誰も知らないのレビュー・感想・評価
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子どもたちのパラダイスと過酷な現実
世間的には悲惨な事件として認識された巣鴨の子ども置き去り事件。実際にそれは悲惨なものであるのだが、そのレッテルが覆い隠したものにこそ是枝監督は焦点を当てる。
子どもを置き去りにする母親の無責任さを断罪すべきという声が、欧米の観客からもあったという。子どもの人権を考えれば断罪すべきかもしれないが、監督にとって映画は誰かを裁くためのものではない。ここで描かれるのは、子どもたちの幸せだった時間。人間の生活は新聞記事ほどシンプルに切り取れるものではない。残酷な事件だが、されだけで彼らの人生は残酷なものばかりだったわけでもない。
断罪にこだわれば別の真実を見落とすだろう。努めて観察的な監督の視点は社会を見つめる上で重要だ。怒りも忘れてはならないのだが、多面的な視点はもっと重要だ。それが残酷な現実であればなおさらそうだろう。是枝監督の視線のあり方は本当に誠実で貴重なものだと思う。
氷山の一角
アマプラで鑑賞。
柳楽優弥君の功績(カンヌ最年少男優賞)は、当時話題になったので知ってはいたが未見だった。
目力が強く自然な演技だった。
衝撃作である。
この作品が2004年公開だが、虐待のニュースが未だ絶える事がない。
昔からこういう母親はいたわけで、悔しい思いがする。本当に、どんな事情があるにせよ、育てられないなら子供産むなと言いたい。たまに帰ってきた時だけかわいがり、お土産でごまかす。子供達はペットのようだった。
上の2人は大体わかっていて、ほしいのはそんな物じゃないというのが伝わってくる。
そして周りの少しでも関わりのある大人が、どうにかできなかったか。
誰かが通報するまでの日々を描いてると思うが、スーツケースに幼い妹…大変ショックで悲しい話だ。
何も言えない
2004年の作品だが、「普遍的概念」に満ちている。
当時は賞を取ったことで有名になった作品だが、今回初めて見た。
物語は実際の事件をモチーフにしているが、製作者はその根底に感じたものを我々に提示している。
冒頭 アキラが大きなキャリーケースを持ってモノレールに乗っているシーンがある。
これは最後のシーンとなっているが、アキラの衣服のほころびと、キャリーケースを撫でるシーンが彼らの結末を表現しているものと気づいた。
そしてタイトルが現れるが、その右半分の余白は大きく空けられている。
この後この手法を取り入れた作品が登場しているが、つまりこの作品そのものが視聴者へ向けられたメッセージとなっていることが伺える。
私が見終えた後に感じたその余白は、
誰も知らない「誰も知ろうとはしないから」だった。
さて、
この物語に見られる「変化」
母親の存在と仲睦まじい兄弟たち。
それなりの訳アリだとわかるものの、彼らに暗さはない。
それが次第に変化していくのがこの作品の見どころだろう。
長男のアキラの明晰さにかこつけて、母親はすべてを彼に任せてしまっている。
これが母親のだらしなさの元凶になっているのだろうか?
アキラを見て、母親は「もう彼らだけで生きていける」と判断したのだろうか?
また、
大家はあの状況から無理に家賃を取り立てないことにしたと思われるが、それは、やさしさだったのだろうか?
毎日毎日公園で水を汲み、トイレをそこでして、洗濯もする。
誰もが使っている公園での彼らの日常に気づかないはずはない。
実際に事件ということが明確化されなければ、当時の東京は、かなり他人に無関心な場所だったのかもしれない。
この現状が、製作者の心を動かしたのだろうか?
