アメリカン・サイコのレビュー・感想・評価
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ラストで観る映画逆戻しあり
私が思うに楽しめる良い映画はどこから見ても楽しめると思っています。まぁ見る側の見る力もあると思いますが・・この映画「アメリカン・サイコ」ラストを見てもう二十年前ぐらいにはなる、もっと前かも知れませんが流行りに流行った「氷の微笑」を思い出しました。謎が謎を呼び何度も観たくなる作品にしたかったのはないでしょうか?謎もないといえばないし
気になるところがたくさんあるといえばある。
チェーンソーを落として当たる辺りがこの作品の味噌なのかと思いましてその辺りからその路線で見てたのでラスト付近の会社から弁護士に電話するシーンもやや違和感を感じましたが私的にはヘリに発見されて
そのままヘリに宙吊りにされたらいいのにと思いましたがこの作品そこはマジでした。そうそうやや不謹慎になるかも知れませんが私この作品ブラックコメディーて捉えてます。大なり小なりこの作品の様な事件は本当に起こっていると思う。人間は人間を殺す人間人間を犯す金を持ってる人は強くて金の無い人は弱いそんな事は何100年前からも変わってないし、これからもそう簡単に変わる訳は無い。結局この映画は何を言いたかったのか?何を伝えたかったのか、観てる側の見方で変わる映画なんだろうと解釈した。私的には「ウルフ・オブ・ウォールストリート」なんかはわかりやすい作品」
「でも僕は何のカタルシスも感じない。僕は罰をうける事も無く、自分のこともわからないまま、僕の言葉など誰も理解できない。こんな告白など、なんの意味もない。」
この作品はこの言葉に尽きると思う。
予想よりはエグくなかったです
ストーリー
まず日本版予告とオープニングが素晴らしい。音楽センスも良いですね。ただ話がよくわからない。これ2回見るやつですか?ねえ?
キャスト
クリスチャンベールカッコ良すぎ怖すぎ。弁護士に電話するときが最高でしたね。あれは永久保存。
ジーン役の子も顔がぴったり映画に合ってたのか、すごく良かったです。
監督
女性監督だったんですね。
安っぽいサイコキラー
せっかくクリスチャン・ベイルを
使っているのに全く面白くない。
どうにも安っぽいのだ。
何回も見たことがあるようなサイコキラー。
別段特別なキャラクターではなかった。
最後のオチも真実が
どこにあるのかわからない。
なかなか評判がいいようだが、
自分は楽しめなかった。
名刺バトルと
裸チェーンソーのシーンは面白い。
16年20本目はイケメンサイコパスのサイコ映画に見せ掛けて終盤あたりで社会風刺映画に変わる超クールなトリック(笑)映画
16年20本目はイケメンサイコパスのサイコ映画に見せ掛けて終盤あたりで社会風刺映画に変わる超クールなトリック(笑)映画。まさかそういう方向のヲチでくるとは〜。
表面上は超几帳面で神経質で地位も見た目も兼ね備えるカンペキなイケメンがサイコパスでしたって話。内面は感情らしい感情は怒り?くらいしか無く空虚なホロウマン。殺人で空虚を満たそうとする彼はおぞましいけど哀れでもあり。
名刺のシーンが印象的。主人公の勤める会社でお偉いさんたちが、デザイン的にはシンプルなんだけど紙質も紙色もフォントも違うその微々たる?ちがいをマウンティングし合うシーンは見物。わたしも名刺マウンティングごっこしたい〜。
完璧サイコ主人公を演じるのがクリスチャン・ベイル(吹替草尾毅!)。メッチャキレイ。イケメン。わたしにとってクリスチャンベイルはマシニスト(人生で好きな映画5本のうちひとつ)なので筋肉もりもりほんと驚いた、これがプロか!
あととある人物が失踪して探偵が捜査を始めるんだけどその探偵がウィレム・デフォーだったのも驚いた。予備知識ほとんど仕入れないで映画観る我だから。2日前にアンチクライスト(ラースフォントリアー!)を再鑑賞したので唸りました〜。あまり好きな顔じゃないんだけど。
映画で言いたかったことと原作小説で言いたかったことは若干違うそうだけどと取り敢えず映画を観た感想としては、ラストが結構唐突で後味が宜しくは無いので「え、終わり?!」って感じ。それが大好物なので美味しく戴けました
不思議でこわいサスペンス
クリスチャン・ベール。彼のキャラクターへの完璧な適合(力?)は、流石としか言い様がありません。ひたすら彼の演技に酔しれるだけでも退屈はしない映画です。
主人公が、とてもとても悪いことをしているはずのに、周囲は日常どおり。
私達のルーティンワークの中にも、ひょっとすると、とんでもない何かが隠れているのかもしれませんね。
観賞後にも、あまり罪悪感は残らず、むしろスッキリしてしまう。
不思議でこわいサスペンスです。
A (C.ベイル白熱の演技☆→みましょう!)
