アワーミュージックのレビュー・感想・評価
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天国編は怠慢で傲慢な受け手へのご褒美
菊池成孔が「ゴダール作品なのに通常の劇映画と同じ規範において面白い」みたいなことを言って本作を褒めそやしていたのでそれなら俺も…と見てみた次第だが、結局いつものゴダールじゃねえかよというのが正直な感想。何度寝落ちかけたかわからない。
映画が運動ではなく言葉によって占拠されていくことへの反感と、それでも言葉がなければ映画は先に進んでいかない、そういう複雑な時代に差しかかりつつあるという諦観。映画という芸術あるいはメディアに対するゴダールのアンビバレンツな感情が、運動だらけの地獄編と、言葉だらけの煉獄編の対比の中に語られている。
ただ、そういう構造的なアレコレはなんとなく理解できるものの、劇映画として面白いかと言われると首肯しかねる。初期ゴダールに散見された、思わずハッとさせられるような官能的なカットも少ない。というかそういうカットはラスト数分の天国編に小さくまとめて格納されていた。これのために俺は80分を耐えてきたんだなと思った。怠慢で傲慢な受け手へのささやかなご褒美だ。
舞台はセルビアじゃなくてサラエヴォです。。。。
舞台となるサラエヴォのあるバルカン半島は「ヨーロッパの火薬庫」と呼ばれていました。旧ユーゴスラヴィア連邦ボスニア・ヘルツェゴビナ共和国の首都サラエヴォは、古くはオスマントルコ、次にオーストリア=ハンガリー帝国に支配された土地で、オーストリア=ハンガリー帝国の皇太子が訪れた時に暗殺されたことがきっかけとなって、第一次世界大戦が勃発しました。その後、チトー大統領独特の自由な共産主義と強烈なリーダーシップによって栄えましたが、彼の死後連邦国家は崩壊し連邦首都のあったセルビアとその他の共和国との間で次々と紛争が起こりました。
ボスニア・ヘルツェゴビナ共和国では、国内のセルビア人勢力がサラエヴォを囲む丘を重火器と狙撃兵で隙なく固め、サラエヴォに住む普通の人たちは、窓辺に立ったり見通しのきく橋を渡るときには丘の狙撃兵から狙い打ちされる状態で何年も生活していました。サラエヴォは、連邦国家首都のベオグラードよりも、もっと国際色豊かな小さな都市でした。セルビア人(セルビア正教)、クロアチア人(カトリック)、ユダヤ人(ユダヤ教)、ムスリム(人種的にはセルビア、クロアチア人と同じだがオスマントルコ支配時代にイスラム教に改宗した)の人たちが隣近所に混在し結婚も自由でしたが、戦争によって家族や友人と切り裂かれ憎み合うようになってしまったひとがたくさんいます。
この映画ではイスラエルとパレスチナ、ユダヤ人、アメリカインディアン、詩人、小説家などが現実もそうである人と役柄がそうであることが重なり、切り返されています。言葉もフランス語、英語、アラビア語、セルボ・クロアチア語、あと和訳がなくて意味もわからなかったですが、もうひと言語あったと思います。
内部のがらんとした大きな空間に火が焚かれていて、小さな本の山ができているのは、国立図書館です。この建物が爆撃を受けたときに、ヨーロッパに衝撃が走りました。なぜならこの図書館はサラエヴォの民族共存の文化的象徴だったからです。ボスニア内戦は、まず文化を殺戮するところから始まったのです。異なる文化が普通に共にあること、それを圧倒的な暴力をもって拒絶することから始まったのです。サラエヴォの悲劇は今日の世界様相を予言していたとも言えます。
だから、ゴダールはこの映画を世に出したのではないでしょうか。
主な登場人物として同じような年頃の二人のフランス系ユダヤ人女性が登場します。一人はジャーナリスト、もう一人はゴダールの通訳の姪です。二人は重なるようで重ならないしすれ違いもしません。前者が訪れた観光地モスタルの破壊された橋は、かつてカトリック教徒とムスリムが住む地域を繋ぐ世界遺産でした。その橋の破壊はユーゴスラヴィア内戦の象徴的な悲劇でした。こういう知識は理解を深める手助けになることと思いますが、例え知らなくとも並べられた大きな石が橋を形成していたものであることは分かりますし、またそれに番号を付けて復元する行為を「まるで原語の起源を辿るかのようだ」と表現した言葉だけでも言わんとするところは感じ取れるのではないでしょうか。
生きることと死ぬこと、光と闇、聖なるもの、残酷さ、悲劇、命、などのシーンが切り返されて、そこに言葉の断片が織り込まれることによって、説明しきれないけれど何かを理解しているような感覚が身の内におきてきます。
自分の思い込みを離れて、物語を勝手に作り出そうとすることや言葉で理解しようとすることをやめれば、この映画の、わたしたちの音楽が聞こえて来ることに気づくことでしょう。目を開けて映像を見ることに努め、目を閉じて想像することに努めることによって。
御大すいません。解らないですm(__)m
御大ゴタールの新作です。
ヌーベルバーグの旗手として映画の文法を壊しながらも天才の才能を遺憾なく発揮して来たが、近年の御大の作品はもはや本人にさえ理解できないんじゃないか?とさえ思え…。
さて素晴らしい予告篇に惹かれて観たのだが!すいません御大やっぱり分かりません(x_x;)
冒頭で‘人類の歴史は殺戮の歴史だ’と言わんばかりに記録映画と劇映画を混ぜ合わせた映像を流した後で本篇に入る。
ユダヤ系女性ジャーナリストがサラエボ内戦の悲劇を取材し、やがて講演の為にやって来た御大自らにその記録を渡すのだが…。
有名な詩人や作家が実名で登場しているらしいのだけど、正直なところだからどうなのかよく分からず(;¬_¬)セリフ等はいつもの様に様々な【詩】から引用されているのでしょうがはっきり言ってよく分からない。
相変わらず映像はとても美しかったので退屈しないで済んだけれども、ラストのエピローグは御大にしてついに癒しを求める年になったのか?と思ってしまった。
俺みたいなのに採点されるのは心外かもしれないが御大許して頂戴ね(笑)
それにしても難解な程世界中のフアンから喜ばれるって…本人は一体どう思っているんでしょう!
難しいです
ジャン・リュック・ゴダールの現時点での最新作です。この人の映画ははっきりいって理解しようとすることがいつも不毛に思えてくるほど、独特の作風があります。それでも初期の頃の作品には理解できなくても、セリフ一つ一つにハッとさせられたり、作品全体を通じてなにか快感を覚えるパッションが流れていて、それはそれで好きだった。
今作は、一つの国家として完全消滅したユーゴスラビアの首都セルビアでの悲劇やら、そこに流れる民即感情の怨恨やらなにやらがテーマになっています。構成はダンテの「神曲」を意識したものになってて、ゴダールの編集はもはや神秘的です。
それでも、そういった題材にうとかったわたくしには、とにかく上映が終わるまで「?」でした。そういった歴史上の悲劇にアンテナを巡らせてくれた事では、観てよかった映画です。それでも本作で思ったのは、ゴダールもまたグローバリズムと闘っており、民族性に回帰するというのが一つのテーマのようであること。また、今作は題名にも示唆されているとおり、わたしたち全員の心に流れる「旋律」が作品の肝らしく、なかなか魅力的です。
でも、やっぱり難しかった。
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