カポーティのレビュー・感想・評価
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これはものすごい映画だ。
『ティファニーで朝食を』などの人気作家、トルーマン・カポーティが、実際に起きた一家惨殺事件をもとに、代表作『冷血』を完成させる過程を描いた伝記映画。物語の中心は、カポーティの心の彷徨だと思う。 実際の事件への取材をもとに『冷血』を書き上げた手法について、自らノンフィクション・ノベルと名付けたカポーティが、この作品以後、長編は未完のままで、死ぬまで書き上げることは無かった。 上品な知識人の皮の下にある、エゴイズムを持ったカポーティ。功名心と好奇心から、殺人事件の取材を始めたが、死刑囚と心を通わせることで、賢明さと人間性という、心が大きく揺れ動く。 カポーティの複雑な心理を見事に表した、フィリップ・シーモア・ホフマンの完璧な演技に尽きる。静かなトーンの中にも、魂を揺さぶる力強さと、並々ならぬ洞察力を持った、ものすごい映画だと思う。
果たして「冷血」の意味は、犯人か、カポーティか、はたまた社会か…
アメリカ文学と映画の関係についての書籍を 読んで、まずは「冷血」を先行鑑賞し、 この作品も比較鑑賞した。 先に見た「冷血」は、カポーティが “ノンフィクション小説”と名付けた原作 を元にしていることもあってか、 ドキュメンタリーのような雰囲気で カポーティは登場しなかった。 しかし、この映画で分かったのは、 彼は犯人と密接に関係しており、 「冷血」の方は “ノンフィクションだが、やはり小説” であったのであろうことを想像させられた。 一方、この「カポーティ」は、 当然ながら彼が主人公として登場して、 「冷血」の作者の内面描写に ウエイトを置いており、 フィリップ・シーモア・ホフマンの アカデミー主演男優賞受賞演技と共に 見応えがあった。 また、この映画では様々なことを新たに 知ることが出来た。 ・映画「アラバマ物語」の原作者が 女性だったこと。 ・捜査官の妻がカポーティのファンだった ため、犯人の処刑までの間、 二人は親しい関係だったこと。 ・カポーティは「ティファニーで朝食を」で 著名だった作家の地位を使って かなりの頻度で犯人に接見していたこと。 ・カポーティが犯人のために弁護士を 雇っていて、裁判の当事者だったこと。 等々。 当初は、ただ作家としての成功意欲で 事件の真相を書きたかった カポーティだったが、 彼の著作を判決に優位に使いたいとする 犯人の一人ペリーの思惑とは ズレを感じながらも、 また、それを知りつつも、 彼と似た境遇に絆された想いを引き摺る中で 「冷血」を著した。 そして、この「冷血」経験によって、 この事件から亡くなるまでの19年もの間、 カポーティは一作も書き上げなかったように この作品では示唆されたが、 実際はどうだったのだろうか。 また、“冷血”の意味をこの作品の中では、 犯人の冷酷な犯行か、 犯人と親しくしてまで進める冷酷な取材か、 と問われて カポーティは前者の意味と答えた。 しかし、執筆スケジュールを優先しようと する彼の気持ちが描かれたり、 弁護士手配が上手くいかないとの言い訳、 また「アラバマ物語」の作家から “あなたは救いたくなかったのよ”の台詞から、後者の意味を完全否定はしなかった。 果たして真相は、と自分なりに考えたが、 よもや、カポーティや犯人の境遇を生んだ “社会”を“冷血” と言っているのかも、と想像もしたのだが。 映画「冷血」がこの事件の社会的意味性に 重点を置いた作品としたら、 映画「カポーティ」は事件を通じての 彼の内面の思索に焦点を合わせた作品 のように思えるカポーティ絡み2作品の 鑑賞となった。
知らないと退屈かな
著名な作家の人生を描いたノンフィクション作品。
主人公は逮捕された2人の殺人鬼の話をもとに小説を書こうと目論む。
そのため、力になりたいと接近するが目的は印税。そういう卑しい部分のある人物だった。
が、意外に純粋な殺人鬼に「親友」と信じられ、頼られるうち、
