ピアニストのレビュー・感想・評価
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全然深さのない見方でごめん
深く観たり熱演を讃えたりも出来るんだけど、あれは男は怒るよなっていう現実的な感想が率直なところ
彼は出した後はいつも冷たいじゃん、愛とは違うじゃん
普通の性愛がしたかったのにめんどくさい病んだ女だった
彼女は人格障害だろうね
そんな浅い感想はダメ?
エリカの陰湿さ
ものすごい重さが残る
そういえば観た事がなかったので借りてみました。
ピアノ教師と美しい青年との、めくるめく愛の行方。だと思ってたら全然違いました。
やはりそこは「ファニーゲーム」のミヒャエル・ハネケといったところ。
イザベル・ユペール演ずる、厳格な女性ピアノ教師エリカ。そのピアノ以外の日常がもうおかしい。
過干渉で厳格な母親のもとで育ち暮らす中で、削れ歪んでしまったであろうエリカの心。
その衝動的な行動はほとんど常軌を逸していました。
そんな彼女が抱き続ける秘密、倒錯的な性嗜好もすごい。
そしてブノワ・マジメル演ずる美少年ワルター。
彼もエリカの恋心を抱きつつ、徐々に彼女の闇に引っ張られてしまったようでした。
そんな二人のファーストキスシーンは、稀に見る衝撃的なシュチュエーションでした。
エリカの誰も近づけないミステリアスな空気に惹かれていったものの、ワルターは彼女の秘密を受け止め切れず愛は瓦解。
そこから二人は、求め合うも共に深く傷付け合う事しか出来なくなり崩れてしまいます。
そうして何処に向かうか分からない、不安定なまま迎えたラスト。
それは、縛り付けられていたピアノと母との訣別にも見えました。
主演二人の密度の濃い芝居と、その重厚な物語が相まって、ものすごい重さが残る作品でしたね。これはすごかったです。
ハネケ、不快で観ていて落ち着かない気持ちにさせる天才。
ハネケ、不快で観ていて落ち着かない気持ちにさせる天才。
ファニーゲームほどの、強烈さはないけど
人間を生物と捉えて観察する冷たい目線はヨルゴスランティモスへの影響を感じる。
(ファニーゲームと聖なる鹿殺しはかなりの近似性があるし、籠の中の乙女はピアニストに似ている)
説明的な部分が少ないのに、ここまで人間を追い詰められるのが、すごい。
ハネケの好きなところは、男である女であるとゆう前に人間とゆう属性であり、人間も動物であるとゆう
冷めた平等さが心地よく。
不幸や不満や暴力を前にしていかに人間が無力で
愚かなのかと体感できることと、そんな無慈悲な映画なのに人間が美しく写されてる所。
とくに男女それぞれの美しさが、いわゆる普通の異性愛的表現から離脱してる感じが良い。
エリカの異常さと、自らを守る為に作った壁の厚さと、
妄想と現実の乖離への絶望が全て描かれているのにびっくりした。男性のハネケが何故ここまで理解して描けるのか、、、観察と想像の賜物なのか。
配信で鑑賞
芸術における精神活動は、ギリギリの精神崩壊と裏腹なのだ。
ふるい落とす。ふるい落とす。そして徹底的にふるい落とす。
欠点を探し、弱さをあげつらい、決して人を認めたり褒めたりすることなどしない、それがピアノ教師イザベル・ユペール (エリカ) だ。
自分をふるい落とし、他者をもふるい落とす。
彼女は、自らの不安と、いずれ訪れるだろう”精神の破滅“よりも先んじて、自分で自分を傷害し、始末をしようとする。
その墜ちる猛スピードの様が痛い。
父親は精神の療養施設におり、
毒親の母は娘に寄生して依存。この母親が凶暴なステージママとして娘を支配し続ける。
リストカットならぬワギナカットでメンスを装い、干渉する母親との間合いを創出。
自身の性欲への抑圧も刑罰も、バスルームで加えられる自傷シーンがいたたまれない。
一瞬の正気にしがみつき、発狂ラインに接近する「精神のたそがれ」というユペールの表現が耳に残る。
自らの将来の発病を予感して生きる、そんな子供たちの、現実の恐怖感が残響のように耳に残るのだ。
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「作曲家シューマンの精神の病」についての研究は
アドルノも、そして精神科医にして指揮者でもあるジョゼッペ・シノーポリもやっている。
シノーポリなどは交響曲2番のスコア譜からシューマンの異常が見いだせる部分をマークし、修正せずに、却って誇張してタクトを振る実演をしているほどだ。
ところが溢れ出す。溢れ出す。溢れ出す。
好青年ワルターとの衝撃的な出会いで、エリカの感情とホルモンが溢れ出し、彼女の横顔を変える。化粧が、髪が、ブラウスが美貌へと変わる。
