花様年華のレビュー・感想・評価
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愛をなかったことにしないために記憶し続ける
ウォン・カーウァイ監督作品。
オールタイムベスト作品です。
物語は面白く、撮り方はお洒落で、トニー・レオン(チャウ)はかっこよく、マギー・チャン(スー)のチャイナドレスは見惚れる。全てが好き。
そしてお互いの伴侶の不倫が発覚するまでのショットの素晴らしさよ。何一つ不足なく、無駄がない。
チャウとスーの伴侶はカメラの前には一切現れない不在の存在である。唯一存在が確認できるのは、声のみである。しかし伴侶たちはチャウとスーが現れるカメラのフレーム外で彼らを裏切り、逢瀬を重ねているのである。不倫も結婚生活には一切現れない不在の関係である。だからカメラのフレームとそこから外れる不在によって巧みに不倫を描いていると思うのである。
しかし彼らは不倫の事実に落胆するのではなく、彼らも不倫に向かっていくのである。秘密の共有。彼らの愛は滾っていくのである。
ここで「遊び」の概念を導入する。
不倫とは生活のために行うのではなく、むしろ生活の日常ゆえの平凡さからの逸脱という意味で「遊び」のためなのである。
チャウとスーも不倫が遊びであることに自覚的である。自らの生活を破綻させるほど深入りをしてはいけない。部屋の管理人が麻雀に耽るように、秘密の共有による背徳感に楽しみを感じられればいいのだ。
チャウは小説執筆の仕事も始め、部屋も借りる。そしてスーに仕事の手伝いを依頼する。二人は密室での不倫に移行していくのである。即座に性愛がよぎる。しかし彼らはあくまでもプラトニックな愛を維持していくのである。その愛は小説の執筆という創作活動によって営まれる。だが私はこちらの愛の方が性愛よりも罪深いと思うのである。創作する上では、二人の感性が一致していなければならない。そして小説として形あるものが生み出される。そしてその小説はなかったことにはされない。性愛よりも高次な愛の気がする。
そしてごっこ遊び。スーが夫の不倫を問いただすシチュエーションで。スーがその遊びに耐え切れず、涙を流してしまう瞬間、不倫という遊びが本気になってしまったと思うのである。本気の不倫。だが彼らが密室の不倫に移行した瞬間、すでに終わりに差し掛かっていたのかもしれない。部屋番号は「2046」で、彼らの愛が時限付きであることが示唆される。そしてスーが管理人に遊んでばかりいるのではと指摘された瞬間、彼女は遊びに本気になっていることを自覚するのである。スーが我に返ったからーその顔の表情を確認できたのが今回劇場でみて大きな発見なのだがー彼女は生活に回帰したのではないだろうか。
だが彼らはふたたびごっこ遊びをする。二人が二度と密会しないというシチュエーションで。その時、決心したにも関わらず本気の不倫が浮かび上がってくるのである。私はそれこそ真実の愛だと思っているのだが、それが確かにカメラの前に現れてくるのである。帰りたくないとスーが告げ、彼らのタクシーがどこに行ったのかは分からない。けれどまた一つ誰にも言えない秘密が生まれてしまったのである。
秘密の時間は終わりを迎え、離れ離れになった二人。チャウはシンガポールを経由しつつカンボジアに行き着く。彼は秘密をアンコールワットの地に封印する。
彼らの愛はなかったことにはされない。スーに子どもがいても、彼らの部屋が、当時の香港が、微かな痕跡だけを残して変わり果てても。この映画が記憶し続ける。私たちが記憶し続ける。
