ネタバレ! クリックして本文を読む
点数3.0。アニメーション技術や絵が美麗ですごいのだが悲しく意味のわからない結末などにより結論として私は面白くないと感じた。主人公の少年は最後のほうでもう少し頑張って欲しかった。
このアニメ映画「メトロポリス」(2001年)は原作が手塚治の漫画作品「メトロポリス」(1949年)であり、またチャップリンの「モダン・タイムス」(1936年)に影響を与えたと言われるフリッツ・ラング監督のSF映画「メトロポリス」(1927年)のリメイク的な作品でもある。ロボットが人間と暮らす未来都市で私利私欲のためにロボットを道具として利用する腐敗した上層部や道具として扱われ暴動を起こす人間の労働者たちなどを描く。
本作の舞台は超巨大な高層ビルが林立する未来の大都市だが、上流階級は自分たちの利益を守ることしか考えず彼らの部下のロボットたちは家畜のように扱われている。下流貧困層や下流労働者たちは科学技術が進んでも恩恵を受けられずに貧しいままで苦しんでおり暴動を起こす。この物語はユートピア(桃源郷、理想郷)の逆であるディストピアを描いている。ニューヨークや東京などの大都市は立派なビルが立ち並び遠くから見ればユートピアのように見えるが実際は違う。一体何のために大都市は存在しているのだろう。人類の際限のない欲望を反映している大都市のビル群はまるで弱者を食べながら成長する動かない巨人の群れのようでもあると私はこの映画を観て思った。
追記1:「メトロポリス」と「モダン・タイムス」と「ジョーカー」の共通点
トッド・フィリップス監督のアメリカの実写映画「ジョーカー」(2019年)にはチャップリンの「モダン・タイムス」が上映されている映画館が登場する。母親の書いた手紙を信じ込み自分の本当の父親が大富豪のトーマス・ウェイン(ブレット・カレン)だと思った主人公のアーサー(ホアキン・フェニックス)はトーマス・ウェインに会うために富裕層が集まる映画館に裏口から忍び込む。映画館のスクリーンで上映されているのはチャップリンの「モダン・タイムス」の一場面である。豪華で立派な映画館で座席に座って映画を観ている富裕層たちは危険な仕事をしている労働者役のチャップリンの演技を見て笑っている。盗んできた係員の制服を着て主人公のアーサーも富裕層たちに紛れて映画を見る。この場面は現代社会への強烈な風刺である。映画「モダン・タイムス」の劇中に流れる歌「スマイル」も映画「ジョーカー」の中で流される場面がある。「ジョーカー」は「モダン・タイムス」に影響を受けておりその「モダンタイムス」は「メトロポリス」(1927年)に影響を受けていると思う。現代社会では弱者は笑いものにされそれをネタに金儲けするマスコミや映画やテレビやユーチューバーなどがうようよといる。ジョーカーの主人公アーサーやモダン・タイムスの主人公の工員のような社会的な弱者は過酷な労働に使われ笑いものにされ番組や映画のネタにされCMを見させられ金儲けに利用される。”メトロポリス”は”大都市”という意味だがその大都市の高層ビル群の一部はそうして儲けた富により立っている。現在の現代社会はディストピアである。「メトロポリス」も「モダン・タイムス」も「ジョーカー」もディストピアな大都市が舞台である。
追記2:大都市(メトロポリス)がディストピアとなった理由
ディストピアとは反理想郷、暗黒世界という意味である。大都市(メトロポリス)は一時期にあまりにも人口が急増し一部の人は巨大な富を築けるが一方で利用されるだけ利用され幸福でないままの人々が大勢うまれる。大都市(メトロポリス)は人類にとって存在して良いものだったのだろうか。このアニメ作品「メトロポリス」(2001年)はそういう問いを視聴者に投げかけていると思った。日本でも東京などの大都市は短期間の人口爆発によっていっきに人口が増えた歴史を持っている。人口爆発によって一気に増えても福祉など個人個人のほんとうの幸福の追求まではなかなか追いつかない。娯楽映画やテレビゲームやアニメやアイドルや漫画や新興宗教や低俗テレビ番組などのまやかしの幸福が増えるばかりである。今までの日本の大都市の繁栄は大勢の犠牲によって成り立っていたのだと思う。社会的弱者の犠牲によってのみ大都市は繁栄できる。経済発展が著しいインド中国などの国の大都市も同じであろう。立派なビル群の影では大勢の社会的弱者が犠牲になっていると思われる。現実の大都市(メトロポリス)はディストピアになる以外ありえないと思う。ほんとうのユートピアの大都市をつくるにはどうすればよいのか。誰もが一定以上の幸福水準の生活ができるユートピアに現在の大都市はなれるだろうか。大都市の未来はこれからどうなってゆくのだろうか。私はこの映画「メトロポリス」(2001年)は暴徒が興味深かった。紳士的なロボット刑事「ペロ」が暴徒と化した人間たちを話だけで説得しようとするが無残に破壊されるシーンがあるが暴徒と化した市民には話は通じない。それにしても現実のニュースでデモ暴徒を見る事が最近増えた気がする。日本のアニメ映画「AKIRA」(1988年)もディストピア映画であり大都市で暴徒と化した市民が多数登場する。映画では架空の第3次世界大戦から復興した大都市ネオ東京だったが政治は金にまみれ腐敗し、軍は暴走し、子供は皆不良や暴走族になり、市民たちは暴動を起こすようになる。「AKIRA」はそのような大都市ネオ東京を超能力で救う話である。集団ストーカーも都市のディストピア化と無縁ではあるまい。なぜ市民は集団ストーカーになるのか。