自分と生い立ちが似ていることもあり、少しずつ感情移入してしまう。
結果的にこの殺人鬼は死刑となり、カポーティ自身がそれを見取ることになってしまう。
この一連の事件で精神的におかしくなったか、作家としてのカポーティは終わった。
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このカポーティ自身を知らないこともあり、また軽蔑すべき人間のため、あまり感情移入できなかった。
史実をもとにした映画ってこうなると退屈なだけになってしまう・・
『冷血』という題名の二重定義
本作は『ティファニーで朝食を』の原作者が実際に起こった事件を題材にしたノンフィクションノベル執筆にあたり、とりわけ実行犯のひとりに情が芽生え、「友」としての自分と「商業作家」としての自分の葛藤を描く。 トルーマン自身の悲しい生い立ちや事件に対して「見たいように見たい」大衆に迎合しなければならない自身の立場、『アラバマ物語』で知られる“ネル”ハーパー・リーとの交流などを描く。 本作は小説『冷血』執筆から完成までの過程を描いている訳だが、作品の中で 「冷血」とは誰の事を指すのか?について言及される。 トルーマン自身は大衆受けを狙い、「男性的な」タイトルにしたというが、 この作品はトルーマン自身がもっと深い意味を込めたと私は解釈した。 それは大衆迎合主義の密やかな反抗であり、何もできない、むしろかえって傷つけてしまったかもしれない友人に対する彼なりのある種のけじめのようなものだろう。 それ以来、長編作品を上梓できなくなってしまったことがその何よりの証左だ。 自らを「冷血」な人間だと称すトルーマン・カポーティ。しかし彼は「あたたかい血」が流れている人間だったんだと感じさせる作品だった。
死刑廃止論なの?
映画としては悪くないです。面白いです。 ただ、死刑囚側に絞った視点で、且つ犯人をいい人そうな役者が演じているので一瞬同情したくなりますが、一家四人を惨殺した季違い殺人鬼ですからね、一発死刑で問題なし。 取材のためか?同化してしまったのか?なぜあそこまで殺人鬼に肩入れするのか本人もわからないんでしょうが、その分からなさ加減と危ない変人ぶりを表現できる迫真の演技力は、演出の力もあるんでしょうが神業に近いですね。
さすがの演技
冒頭からスっと作品の中に入って観る事ができました 特に大きい盛り上がりがある感じでもないのにカポーティに引き込まれる作品でした 小説のために犯人を利用しただけなのか、本当に友情を感じていたのか あの後小説を完成させてないという事は友情があったのかもしれませんが、カポーティの真意はわかりません 良い人とは思えないカポーティなのに真意がどうかとかそういう事はどうでもいいと思えるような、なぜかカポーティには興味が出てくるような 評価の高い作品も納得でした
フィリップ・シーモア・ホフマン圧巻
目が、特に。 本物のカポーティを見たことがないのでなんとも言えないんだけど、少なくともこの映画から察するに、書くことに対するプロ意識は怖いくらいにすごいんだけど、それだけでは割り切れない繊細さも持っていて、最後に後者が勝ってしまったような人物だったんだろうな、と。 普段のソフトな雰囲気と、目立ちたがりなところと、書いてるときの鋭さのギャップが印象的。 それにしても、ノンフィクションを書くというのは恐ろしいことだね。 『冷血』のあと、一つも作品を完成させられなかったというのも納得。
カポーティのドキュメンタリーを観たのでこちらも再鑑賞。ご本人を見た...
カポーティのドキュメンタリーを観たのでこちらも再鑑賞。ご本人を見たあとだとホフマンちゃんが普通に見えるな。 ご本人はだいーぶ複雑な方だったようなので、はてどこまでが本心か欺瞞か…。 街の人たちにとても受け入れられたというエピソードがスゴい。
深淵を覗く時
有名作家トルーマンカポーティの傑作「冷血」。
読んだことないけど、名前は聞いたことなるなくらいの前知識。
とにかくフィリップシーモアホフマンが見たくて鑑賞しました。
カポーティ本人の動画と見比べたけど、ホフマン本当そっくり!