どの場面を切り取っても画になる
モダンクラッシック、ミッドセンチュリー、オリエンタル、シノワズリ、、、、
どの言葉が一番形容できているのだろうか。とにかくお洒落で、どの場面を切り取っても画になる。
ハイカラーでタイトなチャイニーズドレスとアップした髪が似合う超絶美女と、仕立ての良いシャツといい革靴が似合う美男。それらがキッチン共同で鍵のない長屋に住み、屋台で買ったチマキを音を立てて頬張る、、このギャップが不思議な魅力を醸し出している。
マギー・チャンがとんでもなく美しい。あのハイカラ―のドレス、どこで売っているのかしら。どのドレスもとても綺麗な柄とカット。 クールなだけでなく時折みせる可愛らしい顔のギャップがまたいい。
初見では、共同キッチンや大家含めた人が自由に出入りする中国特有の生活様式が理解できず人間関係が整理できなかった。(間取りも。)チャウとチャンという名前もややこしい し。(笑)ま、映画全体を理解するのに問題にはならなかったが。
ウォン・カーウァイ監督の映画ってこんなに洒落乙だったんだ。
他の作品もぜひ観てみたい。
男女の秘密の愛をロマンティックに描いた傑作
トニー・レオンがくゆらせるタバコの煙、タイトなチャイナドレスに包まれたマギー・チャンの美しい肢体、そして梅林茂の「夢二のテーマ」が流れる、それだけで永遠にループして見ていられる夢のような映画。ウォン・カーウァイ監督と撮影監督クリストファー・ドイルの名コンビが生み出す映像は、それまでの香港映画、いやアジア映画のイメージを一新した。そのスタイリッシュな映像と世界観は、20年以上が経ってもなお新鮮であり、何度見ても新たな発見と感動がある。
本作は1962年の香港を舞台に、それぞれ家庭を持つ男女の秘密の愛を描いた恋愛ドラマだ。トニー演じるチャウは地元新聞社の編集者。マギー演じるチャンは商社で秘書として働いている。たまたま同じ日に同じアパートに引っ越してきて隣人になるが、やがて互いの伴侶が不倫関係にあることに気づき、傷ついた者同士の2人は一緒に時間を過ごすようになり、距離を縮めていく。
ドロドロの不倫劇が描かれそうな設定だが、カーウァイ監督は極力台詞を排し、映像と音楽の力によって、次第に惹かれ合っていく2人の関係、心情を表現する。屋台に夕飯を買いに来たチャンと、食べに来たチャウが階段ですれ違うというシーンだけで、2人の距離感を気だるくエロティックに描き出す。2人が近づいた時、その世界はスローモーションになり、時間の流れが遅くなる中、交錯しそうな互いの視線、クローズアップされた手元や足元だけで想像が掻き立てられる。そして、ドイルが原色を際立たせつつも、光と影、陰影を意識した画面の中で、チャンが纏うチャイナドレスの色や柄、スーツ姿のチャウの佇まいと彼がくゆらせるタバコの煙がそれぞれの感情を表す。
2人が密会するホテルの廊下は、まるでデビッド・リンチ監督の「ツイン・ピークス」に出てくる森のカーテンの向こう側の世界ようであり、2人だけの世界では、時間の流れが異なっているように見える。そして、ナット・キング・コールによる「キサス・キサス・キサス」などのラテン・ポップスや、60年代の香港を代表する歌手レベッカ・パン(本作にも出演している)が歌うインドネシアの名曲、さらには京劇の曲が流れるなど、無国籍なようでありながらメランコリックで、ロマンティックな不思議な世界観が醸し出される。
ウォン・カーウァイのキャリアを代表する傑作!