萎える、萎える、萎える。
これでは男は駄目だろう(笑)
ハッタリを噛ませて年上の彼女に猛烈にちょっかいを出していた若者ブノアの姿が最高に可笑しくて、その「手紙事件」への戸惑いがまた滑稽で、あれは何度も声を出して笑った。
見込み通りだ。ブノワ・マジメル。
若い頃から本当にいい役者だ。こんなに豊かに表情のバリエーションを持ち、自由にそれを繰り出せる役者も そうはいない。
「王は踊る」、
「愛する人に伝える言葉」、そして本作
「ピアニスト」。
ブノワ・マジメル集中鑑賞月間の
望外の収穫でした。
線の細いイケメン俳優としては、ギャスパー・ウリエルを失ったことの喪失の大きさを改めて思い出してしまうけれど、残されたマジメルの存在の貴重さをも感じた。
そして、なんとここまで“境界線”を演じ得るイザベル・ユペールの、彼女が一級だと言われる所以が、この昔の作品を観ることで 僕は初めて分かった。
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余計なBGMが使われずに鍵盤と手が映る撮影。
バッハ、シューマン、シューベルトと、たくさんのレッスンシーンが見られて満足だ。
音大のピアノ専攻の学生たちも、指導する教師たちも、この表題=「ピアニスト」に誘われて多くがこの映画を観るに違いないが、恐怖に侵されずにピアノを楽しんでもらいたいものだ。
下痢をするほど緊張しいの生徒アンナと、干渉(応援)するそのお母さんの関係を見れば、これは主人公エリカと母親だけの特殊なストーリーではない。
みんなにも心当たりのある、どこにでもある 家族と音大生の物語なのだ。
親子、音楽、
それらへの愛と憎。愛憎。
自分の中の表と裏。表裏。
対外的なフォーマルな顔と、個室に戻って内鍵をかけた時の私たちの顔。
そこ、えぐり出す監督の露悪趣味と、けれどもそんな人間たちへの限りないいたわりと優しさ。
その二つの面が切々と迫る秀作だった。
だってハネケ監督は、エリカと、エリカの破れを決して切り捨てず、こんなにも彼女の全てを包みこんで、優しく撮ってやったではないか。
ヤバいヤバいヤバい・・
サスペンスの終幕になだれ込んでゆくけれど。
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追記2024.1.28.
ブノワ・マジメル「ポトフ」鑑賞。
【”異常なる性癖を持つ美しき女性ピアニストの密やかなる愉しみと、深い深い哀しみ・・。”イザべル・ユペールのど根性女優魂に驚く、ミヒャエル・ハネケ節全開作である。】
ー 今作は、ハッキリ書くが、観ていて不快なシーンが多い。
だが、後半になり、イザべル・ユペール演じるエリカの深い深い哀しみが露わになって来るシーンを見ると、ある意味非常に印象的な作品になって来るのである。
ミヒャエル・ハネケ監督の仕掛けた罠に、マンマと引っかかっているのである・・。-
◆感想<Caution! 内容に触れています。>
・余りにも有名な、エリカを愛するイケメン学生ピアニスト、ワルター君が女性WCに乱入し、エリカを抱きしめるも、彼女が取る異様な行動に驚く。
ー あの焦らし方は、男にとってはヒジョーにツライと思う。
ワルターを演じた若きイケメン俳優さん、大変だっただろうなあ・・。-
・エリカが教える神経質であがり症のアンナに対して、エリカが行った異様なる行為。
ー ピアニストには、指がとても大切な事は十分に分かっての行為であろう。
この時点で、”エリカはサディストではないか。”と思ってしまう。
既に、ミヒャエル・ハネケ監督の罠に掛かっているのである。-
・エリカが、平気な顔で一人エロビデオ屋に行って、個室で前の男性客が残したティッシュを鼻にあて、匂いを嗅いでいるシーン。
ー いやいやいやいや・・。-
・徐々に、エリカの本当の性的嗜好が明らかになっていく過程の描き方も凄い。ワルター君に対し、手紙を渡し、迫って来る彼に、無理やりその手紙を読ませるシーン。
で、ワルター君、気分を害して退出。
ー そりゃそうだろう。愛する女性が書いた手紙の内容が、あんなマゾヒスティックなモノであれば、男だったら冷めます・・。-
・だが、ワルター君は、エリカにアイスホッケー中に呼び出されて、アンナ事をされて、御立腹。
で、彼女が手紙に書いた”要求事項”を着実に実行する。
エリカの異常なる性癖を生み出したと思われる母親を部屋に閉じ込めて・・。
ー 異常なる人の妄想を実行したら、犯罪です・・。-
<ラストシーンもショッキングだが、エリカの深い哀しみが分かるのである。
