ミリオンダラー・ベイビーのレビュー・感想・評価
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モ・クシュラ
ボクシング物はだいたい好きなんだよねーと気軽に観始めてしまって終盤でやられた。傑作すぎる。前半のサクセスストーリーと、クライマックスの悲しすぎる選択、構成が天才すぎて辛すぎる。全体を通して表情がギリギリわかるくらいの暗さと緑色のトーン。モ・クシュラ。
!けいを逆のとこいたりや。だんいなゃじ屈理はグンシクボ
この映画を観た直後に印象に残ったキーワードを書き出してみると、「110回目のプロポーズ」という言葉が残ってしまいました。「自分自身を守れ」とか「タフ・エイント・イナフ」よりもずっと強烈に・・・そして、アカデミー賞の結果は嘘じゃなかったと座骨神経にフックを食らってしまった気分です。ラスト30分に自然と涙が流れるというコピーも嘘じゃありませんでした。観る前にはボクシングを題材にした普通のスポコンドラマだと信じきっていましたから、衝撃は強かった。しかし、終わってみると、重いテーマだけど、どことなく心が洗われるような感覚にもなりました。
最も印象に残ったのはヒラリー・スワンクの演技でしょう。映画の中で、彼女は13歳からダイナーのウェートレスで稼ぐのですが、彼女本人が幼い頃はトレーラーハウスで暮らすほど貧しかったらしく、客の食べ残しを隠すシーンなどはリアルに演じてました。もちろん鼻が折れる等の痛いシーンもすごかったです。
クリント・イーストウッドとモーガン・フリーマンもおじいさんコンビとしていい味を出していました。過去の贖罪と娘との確執を背負い、必ず送り返される手紙と毎日通う教会。静かな演技であってもボクサーを守るという信念。どれをとってもイーストウッドらしい演技でした。彼が贖罪を感ずる本人であるモーガン・フリーマンの語りも渋く、23年間ずっと一緒に働いてボスに罪の意識を感じさせないよう生きている姿も、何発もジョブを食らうかのようにじわりと感動を与えてくれました。脇役ではあるけど、デンジャーやウィリーもインパクトあったし、世界チャンピオンの青い熊もボクサーだけあって睨みつける目は強烈でした。
伏線である「モ・クシュレ」というゲール語の言葉。真の意味を知ってからは、アイルランド人の観衆が歓喜した理由もわかり、カウンターパンチを食らってしまいました。それよりも、ラスト30分の意外な展開そのものが、ビリー・ザ・ブルーベアの放つ反則技くらいインパクトがあるもののだったかも・・・「父親が犬にやったこと」と言葉を発したときには、もう涙が・・・
【2005年5月映画館にて】
いい人生
夢や目標に向かって挑戦する、努力をする、たまには後悔することもあるかもしれないけれど前に進む。そうすればたとえ人生の最期が最悪なものだとしても「いい人生だった」
と思えるかもしれない。
そうやって生きていきたい…
いい人生とは「努力をし続ける事」かもしれない。
【人生は不条理に満ちている。しかし、試合”人生”に形式的には負けても、”尊厳を持つ”事の尊崇さを示した作品。】
ー様々な問いかけを観る側に与える名作であるので、感想のみをシンプルに記す。ー
・この作品に深い趣を与えているのは、スクラップを演じたモーガン・フリーマンのビロードのようなモノローグであろう。
■何度観ても、憤り、涙するシーン
・ボクシングタイトルマッチでの頸椎損傷により呼吸器装置で生命を維持する状態になってしまったマギー(ヒラリー・スワンク)が愚かしき母及び家族の言動を聞き、契約書のサインを拒否するシーン。
ーどこの世界に、自分の娘の生命を心配する前に、自分の生活保護打ち切りを心配する親がいるのだ! 毎回、激しく憤る。-
・マギーに対して、フランキー(クリント・イーストウッド)が涙を流しながら”モ・クシュラ”の意味を伝えるシーン。
ー上映当時、賛否を巻き起こしたマギーに対しての、フランキーの行為について。ー
フランキーは、詳細は語られないが、家族に纏わると思われる出来事を悔いて、毎週教会に通っている。
口にする言葉も、どこか人生に対して諦観している風がある。
その彼が、当初は固辞していたが自らコーチをしたマギーの生死に”決意と責任をもって”決着をつける姿は哀しいが、是としたい。
<尊厳死とは肉体は滅びても彼の人の魂に”尊厳を持って生きる事”を与える行為であると私は思っている。
只、この作品でクリント・イーストウッド監督が示した事はもっとシンプルで、人間は自らの最期に”良い人生だった”と思える事が大切ではないか。悔いのない人生を送ったということを自ら感じることが大切なのではないかという事ではないかと思う。