チャウとチャンが小説執筆を口実に密会するシーンで、チャウのジャケットをチャンが羽織って執筆しているシーンがある。
チャンが薄着で寒がってたから、チャウがジャケットを脱いでかけてあげたってことだと思う。でもお互いにその事を意識してる感じがない。
小説の筋を話し合う事に夢中になっていて、無意識のうちに2人の心がひとつになっている事が分かる劇中屈指の名シーン。
スエン夫人から外出が多すぎるとたしなめられた後、一家の麻雀を眺めるチャン。影が差して暗い表情だが、背を向けて鏡の前に立つとライトが当たって明るい表情になる。
保守的な社会に嫌気がさしていて、心はもうチャウの方に向いている。この時点でチャウに誘われれば応える覚悟が出来ていたことが窺える。
チャウの妻がチャンの夫に「(チャンに)話さなきゃダメ」と言った後、シャワーのシーンで泣いていた。チャンの夫が拒否したからだろう。この事からチャウの妻は本気の不倫だったが、チャンの夫は遊びだった事が分かる。
またチャウの妻の本気度はネクタイのエピソードでも分かる。男はそれに無関心だが女は気付く。チャウの妻が出張先から同じネクタイを買ってきたのは、チャンにアンタの夫の不倫相手は私だと暗に教える為。これは物語序盤に伏線があるので間違いないと思う。
チャンは「一線は守りたい」と口にするがそれは建前。「自分からは誘えない」から、チャウが誘ってくれるのを待っていた。
物語終盤にタクシーで「帰りたくない」と言ってチャウもたれ掛かるのが精一杯だったのだろう。チャウにとってもこれが最後のチャンスだった。
その後のすれ違いシーンは切なさを高めるための演出だろう。「切符がもう一枚取れたら⋯」はどちらも言えるはずのない言葉だから。
チャウは「君は夫と別れない。だから僕の方が去る」と言ったが、これは自分に対する言い訳。ただ一歩踏み出す勇気が無かった。
それから4年後のエピソードでは、チャウとチャン共に左手から結婚指輪が消えている。おそらくどちらも離婚したのだろう。
チャウは小説家として、チャンは幼い息子と共に新しい人生を歩み出す。だがチャウにはチャンに声をかけるチャンスがもう一度だけあった。しかしそうせずに去っていく。チャウの中で彼女はもう過去の思い出になっていた。時代の変化と共に2人の心も変わったという事だろう。
お互いに愛し合いながら、最後の決定的な一言が言えなかった。切なさで胸がいっぱいになる大人のラブロマンスの傑作。公開時劇場で見て、BluRayでも見て、今回で5回目くらい。何度観てもいい映画。
この映画って元々はドロドロの不倫愛を描くつもりだったのが、途中で監督の気が変わって大人の純愛になったんだとか。
この映画見て気に入った人は、パトリス・ルコントの橋の上の娘も見てほしい
公開当時のキャッチコピーは「くちづけさえ交わさないふたりの濃密な愛の時間」
※1年後の1963年シンガポールのエピソードでチャウとチャン共に左手から結婚指輪が消えている。チャンは離婚して自由になった事でチャウに会いに来たのではないか。
それでも自分からは声をかけられなかった。もし彼が心変わりしてたらどうしようとか。そもそもチャウは練習と称して別れ話をしているので、彼の中ではもう終わっているのかも?とか。
色々思い悩んだ結果、受話器を持ったまま声が出なかったのだろう。
4年後の1966年のエピソードではスエン夫人が「ご主人は?」と尋ね、チャンが「元気です」と答えている。しかし指輪ははめていない。
子供の年齢的にも再婚して出来た子とも考えにくい。離婚した後に生まれた元夫との子と考えるべき。
ただなぜスエン夫人はあんな事を言ったのか意図がよく分からん。夫と離婚していないのなら、なぜ指輪をしていないのか、今度はそっちの説明がつかないし。
ラストのナレーションがめっちゃ好き。
「埃で汚れたガラス越しに見るかのように 過去は見るだけで触れることはできない 見える物はすべて幻のようにぼんやりと⋯」
1週間は余韻に浸れる。
卓越したセンスにやられた~
「午前十時の映画祭」で鑑賞。
あー、やられたぁ。やられました。
監督の繰り出すキレの良いパンチがビシビシと僕の感動中枢(?)に命中し、何度も「た、たまらん~」とダウンしそうになった。
ウォン・カーウァイ、ただものではないな。
作品の品格、妖艶さ、漂う色気、猥雑なムード、斬新さ、画面の色合い、ファッション性…… etc.
