真珠の耳飾りの少女のレビュー・感想・評価
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色調や光がきれいで、静かなエロスを感じられる作品。スカーレット・ヨ...
色調や光がきれいで、静かなエロスを感じられる作品。スカーレット・ヨハンソンの透き通るような白さが際立っていた。もう少し、コリン・ファースの見せ場が欲しかったかも。
絵画的作品
あの有名な絵画の誕生秘話をスカーレット・ヨハンソンが静かで官能的に演じます。
良いですねぇ~
光の陰影や静かな演出など、派手さはなくとも惹きつけられるものがありました。
スカヨハがあまり好きではなかったんですが、これははまり役だと思います。
ミュージカル映画というものがあるのなら、絵画映画と呼ばれるものがあ...
ミュージカル映画というものがあるのなら、絵画映画と呼ばれるものがあってもよいのでは?この映画はフェルメールの展覧会に行ったことがあるかないかで、全く感想が違うだろう。
総合芸術
真珠の耳飾りの少女(2014-12-26)
★★★★☆
フィメールの真珠の耳飾りの少女は、なぜあんなにも人を引きつけるのだろうか。
何か見透かされたような目と言いたげな唇青と黄色の静かなコントラスト
その全ての魅力を最大限に引き出し、さらに多くのプラスアルファを加えたものがこの作品である。
スカーレット・ヨハンソンは相変わらずの美人であるが、この作品では色っぽさをましている。
口で口説くとか、身体であからさまな表現をしているとかではないけれど
だからこそなおさらの甘美な甘さが感じられる。
しっとりとした目つきだとか、髪を見られたときの表情だとか
共感してくれる人が欲しかったんだろうな
自分の妻に「そんなこと」と言われることを木にかけてくれる存在がどれほど貴重で且つ待ち望んでいたか
これは愛情だとか欲情だとか そんなレベルの欲求ではないのだ
1時間40分をかけて1枚の絵画を見ている感覚
最後にクローズアップされる真珠の中身に入ったように錯覚をした
瞳に魅入られている私は、また瞳の中に存在しているのだと
美しい。こんな映画好きです。
ずっと前から観ていなかった映画。
やっと観ました。
思いの外、美しい映画。
釘付けで観てしまいました。
スカヨハだったのですね。
ファンなのに気づかなかった・・・・・。
美しすぎるくらい美しい映画でした。
実際の運河は汚いのだろうでしょうが・・・
美術の謎に対する一つの解釈だが、ちょっと時間を持て余す
総合60点 ( ストーリー:60点|キャスト:65点|演出:65点|ビジュアル:75点|音楽:70点 )
フェルメール作品を分析して、光がどの角度からどのように当たっているのか、絵はどのような状況を描いているのか、使われている絵具は何かなどということを明らかにする研究家がいる。この作品はそのような数々の研究成果を劇中にひっそりといくつも取り入れていて、美術好き・フェルメール好きな人には美術的観点から興味深い点もあるだろう。場面場面にフェルメール作品を意識したと思われる情景をそのまま映してくるのも、それらへの造詣が窺われる。
自分もフェルメール作品が好きで「真珠の耳飾りの少女」が収蔵されているマウリッツハイスをはじめとする美術館を見て歩いているので、その意味では再現された当時の生活と雰囲気も合わせて楽しめた部分もあった。
でも物語としてはそれほど大きなこともなくて、美的感覚を共有した大天才画家と少女の二人の一瞬の触れ合いと、この謎多き絵画誕生の一つの解釈だけ。実際は絵の中の少女が誰なのかは未だにわかっていないのでこれはこれでいいのだが、ちょっと時間を持て余し気味だった。
芸術を生むにはお金がかかる。
生来の“才能”を人生で活かせないというのは何とも悲しいことだ。本作のヒロイン、グリートの才能は芸術的審美眼。
画家とモデルを題材にした映画は多数作られている。そのほとんどが性的な関係を含んだ愛憎物語になることが多い。しかし本作のフェルメールとグリートの“愛”は男女の愛情よりも芸術家としての愛情が勝っている点が興味深い。もちろんその奥底には男女の秘められた愛情があったことは確かだが。
