嫌われ松子の一生 : 映画評論・批評
2006年5月23日更新
2006年5月27日よりTOHOシネマズ六本木ヒルズほかにてロードショー
映画に物語は重要か?という挑発的な問い
なんて映画だ。とにかくすべてにおいて過剰。最後の1秒までこれほど作者のエナジーがぎっしり詰った作品は稀ではないか。アニメーション合成をはじめとする隙間のない映像処理と、ミュージカル手法に代表される無数のギミック。伝統的映画作法とは徹底的に無縁であるのに、なぜか正統派古典の香りさえ漂わせて観客を滂沱させるのだ。
こんな二律背反な物言いになるのは「目に訴える表現」と「語られるストーリー」との、あまりにもあまりな乖離のせい。正直、物語だけ採ってみると、主人公・松子の一生には何の新しさもない。淪落した女教師が生活力も社会性もない男たちに惚れて捨てられ無茶苦茶にされ、身を売り人を殺し揚げ句の果ては野垂れ死ぬ……まさしく幾百年繰り返されてきた三面記事的事件の連続。
しかし中島哲也はそこにこそ、いま映画にするべき理由を見つけたのではないか?
本作は「物語なんて映画にとってそれほど重要なものだろうか?」という挑発的問いかけである。陳腐な紋切り型を起点としながら、いかに独自の表現が展開できるか。凡庸さの中からいかに真の感動を引きだせるか……。それは“新しいものなど何もない”という地点から新しいものを始めなければならないという、いわばポスト・モダン的宿命に向きあう作家の真摯な意思表明といっていいだろう。
(ミルクマン斉藤)