細かい動作完コピですね。
さすがホフマン。
カポーティは冷血の執筆活動を通して、自分の中にある醜い闇の部分を見てしまったのですね。
物語のラストで見せる抜け殻のようなカポーティ。
自分の作品や名声のために、人の死を望む。
これ以上の闇はないんじゃないかなと思います。
自分に置き換えても、大なり小なり自分の嫌な部分を知ってヘコむなんてことわりとあるなーと思ったり。
色々と考えさせられるいい作品でした。
絵ではなく言葉に惹きつけられた
映像はシンプルで安定感があるもので、特段目立つような特徴はなかったけれど、それ故に、語られる台詞がものすごく印象的で、不思議と惹きつけられた。 関係性や心情なども徐々に変化していく雰囲気なんかも魅力的。 熱いようなところを醸し出しながら、実は“冷血”まみれなのでは?と思わせるようなところがまた優れているように感じた作品だった。
フィリップ・シーモア・ホフマン
フィリップ・シーモア・ホフマン演じる作家トルーマン・カポーティが最大の魅力。 第63回ゴールデン・グローブ賞主演男優賞受賞作。 鑑賞日:2015.4.2
途中ちょっとだけウトウトしてしまいましたが、94%は覚えていますよ!
ニコラス・ケイジ主演映画『8mm』では、アダルトショップの店員マックス(ホアキン・フェニックス)が読んでいた「アナル秘書」のブックカバーの下にはカポーティの「冷血」が隠されていた。裏世界の犯罪者の愛読書なのかと先入観を持ってしまっていたので、この映画に登場する一家4人惨殺事件の犯人の1人ペリー(クリフトン・コリンズJr.)の姿に驚きを隠せませんでした。トルーマン・カポーティについての知識も全く持ち合わせていなかったので、『ティファニーで朝食を』の原作者だったことにも驚いてしまいました(無知ですみません・・・)。 社交界でも饒舌、変人と見られるほどであるが天才的な小説家カポーティ。ゲイであることも相まって性格も読みづらい。しかし、さすがはアカデミー賞主演男優賞を獲得したフィリップ・シーモア・ホフマンがその難しい役作りを見事にこなしていました。1959年の凄惨な事件を知り、意欲的に取材に取り組むことになったのですが、犯人が捕まると、その心理を追求したくなり、長編ドキュメンタリー小説を書きたくなる。 興味本位からスタートして、彼の生い立ちを知るにつれ徐々に共感を覚え、優秀な弁護士を紹介して控訴まで持ち込む。「冷血」というタイトルをも決めて、前編を発表したりもするが、犯人ペリーにのめり込むにつれ、小説のタイトルを彼に伝えられなくなってしまうのです。被害者の友人からも刑事からも日記を借り、真相を追究する姿勢は気迫に満ちたものでしたが、ペリーの日記だけはそれが裏目に出てしまったのかもしれません。 事件当日の真相を知りたい。その一心で彼に心をぶつけるが、逆にペリーの方も親近感を覚え、接見で涙を流すほどに・・・恐ろしい事実を知ったときには「早く死刑執行されればいい」と考えも変わったのでしょう。その辺りは微妙な葛藤、ジレンマ。ホフマンとコリンズのやりとりが徐々に表情が変化、犯行当日の真相を聞きだす時点で一変するところが見ものなのです。だけど、カポーティが冷血なのかというとそうでもないような気がする・・・彼を救おうとしたけど、できなかったという自責の念をもこめた作品発表だったのだと思います(かなり推測)。 面白いのは助手としてカポーティを手伝っていたネルが『アラバマ物語』を発表した席。彼は駄作だつぶやいていましたが、映画は名作。黒人青年を助ける熱血弁護士の話と、最終的に見放してしまったカポーティとのコントラストがとても皮肉なコントラストになっていました。
ホフマンの傑作
最初の音楽と麦の穂と農場の一軒家のシーン。 いっきに物語へ入ってゆく。 一方でNYの想像しいパーティーへ場面展開で、下品なジョークと酒。その日常にカンザスの新聞記事が飛び込んでくる。 カポーティの舌っ足らずのしゃべり方と内股っぽい歩き方、そしてクセのある性格やマフラーの巻き方さえも特徴的だ。「普通じゃない」生き方をせざる得ない作家をよく表している。 だから「冷血」は、「彼のことなのか、君のことなのか」と、作家の本質的な共鳴の深さを指摘される。 1年後スペインの美しい海岸の別荘の邸宅でタイピングをつづけた。 彼についての質問に答える。「同じ境遇でぼくらは育った」「彼は裏口から外へ出てゆき、ぼくは表玄関から出て行く」の意味のことを答える。 