ドッグヴィル : 映画評論・批評
2004年2月16日更新
2004年2月21日よりシネマライズほかにてロードショー
「美しく残酷な寓話」というだけではすまされない何かがある
スタジオの床にチョークで線を引いただけという、前代未聞の抽象的セットで撮られた3時間。前作「ダンサー・イン・ザ・ダーク」でカンヌを制した巨匠が、大スター、キッドマンを迎えながらのこの冒険。「ドッグヴィル」にはこれだけでもフォン・トリアーの独創性が明らかだが、げに恐ろしきはその中身だ。
ロッキー山脈の麓にあるドッグ(犬)ヴィル(村)に、ギャングに追われた美女が逃げ込んでくる。彼女はかくまわれる代わりに村人に無償奉仕を約束をするが、人々は次第にエスカレート。彼女を犬のように酷使し、首輪までかけてしまう……。
「奇跡の海」や「ダンサー~」同様、不条理にいたぶられれるヒロイン。だが、前2作のヒロインが夫や息子のために命を落とすのに対し、新作の「キル・ビル」ならぬ「キル・ヴィル」なラストはどうだろう。
「ドッグヴィル」は「ダンサー~」で<黄金の心3部作>を終えたトリアーの<アメリカ3部作>第1部だ。トリアーは飛行恐怖症のため現実のアメリカに行くことができない。セットの異様な抽象化はむしろ誠実ともいえる。それだけに、彼が純化した「アメリカ」の、この不気味な滑稽さと野蛮さ。そこには「美しく残酷な寓話」というだけではすまされない何かがある。
(田畑裕美)