映画づくりの、というより、ものづくりのセンスが際立っている。芸術的センスが抜きん出ている。
とにかく画面が素晴らしくいい。どの場面を切り取っても絵になるし、音楽の使い方も秀逸である。
最初のワンカットで「これはかなりのレベルの作品だな」と感じたけれど、その予感は的中したのであった。
マギー・チャンのチャイナドレスはどれも本当に素敵。時折アップで映し出される彼女のボディラインはゾクっとするほど魅力的だ。
そして、予想だにしないラストシーン!
ただ、その抜きん出た感覚、芸術的表現が前に出すぎて、若干ストーリーがわかりにくいところもあった。
まあそういう点を差し引いても、本作は出色の出来だと思います。
観てよかったし、もう一度観たい。
追記
本作の舞台となった所を僕は全部訪れているので、そういう思い入れもありました。
よく雨に降られる男(ひと)でした。
女は上書き保存、男は名前をつけて保存、と聞いたことがあるが、必ずしもそうでもないかもしれない。
因みに花様年華の意味は「やがては枯れてしまう花のように、美しく儚い歳月を表す四字熟語」ということらしい。
マギー・チャンのチャイナドレス!!
「午前十時の映画祭」にて鑑賞。
1962年の香港で隣同士に住む二組の夫婦。
年齢や社会的な立場が近いせいか、何となく親密になって行く二組。
やがてお互いのパートナーがそれぞれ何だか忙しくなって
一方の夫ともう一方の妻はいつの間にか1人の時間が増えてゆく。
1人と1人で、アパートの廊下や近くの市場などで偶然出会ううちに
何となくお互いを意識するようになり〜〜
静かに惹かれ合う2人の距離感が、観ていてセクシーでありながらも
抑制された空気がジワジワ膨らんでゆくような緊張感がある。
いつ弾けるのか?いつ溢れるのか?
ただこの映画、そこだけでは終わらない。
「午前十時の映画祭」を応援する
「事務局オフタイム」と言うYouTube番組で
1962年代の中国は文化大革命の前夜、
この映画の夫婦のように海外と貿易などの仕事をしている様な階層の人々は
政府によりジワジワ締め付けられる時代の空気感から逃れるために
当時はイギリス領だった香港に移住する人が多かった。
と言う解説がされていました。
そういう時代や政府へのメッセージが
ラスト近くのシーンに凝縮されているそうです。
この2人の取った行動は既定路線に安易に流れてゆく人への一種の反抗。
私はそんな風に感じました。
マギー・チャンの美しいチャイナドレス姿を
ぜひ映画館で没入して堪能して下さいませ。
失われた香港への愛
WKW初鑑賞。
何という色香。何という禁欲。何というじれったさ! これが狙いか!!
60年代の香港が舞台だから、かくもプラトニックな不倫物語(ガサツな表現で失礼)が成立するのかね。画面はビスタでロングショットはほぼなく、常にミディアムかアップ。衣装もチャイナドレスとタイドアップがお約束のようで、そのシェイプをいやが上にも艶かしく映す。
失われた香港、花のように美しい時代、これが裏テーマなのはわかる。香港人の圧倒的な喪失感を、決して満たされない愛に仮託したのだ。
生殺しのように中国に組み込まれた香港への鎮魂歌なんだな。
オシャレな映画だと思いました
まず60年代の香港では毎日チャイナドレスを着てたのかと驚き。あんなに体にぴちっとぴったりしたもの、若いうちしか着れないねえ。でもマギーチャンはちゃんと着こなしていた。当たり前か。 あの髪型のセットも毎日自分でするのか、が気になる。 男女とも美男美女で身近にあんな美形がいたらびびる。そりゃ恋に落ちる、けど、二人はぎりぎり我慢する。そこがいい。
人の家に間借りして、食堂や炊事も一緒なんて、なんて、面倒で不便な生活。でもちょくちょく飲食店からテイクアウトしてるようだし、不便じゃないのか。
香港の街の様子と二人の美貌のギャップ。
耽美な映像美に酔いしれる。若い時に観てみたいと思っていたのが、今頃鑑賞。うん十年前に観てた方が感動しただろうと思う。 映画も自分の観る年ごろ、によって感想は変わっていくでしょう。
極度に抽象化されたメロドラマ。一見の価値あり。
