男たちの大和 YAMATOのレビュー・感想・評価
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旧日本海軍の「象徴的な敗北」
約20年ぶりに『男たちの大和 YAMATO』を視聴しました。 この年齢になって改めて感じたのは、「合理性のない精神論に固執すると人は破滅する」ということです。この映画を今の若い世代に見せて、「昔の秀才たちもこんなにも愚かな選択をしていた」と教訓として伝えるのも意義があるかもしれません。 沖縄特攻作戦を立案した人々は、当時の日本全国から選ばれた秀才中の秀才でした。それにもかかわらず、現実的な戦局分析よりも、メンツや理念を優先する傾向がありました。その結果として、7000人の命と国家予算を費やして建造された戦艦を沈めることになった理由が、何度この作品を観ても理解できません。 映画自体については、2005年の作品であるためCGの粗さが目立つ部分もありますが、当時の街並みや戦艦大和の再現度は見事だと思います。ただし、対空射撃シーンで同じ映像が何度も使われている点や、敵機が常に近くにいる描写が続き、射撃の演出が単調に見える部分が少し気になりました。
大和ミュージアム行く前の鑑賞がおすすめ
呉に行くので。
ひとつ強く覚えていることは、大砲(機関銃?)座って打つんや??!!ってこと。
呉に行って模型を見たとき、当たり前だが座るところきちんとあって感動した。
今までたくさんこういう映画見てきたが、
今になってようやく、きちんと仕組みを理解したわ。
函館の摩周丸を見たばかりだから、船内の様子おもしろかった。
こんなに料理人いるんだ、とか、船員多過ぎん?って思ってた。
初耳シリーズ↓
戦艦に護衛が必要。(戦艦って無双状態のめちゃくちゃ強いものだと思ってた。)
戦艦大和撃沈。(大和負けるんだ?!)
戦地に向かう途中に沈む。
有名アニメ(宇宙戦艦ヤマト)になるくらいだから、
超つよつよで、負け無しの戦艦だと思っていました。
なんで数ある戦艦の中で、大和ってこんなに認知度あるんだ?
一番巨大だから?(アルキメデスの大戦の知識)
神尾の恋人が広島で原爆の被害に遭う未来がわかって
広島行かんといて…!!って願ったわ。
簡潔に感想言うなら、
中村獅童、反町隆史が、雄々しく守ってくれそうな強い男性でかっこよかった。
ざわつく金曜日の印象強くて、長嶋一茂が出演していて、演技もするんだと違和感。
松山ケンイチの弟感いいね。
呉でお昼ご飯を食べた、呉ハイカラ食堂に
映画のパネルがたくさんあり、ファンならもっと楽しめるだろうな、と思った。
個人的にはちょっと長いし、眠くなった場面が多く、
リピートは無しかな。
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なんというか… 大和の出航は必要なかったのでは?ととても疑問に思う...
なんというか… 大和の出航は必要なかったのでは?ととても疑問に思う作品でした。 特攻隊もそう感じますが、大和の何を過信していたのか、当時の命令をくだした人達の思考はわかりませんけど… 無駄死に以外のなにものでもないです。 そりゃそうなるよね…って誰でも気付きますよ。 犠牲になった海兵さんたちがあまりにも可哀想だと感じました。 まぁそもそも戦争なんてものはそんなものなのかもしれませんが。 今の時代の感覚だからこそこのような感想になるのだとは思います。 映画自体はいろいろな人間ドラマが散りばめられている内容となっていて、実際は一人ひとりにそれぞれの物語があるであろうたくさんの海兵さんたちが無念の死を遂げていきます。 俳優さんにいたっては、難しい役どころではあると思うんですが、主演の松山ケンイチが何とも微妙な演技でした。 反町隆史はGTOですか…って感じの演技で、戦争映画は向いてない気がしました。 でもまぁフィクションなので、こういう設定や展開があってもいいし、それが普通なんだろうなと思います。 戦闘シーンは迫力があり、恐怖も感じました。 戦争映画を続けて見ているのですが、やっぱり戦争は愚かなことだと思います。 誰1人幸せにはならない。
戦艦大和と乗組員たちの壮絶な戦いと絆が描かれ、特に中村獅童演じる内...
