Cutie Honey キューティーハニー : 映画評論・批評
2004年6月1日更新
2004年5月29日より渋谷東急ほか全国松竹・東急系にてロードショー
贋者であることの自由を満喫しつつ参加するゲーム
この手の作品が現われるとオリジナルを知る人が、原作を間違って解釈している……といった原理主義的な批判を展開しがちで、この作品についてもそうだろう。でも、そもそも永井豪原作がマンガ版とTVアニメ版のほぼ同時進行だったのだから、すでにオリジナルから分裂があったというべきだ。そんなわけで、オリジナルを知らない人に――知っている人には極力それを忘れてもらって――この作品がどう映るかが問題で、ただただポップで爽快な映画を作ろうとした監督の意図が成功していると僕には感じられた。
「男をリードする女の子」に憧れていたと素直に告白する庵野秀明は、“オタク”としてこの映画を撮ったのではなく、ここでの彼は明快にプロの映画作家である(たぶん「キル・ビル Vol.1」の監督以上に)。むしろ、この作品を――とりわけオリジナルとの比較で――否定してしまう人の方こそ“オタク”ではないか?
オリジナルの呪縛から逃れる軽やかさや、贋者であることの自由を気がねなく満喫しつつゲームに参加する勇気や知恵とユーモア……それらがポップであるための条件だ。自分でも少し意外なのだが、実写版「キューティーハニー」というゲームの魅惑に、僕のハートは約90分間釘づけにされてしまった。
(北小路隆志)