香港を舞台とした「慕情」の伝統を汲む美しいメロドラマである。ただ、そこはウォン・カーウァイ監督だけあって一筋縄ではいかない。ドラマの骨格は一度解体され新たに組み直されている。我々は極めて斬新なメロドラマを目撃することとなる。
トニー・レオン演じるチャウ氏とマギー・チャンが演じるチャン夫人。配偶者同士が不倫することで彼と彼女は被害者であり共犯者となる。配偶者たちは後ろ姿しか映らず、日本を旅行中との提示はされるがそれ以上の詳細は分からない。有夫有妻という立場のみが記号的に抽出された多分に意図的な仕掛けなのである。そして互いが惹かれ合っていくというのはいかにもメロドラマなのだが、この2人、なんとベッドインどころかキスすらしないのである。つまり恋愛として行き着くところは得られずいったりきたりの関係が続く。具体的には、夜の街角を歩いたり、貸間や屋台につながる階段を登ったり降りたりするシーンが多い。これは美男美女の姿、特にマギー・チャンの美しい肢体を見せるためであるわけで要するに我々は2人のダンスを延々とみているようなものだ。途中からストーリーすら曖昧になり(トニー・レオンが貸間を引き払って移った先、あれはなんだろう?ホテル?)映画としての枠組みを外れて、2人のロンド(輪舞)をずっとみている気分になる。途中、何度か、恋の分岐点になる箇所で、ヒデオが巻き戻しされるようにシーンが二度繰り返される部分がある。先に進むにあたってどちらが主となりどちらが従であったかが二通り示されるわけだがもはやそんなことはどうでもよく、ダンスは続くのである。
ウォン・カーウァイは、少なくとも恋を描くにあたっては、ややこしい脚本は必要なく、美しい男女(もちろん男男でも女女でもよい)と美しい音楽があれば充分であることを証明してみせた。
音楽については、ラテンの名曲「キサス・キサス・キサス」やタイトルになった香港の流行歌「花様年華」も効果的に使われているが印象的な主題歌は梅林茂の「夢二のテーマ」。これは古典になった。
美しくも息が詰まるような濃密な空間
ウォン・カーワイが60年代の香港を舞台に不倫の愛を描くメロドラマで、何よりも主役のトニー・レオン、マギー・チャンの抑制の効いた演技が見事でした。台詞が極端に絞り込んであるので、二人の些細な視線や手の動きでの感情表現が絶妙で、特にマギー・チャンはクールな表情ながら揺れる気持ちを微妙に目元や頬の線の動きで表現しているのが素晴らしいです。また、トニー・レオンのクラシックな伊達男振りも、水際立っていました。主人公二人の愛がプラトニックでストイックな関係だからこそ、より濃密な心の結びつきを感じます。また、クリストファー・ドイルのマギー・チャンの肢体を舐めるような官能的なカメラワーク、細かいカット、衣装・小道具、音楽と全てが見事に調和していました。トニー・レオンが、香港から遠く離れたカンボジアの遺跡の穴に二人の秘密を封印する幕切れも心に残りました。
難しい
素敵な映像と雰囲気、サレ妻サレ夫の愛、面白いとおもうんですが、それ以上にこのカットなんで?って思う所も多くて、
たとえば
シャワーを浴びて泣いてる浮気女と、そのドアを叩くごつい腕時計をしてる浮気男の手
浮気女が「あなたの奥さんがきたわ。もう言ったの?言わないとだめよ」ってところ。
別れようと言ったのか確認したの?別れたくなくて泣いてたの?とか想像することはできるけど、作品の中で答えを教えてくれることはなくて、難しい作品だなーって思いました。不倫ものだから、もっとしてる側が罰を受けてすっきりしたいと思うのは、現代の作品に慣れすぎてるせいかな。
華がある
トニー・レオンに、マギー・チャンに、映像に、音楽に、時代に、華がある。
始まりから、何が始まるんだろうとワクワクがとまらない。何も始まらないストーリーだったけれど、ずっと飽きることなく見惚れてしまう、聞き惚れてしまう。
午前十時の映画祭、4Kレストア、ありがとう。
トニー・レオンを眺め続ける至福。でもすっきりしないです
美しい。
当時の香港の情勢とからめて、どうとでも解釈できるけど観客には不親切だなって感じました。検索したら、脚本はしっかり定まってなかったとか。納得。
何を盗られた?チケット?
