ハウルの動く城のレビュー・感想・評価
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イケメンは声までイケメンなんだなあ
2004年公開作品
久々の鑑賞
おそらくおよそ20年ぶり2回目
監督と脚本は『風の谷のナウシカ』『天空の城ラピュタ』『紅の豚』『もののけ姫』『千と千尋の神隠し』の宮﨑駿
動く城の造形が凄い
スタッフはかなり力を入れたようだ
あの巨体を支える比較的華奢な4本の足で歩くことよって城は動く
これも全てカルシファーの魔力によるものだ
ソフィーの街の乗り物は蒸気が動力源
宮崎駿はプロペラ機も好きだが蒸気機関も好きなようだ
実家の工場が由来しているのだろうか
若いソフィーも老婆のソフィーも倍賞千恵子が演じている
海外の声当てはどの国も18歳と90歳は別の俳優がキャスティングされている
倍賞姉が器用なのか海外が俳優の労働組合の方針で役割分担がはっきりしているのかそれはわからない
今回も美輪明宏が良い味を出している
美輪が演じた荒地の魔女そのものもキャラとしてかなり立っている
2体のゴム人間に担がれた籠の中にぎっしり収まっている荒地の魔女はインパクトがある
王宮の階段を汗だくで上がってきた荒地の魔女
サリマンによって魔力を全て吸い取られ本来の年齢の姿に変わり果てたジャバのような荒地の魔女
その度の声当てが本業でもないのにお見事
木村拓哉の声当ても案外良かった
髪の色が変わり癇癪を起こすハウルのシーンはとても良い
宮崎駿の厳しい演技指導の賜物かもしれない
だとしても顔出しではどうしても所謂キムタクを求められがちな木村拓哉
その点ではハイテンションでコミカルな芝居を求められがちな浅野温子も同様
声当ての仕事もどんどんやれば良いのに木村拓哉
ソフィーは呪いをかけられ90歳の老婆になるが劇中髪の色は白いままで顔が度々若返る
精神状態によって変わる様で前向きなときは若返り後ろ向きなときは年寄りになり寝ているときは黒髪の18歳に戻っている
この設定が初心者を戸惑わせる
少々ややこしい
勘の鋭い人は良いかもしれない自分の様な鈍い野暮天はこれでこの作品に躓く
少なくとも初見は
早い段階で荒地の魔女の口から解説してほしかったものだ
粗筋
2人連れの兵士にナンパされて困っていたところ魔法使いのハウルに助けられたハッター帽子屋の娘のソフィー
帽子屋にやって来た荒地の魔女に90歳の老婆にされる呪いをかけられたソフィー
荒地の魔女は若返るためにハウルの心臓を狙っていた
翌朝帽子屋を飛び出し家出をしたソフィーは助けた案山子が連れて来た動く城の掃除婦として住み込みで働くことに
案山子のカブも付いてきた
動く城の主はハウルだった
城にはハウルのほかハウルの弟子のマルクルとハウルと契約した火の悪魔カルシファーが住んでいた
ソフィーが住む国は隣国と戦争をしており隣国の爆撃機が町に無数の爆弾を落としていた
ハウルはサイズはそのままで燕のような姿になって戦場に飛び立ち地上への爆撃をなるべく防いでいた
そんなある日にソフィーと荒地の魔女は王宮に招待されていた
王宮にはハウルの師匠サリマンが住んでいた
サリマンは王室に使える魔法学校の校長
悪魔と契約し追放した荒地の魔女の魔力を奪いソフィー側には我国の戦争の協力の依頼を求めた
ソフィーと国王に化けて登場したハウルはサリマンの要求を拒否し立ち去った
住人に荒地の魔女とサリマンの使い犬のヒンも加わった
声の配役
父が残した帽子屋の長女でお針子として働いているソフィー・ハッターに倍賞千恵子
動く城の主人で魔法使いの美青年のハウルに木村拓哉
肥満型の裕福な貴婦人を思わせるが50年前に悪魔と契約し王宮を追放された魔法使いでソフィーを90歳の老婆にする呪いをかけた荒地の魔女に美輪明宏
ハウルの弟子の少年で動く城に住み外出と客の対応をするときは魔法で老人に変装するマルクルに神木隆之介
ハウルと契約を交わした火の悪魔で動く城の動力源と料理の手助けをしているカルシファーに我修院達也
街の中心部に位置するカフェ・チェザーリで働く看板娘でソフィーの妹のレティーに香月弥生
レティーによく似たソフィーの義母で帽子店の経営者だが店はソフィーに任せっきりでいつも出掛けているハニーに八十川真由野
荒野に埋まっていたところをソファーに助けられ流れで動く城の住人になった頭部が蕪で出来ている案山子のカブ(隣国の王子)に大泉洋
ハウルの師匠で魔法学校の校長であり宮廷に仕える王室付き魔法使いでもある車椅子の老婦人のサリマンに加藤治子
サリマンの使い魔で密偵として動く城に住み着いた鳴き声「ワン」ではなく「ヒーン」の犬のヒンに原田大二郎
好戦的で軍服を着ているソフィーが住む国の国王に大塚明夫
金髪おかっぱの美少年でサリマンの小姓に伊嵜充則
金髪おかっぱの美少年でサリマンの小姓に保村真
漁師の娘のマッジに菅野莉央
八百屋に森崎博之
ケーキ屋店員に森崎博之
兵士Aに安田顕
兵士Bに大泉洋
橋の上の男に佐藤重幸(現・戸次重幸)
城の門番に音尾琢真
港町の魚屋に佐々木誠二
心が動くことが若さ
自分がこれを劇場で観た時、まだ若かった。だから面白かった印象はあっても“とても良い”という印象はなかった。しかし歳を重ねたいま(言うてもこれを書いてる時点で自分はまだ30代半ばだが)、これを見直したとき、“とても良い”と再認識した次第です。
よくよく思えば、“若い女性が呪いにより90歳の老婆に変貌させられた”という最初のあらすじ。これが若い時の自分の中で誤解を生んでいたように思います。この呪い、実は、
“自分の気持ち(内面)が姿(外見)として現れるもの”ではないか?
