「とても映画的な枷」勝利への脱出 津次郎さんの映画レビュー(感想・評価)
とても映画的な枷
北京オリンピック(2022)が面白い。いい意味でもわるい意味でも劇的で胸があつくなる。
世の中は出来レースだと思う。ことがある。
政治や経済。スポーツと文化。高野連。WHOの見解。ノーベル賞、映画賞、文学賞。地球温暖化。むろんオリンピックも。北京ではそれを裏づけるような策略や恣意がはっきりと見える。
その諦観が深化していくと、ひとによっては、どりょくが無意味におもえてしまったり、頑張るのはばからしいと投げやりに生きるのが常態化することがある。とりわけ新型コロナウィルス禍下にあって、せけんには自棄的な気分/気配がただよっている。
ところが。策略と恣意によって圧制されているはずなのに、スノボのハーフパイプの彼は、前人未踏の大技をやってのけ金をとった。体制側のたくらみをくつがえしてしまった。そんな不屈の精神を「世の中は出来レースだ」と諦観をきめこんでいる厭世論者は反証できるだろうか。
いうまでもないが、自分で自分の身をそこなうと、それまでのことになる。ひとはたんなる生き物にすぎない。だめにするならだめにするなりのことが起きる。
じぶんはどちらかといえば偏屈なので岡村孝子の歌詞みたいな希望に満ちた話はきらいだし、そもそもそんな玉じゃないが、基本てきに、やらなければ、はじまらない。戦ってみなければ何者であるかを証明できない。
『1942年8月に第二次世界大戦下のウクライナで行われた、ディナモ・キエフの選手を中心に編成された「FCスタルト」対ドイツ空軍の兵士により編成された「フラッケルフ」との親善試合(死の試合 )をモデルとしている。史実では2試合が行われ5-1、5-3とスタルトの勝利に終わるが、面目を潰されたドイツ軍は報復としてスタルトの選手達をバビ・ヤールなどの強制収容所(スィレーツィ強制収容所)へ送り、多くの選手達が処刑されている。』
(ウィキペディア「勝利への脱出」より)
負けなきゃころされる。だけどやるならプライドがある。その劇的なダイナミズムをすくいとっている。映画は史実から取材しているものの、かんぜんにエンタメに寄せている。ジョンヒューストンの大胆な、ありえない話になっている。
(ヒューストンは)雄々しさに特長がある。骨太、勇壮、毅然。映画版ヘミングウェイ。それでいて俗っぽかった。ぜったいに大衆的であろうとしていた。文芸域に入らないようにバランスしていた。その頂点が王になろうとした男や本作だったと思う。
いま見ると大味だが、大昔見たとき(ものすごく)胸が熱くなったのをおぼえている。映画に対する評がその当時の興奮と渾然一体化している。
マイケルケインとスタローンという呉越も楽しかった。記憶ベースだが、むかし勝利への脱出は語り草の名画だった。学校で「(昨日の洋画劇場の)勝利への脱出見た?」「ああ見た!見た!」という会話を交わした記憶がある。
オリンピックが(禍下で弱った民衆に)夢と希望をあたえる──てな感じの調和論調がだいきらい。だけどドラマはある。それは映画的だ──という話。