「お葬式ごっこ」という当時流行った新しいじめ。
そのターゲットにされたサキ
近所に住んでいた彼女と、この家族らの距離が次第に縮まっていく伏線の貼り方はよかった。
そしてアキラはとても気丈だ。
彼が憧れた「普通の生活」
普通に学校に行って、普通に友達と遊びたい。
それでも彼には善悪の区別がはっきりと付き、だからそそのかされても万引きには手を出さなかった。
だから、サキが「大丈夫、一緒にカラオケしただけ」というお金をもらおうとはしなかった。
アキラには何が人をダメにするのかよくわかっていたのだろう。
ここが事件と一線を画す場所であり、人間としての誇りを失わない砦になるのだろう。
おそらく監督は、誰にも助けられなくても、人間としての誇りだけは失うなと言いたかったのだと思う。
ここに仕掛けたフィクションこそが、実際の事件のもう一つあったであろう道を描いている。
しかし、
物語の現実も残酷さを突き付ける。
アキラはユキの具合の悪さからドラッグストアに行き、ついに万引きをした。
サキにもお金の相談をした。
アキラには万引きに至るまでの決心があり、その決行は正しかった。
頼みの綱である母に電話をかけたが、手持ちのお金が無くなってしまう。
ダメな母親もアキラに連絡手段を残しているのは、この作品における監督の趣旨が、「誰が悪いのか」というところにないからだろう。
彼の判断基準と葛藤がいくつものシーンで描かれている。
今ある彼の知識と今までの判断
そばが食べたいという弟が遊びに行ってしまったこと。
公園でトイレに行かなかったユキがトイレに行きたいと言ったこと。
家計のやりくり
妹たちの鬱憤 そして眼
もうこれ以上支えられなくなってしまったアキラの判断 万引き
誰にも責めることはできない彼の万引きで、
彼は、自分の中の誇りを失ってしまったのだろうか?
さて、
冒頭のシーンが最後のシーンに繋がっている。
キャリーケース アキラとサキ
ユキが大事に食べていたアポロチョコを大量に買ってケースの中に入れたのだろう。
何も知らない「何も知ろうとしない」コンビニ店主の能天気な言葉
あれは城南島あたりだろうか?
穴を掘って墓標を立てる二人
大都会東京で精一杯生きている子供たち
一晩かけてユキを弔う。
「何かすごく… 何かすごく…」
自分の気持ちを言葉にできないアキラ。
泥だらけになった服で早朝の電車に乗る二人。
流れる歌の歌詞「誰も寄せ付けられない異臭を放った宝石」
そして
やっぱりそれでも同じ生活が続く。
空を飛ぶ飛行機
アキラはそれでも上を向いて生きていく。
さてさて、、
酔った母が、「昔アキラがひとりでモノレールに乗って、羽田空港で働いている父に会いに行ったことがある」という話があり、アキラは「覚えてない」という。
アキラは二人の父に会いに行ってお金をもらう。
アキラは何故本当の父親を訪ねなかったのだろう?
アキラがモノレールに乗って父に会いに行ったのは、おそらく母がお金をもらって来いと言ったからだと思われる。
だから二人の父に、そうしたのだろう。
アキラは、羽田空港で働く実の父の姿に感銘を受けたのではないだろうか?
シゲルもユキも憧れる飛行機
この飛行機が飛んでいるシーンがいくつか登場するのは、子供たちに向け「はばたけ」と言っているのではないだろうか?
その言葉そのものがアキラを突き動かす原動力となっていると思った。
「決してくじけない」
その姿を見たアキラは、いつか父の様な男になりたいと強く思ったのではないだろうか?