NYの「冷血」の朗読会は成功だった。 ペリーは1965年4月14日に絞首刑となる。 1984年トルーマンはアルコール飲み過ぎで亡くなった。 正義と秩序の時代だった。米国のもっとも光り輝いた時代。 フィリップ・シーモア・ホフマンのもっとも評価している映画。確か、「パイレーツ・ロック」の彼もよかったが、残念ながら確か薬物で46歳で亡くなった。 監督のベネット・ミラーは、あの「マネーボール」の監督でもある。「マネーボール」もぼくの好きな映画だ。 関係ない話だけど、この映画をみて黒のウールのロングコートを着ている。Pコートやヘリンボーンでなく、フーデッドコートだけど。
フィリップ・シーモア・ホフマンのみ
昔見た『ティファニーで朝食を』を書いた人は、 こういう人だったんだ。。。。 トルーマン・カポーティを演じたフィリップ・シーモア・ホフマンに尽きる。 作家の取材のあり方、ひとつの作品にこめた情熱など、 それを演じた俳優に尽きるが、あまり気分のいい映画ではなかった。
複雑な感情にさせる作品
この監督は好きだな。 自然と感動してしまう監督。役者のおかげもあるが、見せ方も良い。 フィリップシーモアホフマンの演技にはとにかく脱帽。改めて合掌です。 作品自体も嘘をつきながらの友人関係という複雑な気持ちがあります。終盤の刑執行はリアルでちょっとゾッとした。これは確かに鬱に近くなるわなのラストがとにかく悲しい。 最後の文も悲しい。 淡々としすぎたのは否めないが、よく出来た作品。 印象に残る秀作。
フィリップ シーモア ホフマン 本当に残念
2014年 フィリップ シーモア ホフマン 逝去 どんな、映画でも、彼が出演していると、安心できる存在だった。 彼の逝去に伴い、改めて見直した作品 映画の内容は、暗く、深く… 葛藤するカポーティの内面を見事に、演じきっている。 今後の活躍を期待していただけに、残念でならない。
これぞ名演!
ここまで役者の演技というものが映画の中でウェートを占めてる映画は中々ないと思う 小説家トルーマン・カポーティが実際の出来事を基にした小説、いわゆるノンフィクション小説を完成させるまでの様子を描いた映画なのだけど、その執筆のための取材活動の中カポーティという人間の中で沸き起こる複雑極まる様々な感情の全てをフィリップ・シーモア・ホフマンが完璧に演じきっている 話は終始重たく冷たいトーンで展開され、エンターテインメント性というものは皆無だけども、あまりの名演っぷりにグッと世界に引き込まれる とにかくフィリップ・シーモア・ホフマンの素晴らしすぎる演技につきる映画
混乱に陥る
「冷血」とは罪のない家族を四人も殺した犯人達なのか、それとも。
見ているうちにトゥルーマンの真意がどこにあるのかわからなくなる。
彼らを救いたいのか、そうでないのか。もしくは単に作品を書くための道具でしかないのか、本当に友情を築こうとしているのか。
見ている私たちだけが混乱しているのではない。
トゥルーマン自身も混乱しているのだと思った。
彼は人前に出ると軽口を叩く。
ほんの少し真意を乗せて残りはオブラートにくるむ。
しかし自身の作品に対しては真摯だ。
だからこそペリーの刑執行に立ち会ったのだろう。
作品の完成に渇望しながら友人には生きてい居てほしいという葛藤の中その瞬間を見守り、遂に心に深い傷を負ってしまったのではないだろうか。
トゥルーマンはアダルトチルドレンだったと思う。
当時は数少ないゲイのカミングアウト者でヤク中でアル中。
作中出てくる「同じ家に生まれ、正面玄関から出て行ったのが自分で、裏口から出て行ったのが彼だ」というセリフは彼ら二人を見事に言い表している。
映画上の演出かわからないがペリーには絵の才能があった。
トゥルーマンのそれの様に環境とチャンスさえあればペリーにも違う人生があったのだ。
私は前情報を仕入れずに観賞した。
なのでエンドロールでフィリップ・シーモア・ホフマンと出てきて驚いた。
マネーボールのあの頑固な監督!?
トゥルーマン・カポーティの動く姿はおろか肉声も聞いたことがないので似ているかはわからないが、そんな人間にも圧倒的な説得力でカポーティを演じていたと思う。
完全に完全な余談だが、私はトゥルーマンの喋り方がローリー寺西に似てるな、と思ってから少し雑音に変わった。
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