と思ってたら他の方のレビューで、スリッパだと。
「これは練習だよ」ってのが何回かありました。
これも伏線なのかなぁと待ってたけど回収されず。不倫してたからいつでも別れることができるように練習してたの?
「映画館で」
今年198本目。
午前10時の映画祭ですが夜8:45上映。朝10時台の上映時間もありました。香港の映画。主役の男女2人をたっぷり時間かけて撮る、それで2人の感情の変化をお客さんが感じ取る事ができる。好きだけどお互い結婚してるし行きたいけど行けない、そこの描写が素晴らしい。最後カンボジアの遺跡を3分たっぷり映す、余白の作品だったなあと。
チャイナドレス!
ウォン・カーウァイの代表作を初見。大人の男女の不倫ドラマをとことんスタイリッシュに描いている。
的確なショットの積み重ね、ここぞのスローモーション、シーンの反復・ずらしといった演出技法はもとより、濃淡や色味を強調したカメラ、音楽の繰り返しなどで、独自の映像世界を作り上げている。
さらに特筆すべきなのは、衣装。上品で色気のあるマギー・チャンのチャイナドレス姿に、見惚れてしまう。髪を横分けで固めたスーツ姿のトニー・レオンも、やさ男振りが際立っている。
物語としては、二人のプラトニックさがあまりに綺麗すぎる気がするが、ラスト近くのすれ違いシーンなどは、まさしく映画的。「欲望の翼」でも感じたが、一種の「南方趣味」のようなものも興味深い。
おお・・この女優は!
ジャッキーチェンの彼女ではないか
と気がつくのに1時間ほどかかった それほどにあの映画の時とは違う雰囲気で良かった 時が経って彼女もこういう色気が出るようになったのか もともとそうだったのが ジャッキーチェンの映画ではああいう演技でいったのか・・
この映画には 独特の雰囲気があり 独特の音楽を使っておって楽しめた
でも ストーリーが持たないので 前半だけ楽しめれば十分かな
中国への香港返還の直後に製作されたことが、今振り返ると感慨深い一作
最近は新作の情報がなかなか入ってこないウォン・カーウァイ監督ですが、過去作のレストア版の公開など、再評価の動きは活発です。
本作は、カーウァイ監督だけでなく、多くの若手香港映画俳優の知名度を飛躍的に高めた、『欲望の翼』(1990)の世界観を引き継ぎつつ、赤を基調とした独自の映像美が強烈な印象を残す一作です。
寂れた建物や安っぽい日用品があふれているにも関わらず、それら一つ一つが輝くパーツのようにはめ込まれた映像の美しさは、レストアの効果なのかどうか、今見ても驚嘆するほど。
物語の舞台は1960年代の香港なんだけど、本作の製作は2000年、つまり香港返還の直後です。そのため本作が描く香港は、『欲望の翼』以上に、かつて誇った栄華が虚しく消え去る前の残光のような哀愁を漂わせています。
お互いの配偶者には裏切られているチャウ(レスリー・チャン)とチャン夫人(マギー・チャン)は、互いに惹かれあっているものの、潔白な関係を維持している……のですが、それをことあるごとにセリフで強調するところにむしろ興味を持ちました。時代設定を1960年代にしていることといい、もしかしたら検閲対策なのかも?と。
といっても、同じくカーウァイ監督が手掛けた、やや本作と似た物語上の要素を持った『若き仕立て屋の恋』(2004)が結構露骨な描写も含んでいるんで、単に監督がテーマに沿って描き分けしただけかも!
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