25時 : 映画評論・批評
2004年1月15日更新
2004年1月24日より恵比寿ガーデンシネマほかにてロードショー
アメリカの呪いから誰も逃れることができない
80年代、過激な発言によって白人アメリカに真っ向から立ち向かったスパイク・リーの映画は、その一方で黒人アメリカの行き詰まりをも見つめている。いくら白人アメリカを攻撃したところでわれわれもまたその汚れた土地の上で暮らす他ないのだし、かつてそこで流されたはずの血はいずれわれわれの身にも降り注がれることになるだろう。その血まみれの身体を抱えてわれわれは生きていくしかないのだという、そんな不吉な予感と共にスパイク・リーの映画はある。
殴打される犬の悲鳴と共に始まる「25時」では、その予感が物語の最後で主人公たちの幻視となってスクリーンに現れる。殴打された犬を助けたドラッグディーラーである主人公が、ドラッグで汚れた手を清めるべく見知らぬ土地へと移り住み、一家を構え、子供を作り、子供たちが成長し、孫たちに囲まれ死んでいく、その幸福な余生が、麻薬売買で逮捕され刑務所へ向かう彼のありえたかもしれない未来として投射されるのだ。もちろんわれわれはそれがありえぬ未来だと知っている。だからこそその幸福な未来に貼り付いた汚れた血の翳りを、そこに見ることになるだろう。呪われたアメリカ。誰もその呪いから逃れることはできないのだと、この映画は告げる。
(樋口泰人)