ムーラン・ルージュ : 映画評論・批評
2001年11月1日更新
2001年11月17日より日比谷映画ほか東宝洋画系にてロードショー
「見るテクノ」だからハマったもん勝ち
「ムーラン・ルージュ」は「見るテクノ」だ。「見る音楽」と言ってもいいのだが、テクノが「感情」ではなく「感覚」に作用することを目指す音楽であることを思うと、やはりテクノと言ったほうが正確だろう。この映画はテクノ同様、「感覚」に作用する。その色彩と速度と律動で、観客を陶酔に誘う装置なのだ。
この装置を目指した映画は、67年のマイケル・スノウの「波長」あたりから始まり、これまで多々あったが、みな「ふうん、そういうコンセプトで作ったんだ」と観客に意識させてしまい、その時点で陶酔を遠ざけた。なのに本作は、なぜ成功したのか。それはこの装置に「みんなが知ってるお話」を与えたから。それで、観客の意識は、ストーリーを辿ることに向けられる。すると「コンセプト」などに思いを至らせる必要がなくなる。しかもお話は定型なので、意識に集中する必要はない。そこで視覚と聴覚が刺激をたっぷりと味わう余裕が生まれる。華麗な映像の奔流にただ身を委ねる……この装置が最も効果を発揮する状態がこうしてやってくるのだ。音楽に「みんなが知ってる曲」を使っているのも理由は同じ。
ただ、全編通してBPMはかなり速め。このヤミクモな勢いでグイグイ行くノリは、好みが別れるところかも。
(編集部)