大変に重いテーマを扱いながら、見事なエンターテインメント作品に仕上げたクリント・イーストウッド監督の辣腕に脱帽した作品。>
<2005年6月 劇場にて鑑賞>
<その後、様々な媒体にて複数回鑑賞>
生きるために闘い、生きるために死ぬ
最初はロッキーやクリードのようなボクサーのサクセスストーリーを描いた映画かなと思いきや、さすがはクリント・イーストウッド監督の作品。主人公マギー・フィッツジェラルドの勝利の快感を視聴者に与えながらも、視聴した人間の心を抉る展開を終盤に持っていく。その落差が急すぎて、終盤は目を離すことができなかった。
下手こいた
女性ボクサーのサクセスストーリー的な感覚で観始めた。確かにイメージ通りに話は進み、タイトルを手にしようとした瞬間から、
救いのないストーリーへと変化した。
しかし、ろくでなしの家族に囲まれて過ごす人生では味わう事が出来ない人生を自ら選択し、最高のトレーナーと出会い、散っていった彼女は決して不幸ではなかったと思う。
勝敗の果てに・・・
先日「クリード」の続編をVODで観賞後、スルーしてた今作を観賞。「ロッキー」以降のボクサーが主人公である映画は最終的には主人公が勝利するパターンが多く感じるが、そもその「それ以前」のボクシングがテーマの作品と言えば、例えば古くはカーク・ダグラス主演の「チャンピオン」やジェームズ・R・ジョーンズ主演の「ボクサー」それにジョン・ボイド主演で再映画化された「チャンプ」等最終的に主人公の勝利に繋がらない映画が多かった記憶がある。
この映画はトレーナー(厳密には違うが)のクリント・イーストウッド側の視点から主人公の女性ボクサーを描いたモノ。
「ロッキー」や「クリード」のようなお祭り騒ぎ的展開のない地味な作りだが、前半の主人公による連勝シーンは楽しい。逆に後半は辛い・・・これがこの映画の構成による勝利だと思う。
見終わった後心底残る作品になっている。
生きるとは
簡単には答えの出ないイシュー。
太く短く、充実した人生がすべてなのか。
人の重荷になることに耐えられないように育ってしまった人。
どんな姿になってもそこにいてくれればいいと思える関係だってあるのに。
『潜水服は蝶の夢を見る(実話の映画化)』のように、最悪の状況を越えたところに見つかる何かだってあるのに。
フランキーが、マギーが、こういう生い立ち・性格でなければ、また別の結末がまっていただろうに。
親友の片目に負い目を持つフランキー。
そんなフランキーに「やり切った、あれでいいんだ」というスクラップ。でも、輝いていたスクラップの今の生活は…。
家族に認めて欲しかったマギー。代わりに彼女を認めたもの。ボクシングありきの繋がりと思い込んだマギー。ボスの心を読み間違えたマギー。
見捨てられて忘れられた存在になるより、人々のぬくもりを感じたままの時で止めたいと願う生い立ち。
若いボクサーが成長していくのを見守れるフランキーやスクラップとは違う。
デンジャーは居場所を見つけた。マギーの居場所は…。
意外だったのは、神父がちゃんとフランキーの心を理解していたこと。
何故、教会に来るのか。
神を信じ、救いを求めながらも、運命をゆだねられないフランキー。
神がフランキーの大切な人々に課す試練を受け入れられずに、神の存在をあれこれ理屈で理解しようとする。
後ろ指さされるかどうかなんて薄っぺらいこと。
繰り返しマギーに言う言葉。「自分を守れ」」。
ボクシングジムを経営しながらも、致命傷を負わせてしまうのではないかと何気に腰が引けているフランキー。
大切な人を守り切れなかった。
せめて、大切な人の心・尊厳(プライド)だけは守りたかった。自分の総てをかけて。
悲しかったのは、二人をこの世につなぎとめるものがなかったこと。神すら、つなぎとめる役にはならなかった。
自分の人生をかけられるものを見つけた人の快進撃。
その中に散りばめられる、ラストを理解するための伏線。
見事。
そしてスワンクさん。ボクシングの様も見どころだが、かなり強い精神安定剤を体に入れられた時の表情。凄すぎる。
そして、どこか常にイライラしているフランキー。自分への罪悪感・怒り?それでいてスクラップやマギーに示す情愛。その複雑な愛をちょっとした表情等で示すイーストウッド氏。
そして、その存在感だけで、これからどんなエピソードが起ころうが揺らがない”場”を作り出すフリーマン氏。
見事。
これだけのテーマを持った見ごたえのある作品。
でも、再鑑賞にはかなりのエネルギーがいる。なので-0.5。
実は、ラブストーリーだと思います
なにか娘からの手紙とか、断絶とか、わざとらしい感じですが、ボクサーとコーチは愛し合っていると思います。
それを、もっと正直に表現していれば、もうすこし評価できた、と、思います。
何が良い人生かってことを伝えたいんかな?