戦艦大和と乗組員たちの壮絶な戦いと絆が描かれ、特に中村獅童演じる内田の生き様が印象的。戦時中の軍人のかっこよさに胸を打たれます。戦争の悲惨さと命の尊さを考えることができる本作。ぜひ観てください。
生き残ることの苦しさと希望
戦争を背景にした映画には「反戦」と「賛美」しかないのか。いい加減、二極化した思い込みばかりで、既視感のある文章ばかり読んでると目眩がするね。
映画のレビューではないかもしれないけれど、自分のおじいちゃんから聞いた話を書いてくれてる人の方が、その人にしか書けない良い文章を書いてると思うよ。
苦言はさておき、想像したよりも色々な面で面白かったね。
観る前は大和が沈むシーンに長渕剛の歌声を被せちゃうような、しょっぱい仕上がりの映画なんじゃないかとずっと疑ってたわけだから。
そんなことはなかった。ちゃんとしてたね。
これの前に「アルキメデスの大戦」を観てるんだけど、CGにはCGの、実物には実物の良さがある。当たり前だけど、質感とか物や人がぶつかる音、コントロールを逸脱した動きが画面の端から端に至るまで映りこむダイナミックさは、やっぱりオープンセットで撮っている「男たちの大和」の方が上だった。
確かに同じ爆破シーンを何回か使い回してる事には気づいたけど、そんなことはどうでもいい。
監督本人が「反戦」をテーマに掲げているわけだから、戦争の悲惨さ云々を感じるのは別におかしいことではないけれど、この映画の興味深いところは「散っていった男たち」ではなく「生き残った男たち」の苦しみに焦点を当てているところだ。
戦争だけでなく災害でも、「生き残ってしまった」事を罪深く感じてしまう事は多いと聞く。
「死んでいった人たち」と「生き残った自分」を分けたものとは、徳の高さでも体の強さでも頭の回転でもなく、ただの「運」としか言いようがない。
「愛する人がいたのに」「まだ若かったのに」「将来を期待されていたのに」死んでしまった人たちに対して、何故自分みたいな人間が生き残っているのか。
同じ釜の飯を食い、苦労を共にし、背中を預けあったのに、自分はみんなを裏切って生きているのではないか。
そんな苦悩が、生き残った二人にはある。
そこに意味を見いだして、戦災孤児を育て上げてきた内田。
大和乗船時の内田を演じていたのが中村獅童だったんだけど、演技面では完全に中村獅童無双だった。中村獅童に全部持っていかれたと言っても過言ではないでしょう。
観客目線のキャラクターは松山ケンイチ演じる神尾だったんだけど、内田が出てくるとどうしても内田に注目してしまう。
テーマ的にも内田という男の生きざまが重要だし、そんな内田に息吹を吹き込んだのは、間違いなく中村獅童だ。
もう一人、生き残った神尾の「どうして自分は生きているのか」という問いに答えてくれるのも内田である。
長い間、自分が生きている意味を見出だせずに生きてきた孤独な老人となった神尾を導き、自分の生を全うすることを伝え、男たちの思いというバトンを渡す。
戦争の記憶、仲間の記憶、死んでしまったからこそ覚えていて欲しいことを伝える、という意味でも、内田は最後まで闘い続けてきた。
大切な人に生きていて欲しい、生きていて良いんだ、というシンプルさがこの映画の良いところだ。
苦しみではなく、希望に満ちたエンディングの戦争映画があったって良いじゃない。
実は秘密だらけの大戦艦大和
戦後60周年記念作品 【'05年12月17日より大ロードショー】 [音 楽]久石 譲 [主題歌]長渕 剛 大戦艦大和は、極秘建造は急ぎに急がれ、太平洋戦争開始8日後(昭和16年12月16日)に沈黙のベールに包まれて誕生した。 劇中では触れていないが、大蔵当局を欺いて(製造予定の駆逐艦と潜水艦の中に建造しない架空艦を混ぜて辻褄合わせをし)予算獲得し、当初は艦種名すら書類として明らかにすることは許されなかった。 ドキュメント小説(原作:辺見じゅん)の映画化。 原寸大で再現した大和は見応えがある。 戦闘とは無関係の日々を送る「大和ホテル」と言われた程の優雅さも、急いで建造したり改造され続けるハリボテ感も再現されていたと思う。 甲板上での体操、武道といった、艦を動かさなくてもできる訓練(重油節約のため)の描写も良かった。 大和の丸裸での長い行程の特攻作戦は、事実だとしたら、無駄死にで本当に残念である。
今更ながら観ましたが、とても感動、胸をうたれた 戦死したものは英雄...
