武士の一分(いちぶん) : 映画評論・批評
2006年11月21日更新
2006年12月1日より丸の内ピカデリー2ほかにてロードショー
木村拓哉はオレ流の演技スタイルを崩さず
台詞を話した後クスリと笑うオレ。お堀で遊ぶ子供にちょっかいを出すフレンドリーなオレ。巨匠・山田洋次監督だろうが、時代劇だろうが、木村拓哉はオレ流の演技スタイルを崩さず。三船敏郎がそうであったように、これこそがスターの証である。
相手役の妻・加世を演じる壇れいも可憐で、顔に皺一つない美男美女をただ眺めている分にはいいが、本作品のテーマである夫婦の機微とやらはどうも心に響かず。物語の山場である、失明して仕事に就けなくなった新之丞(木村拓哉)が、加世の裏切りを責めるシーン。この時代、不義密通は重罪だ。夫を思い苦渋の決断で上役に身を捧げていたわりには、加世、事実を認めるのが早過ぎ。一方の新之丞も、原作では歳月を経るにつれて五感を研ぎ澄まされ、加世の異変に匂いやちょっとした動きで気付くのだが。この夫婦ならではの、無接触の愛の交換をもう少し、生かして欲しかったところだ。
同性も憧れる不良性、共演者との快活なセリフのやり取り、そして剣道経験を生かしたキレの良い殺陣は木村の魅力だ。同じ時代劇をやるなら、ジョージ秋山「浮浪雲」の新さんや、山本周五郎「どら平太」の平さんがお似合い。挑戦する心意気は買うが、木村拓哉が木村拓哉であり続けるのならば、演技派の道よりスター街道を突っ走って欲しい。
(中山治美)