17世紀のオランダの画家フェルメールはその人気の割に現存する絵画が少ないため希少性が高く、日本での展覧会など毎回長蛇の列が続く。その中でも特に人気が高いのが本作のタイトルにもなっている『真珠の耳飾りの少女』だ。かねがねこの作品が他のフェルメール作品の中で異彩を放っているのを不思議に思っていたのだが、本作を観てその謎が解けた(もちろん本作はフィクションであるが・・・)。フェルメール作品は主に室内で起こっている情景を引きでとらえたものが多く、窓から入る光を有効に使い、人物とその周りの小道具や背景(壁)を微細に描いているのが特徴だ。しかし『真珠の耳飾りの少女』は、黒バックの中の少女のクローズアップという大胆さだ。何故フェルメールはこの作品を特別にこのような構図で描いたのか?本作を観れば彼がモデルに特別の想いを抱き、さらに本作が「未完」だったことが解る(それゆえの黒バックと解釈)。だが未完に終わったからこそ、世界中を魅了する作品になったことも確かだろう。
さて、映画は17世紀のデルフトを舞台にしているというよりも、フェルメールの絵画そのものが舞台と言って良い。フェルメールの特徴である淡い自然光によって生じる陰影をそのまま再現した映像と、計算しつくされた絵画の構図そのものの画面構成。ショットが切り替わるたびにフェルメール絵画そのままが目の前に広がり、思わず感嘆の声が漏れる。奥行きの豊かさ(小津作品に通じるものがある)、そこに配置されるのは17世紀の人物そのもの。本物のフェルメール絵画を観ているような映像が本当に素晴らしい。
その美しい映像をさらに美しくしているのは、グリートを演じるヨハンソンの清楚な美しさだ。知的で奥ゆかしく純真。画家なら彼女を描きたいと思うのも当然だろう。しかし彼女は美しいだけでなく、光や雲や空の「色」を感じとるセンスを持っている。色彩だけでなく画家が描こうと思う人物の内面までも見て取れる審美眼を持っているのだ。フェルメールが彼女に惹かれたのは、本物の芸術家同士にしか理解できない「魂の呼応」による。もしこれが現代ならば、グリートは女流画家として成功するか、あるいは本物の絵画の価値を見抜ける者として、才能ある画家のパトロンになれただろう。しかし、裕福な者でしか芸術に接することの出来ないこの時代、単なる下働きの女中では、スケベおやじに慰み者の対象として見られるか、画家の妻の嫉妬の標的にされるだけだ。この時代の絵の具は原料に宝石などの鉱物を使うため大変高価だったと美術番組で観たことがある。特に「フェルメール・ブルー」と呼ばれる彼が好んで使ったアクアマリンは純金と同程度の価値だったとか。だからこそフェルメールは裕福な妻や義母やパトロンの言いなりになるしかなかったのである。画家にとって作品は金には変えられない「命」であるはずが、金がなければその「命」を守れないというジレンマ。妻の嫉妬によって追い出されるグリートを黙って見送る彼の心中は察するに余りある。
できればグリートはその後、肉屋の息子と結婚して、裕福ではないが身分に見合った幸福な家庭を築ければ良いと思う。そしてたまには日々の雑用の合間に空を見上げて、刻々と変化する雲の「色」を楽しんでくれれば良いと思う。
絵画のような映像です。
絵画制作秘話。
フェルメールは作品が少なく、生い立ちは謎に包まれている。が、彼の作品を探ろうとすると違和感がある。画中の男女にはいつもそれ以上立ち入ってはいけない秘密を感じてしまうのだ。この映画もそうだった。
画家と使用人の不思議な関係。決して恋愛では無いけれど、そこには色を混ぜて新しく作るような・・・化学反応が起きている。
この微妙な空気感を見事に演じきった主演の二人の演技がすばらしい。スカーレットヨハンソンは絵からそのまま飛び出したモデルのごとく、また口下手なフェルメールが耳飾りをそっと贈る優しさに最後は静かな感動を呼ぶのである。
ごらん、雲を。何色だ?
映画「真珠の耳飾りの少女」(ピーター・ウェーバー監督)から。
画家・フェルメールの名画「真珠の耳飾りの少女」に秘められた
至高の愛の物語であるが、私のメモは、
フェルメールの家にメイドとしてやって来た少女の
色彩的才能を見抜いた時の会話が気になった。
「ごらん、雲を。何色だ?」り問いに、
彼女は最初「白・・いや白じゃない。
黄色・ブルー・灰色・・色が混ざっています」と答える。
そのシーンがとても印象的だった。
彼女は、フェルメールに「アトリエの窓は拭いても?」と訊ねる。
その後「光が変わりますが」と付け加えて。
その時彼は「おやっ?」と感じたに違いない。
他人の才能を見極めるのは難しいが、
自分なりの判断基準を決めておくのも悪くない。
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