それは劇中のソフィーの容姿が目まぐるしく変化している点だ。呪いがかけられた当初はまさに“おばあちゃん”。しかしハウルやカルシファー、マルクルらに出会い、心が動く場面では少し若返ったり、元に戻ったりと変貌していた。だが、自分が年老いた人物と思えば、老婆に戻ったりしていた。そうや、物語の最初、ソフィーの心は動いていなかった。表情も硬かった。まさに“年老いた心”をしていたのではないか?そしてハウルに恋心を抱いていた時だけでなく、家の掃除や景色に心を奪われていたときなど、ソフィーの心が動いた時、感情が表立った時、若くなっていた。
心の弾力を保つことが、若さではないか?
話は変わるが、世界で最も過酷なレース「ダカール・ラリー」に36回挑戦した菅原義正というドライバーがいる。77歳までダカールに挑戦し、84歳となった今アフリカ砂漠のラリーに参加している。幾度かテレビで観たことあるが、容姿は年相応でも心が若さは尋常ではない印象だった。つまり、こういうことやったのではないか?
恋して、笑って、泣いて、怒って、生きる。これがあれば、人間はいつでも若いんやというメッセージではないか。
他方、ただ心の若さを保つだけではないこともこの映画では感じる。一つは「自己決定の大切さ」や。自分の思いを内に抑圧せず、出すことこそ生きることであり、それが若さであるということではないか?そしてもう一つは「戦争は愚の骨頂」という戦争批判や。これに関してはハウルのセリフに激しく同意。
最初観た時は、自分が若かったからわからんかったんやろう。だが歳を重ねた自分が見直したとき、これほど素晴らしい映画だったとは思いもしなかった。
これからの自分、いろんなことに心を動かしていきたい。そして、自分の年齢を理由に抑圧するような考えは持たないようにしたい。そう思える映画です。
改めて、宮崎駿監督の偉大さに触れたと感じました。
あゝ、無情‼️❓
今観ると思いっきりルッキズムの映画だった
映画館でやっていたので20年振りに鑑賞。
外見に自信が無くて周りに壁を作って生きていたソフィーが、魔女の呪いで老婆に変えられた結果、見た目を気にする必要がなくなり、逆にありのままに生きていけるようになる話。
歳を取るとコミュニケーションが若い頃より積極的になりがちなのは、自分もそうかも。
ソフィーが老婆に変わってしまったと知った時、慌てはするけど落ち込まないのは好印象。
逆にハウルは髪色が思い通りにならなかったぐらいで、あり得ないほど絶望的になっていて、対照的だと思った。
ソフィーの素晴らしいところは、たとえ憎悪の対象だとしても、相手が弱っていたら手を差し伸べられるところ。
なかなかできることではなく、ハウルが惚れるのも納得。
キスシーンが出てくる印象が記憶にあったが、久しぶりに見たら終盤はキスラッシュだったのでびっくり。
本当に宮崎駿が作ったのかと
途中放棄したのか??
空から降ってくるカルシファーと少年ハウルと出会ったソフィーが涙をこ...