A
・上品なグロテスク^^;
・殺人鬼になぜか同情してしまうw
・当時(現代も?)の「ステータス」社会の風刺★
・若年エリート層に眠る狂気
・クリスチャン・ベールの熱演!♡
・最後をどう解釈する??w
→ツイッター: @Joey_movies
フォロー待ってます(*^^*)
無になる辛さ
正直途中までは少しチープというか、
あんまり面白くないなと感じていました。
完璧主義で誰よりも勝っていたいという気持ちが強い主人公がなりふり構わず殺人を犯してるだけじゃん!と。
このまま、あからさまに人を殺しまくってくだけで、
どっかのタイミングで足がついて逮捕されちゃう映画なのかなー、なんて思いながら鑑賞していました。
そんな単純なものでは終わらず
最後の主人公の語りは
すごく哲学的で新しい感覚を覚えました。
人は誰しも『決してやってはいけないこと』があって、
それを自覚したうえでやってみると意外とスッキリしちゃったりするもんだと思います。
主人公は最上級にやってはいけない
殺人を犯すことで今までの心の膿をだしていた。
そんな部分でも本当の自分をさらけだそうと最後には叫んでみたものの
結局もみ消されたり、聞き入れてもらえなかったり…
懺悔もできず少しの浄化もされず…
殺人をしても咎められないのなら
主人公にとっての『やってはいけないこと』にはならないですよね。
それがわかって主人公は無になってしまった。
これでまた、同じような身分、身なりの中身のない人間たちに完璧な自分を見せていかなければならない。
『やってはいけない』ことがないって辛いことだと思います。
完璧主義も程々に。。。
衝撃的な内容でした。
もしかして… コケた…?
CMも見ずに挑んだ作品。アメリカン・サイコ。想像では"ものすごく頭のキレるジェントルサイコパスが、気持ちいいくらいに人を殺し歩く"か、"普段おとなしい(?)まあ普通の男が、ある何かをきっかけに凶悪最恐殺人鬼になり…"みたいな、スマートなアクションを期待していたのだが……
なんというか、昔にありきたり、お決まりチープなセックスシーンが本当に残念!
唯一の救いは、殺人衝動に怯えるクリスチャン・ベールの迫真の演技!あと肉体美!
ただ、葉巻の紫煙で燻る画面はその辺りの年代好きにはご褒美でしょう。
とにかく、ちょっと期待外れかもしれません。
笑えます!が、しかし…。
この映画では、80年代アメリカの、リッチで能天気でプラスティックな「頽廃」が描かれます。確かに、「資本主義」に踊らされ、物欲・名誉欲にかられ、日々「見栄のための消費」に明け暮れる登場人物たちの有様は、滑稽ですらあります。
でも、そこから「物質主義・拝金主義・商業主義は良くない!」というだけでは、ちょっと物足りない気がします。実際、以上のフレーズは、劇中、主人公パトリック・ベイトマン自身の口からも語られています。
パトリック・ベイトマンは一流大学卒の、ハンサムでリッチな「ヤンエグ(死語?)」です。でも実は、殺人の衝動を抱えている「ヤバいヤツ(本来の意味で)」で、実際、自分の欲望・衝動の赴くまま何人かの命を奪っていきます。
そんなベイトマンを取り囲むヤンエグたちは、互いに他愛のない話しかしません。流行りのレストラン、新調した名刺、イケてるクラブ…。その会話の内容には「人格的な関わり」がなく、お互いがお互いにとって「代替可能」な存在です。まるで、自分たちの関係が商品抜きでは語り得ないものであるかのように…。
そんななか、深夜街中で人をあやめ、それを目撃されてしまったベイトマンは警察に追われます。ようやく逃げ込んだ自分のオフィスでベイトマンは、知り合いの弁護士に電話をしますが、相手が留守だったため、留守電にメッセージを残します。いましがた人を殺したこと、そしてこれまでも多くの人を殺してきたこと…電話で自分の犯した罪を「告白」するその姿は、まるで迷える子羊の懺悔のようです。
にも関わらず、翌朝になると、ベイトマンの告白は弁護士に単なるジョークと受け取られてしまいます。また、別の事件に関連して崩れかけていたアリバイも、周囲の人間がベイトマンを「ベイトマンその人」として認識しておらず、また被害者(これもヤンエグ)も被害者その人として認識されていないなか、ベイトマンは一連の事件の犯人とは目されなくなってしまいます。つまりベイトマンは、周囲にとって「透明な存在」で、結果的に、その罪に応じた罰さえ与えてもらえなくなるわけです。更に言えば、ベイトマンだけでなく、劇中の人物全員が、お互いにお互いのことを十分には認識しておらず、互いが互いにとって「透明な存在」なのです。
はたして、パトリック・ベイトマンとは何者なのか?「人生に意味を見出だせない人間」「人生に飽きている人間」「自ら進んで社会の外側に身を置いている人間」…様々な見方があると思いますが、多くの人間が無自覚に物象化した社会を生きているなか、ベイトマンだけが「何かがおかしい…」と感じているのではないでしょうか?さらには、ベイトマンの内面には、他の人物は自覚されていない、ある種悲痛な「叫び」さえあるように思われます。
この映画を見て、パトリック・ベイトマンという人間について全く理解が出来ないという人は「健康」だと思います。でも、現代社会を生きている以上、ベイトマンが抱えている出口のない「もがき」の一辺は、我々も共通に抱えているのではないでしょうか?だとするなら、この映画を単純に拒否してしまうことは、現代人として道徳的に白痴であるとの謗りを免れないでしょう。
それにしても、名刺のシーンの「逆ギレ」は、やっぱり笑えます。
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