だから、絶対父にだけはお金をせびるような姿は見せられないのだ。
やがて、
ユキが死に絶え、ユキも憧れていた羽田に埋葬する。
飛び交う飛行機の轟音は、この世界に対する嘆きだろう。
父と同じ羽田の地にいて、この違い。
これがアキラの口から漏れ出た「何かすごく… 何かすごく…」という言葉に込められている。
「普遍的概念」とは、時代が変わってもなお解決されない弱者と貧困に対するもので、これを普遍的とするならば、政治など不要で、これが人類つまりホモ=サピエンスであるならば、本当は人類を表現する言葉は「ホモ=インサピエンス」と呼ぶべきだろう。
私は、この作品を見て何も言えないが、この現実に対してできる精一杯を心がけたい。
普通であれる幸せのありがたさを感じた。
誰にも知られない命
当時、すごく話題になったのに何だか怖くて観ることができなかった作品。
世の中に“無戸籍の子どもたち”がたくさんいることを知らしめるキッカケともなった。
無戸籍の子どもはやがて大人になり、戸籍がないが故に様々な社会の仕組みから取り残され、もしかしたらまたこのような家族を生み出すのかもしれない。
モデルとなった巣鴨の子ども置き去り事件の母親は、どんな生育環境でこのような無責任な大人になったのか。そしてまた父親たち男性も同じく、女性性に快楽の後始末をさせ、素知らぬ顔で生きていくこと。
誰にも知られず、気にも留められず、周りにたくさん大人はいたのに、手を差し伸べる人、本気でこの異常さに向き合う人のいなかった不幸。
にも関わらず、悲惨さを感じない淡々とした、優しい光と静かな作風が、逆にものすごく恐ろしい。
段々と薄汚れていく姿、明らかに栄養の足りない粗末な食事、不衛生な部屋、全てが悲しくて、大人の1人として私には何ができるのか、しかと考えよと言われているような気持ちになりました。
徐々に状況が悪化していく日常生活の描写がリアル
親がいなくなった子供達の日常生活が、徐々に悪くなっていく描写にリアリティがあった。水道電気ガスという最低限のインフラが止まり、部屋や服装も徐々に汚くなっていき、学校にも行けない。これでは生きる気力そのものが奪われるだろう。対外的には息子以外はいない存在として扱っているのと、彼らの無責任極まる母親の姿にも驚かされた。こんな世界もあるのだなと分かる点に、この映画の意義があると思う。
だが親のいない子供達の日常生活を延々と見せられるだけで、過酷な環境なのは分かるけど、だから何という感じがする。この内容で二時間超えは長過ぎないか。
自身の記憶になる作品
初鑑賞が20年も前。今まで何度観たことか。
いつ観ても色褪せない。
子供の撮り方が秀逸。
ぴたり寄り添う音楽。
柳楽くんの深い瞳。
気温、湿度、匂いをここまで感じる作品はなかなか無い。
最初から最後まで没頭できる。
辛い内容でありながらひたすらに美しい。
苦しかった
これが実際に起こった事件を元にしているなんて信じたくないくらいの悲しすぎる内容でした。
号泣するような悲しさではなくひたすら絶望へと足を進めるしかない救いようのなさが苦しかったです。
誰か児相へ相談してくれれば良いのに、と思っていたけれどもし自分が目撃してもきっと何もできないんだろうな、と思いました。
映画での登場人物が走るシーンがなんだか印象的でした。
苦しみから逃れたくて走っている時、遊んでいて楽しくて走っている時、家族に見捨てられたくなくて走っている時、何か考察があるわけではないのですが撮り方が良いなーと思ってました。
子供達の演技がすごくよかったです。
やっと観た。
評価が高いのは知っていたので、以前から観ようと思っていたけど今回やっと視聴。ストーリーと実話に基づくという事も知らなくて、衝撃を受けた。
子供の頃の柳楽くんの演技、初めて観た。コレは賞も受賞するな。心に訴えかけてくるものがすごかった。
観ている間中、ずっと胸が痛かった。
健気で素直で、明るい子供達。親は子供を選べないかもしれないけど、子供も親を選んで産まれられない。ダメな親でも親。母親の帰りを今か今かと心待ちにしている。自分を犠牲にしている母親を、家に監禁された状態で。なのに、母親は全く顧みず一向に帰ってこない。
そんな中でも、子供達なりに仲良く生きていて、お兄ちゃんの責任感と子供の純真無垢な輝きに胸が打たれた。
育てる責任を全う出来ない親は、子供を産まないで欲しいと切に願う。