今更ながら観ましたが、とても感動、胸をうたれた
戦死したものは英雄、生きて帰ったものは「よくも生きて帰ってこられたな」と罵声を浴びせられる時代。今の時代では考えられないのではないでしょうか。
空からの援軍もなし、片道の燃料のみで出発
死ぬことを覚悟の上でお国のために戦う。僅か15歳の少年でさえも、そんな人生の選択があっても良かったのだろうか
命を懸けて戦い抜いた英雄は死んでも生きてても格好良い。だけど、戦争は絶対にあってはならない
誰一人死んでよかった人なんているわけがない。
反戦の思い、命の尊さを考えさせられました
映画としては大変迫力のある映像と少々グロテスクなシーンもあり、見応えがあります
エンドロールの長渕剛さんの曲は、映画を観てから聴くと尚、心に染みました。
クライマックスはまさに壮絶
史上最大の大砲を装備した世界最大の戦闘艦“大和”。 当時の日本はもう敗北したも同然の戦況。 結果は見えている。行けば生きて帰れない。 それでもなぜ帝国は大和を戦地へ向かわせたのか。 「死ニ方用意」 最期を覚悟した3,333人の男たちの壮絶なドラマに胸が締め付けられる傑作。 戦艦 大和という名は日本人であればほとんどの人が知っている。 歴史の授業でも習っていると思う。 しかしそれがどんな艦で、どういう人達が、何の為に乗っていたのか。 己の命を懸けた男たちの生き様までは学校では教えてくれないはず。 戦争を知るには映画で学ぶのが一番頭に入ると私は思う。
『ぬけぬけとよう帰ってきたのう』
恐らく、2005年の映画だから、敗戦50周年での記念作品なのだろう。
しかし、日本がアメリカから自由を奪われた理由の様な映像だ
さて『最後まで戦います』と宣言するのはいっこうにかまわない。でも、それでも、負けた訳である。だから『さっさと白旗をたてて私は逃げます』って言葉も必要だ。
さて、1945年から1947年位までに生まれた人達を『団塊の世代』と揶揄することがあると思う。それは少子高齢化の今言われ始めた理由では無い。僕が生を受けた頃(昭和32年)から言われていた。親父(昭和5年生まれ。戦争に行けなかった最初の世代)の言葉を引用する。
『お国の為に戦った本当の兵隊さんは、お国の為に死んだんだ。運良く生き残って帰って来た奴ら(ママ)がやる事無いから本能に任せたんだ』と言っていた。団塊の世代はそんな風に思われていたのだ。根性がひねくれた親父ではあったが、間違いではないと思う。しかし、理由は『平和になって死ぬ事が無くなったから』である。言うまでもなく、彼等団塊の世代は、日本の高度経済成長の下支えをしてきた世代である。こんなアドレナリンもコントロール出来ない戦前、戦中世代とは違う。ある意味戦後の冷静な日本人の元になった世代なのである。もっとも、脱亜入欧は色濃く残り絶滅危惧種大和民族になってしまったが。
こう言ったアナクロでエキセントリックな映像を冷静に鑑賞出来る『精神の自由』を磨こう。
『ぬけぬけとよう帰ってきたのう』
上野の山には片足が無い白装束の兵隊崩れ(ママ)が戦後15年以上経っても沢山いた。我が亡父は『国から金もらって、働きたく無いから障害者のふりしているだけだ。戦争に負けて恥かいて、根性までひねくれているんだ(ママ)』さて、親父はJAZZとアメリカ映画が好きな脱亜入欧野郎だったが、多分地獄にいると思う。
戦艦大和その壮絶な最期
2005年。佐藤純彌監督。原作・辺見じゅん。
製作費25億円。興業収入50億円の大ヒット作。
映画は、戦艦大和の乗組員となった10代の少年兵神尾の姿を通して描かれます。
少年期を松山ケンイチ、60年後の神尾を仲代達矢が演じています。
戦艦大和の沈没地点。鹿児島県坊ノ岬、北緯30度42分東経128度04分。
そこまで船を出して連れて行って欲しい・・・そう言う女性真貴子(鈴木京香)の
頼みを引き受ける神尾(仲代達矢)
神尾の回想で、エリートでも将校でもない名もなきイチ少年海兵隊員の目を通した、
「男たちの大和/YAMATO」の沈没までの壮絶な運命が描かれます。
先に観た「アルキメデスの大戦」では1兆円(今の金額で)を超える建造費の戦艦大和を
建造に反対する山本五十六と、対抗する軍部の攻防が数学者・櫂(菅田将暉)の計算力、
を利用して阻止を図る映画でした。
その理由は、今後の戦争は空母こそ建造すべき(つまり航空機を多数搭載出来る航空基地の役割)と言うことだったのです。
事実、戦艦大和は最終決戦地区・沖縄を目指すものの、鹿児島県の沖・坊ノ岬までしか行けず、米軍の航空機300機の集中砲火に合い砕け散ることになります。
素人目に考えても、動かない的(大和)が大き過ぎて、アメリカからみたら「楽勝」ですものね。
1945年4月7日。
乗組員3332名。そのうち生存者は276名。
神尾は生きて帰っても、母は空襲で爆死しており、恋人(蒼井優)は広島の原爆で死に、
天涯孤独の身になります。
同じく少年海兵隊員の友達の死を母親に告げると・・・よくも一人オメオメと帰って来れたものだ・・・と罵られる始末。
神尾たちにとり、戦艦大和に乗船するのは憧れ・夢・・・だったと思います。
(お米のご飯も最後まで食べれたみたい・・・)
結果、乗組員の大多数は死に、戦艦大和は巨大さ故に彼らを守ることは出来ず。
戦争の虚しさを強く感じる映画でした。
戦艦大和の最後が描かれている。 戦闘シーンは迫力があった。 死の意...