過干渉な母親と長年同居していた故か、エリカに生じた異常なる性癖と深い哀しみ。
そして、無音のエンドロール・・。
鑑賞後の後味が非常に悪い作品である。(褒めてます・・。)>
不完全燃焼の残り香
ハネケらしく意地の悪い映画だが『ファニーゲーム』ほど露悪に振り切れてはいない。ただそれは言うなれば物語がブラックユーモアという解放に転化しうる可能性を自ら断ち切り、不安と焦燥を抱え込みながらやがて訪れる破綻へと着実に歩みを進めていくことに他ならない。それゆえフラストレーションの溜まり具合でいえば『ファニーゲーム』を凌ぐ、と個人的には思う。
エリカとワルターは常にすれ違い続ける。お互いの愛の波長が重なり合うことはなく、一方の渇望と一方の拒絶が虚しい空転劇を演じ続けるばかりだ。エリカの倒錯趣味やワルターの暴力描写が目立つせいで、本作はあたかも特殊性癖の倒錯者同士が織り成す突飛で滑稽な見世物のような印象を受け手に与えるが、そうした装飾を剥ぎ取ってみると意外にも素朴で普遍的な愛憎のすれ違いドラマが物語の中心に鎮座している。
ただ、そういう使い古された主題をここまでセンセーショナルに、なおかつ性急すぎる露悪に陥らないくらいの良識を持ちながら調理できるところにミヒャエル・ハネケのすごさがある。エリカの異常性癖も過保護でヒステリックな母親とピアニストという禁欲的職業という周辺性とうまいこと釣り合いが取れており、それゆえアメリカ映画のbitchのような単に奔放な性欲主義者とは明確に一線を画している。
ラストシーンでエリカが自分の胸部にナイフを突き立てるシーンは鮮烈だ。寄る年波、肥大化する自意識と支配欲、そして最愛の男。その全てに裏切られた彼女が死に向かうのは必然だ。それでも彼女はその場で倒れ込むことはせず、自力で音楽ホールを脱し、どこかへと去っていく。彼女を生にしがみつかせる何かがまだこの世に存在しているのか、あるいは格調高き音楽家としての彼女の強烈な自意識が音楽ホールという聖域での頓死を無意識的に拒んだのか、いずれにせよ無人の出入口を移し続けるショットには不完全燃焼のまま途絶した恋の痛切な残り香が燻るばかり。
🎦シンプルな情熱のその先に・・・
隠しながら曝け出す
こじらせピアノ講師の狂気
・個室ビデオで使用済みティッシュを嗅ぐ、バスタブで股間にカミソリをあてる、カーセックスを覗いて放尿など生理的に嫌悪感を抱くような性的倒錯シーンの数々
・緊縛を要求する、物置部屋でフェラしたら嘔吐、母親にキスをする、殴られてセックスするも無表情
・ラストは先生がナイフで自分の胸を刺して会場から出ていってエンド、思わず「えっ!?」って声出た
・監督がこの作品で世に訴える並々ならぬ意欲は伝わってくる
・この見ていて逃げだしたくなる感覚はハネケならでは
性の倒錯と歪んだ衝動
男性社会の中でキャリアを積む女性というのは、ある種誰しも精神的には男性にならざるを得ない場面が多々あると思う。そうした中で、無意識にも精神的な性の倒錯、偏った成長に伴う歪んだ衝動が生まれるのではないかと思った。反発し合うそれらはある面から見たら狂気的で恐ろしいのだけど、また裏返すととても幼く純粋で美しくすらある。最後のナイフを使うシーンの主人公の表情は凄まじかった。そして、その後の颯爽とした去り際…。それでも自分らしく生きるしかない。強く儚く美しい。印象深い作品でした。
ハネケ節全開
オーストリア人監督、ミヒャエル・ハネケは人を不快にさせる映画をバンバン作ってる人です。そのやり方はほんとすごくて、よっぽどの確信犯的な自信がないと出来ないほど。「この人、友達いるんだろうか?」って余計な心配してしまうほどです。ちなみに、わたくし彼のファンです。
この映画の、音楽と人との関係は、「戦場のピアニスト」などの作品とはまったくの対極。音楽ばっかりして常軌を逸し、それでも尚人生を生きてる女性が題材です。あくなきプロ根性と申しましょうか。究極に突き進んだ人ゆえの痛さと悲しさが、胸につきささります。そして、そんな人は恋愛ですらも屈折してしまうんですね。普通を超越している故に、普通の感情表現ができないのです。
そういった主人公に、ハネケ監督は救いの手を安易にさしのべたりしません。すごい集中力で彼女を突き放しつつ、見捨てずに、最後まで描ききります。それが、この手の作品にややもすれば付着してしまう独善性を見事に払拭しているのです。あくまで見る人の目を意識し、判断を監督自身でするのでなく、観客に委ねているんですね。お見事です。
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