隠れて暮らすメリットとデメリット
是枝裕和監督作品『万引き家族』も好き。
YOUさん演じるお母さんは可愛らしい人だけど、実際何を考えているのか彼女視点で生い立ちから全てを観てみたい。
誰でも隣の芝生は青く見えるし、ないものを欲しがる。思い通りにいかないこともあれば、楽しいこともある。
隠れて暮らすメリットとデメリットを考えさせられた。
役者柳楽優弥の誕生。
劇場公開時鑑賞。
登場場面は少ないが、YOUがいい仕事してる。
柳楽くんが立派に成長してすごい役者さんになっているのを観るたびに、その誕生の瞬間に立ち会ったんだなあと、もはや親戚のつもりになってしまう。
こんなの特殊な話でしょ、と言いきれない方向にどんどん向かっているのがやりきれない。
酷い母親
若き日の柳楽優弥が可愛い。子役からやっていたんだって今知った。ゆう扮する母親は子供を捨てて男のとこへ。
ダメな母親。最低。4人兄弟の妹がなくなりトランクケースで埋められる始末。悲しき貧乏で子供だけの生活の過酷さが物語ってる。ドキュメンタリー映画みたいだった。
夢中で最後までみてしまった。
リアル
一番印象に残ったのは警察に行くことを勧められた明が、4人でいたいから行きたくないと言ったところだ。映画を観る中で私は、早く正しい大人に保護されてほしいと思ってばかりだった。でも明たちの幸せはそれじゃないんだなぁ。少なくともその時望んでいたことではなかった。ゆきが死んでも抜け殻みたいになっても、母が残したあの部屋で生活する選択をしていく明たちがすごくリアルだった。私はぬるま湯に浸かっていてばかりだなぁと実感。もしかしたら同じ教室にいるあの子が虐待されてるかも、近所のあの人が、そう思ってしまう。逆に同じ教室にいるあの子が虐待してしまうかもしれないし、自分がそうなるかもしれない。他人事ではいられない。この危機緩和このままの体温で生きていくことが私にできることなんだと思う。もし同じようなことに直面した時私は何をするんだろう、何をしてしまうんだろう。定期的に見るべきだし、私と同世代のこれから結婚をして子供を産む人たちに見てほしい。
最近はチンピラ役が多いような気がする柳楽優弥が、こんな純真な姿を見...
最近はチンピラ役が多いような気がする柳楽優弥が、こんな純真な姿を見せていたとは新鮮。
一見優しそうで良い母親とも思えるYOUだが、実は男にだらしなく、かなり無責任。
子どもたちを学校にも行かせず、長男以外は外出も許さないというクズっぷり。
その中で長男として懸命に弟や妹を支える姿には胸を打たれる。
本当は行政を頼った方がいいのだが、それでは兄妹が離れ離れになってしまう。
最後まで希望のない展開は残念。
じゃあ
どうすればいいのか。。みんなで一緒に暮らすためには、、、「誰も知らない」のか、、環境が過酷な程、知恵はつくのか、、万引きする子は、進学していく。明には、思いやりや責任感がある、向上心もある、これはやむを得ず背負わされた結果なのか、、ときおり輝く子どもらしさ、子どもが、特に長男の明は、子どもでいられない、くたびれていくシャツ、伸びていく髪、アジアの他国を連想する、、お金をあげ、食べ物を渡せばいいのか、、全責任は母親だけにあると、いえるのか、、ずっと問いかけられ続けた。ショッキングな映像よりも、子どもの瑞々しさを印象的に映す作風からは、重たさ、だけではないものが伝わってくる。
子供としてみると
主人公とあまり大差のない年視点で見ると、
大分辛かったです。
母親が子供のこと大切ではあるけど邪魔だって思ってるのも兄妹の1番上だからこその辛さも、母親に縋ろうとするのも本当は味方してくれるはずの周りの大人も皆隠してるけど自分たち子供を邪魔者扱いしてるのもそれを長男長女がうっすら感じてるのも全部じわじわ伝わってきました。
思春期に入るとなんとなくわかってくることが表現されてて
ネグレクトとか虐待だけでは無く、思春期ならではの辛さ、心情の動き、全てにおいて本当に辛かったです。
それでも嫌いになれない、心の中では捨てきれないのが母親で、母親には自分勝手に動かれてるけどこの歳じゃそのことを否定するなんて相当大人びていない限りできないのを改めて感じて、辛いのも有りましたが共感しながら見ることでより面白い作品なんじゃないかなあって思いました。
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