戦艦大和の最後が描かれている。 戦闘シーンは迫力があった。 死の意味、覚悟、家族や愛する人、次世代に対する想い。想いのつながりが切ない。 キャストもけっこう良くて、良作だと思います。 仲代達矢が良かった。
キャストと台詞が残念
テーマやストーリーは理解できるが、鈴木京香の演技はいただけない。 反町の台詞も、無理してどこかの方言のようにしなくてよい。中途半端。 あの小型漁船で大和の沈没位置まで往復できるのか(燃料やトイレなど)、少年が無線資格を持っているのかなど、疑問を感じる。
よくできているが、雑さが垣間見えて不謹慎
戦闘シーンも人間ドラマもよくできていて、そこそこ感動もします。しかし、雑さの垣間見えるところが、ほころびのようにあちこちにあります。「もっと丁寧に作りたかったのは山々だが、時間がなくて、これで手を打った」という感じを受けます。 まず、脚本の練り方が足りないように思います。役者も熱演だし、演出もちゃんとしているのに、空々しいシーンが多いのは、脚本のせいだと考えられます。たとえば、内田真貴子(鈴木京香)の船酔いのシーン。漁船に乗ったことのない者は船釣りで内海に出るだけでも気分が悪くなりそうなのに、外海を長時間航行しているにもかかわらず、船酔いの薬を薦められて断り、船長と普通に会話する余裕が不自然です。脚本で言わなければならない台詞があり、決められた尺に収めるには、酔っている演技を見せる時間がなかったという事情が垣間見えます。終わり近くで、仲代達矢さんにあんな臭い台詞を言わせるのも、失礼です。 水兵が大和に乗艦する際は、背負い袋を軽々とかかえているので、「ああ、所定の大きさになるまでクッションを詰めたのだな」と感じてしまいます。万感の思いで荷物を詰めたであろう心の重みが感じられません。 戦闘シーンでは、航空機に対して主砲も撃っていて、「えっ、航空機に主砲を使うのか」と疑問を持ちましたが、私は兵器には詳しいわけではないし、ひょっとしたら使うのかも知れないので、よしとしましょう。しかし、主砲を撃つシーンで、砲手が砲弾を手で軽々と抱えていました。ドラマ「Uボート ザ・シリーズ 深海の狼」で魚雷をチェーンブロックで必死に持ち上げる重量感と比べ、大変な違いです。 広島で被爆した野崎妙子(蒼井優)に神尾克己(松山ケンイチ)が再開するシーンでは、瀕死の妙子の血色がまあよいこと。撮影スケジュールが押していて、死にゆく女性のメイクにまで手が回らなかったのだろうと感じてしまいます。 古い話で恐縮ですが、かつて映画「南総里見八犬伝」の撮影について、当時まだアイドル女優だった薬師丸ひろ子さんが「気力と体力の限界に挑戦するような撮影だった」という意味のことを述懐していました。こういうエンターテイメント映画はそれでかまいません。しかし、死者を鎮魂すべき映画において、「スケジュールが押していて、ここまでしかできませんでした。ご免なさい」というメッセージがむんむんする作品を作るのは、厳しいですが、不謹慎です。死者に相応の敬意を表することができないなら、作るべきではありません。
戦艦大和 きっと素晴らしい戦艦だっただろう 憧れの的だったかも知れ...
戦艦大和 きっと素晴らしい戦艦だっただろう 憧れの的だったかも知れない 戦争に用いられるものでなければ 今もきっとすごいかっこいい戦艦 戦争を終わらせるために戦う 終わらせるために死に場所を与えられる 終わらせるために どれだけの犠牲を払ったのか 戦争は人の思考を狂わせる 物事を終わらせることに 形はいらない やーめたと言えたら 助かった人や悲しまなくてよかった人が本当にたくさんいたと思う やーめたと言える人であらねばと思う
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