、自分の好きな映画がわかりました。
悪役でも真の悪人ではない。誰かにとっては善人かもしれない。みんな、生きてて良かったと思える映画が好きなんだなあと思いました。
好きなセリフは、
良き哉。
好きなシーンは、
ハクの名前
鎌爺がそっと布団掛けるところ
この歳になって、
りんさんの素敵だったことに気づいた。
観て良かった
久々に見たがこんなに傑作でしたっけ
10年以上ぶりに見ました。子供のころに見て「なんだかよくわからない映画だし、ラピュタやもののけ姫のほうが面白いや」なんて思ってましたが、いざ見始めると、導入のタイトルシーンだけでウルッと来てしまった。
そのほか、千が泣きながらおにぎりを食べるシーンや釜爺が寝ている千に座布団を掛けるシーン、電車に乗って銭婆に会いに行くシーンなど、久石譲さんの音楽もあいまって何気ないシーンで泣きそうに。そこでその曲は卑怯でしょ。
自分の言葉で話せないカオナシは現代の若者を、従業員を契約で縛り、モルタル製の温泉を経営している湯婆婆は資本主義に染まった大人たちを表しているのか、
この映画は一人の未熟な少女の成長を通して、僕たちが忘れかけている「生きるということ」を教えてくれているのかな、なんて思いました。
全207件中、81~100件目を表示