「メソン・ド・ヒミコの存在理由」メゾン・ド・ヒミコ Chemyさんの映画レビュー(感想・評価)
メソン・ド・ヒミコの存在理由
同性愛や性同一性障害は、近年日本でも認知されはじめ、これらをテーマとした映画も多数製作されるようになってきた。しかしそのほとんどは当該者が主人公であり、自分の性癖に悩み、無理解な周囲と対立しつつも、自己に目覚めていくという内容がほとんどだろう。だが、本作はゲイの父親を持った娘の目線で描かれている(オリジナル脚本の着眼点の勝利!)。舞台となる「メゾン・ド・ヒミコ」は、ゲイのための老人ホームだ。家族を捨て、自分の思うままに生きてきた男たち(女たち?)の終の棲家。そこの住人は皆明るいが、その笑顔の裏に何らかの傷を抱えている。キュートな彼らを愛おしく思うが、それは客観的に見られる第三者の感想だ。血の繋がった家族だからこそ許せないことがある。それは理性ではない感情的なものだが、憎しみも愛情の裏返し、それが家族の“絆”なのだろう。本作の主人公は、幼いころ自分と母親を捨てて出て行った父親を憎んでいる。ヒロインを演じた柴咲コウが、いつもの華やかな印象を捨て、ノーメイクで見た目も性格もブスな地味女を好演している。しかし本作で私が一番衝撃を受けたのは、田中泯演じるヒロインの父。彼の何と優雅なこと!伝説のゲイバーのママで、このホームのオーナー、ヒミコ。『蜘蛛女のキス』のウィリアム・ハートを彷彿させる長いガウン姿。百合の花を抱えて足音もなく滑るように部屋へ入って来た登場シーンに軽いショックを受けた。立ち居振る舞いの優雅さは舞踏家であるゆえんか。どちらかと言うといかつい顔付きのこの人を「美しい」と思った。ヒミコの美しさは姿形ではなく、自分のライフスタイルを貫いた人生経験からにじみ出るものだろう。彼のライフスタイルは、部屋のインテリアに如実に表れている。エゴン・シーレ風の絵画から壁紙、窓すらも外に見える海を風景とした額縁に見える。美しいレースの天蓋のついたベッドに横たわる姿。癌のため余命いくばくもないが、彼の人生に後悔はない。静かに息を引き取った時、天蓋のレースが静かに下ろされたのがたまらなく哀しかった。世の中の偏見に耐えながら、それでも静かな老後を望む人々。彼らの人生にどんなことがあったかは分からない。ヒロインのように今も苦しんでいる家族がいるかもしれない。死ぬまで和解できないかもしれない。それでもヒミコのように安らかな死を迎えるために、「メソン・ド・ヒミコ」は在り続けなければならない。