キレイな炎だね〜
この頃の宮崎駿は、必ず深い思いやメッセージ色を全面に出した物語を作るようになってしまい、子供が楽しめる映画じゃ無くなってるんだよね。歳を取ったからなのか、思想が変わったからなのか、もう昔の宮崎駿ワールドに戻れないのかな〜。いいじゃない、最後までワクワクドキドキするアドベンチャー映画でさ。ストーリーもさ、皆んなでサリマンの魔法から逃げつつ、面白おかしくハッピーエンドで良かったと思うよ。暗い過去や反戦を押し出した物語を子供は観たくないよね普通。
まぁ、余り言いたく無いけどやっぱり言わせて欲しい。主役2人の声優が糞過ぎるね。倍賞千恵子さんは、年寄りに変化した時だけで良かったよね?キムタクは最後まで糞でした。その他声優さんは素晴らしく、特にカルシファー役の我修院達也さんが最高にマッチしてた。
私にはあまり響かず
恋に落ちる時
内容以前のプロモーションにひいてしまった
アニメーションとしての表現力は、極限まで磨き上げられている。もちろん、CGの進化によって、アニメはまた違う次元に昇っていくことにはなるが、手描きの手法で、ここまでのクオリティを実現できたのは、ジブリのアプローチが正しかったからと言えるのではなかろうか。
ひとりの天才がいても、集団作業である映画製作において、傑作とはなり得ない。商業ベースに乗りつつ、定期的に質の高い長編を発表し続けることの難しさを、なんとなく想像してみた。『ハウルの動く城』は、その曲がり角にあった作品と言えるのじゃないかと思う。
内容よりも、話題が先行した作品で、夏のイベントと化していたジブリ映画にくさびを打ったんじゃないかと思う。表現の手法としては、主人公が魔法によって自在に若返ったり、年老いたりするという、アニメーションならではの展開にうならされる。それも、あれあれ、まあまあ、と、変化しながらよぼよぼになっていくんじゃなく、ある時は少女の表情。ある時は、腰の重たい老婆にと、場面ごとに変わっていきながら、同じ人物であることを破たんなく示すことが求められる。それこそが、魔法であり、心の向きようで、人はいくらでも若くいられるという、宮崎駿のメッセージに違いない。
その他にも、この映画では、いくつかの挑戦が試みられていると思う。ひとつは、「重さ」の表現。生きている城が、ガタガタと音を立てながら移動する場面や、体重が限りなく重くなる「競歩」のシーンに現れている。どちらかと言えば、鮮やかな飛翔シーンに見られるように、今までの宮崎アニメには「軽さ」を強調したものが多かったように思う。それが、真逆の方向に舵を切ったのだ。戸惑いと感動が同時に襲ってきた。しかし、その当時はその意味をあまり理解できないまま、「宮崎アニメは終わったな…」なんて漠然とつぶやいたりしたものだ。
正直に言うと、内容うんぬんよりも、木村拓哉の存在が大きかった。彼の実力は間違いないと思うのだが、どこか小バカにしたような作品への向き合い方に、始めから嫌な印象しか持たずに映画を見てしまったのだ。見終わった後で、あの声優誰だったの?と思うのとではずいぶん違う。
好きか嫌いか、面白かったかどうかよりも、キムタクはジブリにフィットするのかどうか?が、映画の評価軸になってしまった。残念な作品だった。それも含めて宮崎アニメなのだから、この映画は確実に曲がり角だったと思うのだ。
余談だが、『ミケランジェロ・プロジェクト』日本語吹き替え版で、あまりにもひどい声優が起用されていた。そのひどさゆえ、映画の内容よりも、「誰だ?あの声優」ということになって、調べたら、工藤静香だったという…
夫婦そろってまあ。
宝石箱のような映画
最初に映画館で観たときは、とにかく難解だなあという印象だった。
そこから約二十年ぶりに今回鑑賞した後、一番に感じた印象は、こんなに「恋愛映画」だったんだ!ということ。
地味で自分の容姿に自信がないけど、責任感が強く芯が真直ぐで美しい心を持ったソフィー。キザで格好良くて天才的な魔法の才能を持ちながら、実はピュアでナイーブで気が弱くて、誰にも言えない秘密を抱えているハウル。最初から最後まで、この二人の運命的な出会いと成長を軸に描いていることに、今回初めて気づいた。
そして、心ときめく(近代ヨーロッパの街並みと雄大な自然をモチーフにした)素敵な風景、そこに自然な形で組み込まれている魔法の世界、敵とも味方とも分からない掴みどころがないけど魅力的なキャラクター達がドタバタと繰り広げる映像表現は、まさに「アニメーションの魔法」というべき特別な体験をさせてくれる。城の造形や動きはマニアックでグロテスクでカッコいいし、荒地の魔女やカルシファーの変幻ぶりは見ていて飽きがこない。
本当に宝石箱のような映画だと思う。
最後の急展開な終わり方のドタバタぶりは、いつものジブリ作品に更に輪をかけていて、映画の理解や共感を困難にしている主な原因だと思うし(誰彼かまわずキスばかりするソフィーの行動しかり)、結末は余りにもご都合主義が過ぎる気がするけれど(急に戦争をやめると言い出すサリバン先生然り)、そんなことも全部ひっくるめて、これぞジブリ!という作り手の熱量に溢れた映画だと思う。(若干無理矢理かな。笑)
少なくとも僕は、初見で見たときと比べて(自分でも驚くくらい)純粋に、楽しんで観れました。
全93件中、1~20件目を表示