エンディングが、前情報無しで見たので、ほぼ予想外の展開でびっくりした。その前の部分は前フリだったんだと思うほどに。
前半部のいわゆるスポ根シーンは女性ボクサーが這い上がるという内容で、ボクシング✖️クリントイーストウッドの相性もまた良いなと思った。
その節々で家族、母が出てきて、子が思ってもみない活躍ぶりに勝手に家をプレゼントされて逆に母の境遇も分かるわーって思ってた。
またここらへんでは何がミリオンダラーベイビーなのかあまり分からなかった。
そして後半部、最終ボクシング相手の凶弾に、リングを反則的に倒れてしまう。そこから、入院生活が始まり足の切断を余儀なくされてしまう。
それを葛藤に生きるのか死ぬのか、マギーの師であるクリントが助けるべきなのか、よもや殺すべきなのか、家族に財産を分けるべきかそうではないのか、
それぞれの苦悩と葛藤が交差していき最終シーンに向かう。
彼女自身がミリオンダラーベイビーになった今、幸せとは何なのか、誰にとっての幸せなのか。
非常に考えさせられるし、胸に染み入る物語だ。
深い感動作。
クリント・イーストウッドの監督作品でも観てみようと軽い気持ちで観たら感動作品でした。
素人だった女ボクサーが、世界チャンピオンを目指し、順調に勝ち進んでいく爽快なシーンを見ながら、これで終わるわけないよなぁと疑問を抱きました。
暴力描写や流血たっぷりですが、それ以上に重い描写があるんで、人生に苦労した成人におすすめです。
『イエーツ詩集』
イエーツの詩集
「ミリオンダラー・ベイビー」で老トレーナークリント・イーストウッドが手にしていた小さな詩集。皆さんもお気づきになりましたか?
映画が終わって、しばらく茫然としていましたがとても気になったので買って読みました。
W ・B イエーツ (アイルランド)
「湖島イニスフリィ」
さぁ 立ち上がり イニスフリィへ出掛けよう
そこには粘土と小枝で小さな小屋を建てよう
そこには九畝の豆畑と蜜蜂の巣箱を作り
蜂が飛び交う林間で一人暮らすとしよう
湖島では 少しは安息が得られよう
朝霞の立つ処にもコオロギのすだく処にも 安息は雫となってゆるやかに訪れるから
湖島では 夜半は隈なく微光に包まれ 真昼間は紫の光に輝き 夕暮れは紅雀の翼で埋め尽くされる
さぁ立ちあがって出掛けよう
昼夜を分かず湖水の波のひそやかに岸辺を洗う音が聞こえるから
車道や灰色の歩道に立っても
胸の奥処に 岸辺を洗う波の音が聞こえる
【中林孝雄・良雄 訳】
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病室を出て行った老トレーナーの背中が思い出されます。胸が痛いです。安らぎあれと、祈るほかありません。
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イーストウッドはイエーツが好きなようですね。
「マディソン郡の橋」や「インビクタス」にも彼の詩が登場します。
名作だか何回も観たくない。評価むずっ!
グラントリノと似たタイプの作品。
個人的にはグラントリノの方が好き。
それにしてもイーストウッド凄いわ!監督、俳優そして音楽まで・・・三國志の黄忠より凄いじーさんじゃわ。
ただ人工呼吸器付けて気管切開したら発声は難しいと思う。発声するにせよ条件があり、出来たとしても最初からあんなにハッキリと声は出せないと思う。
さらに内容的にも何回も観たいとは思わなかった。
それでも心に刺さるし、考えさせられるし、名作には間違いない!評価がムズい!今後も自分の中の評価も変わりそう。
映画が好きなら1回は観るべき作品だと思う。
熱血ボクシングムービー
と思いきや。いや確かに途中まではそうなのだが…。えっ。
エディは誰に向けて語って/書いているのだろうと、終始気になっていたが、なんとも言えない余韻とともに回収される。
最近観た『運び屋』『グラン・トリノ』もそうだったが人生の終焉について考えさせられる。
サクセスストーリーかと思っていたら哀しみが積み重なっていく胸の痛む...
サクセスストーリーかと思っていたら哀しみが積み重なっていく胸の痛む結末だった。いろいろな意味でそれぞれの純粋さに心打たれた。
自分を守る
友人に勧められ鑑賞しました
単に熱いボクシングの映画ではなく、本当の家族とはパートナーとは、自分だったらどう行動するのか、より深いことについて考えさせられる映画です
間違いなく名作とであると言えます
15年ぶりの再鑑賞 クリント・イーストウッドの映画は年齢を重ねてか...
15年ぶりの再鑑賞
クリント・イーストウッドの映画は年齢を重ねてから観たら更に良さがわかる気がする
クリント・イーストウッド
モーガン・フリーマン
この二人は多くを語らなくても表情、その目だけで十分気持ちが伝わってきます
良質の映画でした
全86件中、21~40件目を表示